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彼らを見つけられなくなってからしばらくして終わりの日を迎えた。
目が覚めるとまず今日が何日かを確認をする。
数少ない例外はあれどいつも朝、目が覚めるところから始まるからだ。
携帯を確認する。
……大丈夫だ。スタートに戻ってしまったけれど今までとは違い今回はちゃんと目的がある。
まずは彼らにもう一度会って話が聞きたい。
俺がこうやって何度もやり直していることと関わりがあるのか調べなくちゃいけない。
(きっとあるはずだ)
思い浮かぶのは長い太刀を振り回す男の姿。あ、やばい。俺あんまり人の顔覚えてられないんだった。
既にぼやける様な輪郭。
実際の日にちではまだ会ってもいないけれど、俺の中では無駄に何日も経ってしまっているから忘れてしまいそうで怖い。せっかく見つけられたとして気付かなければ意味がないのだから。
学校もそこそこに駅に向かう。気持ちばっかり焦って授業なんか受けてられなかった。
駅の表通りは開発が進んで明るく大きなビルが建ち並ぶのに、裏側に入れば低く古びた狭く暗い建物が秩序なく並ぶ。
車が一台通れる程度の道路。
夜になれば眩しいばかりに灯りのつく看板がそれでなくても細い歩道を塞ぐように置かれている。
きょろきょろと路地から路地へ迷い込んでは慌てて表に戻るのを繰り返した。
同じ所を何度もぐるぐる回っては電信柱や看板の陰に身を隠して辺りを窺う。もしかしたら前に見た〈クラゲ〉とかいうやつが急に現れるかもしれないからだ。
後から思えば自分で言うのもなんだが怪しいことこの上なく、通報されても仕方がないような、だけどそんなのを気にしてる余裕なんかなかった。
もう、前に会った日まで待つか。
それともこうなったらビルや建物の中まで入って探さなくちゃいけないのかと思ったころ。
前回彼に会った日よりもずっと早く、だけどやっと彼を見つけた。
場所は同じではなかったけど、このあたりの界隈としては範疇内。
薄いグレーのハーフコートに、前の時はしてなかった彼の仲間たちがかけていた少し変わった形の眼鏡。
襟足にかかるくらい少し長めの緑がかった黒髪。
見つけることのできた喜びで浮かれ、相手が初対面であることを忘れてしまう。
「あの!」
声をかけたのにそのまま先に行こうとする彼に走り寄ろうとした時、翻ったコートに。
(逃げられる!? っていうか、なんて速さだよ!)
一瞬焦る俺。
だが、伊達にウロウロしてたわけじゃない。既にここの地理は頭ン中にしっかり入っている。
彼が曲がった先は行き止まりだ。
追い詰めたつもりで思わず顔をにやけさせる。体を傾け速度を落とさないように角を曲がった。
「がぐっ」
衝撃が顔面を襲う。
一瞬視界が真っ白になって、星が散るってこういうのを言うんだと初めて知った。
多分跳ね飛ばされた形で地面に転がったんだろう。息ができなくてげほげほと咳き込んだ。
真っ白になる前に見えた彼の姿が脳裏に浮かんで消える。
あれだ。ラリアートだ。首に嵌らなくて助かった。
ぼやける視界にブーツの爪先が近づくのが見える。
後から痛みもやってきて転がったまま涙目で見上げた。
鼻潰れたんじゃないか? 抑えた手にぬるっとした感触があって、見たら真っ赤な血がべったりついていた。
「お前、何者だ」
彼は片膝をつき屈み込んで俺を見ていた。
いつの間にか眼鏡が外されていて、最初の胸ぐらを捕まれた時に睨まれたのを思い出す。
あの時はほんとに怖いと思ったけど、やばい。今の方が痛みもあってもっと怖い。
「おい。答えろ。なぜ今ここに居たんだ」
不審そうに問い質された。
何故だか『今』という言葉のニュアンスが強調されていたような気がする。俺の気のせいだろうか。
最初のあまり良くない出会いを思い出して怯えはしたし、体のあちこちだって痛くて熱いけど、だけど。
「お前はここに居なかったはずだ」
だけどその言葉は逆に俺に勇気を与えた。
痛みで体を折りたたむようにして転がってて、鼻血だって出てて顔だけ上げたような情けない恰好で俺は睨み返すようにして言った。
「信じてもらえるかわからないけど!」
でも、彼は多分。分かってくれるはずだ。
俺は自分が何度も同じ日に戻ることを訴えた。前に出会ったのを覚えていることも。
「あんたも覚えてるんだろ?」
暫く睨み合っていたけど、ふっとその視線から険がなくなった。
「ついて来い」
そう言って手を差し出し、俺が体を起こすのを手伝ってくれた。
連れて行かれたのは何度か前を通り過ぎてた古びたビルの、細い入り口を抜けた先の地下へと続く階段を降りてすぐ前にあった小さな扉の向こうだった。
その扉は普通のそれとは全然違って高さは三分の一くらい幅は半分くらい、俺の膝ぐらいのところに下部分があって大きく跨がなくちゃいけないし、頭も下げなきゃいけなくて転がった時にあちこち打った体には少し辛かった。
さらに続く通路の二つ三つ、扉を超えた奥の部屋で俺の怪我の手当てをしてくれた。
コンクリート打ちっぱなしの壁にパイプベッドと小さな金属の棚があるだけの殺風景な部屋。
「……悪かったな。巻き込んでしまったらしい」
目を伏せ疲れを滲ませた表情で吐息のように言った。
彼が世界を滅亡から救おうと何度もループしていることを知る。
「これは俺の能力で俺だけのはずなんだが、お前まで覚えているとはな」
そうして説明されたのは。
彼らは別の世界から来ていること。
〈クラゲ〉はさらに別の世界から送り込まれていること。
〈クラゲ〉が世界に蔓延すれば世界そのものが毒されてしまうこと。
彼らの世界と自分の世界は繋がっていて、ここが無くなれば彼らのそれも腐り果ててしまうということ。
既に彼らの世界の一部分は人が住めないどころか、生き物が侵入することさえできない土地になってしまっているのだと。
嘘だとか夢物語だとか到底思えなかった。
「あの! 俺にも何か手伝えませんか?」
「あるわけないだろう」
にべもなく断られる。が、そんなことくらいで引き下がったりはしない。
「だって俺も覚えてます!」
追い払われても何度も男のもとへ通い詰めた。
「お前ほんともう来るな」
「お願いします! 」
「……本当に細かいところまで覚えてられるんだろうな?」
「はい! 覚えます!」
覚えてみせます! 鼻息荒く宣言する。
「はぁ……邪魔だけはするなよ」
呆れたように溜息をついてガシガシと頭を掻きながらで、しぶしぶという感じだがとうとう彼は承諾してくれた。
「あ、ありがとうございます!!」
やった! 思わずガッツポーズが出た。
「それから、学校は行けよ」
「……え」
何度もこの世界を繰り返している彼はこっちの事情にも詳しくなっていて、俺がまだそういう身分だってのがわかってたらしい。
それを承諾した俺は後日向こうの世界から呼び出された班員たちに地元協力員として紹介され、一緒に彼の下につくことを許されたのだった。
黒い靄は〈隙間〉と呼ばれ、〈クラゲ〉たちの世界と繋がり侵入してくるルートのことで、その周りに飛ばす針は周りから見えなくすると同時に人が入りにくい結界を張る術具らしい。
詳しい仕組みとかは教えてもらえなかった。言ってもわからないらしいし、教えてもらったところで俺に理解ができるかもわからない。そう言われるのも分からなくはないけどちょっとむっとする。
「そういうもんだと思っておけ。ただ結界の中には居ろ」
戦闘にも連れて行ってくれと頼み込む俺に、断られても持ち前のしつこさで粘るつもりだったのがバレていたのか思ったより簡単に了承してくれた。
〈クラゲ〉が飛ぶのを見てやっと何故クラゲなのかわかった。
ふわりと浮きあがった状態がミズクラゲに似ている。万有引力の法則を無視した半透明のドロリとした体の奥に特に色の濃い部分が光に透けて見える。
が、浮かび上がった後弾丸のように飛ぶのが厄介だ。
べちゃりとぶつかって自身ごと粘液をを飛び散らせる。
その粘液がなんでも腐らせるのだから。
彼らの服はそれを考慮され特殊なコーティングがされているらしい。あのちょっと変わった形の眼鏡だってそのためのものだ。
「これ、あなたにも渡しておくわね」
「ありがと……」
彼が戦闘中の間、前にも俺についてくれたオレンジの髪の女が眼鏡を差し出してくれる。
お礼を言って受取ろうとした時、ふっと意識が遠のいた気がした。