ジャックス
3人が警察署へ向かう道を歩いていると、警察署の玄関先に20人ほどの人間が集まっているのが見えた。
応対しているのはリンディと、彼女と似た制服姿の数人の警察官だ。
遠くからでも穏便な空気でないのが分かる。
「警察は何してるんだ、さっさとオークを裁判所へ送れ!」
「とっとと死刑にしろ!」
前にいる男達が言うと、後ろがそうだそうだと合いの手を入れる。
「今は事情を聞いてる段階で、まだ犯人だと決まった訳じゃ」
「そんなの凶暴なオークの仕業に決まってる!」
「ああ、俺の知り合いは些細な事でオークに殴られた事があるんだ。今度だって血の気が多い奴がやっちまったに決まってる」
「そ、そんな決め付けは出来ません。彼等にも言い分が」
「人殺しの言い分なんか聞く必要があるか!」
「おい、王立警察はオークの肩を持つのか。相手はルイーザ様を殺したモンスターなんだぞ!」
また合いの手が入り、周りのテンションが上がる。
リンディが両の掌を出して、場を制止させた。
「落ち着いて、落ち着いて下さい。こちらは今捜査中で、確たる証拠が見つかり次第、きちんと犯人を捕まえますから」
「証拠なんか関係あるか、犯人はオークに決まってる!」
「証拠なんかって、捜査してるって言ってるでしょ?」
「捜査なんて知るか。そもそも凶暴なオークが人間と共存しようなんて考えが間違ってんだ!」
「そうだ、オークの味方なんかしてんじゃねえぞ!」
「オークも捕まえられないなんて、警察は役に立たねえな!」
「話にならねえから署長でも連れて来いよ、この眼鏡女」
「引っ込め、眼鏡ブス」
リンディは俯き、そして、ぷるぷると震えだした。
「……言わせておけば」
掌を上に向けた右手に、魔力で出来た西瓜サイズの玉が生み出された。
「魔法使いマスターの捜査官をナメるなこの野郎!」
リンディはキレた。彼等の勝手な言い分に。
爆発の引き金は、多分最後の要らぬ一言だ。
黒い雷雲を固めたような玉は攻撃魔法ギガ・ヴォーテクス。
着弾地点を中心に渦巻く破壊空間を作り、範囲内の標的を滅殺する。
エネルギーの漲る玉から飛び散る魔力のスパークが道路を焦がす。
「ちょっとリンディさん、それはまずいですよ」
警察官の1人が肩を掴むが、振り払う。
「捜査中って言ったら捜査中なのよ! あんたらみたいに事件をダシにギャーギャー騒ぐだけの奴は、このヴォーテクスで跡形も無く──」
リンディが右手を振り被ると、20人ほどの集団は悲鳴をあげながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「落ち着いて下さい、それ放ったら不祥事じゃ済みませんから」
警察官が羽交い絞めにして、リンディを止める。
リンディも散り散りに逃げた集団を前に怒りが収まりだしたのか、魔法をキャンセルして冷静に努めようと深呼吸した。
「や、やあ、リンディ。大分熱くなってるみたいだけど」
「? あら、いたの」
ずれた眼鏡を直してキリッと理知的な表情を作るが、そのくらいでは怒り心頭していた姿を誤魔化す事は出来ない。
怒りをぶり返されても困るので、ユウキは深くは触れない事にする。
「さっきの集団はなんだい?」
「昨日も何人か来たんだけど容疑者のオークはどうなってるのかって、聞きに来た連中よ。事件への義憤や正義感からそういう行動に出るなら分かるんだけど、さっきいたのは、事ある毎に人間以外の種族を迫害して排除したがってる奴等なのよ」
「排除なんてしようとしてる人達が何人もいるの?」
「国を問わず、お偉いさんの中には人間至上主義者が多くいるから、裏からその要望を聞いて行動してるって話だけど」
「ふん、要は活動家か。昨日宿の外で騒いでた連中もそうだろう」
「ルイーザ殺害事件で火が点いてね、煽られて普通の人もそっちの意見に偏りだしてるみたいで。それこそ、決定的な証拠とか真犯人を見つけないと騒ぎを止められそうに無いのよ」
「それで、騎士団に話を聞いてきたんだけど」
ユウキが本題を切り出した。
3人は昨日と同じ部屋に通されると、リンディはお茶と茶菓子でもてなしてくれた。
アキノは採取スキルの鼻を利かせ、茶葉を言い当てる。
名前を聞いてユウキはこの世界原産の物かと思ったが、なんでもリアルにもある茶葉だと言う。
専らお茶はペットボトルだったユウキが知らなくて当然だった。
「で、剣が使えるそれらしい人の話は聞けたの?」
「ああ、騎士団で一悶着起こしたジャックスって奴なんだけど」
名を出すと、リンディは、思い当たる節があるという顔をする。
「あー……ジャックスねえ」
「色々悪さしてるらしいから、知ってると思ったんだけど」
「そりゃ知ってるわよ、この辺じゃ知らない者がいないくらいの札付きのワルだもの」
どうやら騎士団で聞いた話に誇張などは無いようだ。
「傷害、恐喝、違法薬物とか、まあ悪い事は大体やってるわね。証拠を残さずにのらりくらりと誤魔化して、いざ捕まえてみてもなかなか刑務所へ入れられないのよ」
「ユウキが捜そうって言ってたんだけど、居場所は分かる?」
「どこかの用心棒になってると、団員から聞いたのだが」
「分かるわよ。あいつは今、ワイダルの私設護衛隊にいる」
リンディはさらりと言った。
この辺は警察の力だろう。
「あのワイダルの私設護衛隊? 何だか、凄そうな名前だなあ」
「仰々しい名前だけど、実態は腕っ節の強そうなゴロツキどもの集団よ。ボディガードや用心棒って言うより、ワイダルの命令で動く兵隊って所ね」
ユウキはワイダル関連のクエストを思い出す。
違法薬物の取引を妨害しろ、という内容でその現場を押さえると敵と戦闘になる。
そこで登場するのが、追いはぎや強盗と言った人型モンスターの色だけ変えたワイダルの手下という敵キャラだ。
私設護衛隊とはつまり、それの事を指しているのだろう。
「居場所が分かってるなら、ちょっと行ってみようか」
「普段は大体ワイダル商会の屋敷の詰め所にいるみたいだけど、さっきの説明でどういう連中だか分かってるわよね?」
「王立警察の代理って言えば、向こうも無茶は出来ないよ」
ユウキはそう言って、ワイダル商会の場所を教えてくれと頼んだ。
リンディが了解して自分のウインドウを操作すると、目的地を示すバツ印の付いたマップがユウキの元へと送られた。
リンディは騎士団相手と違って、事前に連絡をしようとは考えない。
ワイダル商会は一応会社組織で、社会的には面会の約束をするのが常識ではあるが、多分丁重に断られてそれで終わりだ。
行く、ではなく、乗り込む、くらいの気持ちが必要がある。
「あと、例のゲザン鉱業なんだけど、無断で調査したり採掘したり、国土管理局に提出する届け出が疎かみたいね。叩けばホコリが出そうだからもう少し調べようと思ってるの」
「分かった。黒い布の切れ端の検査はどうなってる?」
「まだ終わってない、もう少し時間が必要ね。魔法薬を使った検査が済めば、滲み込んでた物が分かるだろうから」
「あれは多分、ルイーザのダイイングメッセージってヤツだろうから、何か出ると良いな」
3人は警察署を出ると、その足でワイダル商会の屋敷へ向かった。
印のされていた住所は、王都の一等地である。
辿り着いた屋敷は4階建てで、外装は宮殿のような豪華な装飾がなされており、広い芝生の敷地には彫刻が置かれている。
王族や貴族の屋敷だと言っても信じられるくらいに立派な造りだが、自分の財力を誇示したいと言う表れなのは一目瞭然だった。
商談や取引をする仕事用の屋敷らしく、自社ビルと言ったところか。
ポーチのある玄関に向かおうとしていると、やたら高そうなドアが開いて、1人の男が出てきた。
中年くらいのその男はパッと見、商売人のようには見えない。
ユウキ達を気にするような素振りを見せながら、3人とすれ違い、敷地から出て行った。
「……あの男は」
「リュウド、知ってるのか」
「何者かは知らんが、あれは確か、昨日宿の窓から見えていた騒ぎで先頭に立っていた男だ」
どこの商会も、色々な関係者が出入りする場所である。
商人に見えない男がいても、別におかしな事では無いのだ。
屋敷に入ると、中は何とも煌びやかな空間だった。
大理石と酷似した石で造られた壁や柱、ピカピカの廊下には美しい刺繍がされたカーペットが敷かれている。
その廊下に置かれた台には、高級そうなゴテゴテした調度品の数々、そして見ろと言わんばかりに掛けられた高価な絵画達。
芸術ではなく、俺は金を持っているぞというステータスの証として飾られている物だろう。
芸術的価値はあるのだろうが、総じて下品に見えてくる。
1階のエントランスは会社らしくカウンターがあった。
そこには20代後半くらいの女性が1人座っている。
受付嬢なのだろうが爽やかさが全く無く、毒々しいほどの化粧と仕事には不要だろうと思われるアクセサリーを身に付けていた。
軽い中身を重厚な化粧と貴金属で誤魔化している、そんな感じだ。
悪徳商会の従業員だと考えれば、逆にこの姿がしっくり来る。
3人がカウンターに歩み寄ると、念入りにアイシャドーを塗られた瞼で数回瞬きし、頭を下げた。
「……いらっしゃいませ、どのようなご用件でしょうか」
「王立警察の代理の者なんですか」
ユウキが手帳を見せると、受付嬢は声を出していたら絶対に、ゲッといった顔をし、そして1度目線を逸らした。
ここは悪徳商人の屋敷で、しかも柄の悪い兵隊を持っている会社である。
こういうゴタゴタが何度もあったのは想像に難くない。
「……どのようなご用件でしょうか?」
気を取り直して、受付嬢は尋ねた。
「ジャックスという社員、いや護衛隊の隊員と言うのかな。その人はいますか? 少し話がしたいのですが」
「いません」
ユウキは即答された。
「いないの? 何かの用事ですか? それとも今日はお休みとか」
「それはその、え~と──」
受付嬢は目を泳がせ始めた。
ユウキがその視線を注意深く辿ると、何度も上階への階段を見ている。
不在は嘘だと察した。
リュウドとアキノも何となく気付いたようだ。
「上か」
リュウドが階段に足を向けると、
「ちょ、ちょっと、いないって言ってるでしょ!」
受付嬢が慌てたように椅子から立ち上がろうとする。
すかさず、ユウキが受付嬢の前に立ち、その瞳を見つめた。
「睡魔の視線」
そう呟いたユウキの双眸が妖しく光る。
受付嬢の目がとろんとし、カウンター内の机に突っ伏して眠りだした。
事前に準備した、眠りに誘うモンスターの特殊技だった。
2階に上がると、左右に長い廊下が続いていた。
商談があればワイダルもこの屋敷に来るそうだが、今はそれらしい人影や社員の姿は見当たらない。
勘で左に進み、廊下の一番奥の部屋まで来ると、
『護衛隊員詰め所』
とお世辞にも綺麗とは言えない字で書かれたプレートが掛かっていた。
耳をそばだてるとゲラゲラと品の無い笑い声が聞こえる。
「ここ、みたいだね」
少し心配そうにアキノが言った。
中の様子は、何となく予想が出来た。
多分この先にある物を、現代世界にある近い物から挙げるとするなら、不良の溜まり場か暴力団事務所だろう。
いきなり飛び込むのあれなのでノックすると、おう、と返事が来る。
「失礼するよ」
3人は躊躇無く部屋に入った。
「ん、なんだてめえら!?」
「あっ」
怒声を浴びせられる覚悟はしていたが、室内にいたメンバーを見て、ユウキは驚いた。
煙草で煙たい室内では、20人ほどのいかつい男達が、酒を飲んだり、賭けカードに興じていたが、その半分が昨晩酒場で一悶着を起こした連中だったのだ。
その中にはジェスと、剣を差したマフラーの男もいる。
「てめえら、昨日の今日でカチコミに来るたあ、良い度胸だ!」
ジェスが、コラァ! とガンを付けながらずんずんと迫ってくる。
後ろにいた男達も、やっちまえ、と威嚇の声をあげる。
ユウキは冷静に手帳を出して、見せ付けた。
「お、王立警察だと!?」
上級神官が放つ法力の前に近寄れないアンデッドモンスターのように、ジェスは立ち止まって若干大人しくなる。
「なんでそんなもんを、異界人が」
「あくまで臨時の代理だけどな」
「なんだ、昨日のつまんねえ喧嘩の事でも調べに来たか?」
「いいや、騎士殺しの事件について話を聞きに来たんだ」
そう口にした瞬間、部屋の空気が変わった。
威勢の良い声をあげていた者達も、喋るのを止める。
僅かな沈黙を埋めるように、剣の男が3人の前に歩み出た。
リュウドを険しい目で一瞥すると、ユウキに顔を向ける。
「話を聞きにってのは、もしかして俺にか?」
「……ジャックスって人なんだけど」
剣の男は顎をしゃくりながら、俺がそうだ、と答えた。
男は下手な脅しは効かないと分かると、涼しい顔を作って対応した。
警察相手に何かすれば捕まる口実になると分かっているのだ。
そういう意味でも、やはりこの男は悪党の作法を知っている。
「おい、俺の名はどこから出てきた?」
「………騎士団だ」
ユウキは名前を出すのは不味いと思ったが、不仲なのは周知だ。
情報の出どころを出した所で、どうにかなる訳でも無いと判断した。
「ああ、そうだろうなあ。品がねえだの何だのと、俺に剣で勝てねえからってグダグダと根に持ちやがって。そこで俺の名前を出されて、騎士殺しを疑って来たって事か。それで間違いねえよな?」
「……話を聞きに来たんだ」
疑っている、という部分をユウキは否定はしなかった。
「話を聞きに? わざわざ来たってこたぁ、俺を疑ってるんだろう?」
自分のターンが来たと悟ったか、ジャックスは語気を荒げる。
「なんだ、俺がやったって証拠でもあるのか? ええ?」
ジャックスに詰め寄られながら、ユウキはある事に気付いた。
巻かれた黒いマフラーの端の、ほんの一部分が不自然な形になっている。
デザインでは無いようで、それは切り取られたような跡にも見えた。
「何見てんだ、疑うような証拠はあるのかって聞いてんだよ!」
「……ない」
「証拠もねえのに、人様にアヤつけようってのは穏やかじゃねえなあ?」
ジャックスが煽るように後ろを振り向くと、他の男達は息を吹き返したように、罵声を飛ばしだす。
「話す事なんか何もねえよ、お引取り願おうか」
ユウキはリュウドと顔を見合わせた。
ここで強く出ても、折れるような相手ではない。
そもそも警察の代理である以上、暴力沙汰を起こす訳にも行かないのだ。
別の方法を探そうと、3人は踵を返す──。
「おっと、ねえちゃんはゆっくりしていって良いんだぜ」
ジャックスが油断し切っていたアキノの片腕を引っ張り、自分の懐へと強引に引き寄せた。
「ちょ、やっ」
咄嗟の事に、アキノは抵抗できない。
「あんなクソ供と一緒にいないで、俺達と楽しく過ごそうじゃねえか」
ジャックスはまさぐるような手付きで、アキノに手を伸ばす。
アキノは震えて動けなかった。
武器を抜いて、面と向かって対峙した状態ならどうとでもなるのだが、突然見知らぬ男に掴み掛かられた恐怖が彼女を縛っている。
ジャックスの手がアキノの身体に這おうとした瞬間、
「やめろ!」
ユウキが踏み出し、ジャックスの手を掴み上げた。
「何なんだっ、てめえっ……!」
「俺の仲間だ、今すぐ放せ」
力のこもる両者の腕が震え、視線がぶつかり合う。
「ふんっ、くだらねえ」
ジャックスはユウキの手を払い除け、アキノを解放した。
突き飛ばされたアキノはユウキに抱かれるような形になる。
「とっとと失せやがれ。俺達に楯突いた事、後悔させてやる」
数秒の睨み合いがどちらともなく終わると、3人は部屋を後にした。
「こ、怖かった」
「大丈夫か?」
「うん……助けてくれて、ありがとう」
「ああ」
いびきを立てる受付嬢の前を通り、3人は屋敷を出た。
あんな連中がたむろしているとは、立派な建物が寒々しく見えてくる。
「さて、じゃあリンディに話してみるか」
「ユウキ、気付いたか。奴がしていたマフラーを」
「ああ。その辺も手掛かりにならないか、聞いてみないとな」
2人が話す横で、アキノは自分の記憶を辿っていた。
ジャックスに抱き寄せられた時、あの男から妙な匂いがしたのだ。
ずっと前に、どこかで嗅いだ覚えのある匂いが。
どうしても思い出せず──アキノは記憶の隅に留めておく事にした。