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昼休み。
直哉は学生食堂を案内するという昂と光、沙耶に連れられて廊下を歩いていた。
「俺、何か嫌われるような事したか……?」
いまだに先ほどの出来事に納得のいっていない直哉が呟いた。
「あー、斉木さんはなぁ……」
昂が言い淀んだ。聞けば、彼女の名前は斉木静音というらしい。
「普段はあそこまでじゃないんだけどなぁ……まぁ、基本とっつきにくい人なんだけど」
光も彼女をフォローするかのように付け加える。
「斉木さんは悪い人じゃないよ? わたし、一年生の時に廊下で転んじゃった時、外に出ちゃった鞄の中身を一緒に拾ってくれたもん」
「まぁあんまり人と喋らないよね、斉木さん。んでも、直哉君と斉木さんのやりとり、見てて面白かったなぁ……ふふふ」
思い出し笑いをする沙耶。
沙耶の席は右前のほうだったが、きっちり一連のやりとりを見ていたらしい。
「この野郎、他人事だと思って……」
「あー、女の子に対してこの野郎、はないでしょー。……んでも、ほんとの所、今は斉木さん色々あるから──」
「そうだなあ」
昂が沙耶に同意する。
「どういうことだ?」
「んー……」
昂たちは顔を見合わせた。おおっぴらに話すのが、はばかられる内容らしい。
その様子を見て、直哉は自分から質問を撤回した。
「何か事情があるんなら、無理には聞かないが……」
「いや、違うんだ。話せないっていうか、なんていうか」
慌てて昂が言うと、沙耶も頷いた。
「う、うん。けして、直哉君が転入生だから話せないとかじゃないんだよ? ただ、ちょっと、ね……」
光は俯き、何も言わなかった。
「……分かった。要するに、何か事情があって機嫌でも悪いってことか」
「そうそう、そんな感じ! だから、お前に対して怒ってるとかじゃないから、気にすんなってことだ」
昂は笑顔で直哉の肩を叩いた。
そうこうしているうちに、一行は食堂に到着したのだった。
「きりーつ、礼」
日直の号令がかかり、五時限目の授業が終わった。
昂が振り向いて直哉に声を掛ける。
「なぁ、次体育だけど、体操着とか持ってきてるのか?」
「ああ、持ってきてある」
直哉は鞄から一式を出してみせた。
「んじゃさ、男子の──」
昂が言い終わる前に直哉はワイシャツを脱ぎ始めていた。
「って、ここで着替えるんじゃなくてだな……」
「ん?」
ワイシャツを脱ぎ終わり、下の肌着も脱ごうとする直哉。
シャツが捲くられ、鍛えた腹筋が顕わになった所で昂が止めに入る。
「ストップ、ストップ。男子用の更衣室があるからそこで着替えるんだよ。ほら、女子の変な注目集めちまってるぞ」
直哉がふと回りを見渡すと、確かに何名かの女子が顔を赤くしてこっちを見ている。
つい小学生の頃のノリで着替え始めてしまった直哉が、しまった、と思った瞬間、
「きゃあっ」
小さな悲鳴のような、可愛らしい声が左隣から聞こえてきた。
『──?』
直哉と昂は顔を見合わせて、それから声が聞こえてきた左の方を見る。
そこには相変わらず窓の方を見ている、斉木静音の姿があるだけだった。
気のせいかと思った昂は話を続ける。
「だから、一旦それ着ろ。更衣室案内するから……って、どうした?」
直哉はまだ左を見ている。
気付いたのだ。
我関せずとばかりに窓の外を見ている静音の、顔……というか耳が真っ赤になっていたのを。
直哉の中で先ほどの可愛らしい悲鳴と、静音の姿が結びつく。
(これは復讐のチャンスか……)
直哉の脳裏に、四時限目での出来事が蘇る。
斉木というこの女子に何か事情があるのは分かった。
だが、それと先ほどの自分の頼みとは、本来関係の無い話のはずだ。
さっきの理不尽な言い草に対する意趣返しとして、これくらいは許されるだろう。
「いやー、別に男の裸なんて見られても減るもんじゃないしなー。せっかく上脱いだんだから、今日はここで着替えるわー」
わざとらしく言い放つ直哉。
びくり、と静音の肩が震えるのが横目に見えた。
「はあ? 何言ってるんだ……ってお前……」
ようやく昂も静音の様子に気付いたようだ。
肌着を脱ぎ、直哉は上半身裸になった。
「あー……俺知らないぞ……」
昂は傍観する事に決めたらしい。いまや静音はプルプルと震えていた。
直哉もそれが横目で見えている。
(別に全裸になってるわけでもないのに……こりゃ相当、男に免疫無いんだな)
だが、許さん。
別に裸で迫ってる訳でもない。隣の席で体操着に着替えるだけだ。
だから後ろめたいことは何もない。直哉はそう自分に言い訳をして、着替えを続ける。
「さて、ズボンを履き替えるかなー」
わざわざ宣言する直哉。
クラスの一部の女子が、きゃー、などと黄色い声を出したが、復讐に燃えている直哉には聴こえていない。
「先に上、着ろよ……」
直哉の意図が分かっているので無駄だとは思いつつも、昂が呆れ顔で言った。
直哉がズボンのベルトを外し始める。心もち、左の静音の席に寄って。
静音は耳は愚か、首まで真っ赤にして俯いてしまっていた。
ベルトを外し終えた直哉が、ズボンのホックを外そうとした所で、
ばちーん!
「いてええぇっ!」
強烈な平手打ちが彼の背中に炸裂していた。
上半身裸でのたうち回る直哉を冷めた目で見ながら、平手打ちを放った沙耶が言った。
「更衣室で着替えろ、このセクハラ野郎っ」
「うあー……痛そう」
昂が嫌そうな顔をして呟いた。
直哉の背中には鮮やかな紅葉が咲いていた。
昂と共に、すごすごと男子更衣室へ向かう直哉を横目に見ながら、沙耶は静音に声を掛けた。
「斉木さん、大丈夫? もう向こう行ったよ」
俯いている静音の横顔を伺う。いまだ静音の体には震えが見えた。
それほど恥ずかしかったのか、もしくは怖かったのか──
意外な弱点があったものだ、と沙耶が思っていると静音の呟きが聞こえた。
「許さんぞ……あの変態め……」
今、静音の体を震わせていたのは、恥ずかしさでも恐怖でもなく──
直哉への凄まじい怒りだった。
(これは直哉君、相当嫌われちゃったかな……)
沙耶はため息をついた。
「そういや、お前は部活とかやるの?」
放課後。帰宅の準備中に昂から聞かれ、直哉は手を止めた。
「いや、特には決めてない」
「へえ。てっきりその体つきだと、何かやってると思ったんだけどな」
恐らく、体育の着替えの時に見られたのだろう。
努めて一般人のふりをしていた直哉だったが、体つきまでは隠しようもない。
「剣術を昔からやってる。でも部活としてもやるかは決めてないんだ」
下手に隠してもしょうがないので、問題ない範囲で本当の事を言うことにした。
「やっぱり武道系か。実は俺もなんだよな。……んでも、この学校はどっちかっていうと部活動のがメインなのに、何にも入らないのか?」
この学校では、最低限進級できるだけの成績を取れば文句は言われない。学校の理念上、最も優先されるべきは各々の能力の鍛錬とされているからだ。
その鍛錬も、いわゆるまじない系といわれる異能力だけが対象ではなく、武術などの技能も含まれている。異能ではなく、武術の鍛錬を目的とした入学者もいるほどだ。
「元々そういう目的での入学じゃないんだ」
「ふーん……社会勉強組か」
昂が呟いた。
能力者の育成を目的に設立された光怜高校ではあるが、必ずしも生徒全員が武道や何かの術を心得ているわけでない。
神社本庁で事務職などに就く親が、直接荒事に関わる予定はないにしても、早い内からこの特殊な世界に慣らす為にと、後継ぎを入学させるケースもある。
そういった理由で入学した生徒を指して、『社会勉強組』と昂は言っているのだ。
直哉も事前に確認した資料で、そういった生徒がいる事は知っていた。
「それじゃ俺は部活行って来るわ」
「ああ。今日は色々助かったよ。また明日」
「また明日な」
部活へ向かった昂に続き、直哉は足早に教室を出た。
「あれ、直哉君は?」
帰宅の準備をしていた光に沙耶がたずねた。
「さっき、昂君の後に出て行ったよ? 帰ったんじゃないかな」
「え、もう? 帰るの早いなぁ……ふむう」
「?」
首をかしげる光の横で、沙耶は腕を組み何か考えている様子だった。