ペットボトルを愛する男
この小説はフィクションです。
作者はペットボトルに対し特別な感情を抱いたことは一切ないことをここに明記しておきます。
なにこんなもの書いてしまったんだろう。
ペットボトルにもいろいろある。
500ミリリットルのペットボトル。
1リットルのペットボトル。
2リットル、250ミリリットルのペットボトルもある。
形も様々だ。
四角いものから円筒のもの。
スタイリッシュなものから3色団子のようなものまで。
材質も違う。
やわらかいものから硬いもの。
パリパリしているものから表面がざらざらしていたり濁っていたり。
様々なペットボトルがこの世に存在する。
いきなりでなんだが、私はペットボトルが好きだ。
いや、好きという言葉では足りない。
愛している。
このように言うと諸君は大概、ペットボトルの形だとか色だとかが、どういう感情なのかまではわからないまでも、その不明な感情によって気に入っているのだと考えるだろう。
しかしそれは甘いとしか言いようがない。
私は、ペットボトルの存在自体、そのものを愛してやまないのだ。
ここで言う存在とは先に述べた形だとか色だとかだけを断定したものではない。
つまり目で見える、手に取れる形のペットボトル自身だけを愛しているわけではないのだ。
色や形を含めた、プラスチックを原料とし、それに液体を注ぎ込み、ふたをすることで保存を容易にすることができるペットボトル。
今述べたペットボトルの、人間の意識内、そして知覚によって認識することができるペットボトルの概念を愛してやまないのだ。
ペットボトルは非常に素晴らしい。
その素晴らしさを今から諸君に力説しようと思う。
しかしながら、概念をいきなり説明するというのはいささか難儀である。
概念というものはすぐに理解することができないほど難解なものであるからだ。
そこでまず注ぎ口から、その有用的で尚且つペットボトルそれ自体を官能的なまでに魅せつける魅力を説明しようと思う。
諸君の身近にあるペットボトルを見ていただきたい。
形はどれでも良い。
大きさが異なっても、さして問題ない。
スケールが変化してもペットボトルの共通の魅力それ自体は変わらないからだ。
もちろん大きさによってそれぞれ個別の魅力、個性ともいうべきそれは変わっては来るが、ここでは別段気にする必要はないので安心したまえ。
身近にないのであれば想像してくれるだけでいい。
むしろその方がいいだろう。
ペットボトルは日常生活で目にする機会が多く、逆に目にしない機会の方が見つけるのに難しいだろう。
身近であるからこそ、普段から目にしているからこそ、その形を想像するのに難くない。
さぁ、想像してくれ。
ペットボトルは基本的に3つの要素で構成されている。
一つに液体をその場に留めさせる役割を持つ本体。
二つに液体を本体の外へ、または内へと導く注ぎ口。
三つに本体に留めている液体をどんな状態でもそこから外へ出さず、尚且つ外気とも遮断し、ペットボトルの保存性を高めている、注ぎ口に被せるキャップ。
これ以上も、これ以下もない最低限で至高の構成要素だ。
まずは注ぎ口からだが、ここで注意してほしい。
注ぎ口だけを見てはいけない。
申し訳ないが、ペットボトルの魅力というのはどれか一か所を集中してみればよいというものではない。
一つの要素が深く他の要素に係わっているのだ。
考えてみれば当たり前である。
どれか一つでペットボトルとなりえるのか?
答えは否である。
なので諸君に強制するのは心苦しいが、ペットボトルの一般的に言われる良さというものを理解してほしいのでここでは心を鬼にして諸君に想像してほしい。
さて、話が脱線気味なので本線に戻そう。
円筒、または四角の本体から徐々に線形、非線形に細まり、そこでまた円筒を作り出している。
注目してほしいのは徐々に線形、非線形となっている部分とその上につながっている円筒部分の結合点だ。
もちろん線形、非線形のところも捨てがたいが、それは本体の領域であり、またそれ以上の魅力がここにあるのだ。
おおよそ135度程度の角ができていると思われる。
だが、図形での鋭利な角ではなく、柔らか味のある、やさしい角となっているのがよくわかるだろう。
ここが注ぎ口の魅力の一つである。
これは正確には本体との結合点であるので本体の魅力ともなりえる。
ペットボトルというのは液体を保護する、いわば包容力のある容器である。
包容力というのは一般的に優しさで包み込むというイメージがあると思う。
この包容力を持ち合わせているペットボトルの領域というのは、諸君は本体そのものであると考えると思う。
たしかにその包容が主な要素であるのは本体である。
しかしながら、その包容の要素は注ぎ口にもあるのである。
それが先に述べた接合点である。
諸君、ペットボトルに液体を注ぎ込んだ覚えはあるかね?
あるとしたらその時をよく思い出してほしい。
注ぎ口に当てずそのまま本体に直接液体を流し込んだ場合、中で液体が本体に強く当たり、飛び散ると思う。
これは液体にその衝撃を強いることにより起きる現象だ。
もちろん本体はその飛び散った液体を一滴たりとも逃すことはないが、本体の要素としている包容力を少々ないがしろにしてしまうだろう。
そこで注ぎ口の結合点が重要になってくるのだ。
注ぎ口に液体を当てるように流し込めばその優しさのある角を伝い本体の壁を伝ってそこにたまると思う。
ペットボトルを傾ければなおよい。
そう、注ぎ口も包容力を保持し、それが本体の包容力へと影響を及ぼすのである。
これはどちらか一方がなくなれば途端に意味をなくし、ペットボトルになりえないのである。
さ、これで注ぎ口の重要性を認識してくれたと思う。
今述べたのは注ぎ口の重要性のほんの一部だ。
しかしその重要性を如実に表している一部でもある。
さぁ、どんどんいこう。
次は本体だ。
本体は先ほど軽く述べたが、なによりも包容力だ。
ペットボトルというのは液体を保存し、いかなる状況下でも持ち運べる利便性を持っている。
これを実現するには包容力が必要不可欠だ。
いかなる場合でもその液体を我が内に留めなければならない。
さぁ、注目してほしいのはいかなる場合でも留める包容力と持ち運べる利便性の二つである。
包容力を得るには正直、別の素材でも構わない。
鉄や木材、皮やモノによっては紙でも可能だろう。
しかし、持ち運びの利便性を考えたらどれでもよいとは言えなくなる。
鉄の場合は薄くしたとしても重さがある。
そして薄くした場合衝撃に弱い。
アルミ箔のようなものでは簡単に包容力を失ってしまうだろう。
温度を保温する場合などは有用であろうが、いざ飲み終わった後、容易に捨てることもできず、荷物としてかさばってしまう欠点がある。
木材の場合、特殊な加工が必要となる。
液体が木材にしみこまないよう、内側になんらかの薬剤を塗布しなければならない。
この場合、例え不溶性だとしても経年劣化ではがれ落ちることもあるだろう。
洗って再利用する場合など洗剤を付けたスポンジでこすったらその可能性は増えるだろう。
皮の場合、昔から水筒として利用されてきた。
しかしこれもまた鉄の場合と同じように、飲み終えた後の処理が面倒である。
また現在では皮は高価な場合が多い。
手に入れるのも一苦労である。
比較的容易に手に入れやすい合皮などは飲料用に作られているとは到底思えない。
では紙はどうか。
言うまでもなく紙は液体を浸透させる。
これも薬剤を塗布しないと実用には堪えないであろう。
そしてあまりに強度がなさすぎる。
包容力と利便性を両方考えるとなるとプラスチックでできたペットボトルしか考えられないのである。
まず強度である。
液体を入れた状態で床に落としたとしても、普段持ち歩いている高さであればぶちまけるといったことは起きないはずだ。
もちろん床にたたきつけるだとか、高所から落とすといった少々荒い真似をすれば破損することもあるが、まずそんなことはしないし、するとしたらただ単に遊びでそのあとのことを考えず、ましてやペットボトルに愛情のあの字も抱いていない小童でこの世の片隅にも置けない愚かで恥ずべきものであるが、まぁ、普通そういうことはない。
そしてプラスチックそのままで安全に液体を保持できる点だ。
プラスチックは極度に加熱すると溶け、ダイオキシンなどを含む有毒ガスを出すが、それは100度以上のことであって、通常われわれが利用する低温の飲料水や高温だとしても60度や50度程度のいわゆるホットと呼ばれる程度のものだ。
プラスチックが変質する領域に達していないのだ。
バカなことをしなければ比較的安全に液体を保護することができるプラスチックは非常に優れていると言うほかない。
ましてや透明である。鉄や木、皮や紙は透過して中身を直接みる方法がない。
ペットボトルはほぼすべて無色透明であるため中の液体を飲む前にある程度予測することができるのだ。
まったくもって素晴らしいというしかない。
さぁ、最後にキャップだ。
このキャップはペットボトルを完成させる非常に重要な要素だ。
本体や注ぎ口によって中に液体を溜めることは可能だと、諸君の前知識、及び今までの話で分かったと思う。
しかしこのままでは本体が何かの衝撃で倒れた場合、または振られた場合、中身が予期せぬ形で流れ出てしまう。
いくら注ぎ口と本体とで得た包容力とて、そこに穴があれば状況の変化によって流れて行ってしまうのである。
それを補い、完璧なまでの包容力を与えるのがキャップの役目である。
ドリル式の開閉方式をとることにより、あまり大きな力を要せず、指の負担を軽減し、尚且つ十分な密閉を得ることができるこのキャップはまさに神の御業と言ってもよい。
また、もちろん外気も防いでくれることから中の液体の劣化を遅らせることができ、これもまたキャップの魅力の1つでもある。
ここまで言えば諸君にもわかっていただけたであろうと思う。
ペットボトルとはこれらの要素が絶妙に組み合わさって出来上がったまさに至高の存在なのである。
私はこの至高の要素の集合と、そしてその使用用途、そしてペットボトルといえばプラスチックでできた水筒のようなものとすぐに連想することができるほど周知されているその概念!
これらに魅了されてしまったのだ!
諸君もどうか?
今の話でペットボトルというものに対する認識がわずかではあるかもしれないが変わったのではないだろうか?
私としてはそれが一番望ましい。
別に今すぐに私のようにペットボトルを愛してくれとは言わない。
強制された愛など、愛情ではなく、単なる形骸的な愛でしかないのだ。
別に嫌われてもいい。
ただペットボトルを愛情で愛することができる糸口を諸君に示せればそれでよいのだ。
さて、いろいろと話をさせてもらったが、改めて僕のペットボトルへの敬愛を理解してくれたと思う。
だから、カバンに入れたペットボトルをレジを通さずに外に持ち出したのは致し方ないことだったのだ。
警察を呼ぶまでの事態ではないのだよ。
すべてはペットボトルへの愛それだけなんだ。
だから今日はもう返していただけないのだろうか?
店長「君の言い分はとてもよくわかりました。よくそこまで深い考察をなさりましたね」
ええ、私はペットボトルを愛してやみませんからね。
店長「しかし、何べんもいってますが、そのペットボトルへの愛とこの万引きとはなんの関係もありません。今すぐ警察を呼びますからね」
だからなんでそうなるのかなぁ。
本当に諸君とは話が通じませんねぇ。
店長「ええ、そうですね。通じるほうがおかしいですからね。今すぐ警察に行ってご自分の立場をよく理解された方がいいですよ。なんなら知り合いに精神科医がいますので紹介して差し上げましょうか?」
そのお気遣いは頂いておきますが、いかんせん私は精神を病んではおりませんので余計なお節介です。
店長「はぁ……、めんどくさいんだよ、こいつ……。」
その後、彼の身柄は警察に渡され、警察の方でもその扱いを持て余し、結局めんどくさがって釈放されたそうな。
ペットボトルを愛する男の日常はこれからも続く。
終