腐竜の前進
ドラゴンゾンビが移動を開始した。
2本の前足でトカゲのように這うだけだが、
その速度は人が走る速さと大差ない。
ブレスを浴びたら毒を受け、頑丈な装備品も
劣化して破壊される。
食らえばその場にいる全員が全滅してしまう。
予兆が見えたらすぐに走って絶対直撃だけは
回避するように。
ヨシュアにそうアドバイスを受け、アルスは
アイアンガードを前に、進路に立ちはだかった。
だが聖なる法力を持つ神官相手ならまだしも、
アルスにドラゴンゾンビが警戒などする訳もない。
そのまま直進し、邪魔者をどかそうと、左足で
アルスを薙ぎ払った。
これは、避け切れるっ!
アルスは後ろへ飛び退き、回避した。
よく見れば、避けられないスピードではない。
まさおは勇み過ぎ、あれで重傷を負ってしまった。
パーティーウインドウでステータスを確認すると
彼のHPは残り14、そして麻痺の状態異常。
砂を染める出血の量も夥しい。
このまま体力が減少し続ければ、死は免れない。
彼の容態も気になるが、ドラゴンゾンビと対峙
しながら彼を救助できるほど、アルスは自分を
過信してはいない。
ヨシュアさんが来たら助けるから。
心の中で誓っていると、左、左、また左、と
連続して爪が唸った。
アルスはとにかく集中して、回避に専念する。
魔術師が標的なら彼女を逃がしたらどうだろう。
走って逃がしたら──追い付かれてしまうか?
船に逃げて、島から離れたら──相手は飛べる
ようだから海上まで追って来る可能性もある。
考えている間にもドラゴンゾンビはズルズルと
岩壁へ体を這わせていく。
アルスは時間を稼いでいるつもりだが、傍目には
ドラゴンゾンビの進路上でうろついているだけだ。
岩壁まで既に50メートルを切った。
仲間と魔術師を退避させなければ、後がない。
「逃げろ! こいつから逃げるんだ!」
アルスが大声を上げるが、彼等の動きは鈍い。
大怪我と疲労で一斉に逃げる事が不可能なのだ。
それに誰もが顔面蒼白、怖気に支配されている。
僕が少しでも進行を遅らせないと。
アルスは敵を観察し、ある事に気が付いた。
さっきから攻撃は左足ばかり。這う時も左足が
前で、右足の動作は大分鈍くなっている。
「こいつ、右の前足がかなり損傷している?」
全身グチャグチャなので目が届かなかったが、
人間で言う、右肘の骨が砕け、飛び出している。
彼は知る由も無いが、ここはリュウドが斬り付け、
その後の着地のショックも加わり、鱗が剥がれて
開放骨折状態になっていた。
「あそこを狙えば、僕でも切り落とせるんじゃ」
彼はアベルからの教えを思い出す。
たとえ倒せなくとも相手の攻撃力を削ぐのだと。
片足を切断すれば攻撃力は半減し、移動速度も
確実に落ちるだろう。
「使うぞ、あの技を!」
決心すると、彼は剣の鍔を額の前に持ってきた。
そこに埋め込まれた魔法石がアルスの意識に反応し、
閃光を放って彼の体を包み込む。
アルスは全身にスパークする雷光をまとった。
「よし! これで決める!」
雷帝剣レプリカの固有技にして彼の切り札である、
エンター・ザ・ライトニングブレードだ。
解放された魔法力に反応したか、ドラゴンゾンビは
足を止め、濁った双眸でアルスを睨む。
「チャンスは1度きり。焦るな、確実に当てるんだ」
使用SPと最大SPの都合で、放てるのは1度だけ。
いくら痛んでいるとは言え、このくらいのスキルを
食らわせなければ相手の前足は折れないだろう。
先手を取ったのはドラゴンゾンビだった。
左足を振り上げ、アルスに叩き付ける。
彼は雷撃の如き速度でこれを避け、ワンテンポ遅れて
降って来た咬み付きも盾で逸らしながら体を左へ。
「ここだ!」
瞬時に踏み込んで、アルスは剣を振り抜いた。
雷鳴と共に描かれた剣の軌跡は右足と交差。
斬撃は狂いなく右足を捉え、関節部分で切断した。
切り離された足がドシャと砂に沈む。
ドラゴンゾンビは足が折れてしまった机のように、
右斜め前に倒れ、頭を地に付けた。
アルスの目の前に頭部があった。
これを一突きにすれば、こいつを倒せるかもしれない。
絶好のチャンスだ!
それは許されない欲深い選択だったのか。
剣を構えたアルスの胴体を、ドラゴンゾンビは鼻先で
思い切り突き上げた。
「ぐわあ!」
彼は岩壁近くまで激しく弾き飛ばされた。
直撃を食らう瞬間、とっさに盾を出したが、それが期待
できるほどの防御効果を発揮したとは言えない。
──ドシャア
アルスは砂の上に落下し、数メートル転がった。
「アルス!」
魔術師と移動を始めようとしていたベガが駆け寄った。
「うう、僕は大丈夫だ。あれでやつは、しばらくは」
これで時間稼ぎは出来た。
後はヨシュアの到着までここを離れていればいい。
そんな幸せな予想は見事に覆された。
ドラゴンゾンビの体内から紫色の瘴気が噴き出す。
すると何らかの魔術的パワーが発生したのか、やつの
巨体がぶわっと勢い良く飛び上がったのだ。
類似したものを挙げるとすれば、カエルの跳躍だった。
カエルがぴょこんと跳ねるように、ドラゴンゾンビは
緩やかに低空ジャンプし、ズシンと着地した。
ドラゴンから、アルスの後ろにいるメリッサまでの
距離は15メートルとない。
「ド、ドラゴンゾンビにあんな能力があるなんて!?」
アルスが驚愕するのも無理はない。
あんな能力、本来なら持ち合わせていないのだ。
ドラゴンゾンビは大口を開ける。
獲物を冥界へと誘う、死の吐息を放つために。