女騎士の悲劇
プレイヤー達が自キャラを肉体としてこの世界に来てから7日目。
先頭に立って仲間を引き連れる者、それに付き従う者。
静かに事の次第を窺う者、茫然自失でその場に留まる者。
異世界へ連れて来られた者達は、良くも悪くも一定の落ち着きを取り戻していた。
落ち着きと言っても、安寧より諦念に近いと言えなくもない。
未だ、こちらに来てしまった原因も戻れる手段も分かっていないのだ。
「ホントに、一体どうなっちまったんだよ」
「まさかずっとこのままなのか」
PUBで昼食後の茶を飲み終えた2人は、隣の席から聞こえてくる不安な会話を気に掛けつつ、店を出た。
今日の天気も穏やかな晴れ、この辺りの雨期にはまだ遠いらしい。
街の北側に構える国王の城が、青空に映える。
どこぞの遊園地のパンフレットの表紙にでもなりそうな光景だ。
2人は城を仰ぐと、ブロック敷きの道をコツコツ音を立てて歩き出した。
午前中に用事は済ませてしまい、特にやる事もないのだ。
強いて言うなら明日の出発予定に合わせて、体調管理くらいか。
ちなみに、回復役である神官のスカウトは上手く行っていない。
そもそも余っている神官が見つからないのだ。
大抵のRPGでそうだが、回復役は必須になってくる。
特に女性神官はその清楚な見た目から、回復役のポジションと同じくらい、パーティーの華という意味合いでも引く手数多の存在だ。
攻撃力の乏しい神官が単独行動をする事はまずないから、当てのない者もどこかしらのパーティーに入ってしまったのだろう。
「冒険に必要な物は漏れなく買ったよな」
「大丈夫だ。馬鹿高いポーションのせいで思わぬ出費がかさんでしまったが」
リュックから青い液体の入ったガラス瓶を取り出しつつ、リュウドは鼻からフンと息を吐いた。
道具屋や薬屋は、住民に売る以外の商品はほとんどが異界人向けになっている。
冒険先で稼いでくる異界人相手に需要と供給が成り立っているのだ。
そんな互いに持ちつ持たれつにある店の商品が、この数日で急騰した。
基本的な回復薬であるポーションは勿論、特にマジックポイント回復用のマジックポーション系は3倍近い額に跳ね上がっていた。
ある程度のレベルに達したパーティは、回復魔法での回復が主となる為、回復役のマジックポイント枯渇は、即ちパーティーの全滅に繋がる。
つまり、幾らしようと買わなくてはならないアイテムなのだ。
「店の人、謝ってたよなあ。この高騰はワイダルの指示だって」
「こちらの必需品を分かっているのだ。足元を見られたものだ」
ワイダル──禿頭にヒゲの悪人面で、贅を尽くした衣装を身に纏った、いかにもな悪徳商人のNPCとしてゲームには登場した。
ワイダルが会長を務めるワイダル商会は、違法な商売ばかりする悪徳商会でこの街の商人達に強い権限を持っている、という設定だった。
それらが現実になった今、ワイダル商会は法外な値段でアイテムを売り付け、異界人からぼったくろうとしている。
商売人の勘なのか、異界人に異変が起きた事を察したのだろう。
いつの世にも悪知恵ばかり働く奴はいるもので、そういう奴が権力を持つと、十中八九ろくな事が起こらない。
「困った人から巻き上げるような商いをしたら商人は終わりだよ」
「フェリーチャの言葉だな」
商売にはスジを通す、それが目的地にいるギルドリーダーの商業理念である。
リーダーシップの取れる人物なので率先して行動しているだろうとユウキは信じている。
当てもなくぶらぶらしながら露店などを眺めていると、
「今更こんな事を聞くのもなんだが」
リュウドがユウキに切り出してきた。
「ユウキ、お前は冒険に出ない選択肢は考えなかったのか?」
「ここで普通に暮らす、とか?」
「ああ、私達にはその金も寝床もある。考えようによってはこの世界からの脱出──出られる方法があると決まった訳ではないが、誰かがその方法を見つけるまで様子を見るというやり方もあるのではないかと思ってな」
現に剣を置き、鎧を脱いで、エルドラド人と一緒に暮らしていこうと決め込んでいる者達をユウキ達は見てきた。
いくら冒険が出来る姿になっても、モンスターが跋扈するダンジョンにわざわざ潜る必要性や義務はどこにも無い。
「それを選んだ人はそれで良いと思う。でも俺は、力があるなら冒険に出て、何かしらのヒントを得たいんだ。立ち止まってちゃいけない、根拠は無いけどそんな気がしてる」
「……別に考えを変えろという訳ではない、私が一人でもそうしただろう。ただ、お前が急に前向きになったと思ってな」
そう言ってリュウドは爬虫類らしい目を細めた。
「半年前の『アレ』があってからのお前は、どこか惰性で動いているような部分が見受けられた。初心者の育成、仲間の相談、冒険に付き添ってのサポート、どれも熱心にやっているように見えるが、話しているとどこかわだかまりを感じた」
「……分かるか?」
「長い付き合いだ、チャットでも言葉の端々にそういう感情が滲み出ていた」
分かるもんなんだな、とユウキは寂しげに笑った。
「正直に言えば、俺は引退も考えてたんだ」
「引退か」
「ああ、アレで結構落ち込んで。最近は何の為にゲームをやるのか分からなくなってた。新バージョンをやってこのまま気持ちが変わらないなら、もう良いかなって」
リュウドは人なら眉がある辺りを寄せ、哀しそうな目をする。
「でも、あの状況に置かれてから、何故だか急に不思議なくらい意欲が湧いてきた。このアクシデントから抜け出せたなら、沈んでた自分を再起出来るかもしれない、そんな気持ちのリンクみたいなものが無意識にあったのかもな」
少し間を置いて、リュウドはただ静かに、ああと頷いた。
フィールドで、ダンジョンで、街の片隅で、今まで長い時間を共に過ごしてきた仲間には、多くの言葉で語るより返事1つで通じるものだ。
互いの思う所を確認できた2人は、広場に出来ている人だかりに気付いた。
歩み寄ってみると皆、この辺りで起きた事件などが貼り出される掲示板に集まっているようだ。
「何かあったんですか?」
聞いてみると、帽子の中年男性が振り返った。
「何でも騎士団の騎士様が、オークの村の近くで死んでたらしいんだ」
「騎士?」
「ルイーザ様だよ、異界人のあんたでも知ってるだろう」
ルイーザは、騎士団にいる強く気高く美しいと三拍子揃った女騎士だ。
騎士に転職するイベントでは、その心構えを伝えるキャラでもある。
NPCの中でも人気が高く、エルドラドがコミカライズされた時には重要な役で登場していた。
「し、死んでたって、どうして?」
「見回りの最中に殺されたんだとよ、オークの連中に」
騎士団の役目には治安維持があり、日頃街を見守っている王立警察とは別に周辺地域の見回りを行っていると聞いた。
「オークがやったって、それ本当ですか?」
「村から何人か疑わしい奴を連れてきたって書いてあったぜ。少し前にも暴力事件を起こしてた奴等だとかで、血の気が多いんだろうなあ」
眉をひそめて、おっかねえなあと首を振った。
「ルイーザ様を殺したオークの村なんか焼いちまえ!」
「俺のダチも怪我させられた事があるんだ、容赦なんかするな!」
「騎士団は何をやってる、早く敵討ちの討伐をするべきだ」
人ごみの中から耳に刺さる怒声が飛んだ。
同調して興奮し、殺せ死ねと叫び立てる者達が出てくる。
ユウキ達はその義憤と不満の波から距離を置いた。
「オークの村って、あのオークの村だよな?」
「この近辺の事件なのだから、そうなのだろう」
王都から見て、フィールドの北西にある山中にオークの村は存在する。
オーク──豚のような顔付きで緑色の肌を持ち、肉のたっぷりとついた巨体は人間を一撃で葬るほどの怪力を持つ、亜人型のモンスターだ。
だがエルドラドにはモンスターとして襲ってくる者の他に、NPCとして穏やかに暮らしているオークもいる。
その人柄は、田舎訛りがある、親しみ深いキャラとして描かれていて、力仕事の現場では労働力として重宝されているという設定だった。
それが話題に出た、オークの村の住民である。
「あそこのオーク達がそんな事件を起こすなんて思えない」
「ああ、クエストでも、善良な印象しか無かったが」
バージョンアップでマップや街の区画が変化する事はあるが、イベントでも無い限りは、既存のキャラ設定が大幅に変わる事は無かった。
酷い違和感がユウキを突き上げてくる。
「……ちょっと、王立警察まで行ってみないか」
「私もそう提案しようかと考えていたところだ」
2人は王都の南城門近くにある、王立警察署に足を運んだ。
住民にとってここの役割は、日本にある警察署と変わらない。
ゲームの中では、街中に紛れた犯罪者を探すクエストを受けるくらいでそれほど印象に残らない施設だった。
中に入るとすぐ、眼鏡を掛けた1人の異界人と出くわした。
茶髪のショートカットでレンズ越しの目は少しツリ目になっている。
上はワイシャツにネクタイ、下はタイトスカートにストッキングという極めて現代的な服装。
そしてその上から、警察官をイメージさせる紺色の外套を着ていた。
「あ、リンディ」
「あれ、ユウキじゃない」
「なんだ、知り合いか?」
「ああ、何度かパーティーを組んだ事がある魔法使いだ」
「魔法使い……? この服装はそうか、限定クエストの報奨アイテムだった捜査官の制服か」
はじめまして、とリンディは頭を下げた。
リュウドも名乗り、倣うように頭を下げた。
「リンディがこんな所にいたなんて全然気付かなかった」
「それがね、ここが私の職場みたいなのよ」
職場? とユウキは聞き返した。
「私も他の人みたいに、気が付いたらログアウトした警察署の前にこの姿で立ってて。最初は当然混乱したんだけど、署員に話を聞いたら私はもう何年もここで働いてる事になってて、そう聞いたら不思議と、色んな捜査に関わってきた記憶が頭に湧いて出てきたのよね。それで今までずっとそうだったように毎日出勤してるの」
2年ほど前、警察署で受けられる期間限定のクエストがあった。
科学捜査物のドラマを意識したもので、正しい証拠品を当てて事件を解決せよ、といったクイズ形式のものだ。
モンスターの名前、このアイテムを落とすモンスター、アイテムの正確な効果、画像の一部分だけ見てどのNPCか当てろ、といった難解な質問が出され、全問正解で報奨が出るというもの。
それで初めて全問正解したプレイヤーがリンディだった。
クエストではクリア後に何かしら報奨があり、事前に提示される報奨金やアイテムが一般的だが、称号やスキルの時もある。
この時リンディは捜査官の称号と捜査官の制服を受け取った。
攻略ページに答えが載り、誰でも簡単に取れる物になったのだが、リンディはその制服を気に入り、ずっと装備し続けていた。
ユウキは初対面の時もこの服装だったと記憶している。
「じゃあ、ゲームの中で取った称号や服装の影響で、リンディのキャラがそういう風に書き換えられたって事?」
「どうなんだろうね、私は捜査官って響きもこの装備も好きだったから全然嫌じゃないんだけど。仕事も馴染んで楽しいし」
プレイヤー本人の意思も、この世界での立場に影響を与えるのだろうか。
この世界に来た者は、単にゲームを再現してる訳ではないのかも知れない。
「で、ここに来たのは何の用?」
ユウキは広場での話を手短に説明した。
「ああ、あれねえ」
リンディは少し逡巡して、
「部外者に話しちゃまずいんだろうけど、オフレコって事で」
と釘を刺してから話し始めた。
「昨日、見回りから帰ってこないルイーザを心配して、オークの村を見に行った騎士見習いが、村の近くの雑木林で遺体を発見したの。遺体のすぐそばには何人かのオークがいて、被疑者として王都まで連れて来たのよ」
この国の捜査は、所謂地球の警察のそれと同じようだ。
リンディは親指で署内の奥を指差す。
「今事情聴取をしてるけど、自分達は知らないの一点張りね」
「いきなり犯人扱いしなくても良いじゃないか」
「犯人扱いなんてしてないわよ。少なくとも、私はね」
なんか違和感があるのよ、とリンディは腕組みした。
「遺体の死因は外傷だろうけど、詳しい事は分かってないの。でもね、体には魔法によると思われる麻痺らしき硬直があったの」
「おかしな話だ、オークキングやオークウィザードならまだしも、その辺のオークは魔法など使えんはずだ」
リュウドが顎に手をやりながら訝しむ。
「でしょ? オークって大体脳筋なのに変だなあって」
「なら、犯人が別にいる可能性があるじゃないか」
「そうなのよ。でも私が勝手に現場に行って、捜査出来ないしねえ」
リンディはしばらく、うーんと唸っていたが、眼鏡をカチャッと直してユウキを見詰めた。
「ユウキ、ちょっと村まで行ってみない? 事情を聞くだけでも」
「え、俺が?」
「だって、わざわざ来たって事は気になってるって事でしょ」
「それはそうなんだけど」
このままだと不味い事になりそうよね、とリンディは再び眼鏡に触れる。
「ルイーザは王都の皆から慕われていて、プレイヤーにも人気があったでしょ。広場の騒ぎからしたら本当に討伐を企てる連中が出てきたり、プレイヤーが腹を立てて、村に攻撃を仕掛けるって可能性も無きにしも非ずよ」
それはいけないとユウキは考える。
今の所、エルドラドの民と異界人は共存していかなければならないのに、どこかの種族を一方的に攻める事はいつか何かの火種になりかねない。
「リュウド、あの」
「皆まで言うな、分かっている」
リュウドは察し、頷いた。
「それじゃあ、お願いね。何かあったら連絡するから」
リンディからのフレンド登録を受け、いざとなったら代理だと言って出せと王立警察手帳を渡された。
貸し借りして良い物なのかどうかは分からないが、ユウキはそれを受け取り、警察署を後にした。
「引き受けはしたけど、予想以上の展開になっちゃったな」
「変に心残りがあるまま冒険に出るよりは良いだろう。真相に辿り着けるかは分からないが、これが私達の最初の冒険となる」
「何だか、クエストでも受けた気分だ」
2人は装備を確認すると、西城門へ向かい、最初の一歩を踏み出した。