エリアボス
ドスンドスンと足音を立て、木陰の中からその巨体があらわになる。
エリアボス、ビッグボアだ。
エリアボスは決まったマップ内に一定時間ごとに現れるボスで、その名の通り、ボスクラスの実力を持っている。
予期せずに出会ってしまったら、それは不運としか言いようがない。
偶然出会った初心者などは成す術も無く、捻り潰されてしまうのだ。
ユウキは完全にこの事を失念していた。
「……でかいな」
リュウドが青眼の構えを取りながら、呟いた。
確かにでかい。
外見こそお供のワイルドボアと大差無いが、その大きさたるやコンビニの配送等で見かける2トントラックと変わらないくらいだ。
「けど、レベル差はある。今の俺達ならやれる相手だ」
ユウキが記憶しているビッグボアのレベルは52。
こちらは130台が2人、110が1人だ。
「プロテクション!」
アキノが物理防御魔法をかけた。円形の光が3人の前に発生する。
万全の態勢で挑もうという心構えだ。
「こいつはボスだけど、使ってくる攻撃はそこにいるワイルドボアと同じだ。同じように対処すればそれで──」
ユウキが指示を出している最中、ビッグボアは駆け出した。
早い、早すぎる。1秒足らずでトップスピードだ。
ワイルドボアを超える速度を出したその巨体は、ユウキ目掛けて突っ込んだ。
「うわあ!」
弾き飛ばされたユウキはワイヤーアクションのように大きく吹き飛び、後方の木の幹にぶつかると、ずるずると崩れ落ちた。
「大丈夫か!」
「ユウキ!」
駆け寄ろうとする2人に残りのワイルドボアが接近するが、これは難無く撃退された。
ユウキは防御魔法のおかげでダメージは少なく、痛みもそれほど無いが、体に痺れを感じていた。
(もしかして今、俺……スタン状態なのか)
根拠は無いが、ユウキはこの痺れは体を強打した事による症状ではなく、短時間麻痺するステータス異常のスタンだと判断した。
突進を超える速度で突っ込み、相手を弾き飛ばしてスタンさせる。
これは突進ではなく、上位の巨体モンスターが使う「猛進」という技だ。
突進しか使えないはずのビッグボアがどうして猛進を──。
もしかして、能力がバージョンアップされているのか?
バージョンが変わり、モンスターがパワーアップする。
何もおかしい話ではない。オンラインゲームとはそういう物だ。
痺れが抜けてきた体でユウキはようやく立ち上がった。
「ユウキ、大丈夫か、返答しろ」
「俺は大丈夫だ。それよりあいつ、多分強化されてる」
ユウキは目を凝らし、サーチスキルを使う。
ビッグボア レベル71
やはり。
だがこのレベル差ならまだ、的確に攻撃を当てれば普通に倒せる範囲内だ。
HPは見当が付くが、どんな能力が追加されているか分からない。
「距離を置いて取り囲むんだ」
相手が単体攻撃しか持たないなら、誰が狙われても他のメンバーが攻撃と援護に転じられる陣形を作る。
ゲーム内でも用いられる、戦法の1つだ。
「アーマーウィークス!」
アキノが防御力低下魔法を使う。
ビッグボアに黒紫の煙のようなエフェクトが掛かった。
「フォーススプレッド!」
光弾を散弾銃の如く発射して範囲攻撃する中級魔法をユウキが放つ。
幅広い胴体に連続ヒットし、ビッグボアの巨体が揺らぐ。
リュウドが腰を落とした構えから十分な溜めを作っている。力を溜める事で攻撃力を倍化させ、渾身の一撃を放つ、攻撃スキル一閃の発動直前だ。
身体に力と剣気がみなぎり、リュウドが躍り込もうとした瞬間、
「ガアァァァァァァァー!」
ビッグボアが山を震わせるほどの雄叫びを上げた。
3人は背すじに冷水をぶっかけられたような怖気を覚え、立ったまま体を痙攣させた。
そして、身動き1つ取れず、声も上げられない状態に陥った。
牙獣の咆哮。
周囲に、一切行動不能となる重度の精神ステータス異常テラー(恐怖)を引き起こす、モンスターの特殊技だ。
ユウキ達は全くこれを予見できなかった。
何故なら本来、ビッグボアはこの技を持っていない。
これはもっと高レベルのモンスターが放ってくる技なのだ。
ビッグボアがのそのそと動き出した中、ユウキはその場に立ち尽くしながら状況の打開に思考を巡らせていた。
まさか牙獣の咆哮を使えるようになっているなんて。
このまま無防備状態で攻撃を食らうのはまずい。
強い衝撃を与える物理攻撃の中には、激痛でほとんど行動が出来なくなる骨折や、毒以上の割合でHPが減り続ける流血といったステータス異常を引き起こす物もある。
いくら高レベルのHPでも、防御もせずに真正面からあの体当たりや牙を受ければ死ぬ可能性もある。
死んでも復活するから問題無い、と割り切れる事では無い。
死から復活した者は肉体は万全だが、ショックで怯え、しばらく塞ぎ込むという。
生物として、本能的に感じる死の恐怖はそれだけ大きいのだ。
声が出せないなら。
ユウキはパーティーチャット機能のウインドウを開いた。
これはパーティーメンバーだけで会話が通じるシステムで、ユウキは以前リュウドと試してみて、テレパシーのような意思の疎通を体験した。
だが普通に話せるこの世界なら、それほど使う場面は無いと思っていた。
(2人とも、聞こえるか)
(? ああ、聞こえる)
(……うん)
(考えてる時間は余り無い。アキノ、精神異常全快のキュアライトは使えたよな?)
(使えるけど、この状態じゃ魔法も)
(裏技じゃないが、ショートカットにアイテムを入れてスキルのように使えば、自分で体を動かして薬を飲まなくても飲んだ事になる。だから、その手順で青のハーブを使ってくれ)
青のハーブは精神異常の軽度回復効果があり、中堅以上のプレイヤーなら必携のアイテムだ。
(ハーブの効果でステータスは中度まで回復する、そうすれば)
(魔法は使えるようになるって事ね)
(私の一閃のパワーはキャンセルされていない。回復と同時に仕掛けるか?)
(ああ、俺が動きを止める。2人とも、タイミングは適宜で頼む)
ピンチにありながら、ユウキは熱い物を感じていた。
この連携した気持ち、パーティープレイの醍醐味を。
アキノの体が一瞬、爽やかな青色に包まれる。
「キュアライト!」
治癒魔法が詠唱され、ユウキ、続いてリュウドの異常が回復する。
「ミミックバイト!」
ユウキが瞬時に変更した宝石から特殊技を放つと、牙を生やした半透明の巨大な宝箱がビッグボアの足元に現れ、それがトラバサミのように噛み付く。
罠に掛かった獣そのものの姿でビッグボアはもがいた。
その暴れる姿に、上空から1つの影が重なる。
振り仰げば、そこには大きく踏み込み、高く跳躍したリュウドの姿。
「はああっ! イヤァ!」
裂帛の気迫と共に全身全霊の一刀が振り下ろされる。
剛剣一閃。
その渾身の刃はビッグボアの硬い毛皮を切り裂き、頭蓋骨を断ち割り、頭部を縦断し、そしてその衝撃は大地までをも爆ぜ割った。
返り血にまみれながら、残心するリュウド。
頭から腹までを縦に割られたビッグボアは断末魔の悲鳴さえ残さず、その場に倒れ、やがて消滅した。
「やったな」
ユウキが尻餅を突くようにへたり込み、
「良かったぁ、上手く行って」
アキノが力なく崩れて座り、
「危険だったが、昂ぶる戦いだった」
リュウドは血を払って、刀を鞘に戻す。
3人は久々に心地よい疲労感を感じていた。
ああ、俺は生きている。
ゲームではなく、自分は今この世界で生きているんだ。
ユウキの中に、突き付けられた現実感とは別に、沸々と沸き立つ物があった。
それが喜怒哀楽のどれなのか、自分自身でも計り知れなかった。
「おーい、でっけえ鳴き声が聞こえたが、いってえ何事だあ!?」
道の先の茂みから、訛った喋り声が聞こえてきた。
肉付きの良い、2メートルを超える巨体。
ボアとどことなく似ている、豚のような顔は緑色をしている。
オークの村の住人が騒ぎで出てきたようだ。
牙のある丸顔を見て、ユウキは当初の目的を思い出した。