グロリアス邸へ
4時を少し回った頃。
ユウキ、マルク、そしてフードを被ったオーレリアは
高級住宅街のグロリアス邸の前に来ていた。
朝と違って警戒する警官の姿などは無く、今は平静を
装っているようだ。
周りにある屋敷も静かなもので、近所の富豪達には、
何が起こったのかは知られていないのだろう。
いや、もし様子がおかしいと思っても下手に勘繰ったり、
詮索しないのがこの界隈のマナーなのかもしれない。
財を成した者の全てが清廉潔白な聖人君子な訳がなく、
腹を探られれば嫌がる者だっているのだ。
アーチのついた正門の前に立つと、来客を見つけた
メイドが庭のどこからか走ってきた。
「あっ、あなたは朝の」
鉄門の内側からユウキの姿を確認する。
出入りする人間を警戒するように言われているのか、
連れの2人をじっと見ている。
「あの、何か変わったことでも……?」
訪問の意図を聞かれると、オーレリアは厚いフードを
無言で外した。
まとめていた髪がさらりと流れる。
メイドは仰天した。
「お、お嬢様!?」
「この方々に助けていただき、ただいま戻りました。
そう伝えて下さい」
「は、はいぃ!」
門を開けるとメイドは身を翻し、スカートをパタパタ
揺らしながら屋敷へ走っていった。
悠長に出迎えを待つまでもなく、3人が玄関から入ると、
そこには多数の使用人達と警官の姿があった。
「オーレリア……!」
人々が割れて道を作ると、今応接間を飛び出してきたと
思われるクレマンとオルガ夫人が駆け付けた。
クレマンは娘を抱き寄せ、強く抱擁する。
夫人はその2人に寄り添った。
「オーレリア!」
「よく、よく無事で……」
父親に抱き締められながら、オーレリアは戸惑っていた。
普段は冷静な父のうろたえぶり、母のやつれた顔。
そして周りには自分の帰りを信じていた使用人達。
それら全てが想像以上だったのかもしれない。
マルクへの同情、そして父への反発心が引き金だったとは
言え、皆を謀り、嘘の誘拐事件を起こしたという実感が
やっと湧いてきたのか、申し訳無さそうな顔をしている。
両親が娘を放した頃に、ベルカー家の人間が現れた。
アントニーと父ガルステン、そしてあと1人は──。
(あれが兄のウィリアムか)
ユウキは、宿でオーレリアからされたベルカー家の説明を
思い出す。
アントニーより数歳年上で、兄弟だけに容姿は似ているが、
締まりのない弟に対して物腰だけで厳格な内面が分かる。
父ガルステンも傑物だが、それを凌ぐ商才があるらしい。
「ああ、オーレリア。無事だったんだね!」
アントニーは両手を開き、迎え入れるようなポーズを取る。
彼は感動的な熱い抱擁を期待していたのだろうが、
「ええ。こちらの方々のお陰で」
オーレリアは事務的とも取れる返事をするにとどまった。
感情に乏しいリアクションに彼は拍子抜けした。
「君が助け出してくれたのかね?」
興奮気味のクレマンに対し、ユウキは自分達の編んできた
シナリオを開始した。
「ええ。直接関わるつもりは無かったんですが、結果的に
助け出す事になりました。身代金もここに」
「なんと!?」
懐から出された袋をクレマンは受け取った。
犯人の罠に掛かって醜態を晒した身としては、金が手元に
戻る事は、雪辱を果したのに近い気分だろう。
「いやあ、何と礼を言えば良いか。良くやってくれたな。
ん……そこの彼は? 異界人ではないようだが」
「彼も救出に貢献してくれたんです」
「私はマルク・ディスタンと言います。ベルクトで商店を
営んでいる商人です」
「あ、ああ、そうかそうか。事情は分からんが、助かった」
感謝して握手するクレマン。
その両者の姿を見て、ウィリアムが僅かに眉を動かした。
「オーレリア、大丈夫? どこにも怪我はない?」
無口なオーレリアを心配して夫人が話しかけるが、彼女は
俯き加減で何も喋ろうとはしない。
「……まさか、犯人に何か酷い目に」
おろおろする夫人を、ユウキは大丈夫ですとなだめた。
「オーレリアさんは怪我は無いですが、少し疲れている。
皆さんもお疲れのようだ。良ければ、ゆっくり出来る部屋で
くつろぎながら、救出の経緯でもお話しましょうか?」
「おお、そうだな。そうするとしよう」
上機嫌になったクレマンは使用人にお茶の用意を言い付けると、
夫人を連れて奥へと歩いていった。
「オーレリアさん」
ウィリアムが呼びかけた。
アントニーと違い、飾らないが上流階級の品格が感じられる。
「誘拐と聞いて焦りましたが、ご無事で何よりです」
彼は続けて、弟が行方不明だと連絡を受けて正午前に来た、
と屋敷にいる事情などを話した。
彼女は面識があるようで、ええ、ええと頷いている。
次に彼はユウキの活躍を労い、そしてマルクに握手を求めた。
マルクはごく自然に接したが、ウィリアムの瞳の奥には何かの
兆しがあるようにユウキには見えた。
あの坊主──キスケは助っ人が来るような話をしていた。
それは彼の事を指しているのだろうか。
しかしウィリアムはアントニーと同じベルカー家側の人間だ。
しかも弁が立ちそうで、話し合いとなったら難敵になりそうな
予感がする。
「向こうでゆっくりしましょう。さあ」
ウィリアムに促され、3人はベルカー家の者達と共に応接間に
向かった。
応接間はユウキが今朝通された、例の豪華な部屋だ。
朝と変わらず使用人、執事、警官が壁際に立っている。
ユウキ達が部屋に入ると、人数分の座席が調えられていた。
グロリアス家とユウキとマルク、ベルカー家の3人が向かい
合うような形で座った。
席に着くとすぐにトレイを持ったメイドが何人も入ってくる。
トレイにはティーセットと、一般人では年に何度も口に出来ない
ような高級なケーキと焼き菓子が乗っている。
それらは手際良く、各々の前に給仕された。
甘い匂いと香ばしいお茶の香気が漂い始める。
「今はこんな簡単なものしかないが」
さあ食べてくれ、とクレマンは勧めた。
重度の緊張状態から解放されてリラックスした顔をしている。
和やかなムードを損なわないよう、ユウキは手近な焼き菓子を
皿に取って食べた。
よく味わったわけではないが、朝から簡単な物しか食べて
いなかったのでかなり美味しく感じた。
「一時はどうなる事かと思ったが」
クレマン自らが事件の話を切り出した。
「私はあれから身代金の受け渡しに行ったのだが、金だけ
奪われて、一緒に来た警官達は簡単にやられてしまってな」
近くに立つ責任者の中年警官がバツの悪そうな顔をする。
眠らされた警官と馬はどうやら無事に保護されたらしい。
ユウキはさも今知ったような顔をした。
「まあ、異界人が相手とあっては仕方がないがね」
いえ、とユウキは食べる手を止めて否定した。
「犯人は魔法の使い手でしたが、予想と違って異界人では
ありませんでした」
「なに!? 僕は昨晩、異界人を見たんだぞ?」
アントニーが反論する。
彼の目撃情報が異界人犯人説の根拠になったのだ。
「あれは違ったんです。実は彼等に会って直接聞いてみたの
ですが、彼等は偶然通り掛かっただけだったようでしてね。
何でも、助けようとして近寄ったみたいなんです」
さりげなくドミニク一味をフォローしておく。
見込みが外れたのが気に入らないのか、彼はフンと言って
そっぽを向いてしまった。
「犯人は異界人ではなかったのか……」
「魔法学校で術を修めた者なら、異界人に匹敵する使い手に
なれると聞きます」
オーレリアが尤もらしい事を言うと、クレマンはそれで
納得したようだった。
「娘が戻った今となっては、それはもうどうでもいい事だ。
しかし犯人との接点が何も無い中、君は一体どうやって
オーレリアを助け出せたんだね?」
「お話します。ですがその前に、身内以外の方に人払いを。
グロリアス家とベルカー家の方だけ残ってもらって」
これには中年警官が異議を唱えた。
「何故だ、こちらも職務として事件を把握しなければ」
「分かっていますが、まずは親族関係者だけで」
「彼がそう言っている。詳しい事はまた後で私が話そう。
悪いが今は出て行ってもらいたい」
クレマンはユウキの指示に従った。
娘がどのように捕まっていたか、どんな目に遭っていたか、
そういう話も出ると思ったのだろう。
中年警官は不満気だったが、使用人と共に退室した。
では始めます、とユウキは居住まいを正した。
「今朝の出来事の後、宿に戻ると知り合いの仲間が、深夜に
出たきり行方不明になっていると聞かされました。すぐに
遠方と会話する魔法で連絡は取れたのですが」
異界人がチャットという『魔法』を使えるのは周知の事実だ。
「仲間の彼は、何者かに眠らされて、どこかへさらわれたと。
彼は、眠らされる前に倒れているアントニーさんを見たと言った」
「誘拐の現場を見たからさらわれたと?」
ウィリアムは理解が早い。
その通りです、とユウキは受け答える。
「仲間の失踪は誘拐事件と密接に関係していると思いました。
関わらないと約束したが、仲間を捜す事でオーレリアさんが
捕らわれている場所の手掛かりが何か掴めるかもしれない。
俺達はあくまで、行方不明になった仲間を捜すという理由で
行動を始めました」
クレマンに伺いを立てるかのように話したが、彼はユウキの
判断を独断専行だとは思っていないようだった。
ユウキはその反応を見て、続ける。
「捜しに出ようとした時、彼、マルクさんが現れたんです」
目配せすると、彼は話す番が回ってきたと認識した。
「早朝街に着いた私は、オーレリアさんが誰かにさらわれた
んじゃないかという噂を耳にしました。オーレリアさんとは
経営の講演会などで何度か面識があり、心配になりました」
商人の間では富豪が誘拐される事件はたまに聞く話ですし、
と強調してから、彼は続ける。
「屋敷の近くに行くと警官が歩き回っていて、何となく噂は
本当なのだと感じました。その時、出てきたユウキさん達を
見つけ、何か知っているのではないかと思って、声をかけて
みたんです」
事実ではなく、そういう事にしたのだ。
ユウキが言葉を継いだ。
「事件には関わらないでくれと言われていたので、黙って
いようとしましたが、彼は聞き流せない事を俺に言いました。
少し前に誘拐をほのめかす話をしていた者達を酒場で見た、
そして彼等はアントニーさんへの恨み言を言っていたと」
これに、上機嫌だったクレマンも眉を寄せた。
「なんだと!? なら何故それを誘拐事件で騒ぎになっている
屋敷へ、すぐ言いに来させなかったのだっ」
「それは、身代金を支払う事が既に決まっていましたし、
何より彼が犯人の関係者だと疑われてしまうからです」
「疑われるとは、どういう意味だ?」
クレマンの問いを、マルクが引き取った。
「それは私が、オーレリアさんに例の噂を告げに行った者
だからです」
穏やかだった空気が一瞬張り詰めた。
「娘が何やら話していた、噂話をしに来た男とは君のこと
だったのか」
クレマンは意外そうな顔でマルクを見た。
スキャンダルをネタに金を強請る、胡散臭そうな男の姿を
想像していたのだろう。
別の意味で驚いた顔をしていたのはアントニーだ。
「でたらめを吹き込んだのはお前か!」
アントニーは叫んで立ち上がろうとするが、ウィリアムに
よさないかと制止された。
「いい加減な作り話で僕を陥れようとしたな!」
マルクも負けじと前のめりになった。
「あんな事をしておきながら、よくもそんな事が言える!
私の名前を聞いて何も思い当たらないのか!?」
「名前だと? なんだ突然、お前の名前なんぞ知るものか!
クレマンさん、こんな怪しい男は今すぐ叩き出すべきだ!」
荒い剣幕で指差すアントニーにクレマンが、
「彼は娘の救出に貢献してくれたという。その噂とやらの
事情は話が終わってからはっきりさせればいい」
マルクを恩人だと考える発言に、彼は逆らう事も出来ず、
「………こんな奴が貢献したとは、とても思えないな」
と憎まれ口を叩いた。
釈然としない様子でブツブツ言っている彼を無視して、
ユウキは話を続けた。
「俺達は仲間が気付いた滝の音を元に、南の森の屋敷に
見当を付け、マルクさんと一緒に向かいました」
「あんなところに? 確かに普段、人はいないけれど」
夫人が思いも寄らなかったという顔をした。
「人気が無く、ここの別宅なら警官も捜査しに来ないと
踏んだのでしょう。俺達はそこで仲間を見つけ、一緒に
さらわれていた3人組も助けました。オーレリアさんは
そこにおらず、屋敷を離れようとしていると、こちらに
気付いたのか、見るからに怪しい格好をした者達が馬で
逃げていきました」
「それを追ったのか?」
そうですとユウキはすぐさま答える。
「道行く善意の協力者から馬を借りて、行方を追おうと
していると、騎乗したローブ姿の怪人が街道沿いの林道を
まるで身を隠すように走っているのを見つけました」
「それは金を持ち去った男だ! 金を払えば娘は返すと
言っておきながら、妙な人形で私を騙しおったやつだ!
あんな事をされたら後で返すと言われても信用できん!」
「ええ。これはもしやと思い、西の森へと向かっている
男をつけて、森の屋敷に辿り着きました。そこで俺達は
捕らわれていたオーレリアさんを連れ出そうとしている
犯人達と鉢合わせしたんです」
ユウキは物語を朗読するようにテンポ良く話した。
アントニーはふてくされて踏ん反り返っているが、他の
者達は講談か語りを聞くように引き込まれている。
「は、犯人の人相は分かったのかね?」
今まで黙っていたガルステンも思わず聞いてくる。
「いえ、変装していたので顔までは。ここで成り行きから
相手と戦いになりました。俺達は今まで、数多くの魔物と
戦ってきましたが、それに全く劣らないほど彼等は手強く、
運が悪い事に近くにいたモンスターまで襲ってきたのです」
スリリングな局面に、夫妻も手に汗を握っている。
「そ、それでどうなったのだ?」
「モンスターを撃退し、誘拐犯達とも互角。このままでは
埒が明かずに逃げられてしまう。そう思っているとマルク
さんが犯人に交渉を申し出て、オーレリアさんをすぐに
返してくれと説得を始めました」
「交渉に応じたのか? 誘拐をするような犯人が?」
ウィリアムが聞くが、
「犯人とマルクさんには大きな共通点があった。他の人では
駄目だったでしょう」
「共通点とは?」
それはまた後ほど、と断ってユウキは話を続ける。
「交渉は成立し、彼等はある条件付きでオーレリアさんと、
身代金まで返してくれました。聞けば本当は彼等も誘拐なんて
したくはなかったし、金も私欲で欲しかったのではないと」
「誘拐までしておいて……。目的の分からん、妙な連中だ」
ガルステンが薄い頭を傾げる。
「犯人達は深い森の奥へと走り去って行きました。追おうとも
思いましたが、解放されたばかりのオーレリアさんを連れて
そんな無茶など出来ません。彼女が落ち着くまで休ませてから
こちらに伺った、という次第です」
クレマンは物語を聞き終えた観客のようにうんうんと頷いた。
「君には苦労をかけたな。いや、本当にありがたいことだ。
君達にはそれぞれ何か礼を考えねばならないな」
しかし、と彼は続ける。
「両方が返った事はありがたいが、どちらも手放すとは一体
どんな条件で話がついたのだ?」
ユウキに尋ねる。
この時を待っていたとばかりに、ユウキの隣に座るマルクが
クレマンに強い眼差しを向けた。
「私が彼等の願いを聞き入れ、約束したんです。そこにいる、
アントニーが行った罪の全てをここで直訴すると!」