黒屍竜
「なんだ!? 今度は何が出てくるんだ!?」
ユウキは眼前で新たに展開された魔法陣を前に、
身構えた。
右の塔で召喚攻撃のものと思われる閃光が起こり、
そちらに注目していたら、前触れなくこの状況だ。
「ん!? なに? この鼻をつく酷い匂い」
アキノが顔をしかめた。
辺りに突然、悪臭が漂い始めた。
死体から放たれるような腐った匂い、腐臭だ。
死肉の匂いを放つものは、魔法陣から現れた。
「そんな、まさか……あんなものが!」
その場にいた誰もが、後ずさった。
鱗に覆われ、威厳のあった巨体は赤黒くただれ。
翼は骨が折れ、斑に穴が開いている。
肉が剥げ落ちてむき出しの肋骨、その間からは
腐敗して垂れる臓物が。
顔の半分は皮膚が朽ちて、生前は言語や呪文を
理解する知性の光を持っていた瞳からは、今は
理知的な輝きは失われていた。
汚れた牙が並ぶ口周りは、恐竜の骨格標本の
ように白骨化している。
「ブラック、ドラゴンゾンビだ」
ユウキは力一杯、ワンドを握り締めた。
「あいつ、ドラゴンゾンビを呼びやがったぜ!」
左の塔の様子を、くろうは報告した。
先ほど短い呪文を唱え終えたオディールは不敵に
笑った。
「あれが私からの置き土産よ。立派なものでしょ?
腐っても鯛ならぬ、腐っても竜ってね。あれには
あんた達が1番困る、特別意地悪な指示を出して
おいたわ。精々スリルを楽しんでね」
さも愉快そうに言うと、オディールは黒いもやを
出現させ、その中に入った。
「オディール! 逃げるのか!」
「逃げるんじゃなくて、おうちに帰るのよ」
「負け惜しみだな。任されていたダンジョンを
捨てたのなら、敗走だろう」
アベルの言葉を彼女は鼻で笑った。
「こんな塔、命懸けで守る必要なんてなーいの。
あんたらみたいのが来て、派手に暴れ回って、
攻略されるのまで、計算の内よ」
「計算の内?」
ヨシュアの鸚鵡返しに、オディールは
口を押さえてわざとらしく失言をアピールする。
「お前等は一体何を企んでる!?」
「知りたい? 知りたい? 本当に知りたいの?
ヒヒヒ、教えねえよ、てめえで考えろバーーカ!」
悪態をつきながら、ネクロマンサーはもやに消えた。
「毒と麻痺の耐性防具! 状態異常に備えるんだ!」
ユウキが声を張り上げた。
思わず大声を上げるほど、警戒が必要になるのだ。
ドラゴンゾンビを相手にするとはそういう事だ。
「ステイトガード!」
アキノが状態異常耐性を上げる魔法を使った。
緑色に輝く光の粒子が5人を包み、パッと弾ける。
続いてプロテクションで防御力を高めたのだった。
ただでさえ強力なドラゴンがアンデッド化した事に
よって、より攻撃性・凶暴性が増している。
その上、アンデッドモンスターが頻繁に使ってくる
状態異常系の技も、高水準で揃っていた。
「こんな奴が出てくるなんて」
(ユウキ君、そちらはどうなっている?)
「ドラゴンゾンビが突然出て来て。ヨシュアさん、
そっちは、左の塔で誰と戦っていたんですか?」
(……オディールだ)
「オディール!? それって、あの、プレイヤーの
オディールって事ですか!?」
(そうだ。ギルド騒動の、あのオディールだよ)
「そんな、じゃあライザロスのあれは本当に」
ヨシュアは感情をかみ殺した。
(その話はまた後だ。それよりドラゴンゾンビ、
そいつを必ず倒してくれ!)
「こっちもさっきのボス戦で結構消耗していて。
やれるだけはやるつもりですが」
(それなら身動きだけでも止めてもらいたい!
そいつは多分、あの魔術師を狙いに行く!)
「魔術師? え、どうして? うおっ」
ギュアアアア!
潰れたのどで濁った咆哮を上げ、ドラゴンゾンビが
行動を開始した。
(大丈夫か? オディールが、僕等が1番困る事を
させると言っていた。それは恐らく、攻略の妨害だ)
「魔術師を殺せば、塔は攻略出来なくなる……?」
(多分そうだろう。だから足止めだけでも頼む。
これから僕等もそちらに駆け付ける!)
「ドラゴンゾンビをここから離れさせたら駄目だ!」
5人は、頭から尻尾の先まで40メートルはある
相手を包囲するシフトを組んだ。
2人の会話ウインドウは全員がチェックしている。
仲間にも意図は伝わったはずだ。
ユウキの頭の中で、戦いの算段は出来ていた。
アビスアーマーと違い、ドラゴンゾンビには明確な
弱点がある。
聖と炎の属性なら有効なダメージを与えられるのだ。
HP自体は相当なものだが、これで足と翼を狙えば
相手の移動手段は失われる。
ヨシュア達がこちらに辿り着くまで、恐らく20分強。
最短ルートを全速力で突っ走ればそのくらいだろう。
それまでドラゴンゾンビを足止めすれば、彼の聖剣が
奴を華麗に滅ぼしてくれるはずだ。
帰還魔法は転送魔法と同じく、現在封じられている。
それさえ使えればすぐ海岸の結界まで戻れたのだが、
無いものねだりをしても意味はない。
ゾンビ化したモンスターの属性以外の弱点は、動きが
生前よりも鈍る事だ。
リュウドは気付かれぬよう、無音の足捌きで近寄ると、
前足に一撃を放った。
斬れば腐敗した足がぼろっと千切れるかと思えたが、
肉を斬るにとどまった。
腐って強度が落ちていても、やはり竜鱗は硬い。
痛覚は無いが、眼下の獲物に気付いたドラゴンは
右前足をリュウドに振り下ろした。
リュウドが避けると、鋭い爪は床を抉り取った。
加減が利かなくなっているだけにパワーは凄まじい。
おまけにあの爪には猛毒と麻痺、出血の効果付きだ。
「この鈍さなら」
ケンが火炎を付与し、翼を狙って飛び掛かる。
その急襲に意外にも素早く反応したドラゴンは、
口角をぶちぶちと裂きながらブレスを放った。
腐食性の毒ガスを吐き出す、ブロークンブレス。
ケンはどす黒い息を空中で身をよじってかわすと、
着地しながら右の後ろ足を斬り付けた。
そして尻尾の下をスライディングで潜り抜けて、
今度は左の後ろ足にも一撃を加えた。
ただでは転ばない、ダメージへの執着心。
炎の剣は肉を焼き、骨を半ばまで断ち切った。
ドラゴンゾンビはぐらりとバランスを崩す。
ここをチャンスと見て、ラリィが跳んだ。
グレイヘロンを振りかざし、翼の付け根へ。
「はあっ!」
青い軌跡を残し、グレイヘロンは付け根の一部を
切り裂いた。
穴の開いた翼が折れ曲がり、千切れかかる。
ドラゴンはたまらずブレスを撒き散らした。
「おおっ!」
直線的なブレスなら容易く避けられただろうが、
スプレーのように撒かれては回避のしようがない。
毒は耐性で防げたものの、ボロボロと彼女の
クロークが崩れだす。
続いてチューブトップ、スカートの裾、ブーツに
至るまで、急激な劣化に襲われた。
「くそ、ここでストリップする気はねえぞ!」
半端に崩れた服からまろび出た胸を手で覆い隠し、
彼女は飛び退いた。
服は犠牲になったが、大きな有効打だ。
複数の標的に気を散じたドラゴンの目を盗み、
リュウドがその背中へ飛び乗った。
「イヤァ!」
大上段から振り下ろされる全力の一太刀。
ズバァ!
付け根の腐肉と骨を断ち、取れかかっていた翼が
体から離れ飛んだ。
片翼の部位破壊に成功。
傷口から濁った血膿がビュクビュクと飛び散った。
ドラゴンゾンビはそんなダメージなど意に介さず、
ブロークンブレスを放射状に吐き出した。
「しまった!」
もう一方の翼を魔法で狙っていたユウキは、それを
浴びてしまう。
軽鎧とワンドがボロボロになり、修理しなくては
使えないまでに耐久度が劣化してしまった。
こんな事で嘆いたり、怯んではいられない。
軽鎧が壊れ、ワンドが無くたって攻撃は出来る。
ここが一気に畳み掛ける、肝心要の攻め時なのだ。
「修理代はフェリーチャ持ちだからな」
ガスが残る中で、ユウキが右手をかざす。
「ブレイクフレア!」
掌から50センチほどの火球が飛び出し、残った
翼へと突き刺さる。
すると火球はそこで連続爆発を起こした。
続けて発生する熱と衝撃で、対象標的を徹底的に
損壊させるモンスター技だ。
「やった! もう1つも破壊したぞ!」
最初から骨まで傷んでいたのか、残っていた翼は
高熱に焼かれ、根元から千切れ飛んだ。
「ユウキ、これ、上手く行ったんじゃない?」
アキノが頬を緩ませながら言った。
「上手く行った。出来すぎなくらいだ!」
倒し切るとなれば長期戦も余儀無くされるが、
今回こちらは足止めをすれば即ち勝利なのだ。
ヨシュアを待たなくとも、倒せるんじゃないか?
既に勝った気になっていたユウキには、油断が
あったのかもしれない。
相手の持っている技に注意が足りなかったのだ。
ギュアアアアアア!
ドラゴンゾンビが濁った咆哮を上げた。
空気が激しく振動し、ユウキ達はとてつもない
怖気で身動きが取れなくなった。
巨竜の咆哮、聴いた者を全て麻痺させてしまう
高等ドラゴン系モンスターの特殊技だ。
だが麻痺は短時間だ。
それにステイトガードの保護効果で、時間は
より短縮される。
ドラゴンゾンビと言えど、両翼が折れ、足に
深手を負った状態で何するものか。
麻痺しようと、ユウキは勝利を確信していた。
次の瞬間、それを見るまでは。
ドラゴンゾンビの背中がボコボコと動くと、
新しい翼が生えたのだ。
高いタフネスは持つが、ドラゴンゾンビには
本来、復元能力はない。
あれはオディールが仕込んだ、何らかの能力
なのだろうか。
続いて、余分な部位は必要ないと言うように、
ゴキゴキと背骨が折れ、胴体の肉がぶつぶつと
裂けていき、終いに腰から下を自分で切り離して
しまった。
「そんな、そんなのありか!?」
ドラゴンゾンビは新たな翼を羽ばたかせると、
上半身だけとなった姿で浮上を開始する。
そして──ユウキ達の麻痺が解けたと同時に、
最上階から飛び立ってしまった。
足止めは失敗した。