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翌日も体育の授業があった。
男子は校庭でソフトボール、女子は体育館でバレーボール。昨日と同じだ。
準備運動が終わると、チームに分かれての試合が始まった。
試合開始から二球目。キャッチャーが後逸した球が、校庭の外へと転がり出ていってしまった。校庭はぐるりとネットで囲まれているのだが、運悪く出入り口から外へと抜けてしまったのだ。
座って打順を待っていた直哉は、球を拾いに立ち上がった。誰かに言われたのではなく、単に自分が一番その出入り口に近かったからだ。
球の転がっていった方へ走っていくと、屋根の二つ連なった、大きな建物の前に出た。
(確か、第一体育館と第二体育館だったな)
女子はこちらでバレーボールをしているはずだ。
辺りに球は見当たらない。建物の中に入ってしまったのだろうか。
直哉は運動靴を脱ぎ、体育館に入った。第一と第二体育館の間に走る通路を歩いていると、半開きになっている扉が目に入る。第一体育館側の扉だった。
何気なくそちらを見ると、中にいた女子がこちらに気付いた。
「あ、直哉君だ!」
白い体操着と黒のハーフパンツに着替えた沙耶だった。
「なになに、授業さぼってまで女子を見に来たの? 見かけによらずエッチだねー」
人聞きの悪いことを大声で言う。つられて他の女子も集まってきた。
「あ、ほんとだ新堂君だー」
「何でここにいるの? 迷子?」
「ていうか、ブルマでも期待してた?」
「去年までブルマだったんだけどねー」
あれやこれや。沙耶に負けず劣らず、好き勝手なことを言い始める。女子の集団独特のノリにあてられ、直哉は頭痛がしてきた。
「いや……ソフトボールの球が外に出てだな……」
「それって、あれかな……?」
喧騒の中、おとなしそうな女子が通路の先を指差した。その先には、白い小さな球。
「お、あった」
小走りに駆け寄り、拾い上げる。
「何だ、ほんとに球拾いに来てたのかあ」
つまらなそうに沙耶が言うのが聞こえた。直哉は顔を引きつらせつつもその言葉には反応せず、球を見つけた女子に向き直った。
「助かった。ありがとう」
「え……いえ、どういたしまして」
顔を赤くして少女が頭を下げる。
「あ、そうだ。直哉君ちょっと手伝ってくれない?」
何かを思いついたらしく、沙耶が手を打った。
「何を?」
「あ、そうだね。新堂君にやってもらようよ。男子だし」
「うんうん」
周りの女子もしきりに頷く。
「えっとね、わたしたち準備運動が今終わったところなんだけど、これからバレーの支柱を体育倉庫から持ってきて立てないといけないの。でもそれが重くて」
「重くてって、何人かで持てば平気だろ。っていうか、先生はどうしたんだ」
「準備しとけーって言ったきりどっか行っちゃった。一服でもしてるんじゃないの」
「なんだそりゃ……」
「ね、運ぶのだけやってくれないかな?」
自分たちでやれ、と言いかけたが、思い直した。別にその程度の作業は苦でも無いし、ここで余計な反感を買うこともないだろう。
「ったく……」
頭をかきつつ、直哉は第一体育館へ入る。
「どこにあるんだ?」
「あそこの大きな扉の中だよ」
指差した壁際の大きな鉄扉へと向かう直哉の背に、沙耶は声を掛けた。
「一人がもう取りに行ってるから、手伝ってあげてねー、って……あ」
何かを思い出したのか、沙耶の声色がしまった、というものになった。
「?」
直哉はそれを疑問に思いつつも、引戸の鉄扉を開いた。中から埃と湿った木のすえた匂いの混じった、独特な空気が漂ってくる。
沙耶が言ったように、中には既に女子が一人いた。こちらに背を向けている。
長い黒髪を後ろでひとまとめにした、すらりとしたシルエットの女子だ。誰かが入ってきたのに気付き、彼女が振り向く。
その女子生徒──斉木静音──は直哉の姿を見て、目を見開いた。
「……! 何故お前がここにいる」
「……球拾いに来たら、ついでに手伝えって言われただけだ」
直哉は望月め、と内心で毒づきながら答えた。
「わたし一人で十分だ。お前のような露出狂の手はいらん」
昨日の着替えでの一件が、まだ尾を引いているらしい。彼女は親の敵のようにこちらをにらむと、倉庫の隅で横倒しに置かれた支柱へ両手をかけた。
「お、おい。それ相当重そうだぞ」
実際に見ると、沙耶たちが手伝いを求めるのも分かる気がした。金属製の支柱は腕より一回りほど太く、長さも二メートル近い。おそらく重さは三〇キロ近くあるだろう。しかも伸縮式で重心が偏っているため、一人で持つ時の体感重量はさらに増えるはずだ。
しかし男子でも手こずる重さのそれを、静音はなんとか一人で持ち上げた。
「……っ。そこをどけ」
直哉は黙って道を開けた。鉄扉は現在半開きになっており、支柱を抱えた静音が通れる幅はない。開けておいてやるか、と直哉が扉に手を伸ばそうとすると、静音は膝を使って片手で支柱を一旦保持し、空いた自分の手で扉を引こうとした。
もともと、女子が一人で持ち上げるには厳しい重量である。片足立ちとなった彼女がバランスを崩したのは、ある意味自然なことだったかもしれなかった。
体勢が崩れ、反射的に膝を下ろしてしまうと、支えきれなくなった支柱が手から滑り落ちた。重力に従って約三〇キロの金属が、静音の足元へと落下し──
「──っと」
空中で止まった。
横から伸びた直哉の手が、支柱を鷲掴みにしていた。下から支え持つのではなく、上からかぶせるように、片手でだった。
柱の真ん中ではなく端の方を掴んだにも関わらず、支柱は地面と平行に保たれている。静音がそれを見ているのに気付くと、直哉はすぐに両手で支柱を持ち直した。
「あっぶな……足に落ちたら、下手すりゃ骨折だったぞ。支柱は俺がやるから、そっちはネットとかを運んでおいてくれ」
静音はじろり、と上目遣いで直哉をにらんだ。
「……一応礼は言う。だが、その程度の物が落ちてきたくらいで骨折などしない」
「その程度って、こんなのが足に落ちたら、ただじゃ……」
そこまで言って、気付く。
(何かの能力者なのか……?)
想いに沈みかけた直哉をよそに、静音は背を向け、彼の指示通りネットの束を抱えて倉庫を出て行った。すると入れ違いに、沙耶を含めた他の女子たちが倉庫に入ってくる。
「何だ、今運び出すところだけど」
直哉は重たげに支柱を抱えてみせた。
「それは任せるけど、他のはわたしたちも運ぶよ」
沙耶たちはそう言って、バレーボールのたくさん入ったかごを運び出し始める。倉庫の外に出ると、他の女子と一緒に静音がネットを広げ、準備をしているのが目に入った。
その様子を見て、直哉は小さく息をつく。
(彼女一人に、押し付けてたってわけじゃないみたいだな)
倉庫に静音しかいなかったので、もしかしたらとも思ったのだが、杞憂だったようだ。単にタイミングの問題だったのだろう。
ともかく、直哉の協力もあって準備はスムーズに終わった。幸い、男子の方の体育教師は直哉が抜け出したことに気付いておらず、彼は何食わぬ顔で授業に戻ったのだった。
◆
「それで、首尾はどうだ? 今日も帰りが大分遅かったが」
学校から帰宅した直哉が夕食をとっていると、郁が対面に座ってたずねてきた。
テーブルには彼女が作った夕食が並んでいる。
「どうもこうも、手がかりが少なすぎる。校長の話じゃ本庁もお手上げで、超知覚系の能力者に協力を依頼したらしい」
直哉は食事の手を止めて答えた。これは今朝、校長室で聞かされたことだ。
「ほお、さすがに焦っているみたいだな」
郁は面白そうな顔をした。
超知覚系の能力者とは、シャーマンに代表される、『神託』を聞くことのできる霊媒体質者や、霊視や遠隔視とも呼ばれる透視能力者などのことだ。彼らは知りうるはずのない情報を超自然的な、もしくは超感覚的な何かから得ることが出来る。行方不明者の捜索などに、非常に力を発揮する能力だ。
信じる信じないはともかく、これらは一般人にも多く知られた能力であり、そのぶんまがい物も多い。本物と呼べる人間はごく僅かなのだが、神道に限らず様々な能力者の囲い込みを行っている神社本庁だけあって、伝手はいくらでもあるのだろう。
「調査っていってもそんな具合だから、手っ取り早く現行犯で捕まえることにした」
「現行犯といっても、生徒全員を監視するわけにはいかないだろう」
「もちろん。ただ、今までの被害者は帰り道とかじゃなくて、校内にいる時に誘拐されたと俺は思ってる」
そもそもこの連続誘拐が始まったのは、春休みが空ける直前の三月末頃からである。
初期の被害者は部活動の為に登校していた生徒たちで、登下校の時間もまちまちだった為、犯行時刻ははっきりとしていなかった。
新学期が始まってからの被害者たちも、行方不明となったのは放課後以降で、やはりはっきりとした犯行時刻は分かっていない。しかし、例外があった。
放課後ではなく、昼休みに失踪した生徒が一人いたのだ。
多くの生徒が校内にいる最中に犯行が行われたわけだが、にもかかわらず不審者などの目撃情報は一切無かった。これはかなり不自然である。
そこで気がついた。目撃されていないのではなく、目撃されても不審に思われない人間の犯行なのだとしたら? 用務員や教師などを不審に思う生徒はいないだろう。
思えば校長の言っていた、我々では感知できない何かのからくりがあるように思える──というのも、内部の犯行の可能性を意識した言葉だったのではないか。
「だから、生徒たち全員を見張るのは無理でも、生徒が全員帰るまで校内で張ってれば、そのうち犯人の方から姿を見せてくれると思う」
「それで帰りが遅かったわけか。まぁ、取り逃がさないよう、気をつけることだな」
「言われなくても。姉さんの顔に泥を塗るわけにはいかないからな」
この依頼は郁に来たものである。代行とはいえ、自分が失敗すればそれは郁が失敗したと同じことだ。自分の手落ちで姉の名に傷がつくのは、何としても避けたかった。
その言葉を聞いた郁は、急に機嫌が良くなった。
「なかなか嬉しいことを言うじゃないか。ほら、おかずをサービスしてやるぞ」
直哉の皿におかずが次々と追加される。
「ちょっと、こんな沢山食えないって……」
「いいから」
「ちょ、無理だっての……!」
元々そんなに食べるほうではない。にもかかわらず胃腸の限界まで食わされた直哉は、その後しばらく身動きが取れなくなったのだった。