クレアの傷
「暗殺者を!? じゃあ、その傷は」
「……はい。暗殺者の男に、やられました」
痛々しそうな顔で見るアキノに、クレアは
開けづらそうな目を伏せた。
「一体どこで? あとクレアさん、どうして
こんな時間に?」
ユウキが聞く。
「私、この先のお屋敷でちょっとした下働きの
手伝いをする仕事をしていて。そこに向かう
途中、暗がりにいた暗殺者を見てしまって」
殴り倒されて気絶していたと彼女は説明した。
「陽動で屋敷の警備が甘くなるタイミングを
狙い、隠れていたのだろうな」
リュウドが言うと、アスターが、
「高級住宅街は大通りの辺りとは違って、何か
パーティーでもなければ暗くなる頃には人通りが
減るんです」
そう言い添えた彼はクレアの方を向く。
「そうだ、こことは離れてはいるがナントさんが
殺されたのも高級住宅街の一角だった。その時も、
現場を目撃してしまったのは君だったね」
気の毒に、とアスターは労わるように言う。
その時、
「クレア!」
血相を変えたローレンが屋敷から出てきた。
「今警備隊の方から、君が怪我をして見つかった
と聞いて。ああ……なんと痛々しい」
恐らく、ローレンとクレアの関係を知る隊員が
すぐに知らせに行ったのだろう。
「ここを襲う前に隠れていた暗殺者を見つけて
しまったそうで、気を失うほど殴られたと」
「こんな時間に、ああ! 私がこの近くで仕事を
紹介したばかりに」
簡単な仕事で生活費の足しにもなるだろうと、
顔見知りが口にしていた手伝い募集の話を彼女に
持ちかけたのはローレンだった。
直接的な因果関係があるとは言えないが、その
行き来の際、彼女は暗殺者と2回も遭遇する事に
なってしまったわけだ。
「君に恐ろしい思いをさせてしまったのは、私の
せいも同じだ。この騒ぎが落ち着くまで、仕事を
休ませてもらうように私から言おう」
ローレンは強い自責の念を感じたようだ。
大丈夫、大丈夫ですから、とクレアは平謝りでも
しかねないローレンをなだめた。
彼からの思いやりに感じ入ったのか、クレアは
眉を八の字にし、僅かにだが目を潤ませている。
「クレアさん、とにかく顔の怪我を治しましょ。
女の子だし、お客さんに顔を合わせるんだから」
「………あの、これは別に」
「? 遠慮する必要なんて何も無いでしょ、ね」
「……はい。では、お願いします」
アキノとローレンに連れられ、クレアは屋敷へと
入って行った。
リュウドがその後ろ姿を見送る。
「友人の孫とは言え、随分大切にしているのだな」
「ローレンさんの人が良いのもそうですが、あれは
彼女の人柄のせいですよ」
「確かこちらに来て3ヶ月ほどだと言っていたが」
「最初は、不慣れなのか周りとのやり取りもどこか
ぎこちなかったのですが。徐々に打ち解けて、今は
娘や妹のように思っている人も多いようですよ」
アスターの言葉にユウキは1度頷く。
きっと働き者で近所の人間とも仲良くやれている
のだろう。
あのファントという、熱心な客もいるようだし。
しかし。
傷の治療をすすめられた時に一瞬見せた目。
あの自虐的で自罰的な目は一体なんだ。
単なる思い違いか、それとも暗殺者を見た恐怖が
そうさせたのか……。
自分は人の心を読む力など持っていない。
ユウキは考えるのを止め、夜の警護に復帰した。
「どうしてクレアさんが酷い目に遭うんですか!?」
翌日の昼間、3時を回った頃。
薬学錬金術学校の廊下で、アスター含む4人は
ファントに怒鳴られていた。
「今朝お店に寄ったら、彼女に元気が無いんです。
聞いてみればまた暗殺者を目撃して、今度は酷い
暴行をされたと言うじゃないですか!?」
ファントは相当怒っているらしい。
見た目が情けないせいで、迫力はないのだが。
警備隊のアスターは申し訳ないと謝罪する。
「昨晩の騒ぎにクレアさんへの暴行。暗殺者とは
関係のない人達が脅かされて、警備隊は一体何の
ためにあるんですか!」
しっかりして下さい! と怒りも冷めやらぬまま
ファントは去っていった。
ワイズナーに話を聞きに来たユウキ達だったが、
偶然ファントに見つかったのだ。
こちらもやるべき事をやってはいるが、彼の叫びが
住民の感情を代弁していると言っても過言ではない。
住民の中には、黒いクロークを着用した者を見ると、
反射的にすくみ上がってしまう者も出ているという。
暗殺者のまいた恐怖の種が芽吹いている証拠だ。
相手がいつ、どこから襲ってくるか分からない
以上、守る側も神経を尖らせておく必要がある。
だから警戒しつつ、すべき事をやるしかない。
昨夜と今朝、警備隊員が暗殺者の目撃情報などを
聴き込んだところ、黒ずくめの怪しい奴が女性を
殴ったのを見たという目撃証言があったらしい。
かなり遠くからで時間も曖昧だったそうだが、
それはクレアの件に間違いないだろう。
「これで全てが解決すれば良いが」
ユウキ達はワイズナーの実験室の前に立つと、
ノックして入室した。
そこには忙しそうに器具や薬品などを準備して
いる男がいた。
話は通っているはずだが、こちらには目もくれない。
「すみません、校長から話が行っていると」
ユウキがそう言うとワイズナーは顔を向ける。
40代、面長でワシ鼻をしていて細身な体格。
肩まである髪は小奇麗にセットしてある。
眼差しはどこか鬱屈としたものを感じさせた。
「私が話せる事は特にない。スタイナー先生からは、
不正の話はこれと言って何も聞いていないからな。
今日はこれからここで、夜中まで薬品の調合を
しなければいけない。もう用が無いなら」
「いや、不正の事はもう良いんです。何せ、証拠は
見つかったようなものなので」
「証拠が見つかった!?」
「いえ、見つけてはいないんです」
スタイナーさんの残した書類にあるヒントは
あったんですが、とユウキは彼に1歩近寄る。
「証拠の隠し場所を示していると思われる、
そのヒントがどうにも分からないんです。
校長やローレン先生も心当たりが無いと」
「……その、ヒントとは?」
「ああ、協力してもらえますか」
「当然だ。この学校の教師として当然の事だ。
それで、そのヒントとは?」
「水瓶、とありました。水瓶を持った像は
学校に幾つかありましたが、その近くでは
それらしいものは見つからなかったんです。
勿論、薬品が入った瓶も調べはしましたが
不正を暴く書類などはありませんでした」
「……水瓶」
「何か心当たりが?」
「………いや、無い。もし何か思い出したら
校長にでも伝えておこう」
助かります、と伝えてユウキ達は部屋を出た。
「………水瓶……そうか。あれか」
ワイズナーは何かに思い当たると、器具の
整理など全て放り出し、廊下を警戒しながら
自分の実験室を後にした。
日はとっぷりと暮れ、夜空に月が昇っている。
この時間に校内に残っている生徒はおらず、
皆帰宅するか寮で過ごしている。
無人の校舎から離れて建つ、備品室。
学校の敷地内の隅にあり、備品と言っても、
壊れかけの器具や不要になった書類などが
集められている部屋だ。
「………」
窓をカーテンに覆われた埃くさい部屋の中で、
小さなロウソクを頼りに何かを探す者がいた。
古びた書類の山や積まれた調合本の間などを
丁寧に調べていると、
「トーチ!」
強力な光が窓の間から差し込むと同時に、
ドアが開かれた。
トーチの逆光の中には、ユウキ達3人の姿が。
「!?」
魔法の光源によって照らし出された室内に
いたのは───。