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刑天を迎え撃つべく、再度瞬狼を抜いた直哉の耳に、声が飛び込んできた。
「若いの! おぬし、どんな剣でも呼び出せるのだったな!」
見ると、静音によって縄をほどかれたらしい田所が叫んでいた。
「あくまで、能力としては可能ってだけだ……っ」
直哉はなおも続く、嵐のような刑天の攻撃を必死に避けつつも答える。
先ほどの攻撃によってやはり傷が悪化したようで、かわし、跳び、切り返す度に気の遠くなるような激痛があばらに走った。
「ならば、鬼切丸を呼び出すのだ!」
「鬼切丸……?」
「この神社に社宝として伝わっておる、鬼八を切り倒した神剣だ。実物が近くにあれば、容易く呼び出せるだろう!?」
「……簡単に言ってくれるよな」
田所の言葉に、直哉は小さくそう呟いた。
横殴りに刑天が振った斧を、屈んでかわす。突風のような刃風が直哉の体を打った。
「どうした……何故鬼切丸を呼び出さん……?」
依然として、直哉はなすすべなく刑天から逃げ回っている。
その様子を見て、焦れたように田所が言った。
彼の横でなんとか身を起こした沙耶が、
「ちょっと、おじさん。なんでもっと早く、そういうことを言わないの……」
その言葉に、田所は申し訳なさそうな顔をした。
「すまん。わしもこの神社の直接の関係者ではないものでな……忘れておったのだ」
「でも……確かに。なんですぐに呼び出さないんだろ……?」
直哉を見て、やはり同じ疑問を沙耶は呟いた。
「いや──」
静音が口を開く。
「さっき新堂が言っていただろう。自分の力では、伝説の剣などは無理だと」
「でも、それじゃあ、打つ手なしだよ。どうすれば……」
沙耶の呟きに、答えられる者はいなかった。
(くそ、打つ手がない……!)
直哉も、このままでは刑天を倒すすべが無いことは分かっていた。
瞬狼で刑天に傷を負わすことも、浸透勁も通じない以上、もっと強い剣を呼び出さなければ勝ち目はない。だが、ロウや田所の言葉通りであれば、鬼切丸は相当な格の神剣だ。つい先ほどまで、その名すら知らなかった自分が、呼び出せるのだろうか。
直哉は瞬狼以上の力を持つ剣の召還に、一度も成功したことがない。名を知っている剣を、ありったけの気を練った上で呼び出しても、それが応じることはなかったのだ。
今まではそれでもよかった。自分がこれまでに、真実、どんなことをしても斬ることが出来なかったのは、郁と彼女の振るう剣くらいのものだったからだ。
瞬狼さえあればどうにでもなったし、実際これまでやれてきたのだ。だが、今、目の前に二つ目がある。
次の段階に進む頃合か──
この依頼を受けた際の、郁の言葉が脳裏に甦る。
このことなのだろうか。今の自分ではどうしても超えることのできない障害。これを乗り越えろということなのか。
(上等だ……)
直哉は覚悟を決めた。命を賭ける覚悟だった。
大きく跳躍し、刑天から距離を取る。その手にある瞬狼が、霞むように消え去った。
小さく息を吐いて、目を閉じる。何かを叫ぶ、静音か沙耶の声が聞こえた気がした。
だが、それすらも分からないほどに、心気を澄ませ、集中し、気を静める。
感じ取れ。
田所はこの神社に社宝として伝わっていると言っていた。召還に距離は関係ないが、それほどの神剣が近くにあるのならば、ここら一帯の大気にその神気が薄く溶け込んでいるはずだ。
剣そのものの気を掴めれば、より具体的なイメージを描ける。そして、具体的なイメージを持てれば、召還に成功する可能性はより高くなる。
気を静めると、大気に流れる気が直哉の体内へと入ってきた。
夜風の気、樹木の気、草の気──
草の気であれば、その手触りすら分かるほどに感度を高める。周囲に満ちる無数の生物と無生物の気。その中からたった一振りの剣の気を探し当てなければならない。
(だが、不可能というわけじゃない)
ただの剣ではないのだ。どんなに薄まろうとも、他の物体が放つ気とは一線を画するはずだった。
目を閉じたのは、視覚を遮断し集中を高めるためだった。この瞬間にも、刑天がこちらに向かって来ているだろう。目を開き、この場から跳び退りたいという欲求すらも集中力に変えて、神剣の気配を探る。
この召喚の成否が、自分の生死に直結する。極限の状況にあって、直哉は己の集中力がかつてないほど高まっているのを感じた。
(見つけた)
様々な生物の気の中に紛れた、一筋の清流のように冷たく輝く気。海の中を漂う、見えない細い糸を手繰るように、気の元を辿る。やがてその先にある、大きな力の塊へと直哉の意識が触れた。
目を見開く。眼前に、振り下ろされた刑天の戦斧が迫っていた。
「──!」
最早かわせるタイミングではない。間に合わなかった。あと一瞬早ければ──
その時、漆黒の閃光が宙を疾った。それは刑天の腕に当ると、猛烈な衝撃力で直哉へと向かう斧の軌道を横に打ち払う。
刑天が何事かと言わんばかりに振り返る。その先に静音がいた。手を突き出し、顔を顰めている。相当に無理をして放った一撃だったのだろう。
「構うな、そいつをまず殺せっ」
ロウが叱咤する。刑天はそれを受けて直哉へと向きなおった。しかし──
「もう遅い」
直哉が右手を前に突き出す。見えない何かを掴むように手を握りしめ、全身の力でそれを引き抜くように腕を引く。その動作の途中で、何もない空間からせり出すように、青白い稲光を伴った剣が現れた。それは冷たい輝きを放つ、両刃の直刀だった。
刑天が横殴りに斧を振るう。直哉が合わせるように剣を薙ぐと、次の瞬間どすん、という音とともに、土煙を上げて彼の背後に巨大な何かが突き立った。
半ばからそぎ落とされた、刑天の戦斧の切れ端だった。
「なに──」
ロウが声を漏らす。刑天もまた、斧を両断された動揺からか、動きが止まっていた。
それを見て直哉は動く。
(これで最後だ……っ!)
激痛をこらえ、再度気を全開に。稲妻の様な踏み込みで刑天の左脇を駆け抜ける。同時に、巨体の右肩から左わき腹へと抜ける逆袈裟が放たれていた。続いて、振り向きざまに胴を薙ぐ。
何かが弾けるような音と共に、あたりの地面に血がしぶいた。遅れて、その身を三つに切り裂かれた巨人が、肉塊となって崩れ落ちる。
直哉が呼び出した直刀──鬼切丸は、刑天の堅固な皮膚を容易く切り裂いていた。
「馬鹿な……」
ロウが目を見開き、呆然と呟いた。
直哉は苦痛に身を折り、片膝を着くも、
「今度こそ、あんたの負けだ。もうあきらめるんだな」
「…………っ」
ロウが顔を歪め、歯を食いしばる。その様子を見ていた直哉の背に、声が掛かった。
「若いの、よくやったぞ!」
沙耶に肩を貸した田所が、直哉へ向かって歩いてきていた。
その横には、昂に肩を貸す静音もいる。
「やったな」
その顔には微笑みが浮かんでいた。
「俺も今度ばかりは駄目かと思った。……昂は大丈夫か?」
「多分大丈夫だろう。もちろん、ちゃんと病院で検査してみないと分からないが」
「そうだね、わたしも要検査かも……」
沙耶が若干引きつった顔で言った。
「なに、少しまっとれ。神社本庁のものに迎えに来させよう。何しろ、日本を救った若者たちだ。一流の治療術者たちを手配させるぞ」
田所の言葉に静音が待ったをかける。
「その前に星川さんと、姉さんたちを助けないと」
「ああ、そうじゃっ……た……」
そう笑って答えた田所の顔が、途中で凍りついた。
隣の静音までもが、驚愕に目を見開く。
「──!?」
直哉が振り向くと、そこには巨大な──人間のものとは思えない拳があった。
衝撃。まともにそれを受け、直哉は大きく吹き飛ばされた。
「…………っ!」
地面を転がり、何度も天地が入れ替わる。頭を振り、なんとか上体だけ起こして周りを見ると、同じく吹き飛ばされた静音たちと、血溜まりの中、上半身だけで動く刑天の姿があった。頭部と繋がっている左手で、斜めに切り落とされた右腕が繋がった胴を掴んでいる。それを自身の切断面へと押し当てると、何の痕すら残さず、すう、と右腕が接合された。
「な……」
それは誰の声だっただろうか。
直哉は這いつくばったまま、呆然と刑天を見上げていた。




