王子、レオンの純真
「キサキ?」
アキノはレオンが何を言い出したのか
理解できなかった。
単語として耳には入っていたのだが、
聞き間違えか、この世界特有の言葉を
使ったのかと、聞き返してしまった。
「そう、妃だ」
「それって、あの」
「俺の妻になってくれんかと言っている」
つま?
お刺身と一緒に出てくる大根の細切りとか
海草の付け合せのことかしら?
と数秒かけて考えてしまうくらい、アキノは
混乱していた。
一体何の話をされているのか、分かり始めて
しまったからだ。
「え、あ、あの。あはは」
アキノはまとめた後ろ髪を指で遊びながら、
「妻にだなんて、そんな。王族の高尚な冗談には
なれていないもので」
「冗談などではない」
「では、晩餐会でお酒をお召しになりすぎた、とか」
「酔ってもいないぞ。俺は真面目な話をしている」
酔ってはいないのだろうが、レオンの眼差しは
熱いものを放っていた。
え? 冗談じゃないなら、どういう状況なの?
アキノは正気ではあるが、未だ混乱していた。
戸惑いもするだろう。
彼女は今、レオンから突然求婚されたのだから。
1番有力な王位継承権を持つ、第一王子である
レオンは何事もなければ後に国王となる。
その王子に娶られるということは、つまり、
後の世の王妃になるということだ。
王立騎士団を率いる騎士団長でもあるレオンは、
決してこういったネタで女性をからかうタイプでも、
ましてや王族の権力を使って自分の好みの女性を
とっかえひっかえ好き放題するような男でもない。
よって、このシチュエーションは本気だ。
「あの、その、どうして私を」
「俺がお前を良いと思ったからだ」
そこを具体的にお願いしたいと彼女が思って
いると、
「初めて顔を合わせたのは、父上との謁見の場で
あったな」
「ええ、そうです」
「お前はあの場で、堂々と俺に意見したな。
俺が率いている騎士団だけでは、この王都を
守り抜くことは難しいと」
「あ、あの時は出過ぎた発言をっ」
「よいのだ。あれからお前をいたく気に入った」
あくまで上品に、レオンは口元を緩めた。
「周りから傅かれたり、同意されることは
多々あるが、面と向かって、ああもはっきりと
物を申す者はいなかった。その心の強かさに
俺は心動かされたのだ」
レオンは実父である国王に公認を推してくれた。
その甲斐あってギルド公認が成されたと言っても
過言ではないだろう。
「強かと言えば、ルイーザの件を解決したこと、
そして幾度となくモンスター討伐に出た俺でさえ
見たことのないドラゴンゾンビや、卑劣な邪教団の
暗殺者と臆せず戦った勇敢さにも心打たれた」
「私はただ魔法で仲間を支えただけで」
「危険に身を置いてでも身近なものを支える……
それが素晴らしいのではないか。俺はお前の中に
強さと献身さを見た。それは何よりの魅力だ」
回復役は評価されづらいポジションである。
周りが当たり前だと思っていることを、レオンは
認めてくれている。
それはアキノにとっても嬉しい、のだが。
「私は誰でもする、やるべきことをやっている
だけで。別に大それたことをしているわけでは」
アキノはリアルでも大々的に褒められた経験が
少ない。
こうも称えられると、自分が褒められてもいい
のだろうか、と変に意識してしまうのだ。
「何を謙遜するのだ。立派ではないか」
「え、ええ。ありがとうございます。ですが、
だからと突然求婚のお話をされても。他にも、
お綺麗なかたはいくらでもおりますでしょう?」
「だから何故そうも謙遜するのだ」
レオンはアキノとの距離を縮めると、騎士の
厳しい鍛錬が窺い知れる逞しい腕を伸ばす。
そして、繊細なガラス細工にでも触るように
そっと頬に触れると、
「お前は美しい。この星空が霞むほどに」
自分はユウキのことを想っているのに。
それなのに──。
胸の奥が少しだけ熱くなっていることに、
アキノは戸惑っていた。
彼女は少しだけ顔を背けることで、王子の
優しい手から逃れる。
「褒めてくださるのはとても嬉しいです。
ですが本来の私は、教養や品格に乏しく、
王族のかたに認められる家柄や血筋を
持っているわけでもありません」
その自分の戸惑いを認めたくなくて、
頑なに否定的な態度を取ってしまう。
だがレオンは笑って流す。
「礼儀作法などは学べばすぐに身に付く。
ダンスも、様になっていたではないか。
それに家柄と言ったが、母上もよその国の
王族から嫁いできたというわけではない。
元は領主の一家臣に過ぎぬ、弱小貴族の
家に生まれた娘よ」
国王と王妃の間にどのようなロマンスが
あったのかは分からないが、生まれなど
関係ないと彼は言いたいのだろう。
現に王妃は、一国の王妃という役目を
過不足なく存分に果たしている。
「王子の伝えたいことはよく分かります。
ですが私は貴族や平民以前に、異界の者。
魔族と戦うため、ここに存在しています」
「それは分かっている。だが、なんとか
融通することはかなわんか? 束縛する
つもりは毛頭ない。妻としてただそばに
いてくれるだけでいい」
「………」
アキノは何とも答えられなかった。
何か言おうにも、胸の奥が苦しくなる
ばかりで。
何かしらの答えを口から発してしまえば、
この曇天のような重苦しさも吐き出せて
しまえるだろうに。
だが、どうしても王子に返答することは
できなかった。
「すまん。俺が唐突過ぎたのかもしれん。
お前を前に、少し舞い上がっていたのだ」
レオンはその貫禄溢れる外見に似合わず、
根は非常に純粋なのだろう。
誰も逆らえないほどの権力を持っている
のだから、
「今後のギルド公認の存続に響く」
などと盾に取って、半ば強引にアキノを
我が物にする方法もないとは言えない。
王子として騎士として、彼自身の矜持で
そんな卑劣なまねはしないだろうが。
レオンは1つ大きく息を吸うと、
「俺は自分の気持ちを伝えた。アキノ。
返事は後でいい。お前の言葉で答えを
聞かせてくれ」
そう言って、両手で包み込むように
彼女の手を握った。
アキノはこくりと頷くだけで精一杯だった。
どちらとも、手を離すタイミングを見つけ
られずにいたが、
「中が騒がしいな……?」
レオンがガラス1枚を隔てた、舞踏会場の
ただならぬ空気を感じ取った。
乙女ゲーに出てくるような、凛々しくも優しい王子を
狙って書くのは大変難しいのだと実感。