ダンスダンス
緩やかな曲が始まった。
ユウキはこの世界の音楽には疎いが、のんびりと
した湖畔をイメージさせるような曲だ。
王国の実力派楽団の生演奏はなかなかのものだが、
今は聴き入っている場合ではない。
演奏に合わせて、周囲がステップを始める。
大きな機械の中で数々の歯車が回り出すように、
ダンスホールにいる皆が動き出した。
半ばチャレンジ精神でこの場に立ったとは言え、
始まったからにはワルツを完走するしかあるまい。
ユウキはアキノと視線を合わせて頷いてから、
ステップを始めた。
基本に忠実に。
ユウキは指導を思い出す。
基礎の基礎、四角を描くように足を動かす。
四角い箱、ボックスを踏むという動作だ。
確認するようにまず1歩目。
左足を前に出す、アキノは彼と前後左右対称の
動きでステップを合わせる。
前に出した左足に近付けつつ、右足を前へ。
そしてその右足に左足を引いてきて合わせる。
今度は右足を後ろへと下げ、その右に一瞬だけ
沿わせてから左足を後退させ、続いて左足の横に
右足を持って行く。
緊張しながら、2人はそうステップを踏んだ。
ぎこちなさはあるものの、その場で四角形を描く
ように体が動いたはずだ。
「大丈夫、やれるやれる」
「うん」
2人は小声でスタート成功を喜び、励まし合う。
一連の動きが終わるまでは、頭にカアッと血が
昇っているような緊張感があったが、体が動いて
リズムが刻めるようになると冷静に努めることが
できた。
単純に言えば、ユウキが前に出てアキノが下がり、
次にアキノが前に、という流れの繰り返しだ。
だがその場にゆらゆらと留まっているだけでは
ダンスにならない。
「次からアキノが前に出る時、ターン入れよう」
「ターン? どっちに?」
「俺が軸で時計回り」
「うん、分かった」
互いのステップが切り替わる直前に、ユウキが
重心を移動しながら半回転し、アキノが息を
合わせて立ち位置を交換した。
ターンが綺麗に決まり、初心者にしてはなかなか
どうして様になっている。
複雑なステップを織り交ぜなければ、これを
続けていくだけでダンスを終えられる。
周りを見る余裕はないが、今回が初参加と思われる
12、3歳のペアもいれば、かなりの高齢で足腰への
負担が心配になるような組もいた。
目まぐるしく変わる風景。
宝石箱の中で踊っているような煌びやかな世界。
舞踏会も出てみれば結構面白いじゃないか。
ユウキは楽しめている自分に気付く。
社交ダンスなんて、ある程度年齢のいった男女が
やる趣味の類だろう、などという偏見が正直、最初は
あったのだが、いざ体験してみると印象がまるで違った。
もう意識せずにステップを踏めるようになっており、
アキノも楽しそうな表情を浮かべている。
「……あっ」
その表情が急に強張った。
近くで踊っていたペアと衝突しそうになったのだ。
それは2人でギリギリ踏ん張ってやり過ごしたが、
気付くと周りを他の何組ものペアに囲まれている。
別に悪意があるわけではなく、個々のステップや
リズムの取り方で、偶然この辺りで固まってしまった
のだろう。
気を取り直して最初から踏み出そうとするのだが、
その度に別のペアが間近を掠めていき、ステップが
滞ってしまう。
「まるで密集乱戦状態だ」
位置取りを確認しながら、ユウキが言った。
ダンジョン内の狭いフロアで、突然大量に湧いた
モンスターとすし詰め状態になることがある。
動くに動けず、上級のプレイヤーでも進む方向を
誤るだけで、接触した全モンスターのターゲットに
されて袋叩きになる、そんな状況をいう。
先ほどまでの快調さが嘘のように停滞し、2人は
延々と足踏みをしているだけになった。
別にこれで笑い者にされるわけではないのだが、
最初が上手くいっていただけにこのまま終わるのは
悔しいものがある。
ユウキはゲームの中にヒントがないか、短時間で
考えに考え抜いた。
そして──。
「アキノ、対モータルホイール戦の動きだ」
「あの車輪みたいなやつね」
「ああ、それの回避パターンを使おう」
モータルホイールは、中心にドクロの顔がある
回転ノコギリのようなモンスターだ。
狭い場所で自分と似た回転する刃をばらまく。
不規則な動きと速度でその場を行き来する刃は、
ダメージ判定のあるトラップが長々と居座る
ようなもので非常に厄介な相手だ。
ステップを始めた2人に、左右から別々の
ペアが迫ってくる。
「今だ、前に大きく3歩分」
今までより広いスタンスで前方へと移動し、
2人は挟み撃ち(?)を逃れる。
他のペアをトラップの刃に見立てて、合間を
縫って移動しようというわけだ。
「次はあのスペース、斜め前の奥へ」
ターンを決めて方向転換すると、あくまで
ダンスの一部であるとアピールをしながら、
組んだまま小走りで空いているスペースに
向かう。
その途中、別の2組と交差しそうになるが、
対応した軽やかなターンを使ってごく自然に
回避し、無事目的地へと辿り着いた。
そこで余裕をもってダンスを続けていると、
演奏がクライマックスになり、指揮者が
タクトを止めた。
「あ、終わりだ」
「なんとかなったね、ダンス」
「ああ。なんとか」
2人は手を取り合うと、ダンスの終わりと
相手への礼を意味するお辞儀を交わした。
辺りからは拍手が贈られる。
周りにも一礼して、参加者はホールから
思い思いの場所へと戻っていく。
「良かったよ。上手いもんじゃないか」
まずヨシュアとエルザが2人を出迎えた。
「まあ、トレーニングした甲斐もあって、
そこそこ踊れました」
ユウキは安堵感を胸に答えた。
この気持ちは、小学校の時に運動会で
100メートル走を終えて、緊張感から
解き放たれた時のそれに似ていた。
「次は私達も参加するとしよう」
リュウドとレインはホールへと向かう。
「それじゃあ、僕らも」
ヨシュアとエルザも腕を組んで、後へと
続く。
「せっかくの舞踏会だから、私達も1つ
踊ってくるとしましょう」
ミナとマキシも次の回にエントリーする
ようだ。
「接触だけ気をつければ余裕だから」
初回チャレンジャーとしてアドバイスを
送ると、ユウキとアキノは1度テーブルの
ほうへと移動することにした。
普段の冒険に比べれば運動量は微々たる
ものだが、大勢の前で踊るというのは
心身ともに疲労するものだ。
給仕役のトレイからソフトドリンクを
取り、一休みしようとしていると、他の
招待客と会話を終えたフェリーチャが
こちらにやってきた。
「フェリーチャ、踊らずに壁の花でも
気取ってるのか」
「私は踊りに来たんじゃないの、どうぞ
お構いなく。色々と忙しいのよ、商人は」
フェリーチャは空になったグラスを通り
かかった給仕役に渡し、代わりをもらった。
「まさかパーティーに来てまで、お得意様
相手に挨拶回りでもしてたの?」
「そうよ、と言うより社交界ってそういう
場所でもあるのよ」
フェリーチャは薄いピンク色の酒を1口
含み、そして続けた。
「国中の王侯貴族、何かしら政治の重要な
ポストにあるもの、個々にコネクションを
持つ民間会社のギルド長もいたりするのよ。
こんな営業のチャンス、他にないでしょ」
頭からつま先まで、フェリーチャという
女は商人なのである。
人の集まる所には儲け話の種が転がっている。
それを几帳面に拾い集め、自ら機会を作って
芽生えさせようという商魂は本当に逞しい。
「ただ飲み食いして踊って帰るだけじゃあ、
もったい無いイベントってことよ。ギルドを
大きくしたいんでしょ? ならモンスターを
倒すだけじゃなくて、こういう所で顔を広く
しないと」
「顔を広く、か」
「そ。コネや情報の入手先が増えれば何かと
便利よ。その辺は、ミナのほうが分かってる
だろうけどね」
フェリーチャは顔見知りなのか、招待客の
一団を見つけると、去っていった。
別に政治力等はいらないが、プレイヤーでも
探り切れないような情報ルートに聡いものと、
繋がっておくのはこの先何かと役立つだろう。
魔族や例の邪教団の活動も見つけやすくなる
かもしれない。
ユウキはグラスを手に、打算なく、そう思った。
気付くと、2回目のダンスは既に始まっていた。