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その晩。
外灯一つない暗い坂道を、一人の男が下っていた。
小高い山の木々の間から下りてきた坂は、若干のカーブを描きながら、民家が連なる方向へと続いている。道の山側は、高さ二メートルほどのコンクリートで舗装された壁になっており、その上から生えた木々が、道の上空を覆うように枝葉を伸ばしていた。
雲一つみられない夜空に浮かぶ月から、青白い明かりが木々の間を通って降り注いでいる。
男はその中を歩きながら携帯電話を取り出し、どこかへとかけた。
「──わたしだ。<手足>は問題ない。これから<胴>に取り掛かる。そちらの頭数は揃ったか」
スピーカーからは女性の声が流れた。
「十二人目を確保し、そちらへ送りました。ですが……」
「何だ」
「能力者と呼ぶには、気や霊力がかなり少なく……簡単な術が使える程度の娘です」
「では、至急あと一人さらった後に合流しろ」
「了解しました」
短いやりとりで会話は終わった。
携帯電話をしまい、なおも坂を下る男の眼下に民家の明かりが見えてくる。
同時に夕餉の匂いやテレビの音声、団欒の声なども遠く男のもとまで流れてきていた。
「──フン」
男はくだらない物を見たかのように鼻を鳴らした。
この平穏もすぐに消え果てる。
男の脳裏には、あたり一面焼け野原となった光景が、ありありと描かれていた。
坂を下りきり、民家や畑の間をさらに歩く。しばらくすると、傾斜したあぜ道の脇に置かれた、一抱えほどの岩が見えてきた。岩の周りには注連縄が張られている。
男はその前で立ち止まった。さらに注連縄や岩に軽く触り、周囲を改めて見回す。
──やはりこの結界も厳重なものではない。
「<首>を解き放たぬ限り、<手足>も<胴>もさして意味は持たないか」
男はどこともなく呟いた。
この結界も容易く破ることが出来るだろう。だがそれは表面上の結界であり、本質的な解放の為には<首>に張られた結界を破る必要がある。
しかし、<首>の方は人間一人の力ではどうにもならない程の強い結界が張られている。
結界というよりは、長大な年月に渡り儀式によって持続されてきた、強力な封印と言った方が合っているだろう。
どんなに強力な封印であっても、長い年月が経てば劣化し、弱まっていくものである。
だが、現在に至っても儀式が受け継がれているとなると、話は別だ。むしろ儀式の積み重ねによって、封印はより強固になっていると見て間違いない。
しかし、それを破る手筈も既に整いつつある。
──全く持って都合のいい学校もあったものだ。
男は軽く笑みが浮かぶのを抑えられなかった。
最後の一人が届き、人数が揃いさえすれば<首>を解放する儀式に入れる予定だった。
男は再度、携帯電話を取り出し発信した。
「──はい」
今度は男の声で返答が届く。
「わたしだ。<胴>も問題ないだろう。これから作業に入る。終わり次第、次は阿蘇へ向かう。楔とする杭を用意して、一時間後に車で胴塚まで来い」
「分かりました」
連絡が終わり、男は携帯をしまうと、漢字の書かれた札を数枚懐から取り出した。
「さて、お飾りの結界はとっとと破らせてもらおうか」
次は阿蘇に行かなくてはならない。
そこで地脈に楔を打ち込み、ここと阿蘇とに一時的な因果を作るのだ。
そして、しばらくすれば最後の贄も届く。
全て上手く行けば、終わらせることができるだろう。
──この国の、全てを。
◆
「落ち着かない……」
翌朝。学ランに身を包んだ直哉は、玄関先で呟いた。
天気は晴れ。空は見事に晴れ渡っており、僅かに風があるのみだ。
「どっかおかしい所あるか?」
玄関まで見送りに来た郁に尋ねる。
「ふーむ……いや、問題ないぞ。とっとと行って来い」
郁はしげしげと直哉の制服姿を眺めた後、そっけなく言った。
「はいはい……それじゃ行ってきますよ」
そう言って、直哉は家を後にした。
商店街を通り、最寄の駅まで向かう。
そこから普段は使わない、山側方面の道へ進んだ。
しばらく歩くと、商店や民家が少なくなり、山と木々に囲われた景色となる。
道は山の稜線を回り込むように、曲がりくねりながらも続いていた。
未舗装の道ではなく、二車線できれいに舗装されたガードレール付きの道だ。
さらに歩くと、視界が急に開けた。
(へえ……)
眼下に学校の敷地が見渡せた。
それは、山々に囲まれた平地を切り拓いて建てられた学校だった。
直哉は田舎にあるような学校をイメージしていたのだが、近代的で清潔感のある校舎が建っている。大きなグラウンドも用意され、体育館やその他の活動に使うであろう建物もいくつか見えた。
ここまで歩いてきた道は、校舎のある平地より高い位置にあり、そのままゆるい下り坂となって校門へと続いている。
直哉は通学する生徒の邪魔にならないよう道の端に寄って、改めて学校の全景を眺めた。敷地を一望できるここは、建物の位置関係などを把握するのに絶好の場所だった。
そうしながらも、彼は昨日見たこの学校についての、資料の内容を思い出していた。
私立光怜高校。設立は昭和二十五年。
戦後、GHQによって行われた神道指令、いわゆる政教分離による不当な圧迫により、日本の霊的守護の大きな担い手であった神道の能力者の数は、著しく減っていた。
それを重くみた当時の文部省と、文化庁の前身である文化財保護委員会、そして民間団体となった神社本庁が協力し、霊的能力の素養を持つ若者の教育、育成を理念として建てられたのがこの高校だった。
当初は神道を元とする能力者の子供のみが通っていたが、現在は他の宗教、宗派の人間も通っている。
これは近年、神社本庁が日本神道に限らず、邪教のたぐいで無い限り、様々な宗教の能力者の所属を認めたからだ。
(人種ならぬ、能力者のサラダボウルか)
少し特殊な学校だ、と郁が言っていたのを直哉は思い出した。
少しどころか、こんな特殊な学校は日本全国探してもここだけだろう。
「おはよーっ」
女子生徒のものと思われる挨拶が聞こえた。
彼が立ち止まって思索にふけっている間も、多くの生徒たちが横を通り過ぎ、また同時に朝の挨拶が交わされているようだった。
特殊な学校ではあるが、登校風景は普通の高校と大差はないらしい。
(まぁ、どうにかなるだろ)
気を取り直し、前に進もうとした所で、
「おーはーよーーっ!」
「うおぁっ!?」
至近距離からの挨拶に身をのけぞらせる。見ると、直哉を下から覗き込むようにして、女子生徒が挨拶をしていた。
「やっと気付いた。さっきも一回挨拶したのに」
そう言って、無邪気な笑顔を見せる女子生徒。
ショートカットで身長は直哉の鼻先ほど。
リストバンドをした、活発な印象の女子だった。
「えっと……おはよう」
とりあえず挨拶する直哉。
どこかで会ったことがあるだろうか、と一瞬考えたが、そもそも初登校の自分に生徒の知り合いがいるはずが無い。
もし、仕事で顔を合わせた事があるのなら、忘れるはずは無かった。
女子生徒はにやり、と笑って、
「君、転入生でしょ?」
と言った。
「そうだけど……何で知ってる?」
わずかに直哉の体に緊張が走る。
「だって、全然見たこと無い顔だし」
「新一年生だって沢山いるだろ? 一年は全員見たこと無い顔になるんじゃないのか」
「一年生の顔は全員確認済みだよ?」
女子生徒は平然と答えた。
「わたし、新聞部だから、面白そうな人がいないか、いっつもチェックしてるんだよねー。だから自然と人の顔はすぐ覚えられるんだ」
「そんなんで覚えられるもんか……?」
納得できるような、できないような理由だった。
「立ち話もなんだし、歩きながら話そうよ」
言って、女子生徒は直哉の横に並んで歩き始めた。
直哉も半歩ほど遅れてついて行く。
「転入生っていったら、やっぱ皆気になるし記事にしないとでしょ? わたしは望月沙耶。あなたは?」
「新堂直哉」
「直哉君かぁ。二年生だよね?」
「そうだよ」
これは詰襟の学年章を見れば分かることだったので、直哉も特には追求しない。
「わたしも二年生。こっちはいつもの教室だけど、直哉君は職員室にでも行くの?」
「あー……そうすればいいのかな。職員室って何階?」
「二階の端っこにあるよ」
二人は坂を下り、校門を抜けた。
沙耶は少し前に走ってから振り向いた。
「わたしはこっちの昇降口。直哉君は下駄箱決まってないから、あっちの来客用の入り口かな」
沙耶が指差す方には、二階に直接繋がる幅の広い階段とエントランスがあった。
「なるほど。えっと、わざわざありがとう」
直哉が礼を言うと沙耶は笑って、
「へっへ、お安い御用です。それじゃー後でまた色々聞かせてねー」
と、手を振りながら昇降口に消えていった。
(初対面なのに、ずいぶん気安げだったな)
だが、悪い印象はない。好奇心が旺盛なのだろう、ということにとりあえずしておく。
階段を登り、エントランスから校舎に入る。続けて、昨晩の郁の指示を思い返した。
(まず学校に着いたら、校長室に顔を出せ。校長には話が通っている。詳しい説明などもそこでされるだろう)
直哉は近くにあった案内図を確認し、職員室の隣にある校長室へと向かった。
ノックをして、どうぞという返事を待ってから中に入る。
「よく来てくれたな、新堂直哉君」
「……どうも」
質感のある高級そうな机の向こうに、校長らしき小柄な老人が座っていた。
白髪を頭の上で結って、ちょんまげのようにしている。着ている藍色の作務衣が、シックで格調高い室内の装飾に対して、どこまでも浮いていた。
「早速だが、現在の状況を説明させてもらうかのう」
ふう、と息をついてから校長は説明を始めた。
「簡単な説明は既にされているとは思うが、我が校の生徒が誘拐されている。昨日さらにもう一人誘拐されたと思われる失踪者が出て、被害者は合計で十一人となっておる」
尋常ではない人数だった。
「目撃者は?」
「これほどの人数にも関わらず、おらんのだ」
校長の顔には、年齢によるものだけとは思えない、深い苦悩の皺が刻まれている。
「教員にも、初歩的な失せ物探しの術などを扱える者もいるのじゃが、一向に犯行を捕捉できていない。十一人も攫われているにも関わらず、じゃ。こうなると、我々では感知出来ない、何かしらのからくりがあるように思えてのう……そこで外部のお主に依頼がいったわけじゃ」
生徒として潜入しろ、などとずいぶん妙な依頼だとは思ったが、そういった事情があったのか、と直哉は納得した。
「脅迫状などが送られてきたりは?」
気になっていた事を質問する。校長はため息をついた。
「一切無い。それがさらに手がかりを少なくさせておる。誘拐された全員が術者だったのだ。何らかの意図があるのは間違いないのじゃが、要求も何も来ないのではな──」
さらにいくつかの説明を受けた後、直哉は校長室を辞した。
思っていた以上に手がかりが少なく、掴み所の無い事件だった。目的が分からず、手段が分からず、これからも誘拐が続くのかすら分からない。
分かっているのは、生徒しか狙われない事、術者が主に狙われている事、そして一人でいる時に狙われる事、くらいだった。
犯行の間隔は二、三日に一回のペース。
まだ続くのであれば、明日か明後日に再度犯行が行われる可能性が高かった。