アキノと王子
王子を迎えるためにユウキ、リュウドは
椅子から立っている。
だがアキノは座ったままだった。
席を立とうとした時には、既にレオンの
手が彼女の前に差し出されていたのだ。
「あ、あの」
「ダンスの誘い、受けてもらいたいのだが」
アキノは困惑し、周囲もざわついている。
周りのリアクションは当然だろう。
異界人という、偏った言い方をしてしまえば
異種の女性に対して、一国の王子がダンスの
相手を申し込んでいる。
交流の場なのだから、国の代表格である王子が
率先してコミュニケーションを取った、とも
受け取れるかもしれない。
だがやはり、どの国でも王子は特別な存在である。
世界各国でまことしやかに話される、舞踏会で
誘われたものは妃の候補として見られている、
という噂は根も葉もないものではない。
実際、それを機に婚約に至った例は幾つもある。
それだけにそういった機会を狙ってこの会場へ
来ているものも少なくない。
妃だ婚約だと限定しなくとも、王族とダンスを
踊れるのはある種のステータスでもある。
つまりアキノは羨望の的、あるいは嫉妬の対象と
して会場中の視線を集めているのだ。
彼女本人もこの状況を半ば自覚していて、だから
こそどう受け答えしたら良いか、迷っていた。
どうしたらいいの? とアキノは目でユウキに
聞いてくる。
ユウキも想定していなかったので、明瞭な返事が
できない。
他のメンバーも事態に気付いているのだろうが、
チャットなどでアドバイスが来ないということは
皆もどうするべきなのか判断に悩んでいる。
しかし。
舞踏会の暗黙のルールとして、誘われたら無下に
断るのは失礼とされている。
しかも今回の晩餐会は、ギルド公認を周知させる
ために、国王が心配りをしてくれたものだ。
理屈で考えて、この場で誘いにNOと答えるのは
ありえない返事だ。
アキノは全てを踏まえて察した上で、
「喜んでお受けします」
「お手を」
王子の手の上にアキノは手を添える。
そして席から立ち上がった。
「パートナーをお借りする。よろしいな」
宣言でもするようにレオンはユウキに言った。
そう聞かれたら、はい、と答える他ない。
了解を得ると、レオンはアキノを連れ立って
ホールの中ほどに進んだ。
アキノが一瞬ちらとユウキに目線を送ったが、
ユウキはただ小さく頷く以外にできなかった。
次の曲で踊るもの達が続々とホールに出てくる。
第二王子のルーシュも、以前から交流のあった
相手なのか、同い年くらいの女性を連れている。
2人とも穏やかそうでなかなか似合っていた。
頃合を見た指揮者がタクトを掲げる。
楽団が一斉に演奏の態勢に入り、ほどなくして
曲が始まった。
アキノが踊った前回と同じく、ゆったりとした
曲だ。
王子のリードに合わせ、ダンスを始める。
全く無理なく体が動く。
1度経験しているのでぎこちなさが解消された
のもあるが、王子の取るリードが非常に洗練されて
おり、上手いのだ。
ユウキの時のように初心者同士が足捌きを
よく確認しながら、というレベルではなく、
素人に合わせて踊りやすいリズムや位置を
的確に作っている。
「なかなかお上手だ。異界でもダンスを
たしなまれていたのかな」
「いえ、舞踏会のお誘いに合わせて練習を
したんです」
王子がリードする中では、視線を合わせて
会話する余裕さえある。
「なるほど。こちらの都合に合わせて努力
してくれたのはとてもよい。誠意を感じる」
ここで無駄のない、柔らかな動きでターンが
決まる。
優雅に軽やかなステップを踏めている自分に、
アキノは驚く。
ダンスの楽しさに目覚めつつある瞬間だった。
「王子はダンスがとてもお上手なんですね。
覚えたての私がこうまで踊れるなんて」
「俺が、鎧を着て剣を振り回しているだけの
王子だと思っていたか」
「い、いえ、決して」
慌てるアキノに、冗談だ、とレオンは笑った。
「こう見えて、幼い頃から習っているのでな。
まあ、剣を振り回しているほうが俺の性には
あっているのだが」
リズムに乗りながら、レオンは気さくな笑顔を
見せた。
頼りがいのある、大きな器を持った人だ。
アキノはそう思った。
戦闘能力だけで言えばプレイヤーのほうが
格段に上だろう。
だが頼りがいとは、そういうことではない。
生まれ持ち、そしてこの城で育まれてきた
王子として気品。
騎士団を率い、多くの臣民に慕われる大器。
俗な言い方で言えば、一般人では出せない
王族としてのオーラのようなものがある。
ステップを合わせる中で、アキノは彼が持つ
魅力をひしひしと感じていた。
そんな2人のダンスを椅子に座って眺めながら、
ユウキは喉の奥に何かが詰まっているような
思いでいた。
自己分析は得意ではないが、今自分は相当に
不愉快な思いをしている。
ユウキはもやもやした気持ちをそう判断した。
アキノが自分から離れ、王子と楽しそうに
踊っている姿を見ていると悔しいのだ。
器量の狭い話ではあるが、それが紛れもない
本心だ。
何故このような気持ちを抱くのだろうか。
思い付く辺りに考えを巡らせれば、すぐに
答えは出てくる。
こんな状況で言うのは皮肉だが、ユウキは
アキノに好意を寄せていた。
信頼する仲間であり、冒険のフォローは
勿論のこと、自分が無茶をやらかした時は
いつもそばにいて気遣ってくれた。
いや、アキノがいてくれると思うからこそ、
強引にでも己の道を切り開いてこられたのだ。
パーティーの回復役という立場を超えて、
アキノは自分を支えてくれている存在だった。
本当に皮肉だが、嫉妬にも似た気持ちの中で、
ユウキは彼女への強い想いを再認識していた。
ダンスの誘いに他意などないと思いたいが、
そんなことにさせ不安を覚えてしまう。
それは独占欲や支配欲とは全く違う、アキノ
への純粋な愛情から発露した思いであった。
ゆるやかな曲が終わる。
短い時間ではあったが、アキノは存分に
ダンスを楽しめた。
「久々に心躍るようなよいダンスだった」
「私も本当に楽しい時間を過ごせました」
手を繋いで一礼して2人はホールから出る、
はずであったのだが。
王子は手を繋いだままで、
「少し夜風に当たりたい気分だ。ともに」
「……はい」
そうして王子とアキノは、煌びやかな世界と
夜の空の間にある、テラスへと向かった。
一方、その頃──。
宮殿の門の前では、帯剣した2人の番兵が
対になって門番をしていた。
城の敷地内、不審者など来るはずもないが
用心のためである。
「中じゃ、美味いもの食ってるんだろうなぁ」
「今夜は料理長が多めに準備したらしいから、
余り物を夜食に回してくれるそうだぜ」
「本当か!? パーティーの警護にはこういう
役得があるからな。早く交代の時間に、ん?」
話していた番兵の1人が、灯りに照らされた
道を歩いてくるものを見つけた。
馬車の御者や招待客の使用人が出入りする
ことはよくあるが、一目で違うと分かる。
ひょこひょこといかにも滑稽な動作で歩いて
くるものの姿は、道化師のそれであった。
上が三つに分かれているピエロハット、顔の
上半分は涙をこぼした瞳の描かれたマスクで
隠されている。
大きなえりのあるぶかぶかの衣装とつま先の
反り返った靴も含めて、身に付けている物は
赤と黒の2色でチェックになっていた。
見るからにふざけた歩き方をした、男だと
思われる道化師は2人の前まできた。
服のせいで体型は分からないが、がに股で
歩かなければ長身であるのが予想できた。
「いやあどうもどうも、お仕事お疲れ様です。
パーティー会場はここでよろしいですね?」
「なんだお前は。どこから入ってきた?」
「見ての通りの道化師でございます。今夜は
1つ、つたない芸などを披露しようかと」
男はそう言うと、どこからともなくリンゴ
程の大きさのボールを5個取り出し、実に
巧みな手さばきでジャグリングを始める。
2人は見事な技に数秒見入るが、
「今晩は格式高い晩餐会だ。お前のような
ものが芸を見せる場所ではない」
「昼間に街の広場ででもやるがいい。幾らか
小銭は稼げるぞ」
男は嘲笑じみた声にも手を止めず、
「まあまあ、そう邪険にしないで下さいませ。
実は私めは異界人でしてね、今晩の晩餐会に
呼ばれた方々とは知らない仲ではないのです」
異界人を自称する男に2人は多少驚くが、
「もしそうだとしても、招待状がなければ
中に入れることはできない。帰ってもらおう」
「ああ、生憎それは持っていないのですよ。
だから、これで通しちゃくれませんか?」
男が自在に操っていたボールが、彼の手から
離れて全て宙に浮かんだ。
そしてそれらが一斉に妖しげな光を放つ。
「うう、これは……?」
「なんだ、目の前がぐらぐら揺れて」
2人の番兵は突然激しいめまいに襲われ、
ドッと地に伏した。
「そう、彼等とは知らない仲ではないんだ」
道化師の男はボールを消し去ると、
「さてさて、楽しい芸のはじまりだ」
目に見えない力で音もなく門を開き、その
隙間からひょこひょこと中へ入っていった。