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ソウルブレイダー  作者: けすと
第六章 不死の神
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2

 部屋の中にいた数人は、既にガスを吸い込んだのか、泡を吹いて倒れていた。赤ん坊のように両手を内にして背を丸め、ぞっとするような痙攣を起こしている。

 直哉は息を止めたまま進む。

(こっちです)

 途絶えていた声が、再度直哉の頭に響いた。頭痛をこらえながら導かれるままに進むと、栗色の長髪の、線の細い女生徒が座っていた。両手を後ろで縛られ、目隠しをされている。

(この子が……)

 傍らにしゃがみ込む。

(来たぞ。どうすればいい)

(わたしの手を取ってください。今ここには彼が鉄杭によって誘導した、阿蘇の地脈による気が流れています)

 直哉は彼女の手を取ると、部屋から周りを見た。

 部屋の建材のさらに下、建物の床に描かれた八卦図が光を放っているのが見える。

(この膨大な気とわたしの力、そしてあなたのその能力で──)

 そこまで言ったところで、彼女は直哉の前で大きく息を吸った。

「!」

 目を見開く直哉。

(ごめんなさい……息が続きませんでした)

 すぐにその体が痙攣し始める。

 しかし苦痛に耐えながらの声が、なおも直哉の頭に送られてきた。

(呼び出して……ください……っ。神代三剣のうち……の一振り……っ! 毒……気を……払い、死の……眠り、すら……退ける……)

 そこで声は途絶えた。だが、彼女の手から熱のような何かを感じる。

(これは……)

 膨大な気の潮流。彼女が先ほど言っていた、阿蘇の地脈の気だろうか。

 同時に、それとは別の力も直哉は感じていた。暖かく、全てを包むような力──

(そうか、妹は闇、姉は光なのか)

 それは光を基とした陽の力だった。この二つ力を使って呼ぶ剣こそが、この状況を覆すために必要なのだろう。

 神代三剣は直哉も知っている。

 三種の神器である、天叢雲あめのむらくも

 雷神、建御雷神たけみかづちの振るう剣、布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ

 荒ぶる神、須佐之男命すさのおのみことの剣、天羽あめのはばきり

 いずれも神剣の名にふさわしい逸話をもつ、強力な霊剣だ。

 今呼び出すべきは──

 直哉は目を閉じた。同時に、鬼切丸が霧のように消える。

 意識を集中し、彼女の手から流れ込む、膨大な気の奔流を体内へと受け入れる。

「ぐ……」

 直哉の口から呻き声が漏れた。体中が火がついたように熱い。人の身には過ぎた、大海のような量の気の流入に、全身が悲鳴をあげている。

(……っ、なんて量だ)

 これだけの気を受け入れ、束ね、制御するには、息を止めたままでは到底無理だ。瞬間的な気の操作には呼吸を必要としないが、本来気とは、呼吸と密接に結びついたものなのだ。

 ……どうせ、この手のガスは皮膚からも吸収されるだろう。直哉は覚悟を決め、大きく息を吸った。それは言うまでもなく、神経ガスを体内に取り入れる行為である。すぐに中枢神経の働きが阻害され、全身の筋肉が収縮、痙攣し始めた。

 横隔膜を含む呼吸筋郡が麻痺し、息が出来なくなる。咄嗟に気を用いて、無理やり神経伝達を活性化し、かろうじて息を繋ぐ。

 呼吸の循環によって気が巡り、錬気の効率が上がった。だが、呼吸のたびに更なる神経ガスが体内へと吸収され、全身の神経伝達が破壊されていく。

「が……ぁ……っ」

 身体を内側から引き裂かれるような、凄まじい苦痛。目が猛烈に痛む。涙が止まらない。意志とは別の所にある生物としての本能が何度も、ここから逃げ出せと訴える。

 直哉はその度に、鋼鉄の意志で逃避への欲求を押さえつけた。口から涎を垂らし痙攣しながらも、彼は大量の気を己の制御下へと置くべく、錬気を続けた。


「どけっ」

 ロウは自分を押し倒した田所を跳ねのけた。

 直哉の入っている部屋とは反対側へと、田所が転がる。

「何をしている──貴様っ」

 起き上がったロウは、ビニールの壁へと張り付くように駆け寄った。見ると、中にいる少年の全身から、燃えるような気が立ち上っている。

「くそっ」

 ロウは悪態をついた。錬気法だ。儀式を妨害する為に、何かするつもりなのだろう。

 だが、手が出せない。この中には神経ガスが充満している。遠当てを使うにしても、下に敷いた建材にひびでも入ったなら、それだけで全てが終わりになってしまう。

(む……)

 よく見ると、彼の口からは泡が吹き零れるように流れ出ていた。

 既にガスを吸入したのならば、もって数分の命だ。ならば──

「刑天! わたしを守れっ」

 言って、ロウは儀式を再開した。

 何をするつもりかは知らないが、お前の命はその前に尽きる。

 貴様の命ごと、儀式の糧としてやろう。


 直哉は精神を蝕むような苦痛の中、焦っていた。

 地脈の気は制御できたものの、やはりその量が膨大すぎる。剣を召喚するには、依り代としての形へ気を整える必要があるのだが、普段は無意識でも出来るその作業が思うようにならないのだ。大量の気を、思い描く形へとうまく結像出来ない。

(くそっ……)

 逸る心を必死に抑える。だが、その間にもガスは神経を侵し、命を蝕んでいく。

 神経ガスによる麻痺が進み、とうに体の感覚はなくなっていた。

(まずい、意識が……)

 気をどれだけ用いようと抗いようのない、生物としての生命活動の限界が迫っていた。段々と視界が狭まり、暗くなっていく。

(間に、合わない──)

 ひたひたと死が近づいてくる。失われつつある意識の中、直哉の脳裏によぎるものがあった。それは走馬灯とも言うべき、とある過去の一幕だった。



「くっ……」

 そこは自宅の母屋に隣接した道場だった。気を使い果たした直哉は膝を折り、両手を地に着く。郁は息を荒げる彼を見下ろし、

「霊剣の一本や二本、そろそろ呼び出せるようになったらどうだ」

 ため息をつくように言った。すると直哉はその場に座り込んで、

「そんなこと言ったって、掴みどころが無さ過ぎるんだよな……」

 郁はやれやれといった様子で、

「何も難しく考える必要は無い。その剣を思い描き、柄を握り、引き抜く。彼方より此方こなたへと、気を介して霊格を顕現させつつな。それだけのことだ」

「どう考えても、それだけ、なんて言える内容じゃないんだが」

「ふむ……」

 郁は考える素振りを見せた後、

「そうだな……例えば──何故、剣なのかと考えたことはあるか?」

 直哉は怪訝な顔をして、

「どういう意味だ?」

「わたしくらいになれば、剣以外の武器を呼び出すことも可能だが、原則この力は剣しか呼び出せない。何故だ? 剣以外にも、強力な霊格の宿った武器は数多くある。それらは何故、わたしたちの力に応えない?」

「……剣っていうカテゴリが特別だからだ。剣は古来から、武力や権力の象徴だった。だから他の武器に比べて、人の呼びかけに応じ易いんだろう」

「まぁ、間違ってはいない。ではもう一つ質問だ。何故、剣は武力や権力の象徴となった? 単純に武器としてだけ見れば、槍や弓矢には完全に劣り、メイスや斧といった武器にも打撃力の面では劣る。こんな中途半端な性能の武器が何故、力の象徴などに?」

「それは……」

 直哉は答えに窮する。しばし待って、彼に答えがないと分かると郁は口を開いた。

「答えは簡単だ。剣は、人類が初めて、人を殺すために作り出した武器だからだ」

「…………」

「槍や弓矢、棍棒は狩猟のため、斧やナイフなどは自然物の採集、もしくは加工のための道具が起源だ。だが、剣だけは違う。狩猟や生活のためでなく、相容れぬ他者の命を奪うために作られた、純粋に殺人を目的とする武器なのさ」

「いや、待った」

 直哉は郁に手のひらを向けて、

「人類が最初に──って、そんなのは原始時代とかの話だろ? なんでそんなこと言い切れるんだよ? 証拠はあるのか? そんな学説は聞いたことないぞ」

 郁は彼の言葉を鼻で笑うと、ふんぞり返って、

「証拠はない」

「……おい」

「ないが、そうだと言い切れる。何故ならわたしは──天地あまねく全ての剣をふるう者だからだ。そして、それはお前にも同じことが言える」

「俺にも……」

「わたしと同じ力を持つということは、そういう意味だ。もっとも、お前はまだ資格があるだけ、という段階だが。しかし、この力を使うなら覚えておけ。自分が揮うものの本質──その業を。どんなに神聖な剣だろうと、この業からは逃れられない。あらゆる刀剣は、誰かの手によって自身が存分に揮われるのを待っているのさ。だから、呼び出すのになにも、難しい理屈は要らない。その剣を拝み倒す必要などもない」

 そこまで言うと、郁は道場から外へと向かう。ついてこい、という視線に促がされ、直哉は後を追った。

 外ではしとしとと霧雨が降っていた。郁は目を細め、一面の曇り空を眺めると、自宅前の道の真ん中まで進み、無手のまま構えを取る。それは抜刀の構えだった。

「気を練り、形を整え、その剣に言ってやるんだ。わたしこそが、お前を揮うに足る者だと。真実そうであるならば、むしろ剣の方からやってくる。──こんな風に」

 わずかに郁の腰が沈む。その両手に光が見えたと思った次の瞬間、閃光が疾った。

「……っ」

 光が消えると、そこには身体を横に倒し、顕現させた刀を抜き放った郁の姿があった。

「わたしが全力で徹す気に耐えられる刀剣は、そう多くない。そういう意味では、win─winの関係なのかもしれんな。彼ら力ある刀剣を揮うに足る者も、そう多くはないのだから」

 刀を納め、なんでもないことの様に呟く郁の傍らで、直哉は言葉を失っていた。

 空が裂けていた。

 空を覆う一面の雲に一条の切れ目が走り、そこから別世界のような、すがすがしい青空が覗いている。それは視界の端から端、霞んで見えなくなる空の彼方までも続き、その切れ目からは天使の梯子とも言われる、幻想的な光の幕が降りていた。



(そういや、そんなこともあったな……)

 深い闇に沈んでいた直哉の意識が、不意に差し込んだ光によって浮かび上がる。それは、かつて見た曇天から差す一筋の光を思い起こさせるものだった。

(すまない、起こしてくれたんだな)

 起きたといっても肉体的に目を覚ましたというわけではない。周りは闇に覆われ、半壊した神楽殿も、倒れた生徒たちも見えない。恐らくはこれは、死の直前に見る夢のようなものなのだろう。だがそんな曖昧模糊とした状況の中でも、直哉は自身を覚醒させた光が、何なのかを理解していた。

 さらに光が直哉の意識をいざなう。本来、人の身では至ることの出来ない、より上位の領域へと。

(そうか、これが)

 神域ともいえる上位の精神世界。そこに、目的とする力の塊を感じる。

 既に地脈の気は、剣の依り代として練り上がっていた。途中意識を失ったが、なんとか間に合ったらしい。あとは神域の力を、物理世界とも言えるこちら側へ呼び出すだけだった。だが、どうやって呼び出す──?

祝詞のりとでも読み上げるか……?)

 ふとそんな考えが浮かび、直哉は苦笑と共にそれを打ち消した。

 そう、そんな必要はない。彼女があの時、そう教えてくれたのだ。

 ただ一つ、こう思えばいいだけだと──

(来い……っ!)

 瞬間、その場に強烈な光芒が渦巻いた。

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