島へ向かって
カーベインには商港以外にヨットハーバーがある。
富豪が娯楽目的等で所有している船は商船の航行を
妨害せぬよう、ここから出港する事になっている。
ミーティングから1時間ほど。
抜けるような空、白い雲、そして青い海原──。
双角の塔攻略隊はクルーザーの前に集まっていた。
船は全長約40メートル、船体後部に船室があり、
その上に操舵輪が設置されている。立派なマストは
あるが帆は張っていない。
風の力を使わず、魔法石を動力に進むのだろう。
ユウキ達を待っていたのは、海賊と見紛うような
むくつけき屈強な商船護衛隊員達と、例の魔術師、
そして1人のプレイヤーだった。
「あなたが塔で解術を担当するという?」
「はじめまして、メリッサといいます。妨害魔法は
徐々に効力を増しているように思えます。解術の為、
どうか御協力を」
20代後半、頭からすっぽりとローブをかぶった
神秘的な妖人の女性だった。
水色のショートカットに、同じく魔術的メイクの
青いルージュを引いた唇。
魔術師、とだけ聞いていたので思い浮かべていた
ビジュアルが曖昧だったが、これで守るべき対象の
実感が湧いた。
今回のキーパーソンである。
「俺がCチームに入るまさおや。よろしゅう」
プレイヤーまさおはアルスに握手を求めた。
差し出された腕は灰色の鱗に覆われている。
左手にハンドバトルアックス、バックラーシールドと
鋼の胸当てで武装した闘士。
まさおはレベル19のリザードマンだ。
「ソロでレベル上げしとった時に、ログインして
こっち来てな。うん、で俺1人なってん。所持金が
心許ないなあ思うてたとこに、フェリーチャ商会が
仕事の募集出しとるって。こらええなあと思って、
頭下げて頼み込んでな。出番待っとったんや」
彼が元からこういう喋り方なのか、それとも設定で
この喋りが焼き付いているのか。
理由はどちらにせよ、明確なコミュニケーションの
取れる仲間には違いない。
アルス、続けてベガは彼と握手を交わした。
「出発の準備は良いわね? アイテムは積み込んで
あるから各自が適宜持っていくこと」
カタリナを連れたフェリーチャは一応確認するが、
自分で愚問だと分かっているだろう。
ここにいるのは数名を除いてベテランなのだ。
ユウキ達は旅路から直行なので装備は変わらないが、
ヨシュア達は完全装備に着替えている。
リーダーであるヨシュアは蒼白のクリスタル防具に
身を包み、背中には純白の聖者のマント。
腰には、鞘に悪しき者を焼き尽くす太陽の描かれた
シャインブレードが収められている。
アベルは牙竜王の兜、戦神の鎧、阿修羅の小手、
麒麟の具足と近距離戦を研究し尽くしたレア防具だ。
左手には動作の邪魔にならない手首から肘までを
守る小盾、これは石突きにも刃の付いたデュアル
ランサーを両手で扱う為の工夫だ。
私服では、血気盛んで威勢の良い若者、という
印象だったくろうも、今はシックでもういかにも
ニンジャないでたちになっている。
頭部にはモモチのハチガネ、喉元から鼻までを
覆う忍の覆面、各部に特殊鋼を仕込んで防御力を
高めつつ軽さと動き易さに重点を置いた、漆黒の
忍装束。
背中には忍者刀、腰や懐には手裏剣や鎖分銅他の
忍具が忍ばせてある。
リーリンは俗にビキニアーマーと呼ばれるデザインの
防具を身に付けている。
水着のそれと同じくブラとパンツ部分で成り立って
いるが、ブラ部分と下腹部にある逆三角の布の少ない
面積と言ったらない。
紐と鎖で繋がれたビキニに、夜魔のロンググローブと
毛皮のマフラー、一角の魔物を模した宝珠付きの肩当て、
ニーハイソックスと似た太ももまでフィットした靴。
これらは大魔女装備というシリーズアイテムだ。
本人、職業柄、共に楚々としたイメージのエルザだが、
装備は白いマントに純白のハイレグアーマーだ。
薄手の手袋とショートブーツには金糸の刺繍が入って
いて、希少なアイテムなのが分かる。
このレースクイーンばりの服装は聖女シリーズと名の
付いた、それは由緒正しき装備である。
その昔、伝説の勇者と共に魔族と戦ったという聖女の
防具を再現した、という設定のアイテムだ。
この世界の基準なのだろうが、こんな服装で戦うとは、
とんだ聖女様もいたものである。
2人のグラマラスな肢体と相まって、様々なラインが
結構きわどい事になっており、一体これのどこが防具
なのだと疑問の声も出るだろう。
だが、秘められた神秘的な力で、素肌から数センチの
ところに見えない防護障壁が張られているのだ。
その所謂バリアによって、鋼鉄の鎧よりも遥かに高い
防御力を発揮する。
ずっと着慣れている事も加えて、2人には恥ずかしい
という意識はない。
何故なら誰が何と言おうとこれは『防具』なのだから。
それも霊験あらたかで、シリーズを揃えるには数々の
苦難を乗り越えねばならない高性能レアアイテムだ。
露出に大差なくとも、断じて下着や水着ではない。
「かっこいいです」
ベガが羨望の眼差しを向けている。
彼女のレベルではとても装備条件には足りていない。
たとえ装備しても、中学生が無理してセクシー水着を
身に付けたような様になってしまうだろう。
それはそれで好む者もいるかもしれないが。
「それじゃあよろしく! 随時報告してね!」
フェリーチャが見送る中、攻略隊が乗る船は出港した。
クルーザーが水面を切り裂いて進む。
帆船に比べるとかなりの快速だ。
くろうが船首に立ち、風を一身に浴びていた。
「はええ! 良いぞ良いぞ、気分が盛り上がってきた!」
何でも先頭に立ちたがる小学生のように、シンプルかつ
ストレートなモチベーションの上げ方だ。
船室で必要なアイテムを補充すると、大半の者はデッキへ
出ていた。
どうせ30分足らずで到着するのだし、水棲モンスター
からの急襲に備えてでもあった。
だが水上からモンスターと思われる魚影を見かけはする
ものの、反応しても追ってはこれないようだった。
フェリーチャが自慢するだけあって速度は十分のようだ。
ユウキとアキノは手すりに腕を置き、前方で弾ける水飛沫を
眺めていた。
潮風は頬に優しく、陽光は肌を焼かない程度に照っている。
時折、魔物らしき不気味な影が見えるが、海面は穏やかだ。
停船して釣り糸を垂らせば、のんびりと釣りに興じる事も
可能だろう。
「ミーティングの時にちょっとだけ船旅の話が出てたけど、
いつかは旅行に行けたら楽しいかもね」
「旅行? 冒険してれば同じ事じゃないか?」
「冒険は冒険、旅行は旅行でしょ。モンスターと戦ったり
しないで、優雅な船旅したり、美味しい物を食べたり」
「いつかはそれも良いけど、今は攻略を達成しないと」
時と場合が違えば、ユウキもバカンス気分になれただろう。
だが、あくまで今は塔の攻略クエストの最中だ。
「なんだかユウキって……なんだろう? この世界からの
脱出に関係しそうな事に対して、突き進もうって気持ちが
誰よりも強いみたい」
「そうかな」
そうなのだろうな、とユウキは改めて自覚した。
こちらに来てから、ゲームの主人公にでもなったように
困難を乗り越えようという意欲が湧いてくるのだ。
無意識に根を詰めてしまっているのだろうか。
仲間とは言え、周りに自分の姿勢を押し付けないように
しなければ──彼はそんな考えに至った。
「まあ、やる事はやらなきゃって話だよ。娯楽はその次。
でも落ち着いたら、確かに旅行も良いかもしれないな」
「うん」
「ギルドの皆を連れて、ワイワイと」
「え? う、うん」
会社の慰安旅行じゃないんだから……。
アキノのぼやきは誰の耳にも届かず波間に消えた。
アキノの内心も知らず、船の片側に目をやったユウキは、
そこでケンを見た。
魔法戦士を極めた、現吟遊詩人。
ミーティングでは一言も喋らず、無愛想なのかと思ったが
そんな彼は悲しそうな目で遠い海を眺めている。
「あのケンって人、俺今まで見た事ないんだ」
「私も。あれだけのレベルなら、どこかで顔を合わせた事が
あってもいいはずなんだけど」
しばらく行動を共にする仲間として、バックグラウンドを
知っておきたい気持ちは当然ある。
だが何故か、触れてはならない気持ちにもなるのだ。
なんだかお化けを見ているような、そんな。
彼と自分達とは決定的に何かが違うのかもしれない──。
ユウキは見ず知らずの男に対し、そんな認識が芽生えていた。
「あの、アベルさん」
後部デッキで、腕組みをして手すりに寄り掛かるアベルに
アルスが声を掛けた。
「………なんだ」
その声は吐息のように静かだ。
彼は無駄だと思った事は口にしない。
それがキャラクターから彼に焼き付いた性格のようだ。
「あの、僕は前衛職の端くれでして、まだ戦いの勝手も
分からない若輩です。宜しければ、先達のアベルさんに
戦い方のご教示を賜れないかと」
要は戦闘のコツを教えてくれと尋ねているわけだ。
アルスは正義感が強いが、それを貫き通す為には相応の
実力が必要だと考えている。
自己鍛錬への志は貪欲と言えるほど高く、昨晩の食事の
際にも、リュウドに教えを乞うほどであった。
「………」
アベルは口を結び、沈黙した。
別に怒ったり、アルスを邪見に扱おうという訳ではない。
表情に色を出さない為に分かりづらいが、彼は彼なりに
考えているのだ。やがて、
「常に敵の無力化を考えろ」
「無力化、ですか?」
「そうだ。何よりも敵の攻撃力を削ぎ落とす事を考えろ。
前衛は敵と殴り合うことと、後衛への被害を食い止める
という2つの役目を負っている」
「無力化とは素早く倒せ、という意味でしょうか?」
「倒せなくても、仲間への脅威を最小限に押さえ込め。
今回お前の役目は、護る事なのだろう」
そう言うと彼は懐から腕輪を取り出した。
「これをやる、持っていけ」
「あ、それはプロテクションリング!?」
物理ダメージを割合で軽減する、職業レベルを問わず
人気のあるレアアイテムだ。
「こ、こんな高価なもの、とても」
「気にするな、余り物だ。俺は若い頃、相手を倒す事
ばかり気にして戦ってきた。だがパーティープレイで
信頼されるのは、倒した敵の数より守った味方の数を
誇れる戦士だ」
「倒した数より、守った数……」
「魔術師を守り抜け。攻略を成功させるためにも」
「はい!」
アルスはリングを受け取った。
話を聞いたからと、今レベルが上がるわけではない。
だが新たな教えは、必ず彼の血肉となるだろう。
「ん? お前なんか貰ったのか?」
そこへ船室からラリィが出てきた。
青いボトルに入った、小さな酒瓶を煽りながら。
「ああ! それ霊酒じゃないですか!」
霊酒とは非売品で、アルケミストと薬師のスキルで
調合できるMP回復アイテムだ。
「それ普通のお酒と違うんですよ! 物凄く高いのに、
そんなラッパ飲みにして」
「良いだろ、ここにある物は自由に使って良いって
契約なんだから。MP関係無くても飲みたけりゃあ
飲むんだよ。あとほら、冷酒と同じ読みだし」
彼女から見れば高級な回復アイテムも、スキットルに
入れた蒸留酒と大差ない価値になるらしい。
「なんですか、その馬鹿みたいな理屈」
「リーダーに馬鹿とはどういう事だ、コノヤロー」
ラリィはアルスにヘッドロックを決めると、技を
かけたまま前方デッキまで引き摺っていった。
アベルはそれを一瞥すると、再び口を結んで俯いた。
「ヨシュアさん」
手すりに両肘をついて、海を眺めていたヨシュアに
ユウキは声を掛けた。
ベテラン中のベテランで、緊張などするはずのない
彼が、不安げな顔をしていたからだ。
整った顔が僅かながら青ざめて見えた。
「どうかしたんですか?」
「いや、色々と……ちょっとね」
案じてくれているのは十分察しているのだろう。
しばらく視線を泳がせてから、
「君に伝えておかなきゃいけない事がある」
「……なんですか?」
「先月さ、バージョンアップの前のことなんだけど。
ヘイジさんが引退という形で辞めたんだ」
「え、ヘイジさんが!?」
ヘイジは彼等と一緒にギルドのサブリーダーを務めた
プレイヤーで、大変人望のある男だった。
「あの人、顔が広くて、大小色んなギルドに繋がりが
あっただろう? そのせいなのか、引き抜き騒動の時に
僕達が知らない所で酷く叩かれたらしいんだ。彼には
何1つ責任は無いのに、主要メンバーを引き抜かれて
ギルドバトルの戦績が落ちたギルドから、責任を取って
謝罪して引退しろとまで言われた事もあったそうだ」
「じゃあ、それで」
「彼は何も悪くない。ただ彼自身の人間関係がかなり
こじれてしまったらしくてね。ゲームをやっていても
楽しめないから辞めると。彼を慕って入っていた人も
その影響でかなり離脱してしまって」
ヨシュアはため息を1つ吐き、
「もう『冒険者達の集い』のメンバーは減りに減って、
今ではギルドバトルに参加できないくらいまで人数を
減らしてしまった」
「そ、そんな」
ユウキには全くの初耳だった。
自分を1から育ててくれたギルドがそこまで縮小して
いたなんて。
「連絡をくれれば、俺は」
「君がログインしない日が少しずつ増えていったのが
僕は怖かったんだ。自然ともう辞めるんじゃないかと
言う噂も聞こえてきた。下手に手助けをしてくれと
連絡したら、その日を早めてしまうんじゃないかと、
そう思ってね」
オンラインゲームを辞める者はログインが減っていき、
自然消滅の形で引退する場合が多い。
現にユウキはその1歩手前まで行っていたのだ。
落ち込んだタイミングでそんな惨状を聞かされたら、
彼の想像通りに引退を決意してしまったかもしれない。
「君はこの世界に来たプレイヤーをどう思ってる?」
ヨシュアが突然、話を変えた。
無理に戻したい話でもないので、ユウキは従った。
「どう、とは?」
「プレイヤーは何にも縛られていない。捕まえる事は
まだしも、犯罪への抑止力である死刑にも出来ない。
英雄と呼ばれる者もいれば、タガが外れてしまう者も
いると思うんだ」
犯罪に手を貸した者の噂をユウキは知っている。
いや、犯罪の範疇を超えた殺戮行為にだ。
「ヨシュアさん、ライザロスの噂を知ってますか?」
「魔族の中にプレイヤーとよく似た者がいたという
ものだろう? 知っているよ。知っているどころか、
僕はあれがプレイヤーだと確信している」
「どういう事ですか? 何か根拠とか証拠でも」
「フェリーチャから聞いた話だ。何でも生存者の中に
画家がいたらしく、彼はその恐怖を伝え、多くの者に
警戒させるために襲撃者を絵にしたためたのだそうだ」
「……そ、そこに?」
「フェリーチャが商人経由でその絵を見たと言った。
描かれていた中に、ダークロードがいたと」
「ダークロードってあの、新バージョンで追加される
予定だって、公式に画像がアップされてた最上位職の」
「ああ。聖騎士と対になる、暗黒騎士からのみクラス
チェンジが可能な職だ」
暗黒の剣と冥界の魔術を使う、闇の王。
その負の力は既に人智を超えた領域にあるという。
「で、でもですよ? ダークロードは、追加されると
言われてただけでチェンジに必要な条件やチェンジ用
アイテムの情報なんてほとんど……。後々配信される
魔族関係のイベントで手に入るような話は聞いた事が」
「……なあ、ユウキ君。あの男だったら魔族にだって
寝返るんじゃないかって僕は思うんだ」
「あの男……」
ユウキとヨシュアが思い浮かべた男は恐らく一致する。
王都で初めて噂を聞いた夜、真っ先に頭に浮かんだ男。
思い返すだけで奥歯を噛み締めずにはいられない、あの──。
分かってはいるが、その名前を口にしたくないのだ。
「……確かに」
ユウキは深く沈んだ心持ちで同意した。
「あいつならやりかねない。奴のせいで俺達のギルドが。
奴があんな事さえしなければ……」
「ユウキ君。もう『冒険者達の集い』が盛り返すのは
無理なのだろうか? 自分達でルールを守り、良識的
にゲームを楽しんでいた、あの時間を取り戻す事は、
不可能なんだろうか?」
自問自答するようにヨシュアは言った。
その瞳には深く哀しい色が湛えられていた。
ユウキが返答に迷った、その時である。
商船護衛隊のキャプテンが大声を上げた。
「島は目前だが、海流の難所を通る! 皆、何かに
掴まってくれ!」




