屋根の上の戦い
暗殺者はだらりと両手を下ろす体勢を取る。
カーライルは欧州の瓦屋根風の足場を確認
しながら、対峙する。
プレイヤーの能力はゲームのそれに準拠している。
便宜上、タイプ分けするなら、暗殺者は速度重視の
軽戦士で近距離戦タイプと言えるだろう。
大部分の魔術師タイプはこの手のタイプと相性が悪い。
鈍重な動きの重戦士が相手なら、一定距離を取って、
敵の攻撃範囲外から延々体力を削り取ればいい。
だが機動力に優れ、間合いを詰められやすい相手と
なるとこういった戦法は通じない。
魔法には詠唱時間が存在し、シンプルな魔法であれば
それはほぼゼロに等しいが、それでもそのアクションに
一瞬意識を向けなければならない。
その一瞬あれば、ニンジャ等のスピードファイターは
一気に肉迫し、再度魔法が使えないように息もつかせぬ
連続攻撃を仕掛けてくるだろう。
目の前にいる暗殺者は、プレイヤーの職業のニンジャと
アサシンを掛け合わせた亜種と考えて良い相手だ。
毒に短剣投擲に火薬武器、体術も相当こなすはずだ。
この性能的に不利な状況に、更に不利が重なる。
基本的に前衛の後方から魔法を放つ魔術師は、敵と
一対一でやり合う事がほとんどない。
パーティーで行動するなら皆無と言ってもいい。
そして地の利は相手にある。
飛行魔法で体勢を保てるとは言え、足場の悪い高所で
高度なバランス感覚を発揮できる暗殺者には及ばない。
そして場所は繁華街のど真ん中である。
誰が何人死のうと構わないというスタンスの暗殺者と、
周囲になるべく被害を出さないように立ち回らねば
ならないカーライルとでは自由度が違う。
不意打ちで広域爆発魔法を放てば、致命的な一撃を
与える事も可能ではあるが、そうなればこの辺一帯は
半壊し、毒や爆弾だと言っている場合ではなくなる。
攻撃も火力を抑えて行わなければならないのだ。
つまり、数々の手枷と縛りを自分に科せられた中で、
カーライルは戦わなければならない。
(勝つ必要はない、ユウキ達が来るまで逃がさない
ようにすればいいんだ)
2人の間は8メートルほど。
リアルの世界で言えば、乗用車2台分と少しか。
仕掛ければ1秒と経たずにぶつかり合う距離だ。
暗殺者の手が握り拳を作る。
すると両手に装備されていた小手の先から、幅の狭い、
20センチほどの刃が飛び出した。
この状況で相手の選択肢は近接戦闘のみ。
飛翔体を無条件で弾き返す、毒を無効化する、2つの
防御魔法がかかっているカーライルに有効打を与える
にはこれしかない。
カーライルは迎撃戦になると踏んでいた。
状況自体は不利だが、迎え撃つ形は好都合でもある。
守りながら時間稼ぎをすれば戦況はこちらの有利に
傾くのだから。
暗殺者の腰が僅かに沈み込み、
「!」
跳躍と共に足が屋根から離れた。
中身のないクロークが宙に舞ったかのような錯覚。
直線ではなく、ふわりと弧を描いて覆い被さるように
暗殺者は跳んだ。
完全な無防備ではないか。
「フォースショット!」
カーライルは撃ち落すように、魔法弾を発射した。
だが、当たらない。
狙いは正確、弾の速度も速い。
何故当たらないか、それは暗殺者が空中で体の位置を
ずらしたからだ。
ジャンプしながら、自分でその軌道を変更する。
これは邪教団の暗殺者にのみ習得できる体術なので
あろうか。
「フォース・スプレッド!」
瞬時に散弾に変えてみるが、まるで予めその弾道を
知っているかのように、易々とすり抜けてくる。
ひらひらと落ちる木の葉を手で掴み損ねるように、
捉えられないのだ。
肉体を持たない霊体のアンデッドモンスターさえ
容易く捕捉して仕留めるカーライルが、初めて
翻弄されたと痛感した瞬間だった。
「くっ!」
目の前に着地した暗殺者に妨害魔法を浴びせかけるが
クロークとフードに耐性加工がされているのか、効果が
すぐには表れないようだ。
しゃがんだ姿勢から、暗殺者は一気に伸び上がって
手首に仕込まれた短剣で突いた。
正確に無慈悲に喉元を狙う刃をギリギリで回避し、
「ショックブラスト!」
敵を弾き飛ばす衝撃波魔法を放つ。
両腕をクロスさせ、その威力を最小限まで殺すと、
残った衝撃を上手く生かして暗殺者は1度離れた。
その距離、約8メートル。
振り出しに戻ったと言えなくもないが、不利な
状況に変わりはない。
暗殺者が動きを止める、様子を窺っているのか。
どう攻め立ててやろうか、という余裕がそこから
見て取れた。
「レイ・スティンガー!」
腰構えで撃つガンマンの早撃ちの要領で、光の
高速弾を発射するが、首を動かすだけでそれは
避けられてしまう。
素早く撃てるという利点がある反面、直線的な
魔法は軌道を読まれやすい。
発射そのものを予測していれば、尚更だろう。
「シルフィード!」
淡い光の弾が幾つも浮かび上がり、飛び回って
四方から死角を狙うように突撃する。
ホーミング性能を持った風属性攻撃魔法。
暗殺者は防御効果のあるクロークで数発を耐え、
回避可能だと見切った弾は、アクロバティックな
バク転で避ける。
標的を見誤った光の弾はバキンと屋根の瓦を割り、
消える事となった。
暗殺者は声を発さないが、首の骨を鳴らすように
頭を小さく左右に振った。
軽い運動だと言わんばかりである。
(このまま、ダラダラと時間を稼がせてくれれば
良いが)
手に魔力を溜め、魔法を放つポーズを見せながら
カーライルは隣の建物の屋根に飛び移る。
互いの距離は12メートルほど。
暗殺者に焦りの色は見えない。
必ず獲物を捕食出来る自分の射程圏内に、相手を
捉えている肉食獣のような落ち着きがある。
暗殺者は再び、低く構えを取る。
そして今度は、一直線に疾駆した。
「ウインドサーキュラー!」
扇風機の羽を思わせる空気の刃が回転しながら
複数滞空し、一斉に暗殺者に向かう。
当たれば腕や足を切断してしまうほどの威力を
持つこのエアカッターの郡れに対し、暗殺者は
怯まない。
速度を落とさず、足場から30センチ程度の
高さまで頭を落とし、這うような姿勢でその
飛び交う刃をやり過ごす。
「!」
次の魔法を放とうとした時、カーライルの
目の前にまで暗殺者は肉迫していた。
右、左、右と突きが連続して繰り出される。
魔術師の低い運動性能でそれを何とか避けるが、
がら空きだった胴体に回し蹴りが入った。
咄嗟に腕でブロックしたが、クリーンヒットと
言えるダメージだ。
屋根の端まで数メートル吹き飛び、何とか転倒
せずに持ちこたえる。
暗殺者は袖からスローイングナイフを取り出すと、
カーライル目掛けて投げつけた。
防御魔法のミサイルガードはまだ機能している。
飛んできたナイフは弾かれ、宙に浮かぶ。
それを目掛け、同時に暗殺者が跳んだ。
空中でナイフをブーツの裏で受け止め、一瞬で器用に
刃の向きをカーライルへと調整すると、勢いを殺さず、
飛び蹴りへと移行する。
それは蹴りと言うより、蹴りの動作でナイフを
相手に激しく刺し込むアクション。
徒手空拳での体術、そのレベルは尋常ではない。
猛禽が襲い来るような鋭い蹴りがカーライルの胸に
決まり、
「ぐぅ!」
ナイフが深々と彼の左胸に刺さった。
──刺さったように、暗殺者には見えた。
肉へとナイフを押し込む感覚も確かにあった。
だが、苦痛に表情を歪ませながらもカーライルが
倒れる様子はない。
「驚いたか? 妨害魔法で遠近感が狂い始めた事に、
気付いていなかったようだな」
左の二の腕を押さえながら、カーライルが言った。
クロークの魔法耐性によってすぐには効果は表れ
なかったが、彼の放った妨害魔法は徐々に浸透し、
暗殺者の遠近感を狂わせていた。
序盤のレベルで覚える、モンスターの打撃命中率を
下げる魔法だが、ネタがバレなければ強敵の虚をつく
事も可能だ。
暗殺者は再び短剣を構えるが、飛来する何かに
気付き、それを打ち払った。
金属音がして転がったのは、スローイングナイフ。
カーライルが屋根の下を確認する。
ナイフを投げたのはリュウド、倒れていた2人には
アキノが回復魔法をかけている。
「カーライル、大丈夫か!?」
「ああ、上着は仕立て直さなきゃだろうがな」
ユウキに、カーライルは軽口を叩く。
3人が到着し、ピンチに陥ったはずの暗殺者。
その表情の無いマスクが笑ったように見えた。