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駆け寄る二人を見て、刑天は傍らに生えていた樹齢数百年はあろうかという杉を掴むと、無造作にそれを引き抜いた。手の中の木は見る見るうちに質感と形を変え、巨大な戦斧となっていく。
「マジかよ……」
昂の顔が引きつった。
複雑に地中へ根を下ろした木を難なく引き抜く膂力といい、木を金属へと変える術といい、どちらも規格外の力だ。
戦斧を作ったのは神仙術だろうか。少し違う気もする。いずれにしろ、神の力など人の理解が及ぶところではないのかもしれない。
二人が刑天へと肉薄した。
「右から行く、左は頼んだっ」
「任せとけ!」
昂が直哉に応える。
左右に展開した二人に向かって、刑天が斧を横に振るう。巨体の為か、もしくは憑依して間もない為なのか、その斧に見切れぬほどの速さはなかった。
二人は斧を飛んでかわし、斬撃と突きを放つ。直哉は腕に、昂はわき腹に。
が、そのいずれもが、硬質化した刑天の皮膚すら貫けず、はじき返された。
「なっ──」
呆然とする二人に、刑天のもう片方の腕が迫った。
間一髪それをかわし、刑天から距離を取る。
「どうするよ、おい」
昂が直哉に尋ねる。
「なら、目を──」
言い終える間もなく、刑天の追撃が次々と迫る。
それらをかわしつつ、二人は隙を伺う。
チャンスはすぐに訪れた。刑天が振り下ろした斧が、勢い余って地面へと突き刺さったのだ。直哉は刑天の腕を足場にして、一気に駆け上がった。すれ違いざまに胸部の目に切りつけ、そのまま刑天の背後へと肩越しに跳躍。着地し、振り向く。
「くそ……」
自然と悪態が出る。刑天の眼球には、傷一つついていなかった。
まるで、磨かれた高硬度の鉱物を切りつけたような感触。かといって、ダイヤモンドのように衝撃に脆いということもない。刃が通らないにしろ、鉄骨程度ならへし折れるほどの衝撃を与えたはずだが、何ともないようだ。
「人間ごときが、神の身に傷をつけられるわけがないだろう?」
ロウが笑った。
「さあ、どうする? そろそろ刑天も肉体が馴染んでくる頃合だぞ」
ロウの言う通り、刑天の攻撃は回を追うごとに鋭さを増していた。その巨体からは想像出来ないほど敏捷な動きで、斧を振るってくる。
二人は必死に避け続けたが、ついに刑天の攻撃が昂を捉えた。幸運なことに斧ではなく、素手の攻撃ではあったが、声も出さずに吹き飛ぶ。
「昂っ!」
静音と沙耶たちの間を抜け、後方の木へ激突。なんとか身を起こそうとするも、昂はその場に倒れ込んだ。
それを見送った直哉へと刑天が迫る。彼は昏い目で、刑天をかえりみた。
「調子に乗るなよ……」
直哉は肺に残る空気を一旦全て吐き出すと、改めて深く息を吸った。続いて細く、長く息を吐く。それに合わせ、正中線上に並ぶ七つの気の門を開き、気を循環させる。
仙道でいうところの、小周天の法だった。
今の状態で継続的に全力で動くと、傷が悪化する恐れがあった。その為、ある程度抑えながら気を使っていたのだが、昂をやられた怒りも相まって、直哉は短期決戦に出た。
可視化するほどに、直哉の身体から濃密な気が立ち上る。血と共に燃えるような気が全身に行き渡り、細胞の一つ一つを活性化させていく。体中の筋肉と腱が、これまでにない酷使の予感にうずき、戦慄くようだった。
刑天が右手の斧を振りかぶる。瞬間、雷光のごとき速さで、直哉は前へと踏み込んだ。
踏み出される瞬間の刑天の前足へ、飛び込むように強烈な蹴りを放つ。上体を後ろに残しての、足裏で踏み抜くような一撃。本来であれば膝関節の破壊などを狙うための蹴りが、刑天の太い足首に突き刺さった。
前足を思うように踏み出せず、刑天の巨体がつんのめる。しかし上体を泳がせながらも、刑天は足元の直哉へと斧を振り下ろす。
頭上からの斧を、体を入れ替えるように腕の内側へ入り、最小限の動きで回避。同時に納刀し、振り下ろされた丸太のような腕を、下方へ引き落とすように両手で押し込む。すると、刑天の巨体が途端にバランスを崩し、片膝を着いた。
「──!」
ロウの目が見開かれる。
斧を持つ手を地面につき、すぐさま立ち上がろうとする刑天に向かい、直哉はさらに半歩踏み込んだ。沈み込むように腰を落とし、両足の親指付近を軸に踵をずらしての震脚。地面の反発力と、脚部、腰、肩、腕を経て増大した勁が突き出した右肘へと集中し、刑天と接触した瞬間に炸裂した。
人体が物を打ったとは思えないような、形容しがたい音が響き渡り、ぐらりと刑天の身体が傾く。片手と片膝で身体を支えていた所に受けた一撃で、完全に刑天はバランスを崩し、仰向けにひっくり返ろうとしていた。
完全な死に体。神といえど、人の形をとっている以上、この状態からは攻撃はできない。蹴りも崩しも肘打ちも、全ては刑天の体勢を崩すための布石だった。この瞬間であれば、十分な予備動作からの、渾身の一撃を叩き込める。
その場から動くことなく、伸び上がるように重心を後ろ足に移動し、体幹をやや後ろへ。間合いが肘の距離から腕の距離へと変わる。直哉は緩やかに右腕を引き、吸気し、刑天の右胸にある硬い眼球へと狙いを定めた。
(外は硬くても、中身ならどうだ)
先の一撃とは比べ物にならないほどの強烈な震脚と、爆発的な呼気。それらの力と全身から生じた勁が集約した拳を、一直線に突き込む。
轟音は一瞬遅れてやってきた。凄まじい衝撃に大気が弾かれ、断熱膨張によって同心円状の水蒸気の輪が生じ、宙に広がる。衝撃波による突風が辺りに吹きつけ、刑天の巨体が横倒しのまま、地面を削りつつも水平方向に吹き飛ぶ。神楽殿の入り口だった場所に佇むロウの傍らまで来た所で、刑天の体はようやく止まった。
「…………」
一撃を放った直哉は、無言で吹き飛んだ刑天を見ている。彼を中心に、クレーター状に浅く地面が陥没し、さらに深々とした亀裂が放射状に走っていた。
剛功八式 崩山穿衝捶。八極拳における基本の突きを、独自に絶招の域まで高めた、直哉にとっての必殺の一撃だった。
「……なんて威力だ」
昂に肩を貸し、離れた沙耶たちの場所まで引きずってきた静音は、目の前で起こった光景に対し、小さく呟いた。今の一撃は、直哉の能力だという、霊剣の召喚を用いたものではない。彼が身一つでひねり出した力だ。
異能や術の力に対し、武術の力を下に見る意識が完全には払拭できていない静音にとって、生来の能力も、修練によって得た武術の力も、対等に切り札たりえる直哉の戦闘能力は、衝撃的なものだった。
(これが、地力の差か)
複雑な気持ちを抱えたまま、倒れ伏した刑天を見る。その傍らに佇むロウは無表情で刑天を見下ろしていたが、やがて視線を直哉へと移し、
「なるほど。よく凌ぐと思ってはいたが、中国武術の心得があったのか。斧刃脚と裡門頂肘……最後の一撃は、馬歩衝捶に通背門と、貴様らが浸透勁などと呼んでいる徹しの理合を取り入れた絶招といったところか」
そう語る彼の表情には、いささかの焦りも動揺も無い。
「……一度見ただけで、そこまで分かるとはな」
一方で、直哉は息を切らし、傍目からも余裕がないように見えた。
「俺の師匠が、世界各地に飛んでは、その国の武術をつまみ食いしてくるような変人でね。回族の村で教わったのを、俺がさらに教わったってわけだ」
「どうりで化勁には対応できなかったわけか。しかしながら、繋ぎにぎこちなさはあるものの、一つ一つの技は中々の精度だな。途中の崩しは化勁にも似ていたが……柔術というやつか」
「合気だよ。隅落としってやつだ。でか過ぎて投げきれなかったけどな」
ほう、と呟き、ロウはあごに手をやった。
「だが、それだけの功夫があれば分かっただろう。刑天に、貴様の勁はいささかたりとも徹ってはいないことが」
「……まあな」
額から滴る汗を拭おうともせず、直哉は皮肉めいた笑みを浮かべて答えた。
図らずもロウの言葉によって、静音は激しく動揺していた。
(そんな……)
直哉を改めて見る。一連の攻撃で何か無理をしたのか、彼は明らかに消耗していた。元々ロウと戦った時点で、既に満身創痍だったというのに、これでは刑天を倒すことはおろか、彼自身の命が──
「立て」
ロウが言うと、その声に応えてのそりと、刑天が上体を起こし立ち上がった。
彼の言う通り、ダメージを受けた様子など微塵もない。起き上がるのも面倒くさいので、そのまま寝転がっていただけ、といった風情だった。
「言っただろう。人間ごときが、傷つけられるわけがないと。さあ、奴らを殺せ」
ロウの命に従い、刑天が再び直哉へと迫った。




