表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ソウルブレイダー  作者: けすと
第五章 高千穂の鬼
25/31

3

 戦闘時、達人にとって主観的な時間の流れは一定ではない。重大な局面であればあるほど、極限の集中力によって一瞬が引き伸ばされ、その刹那に様々な思考の奔流が脳裏を駆け巡る。

 その時、引き伸ばされた世界の中でロウが見たのは、斬り飛ばされてゆっくりと宙を舞う刀身を、ただ呆然と見送る少年の呆けた表情だった。

 ロウはそれを見た刹那、勝利を確信する。

 全身に見受けられる、リーの術によるものと思われる火傷。加えて、先ほどの化勁からの攻撃による骨折と、剣による全身の切り傷。

 こうもダメージが積み重なれば、気を操作する為の集中が切れてもおかしくはない。それに伴って、刀身へと徹す気が途切れたのだろう。

 もはや、この相手に気力は残っていない。止めをさすべく、ロウは返す刀で胴を狙う。

「終わりだ」

 斬撃が放たれると同時に、鈍い金属音が響いた。

 胴を切り裂き、臓腑がまろびでるはずの一撃は、異常な手応えと共に止まっていた。

「……っ!?」

 見ると、光る棒──としか表現しようのないものが敵の左手に現れ、左わき腹の直前で剣を受け止めている。

「ひっかかったな」

 気力を失っていたはずの少年の顔には生気が戻り、凶悪な笑みが浮かんでいた。半分ほどになった木刀が霞みのように消え、自由になった彼の右手が光る棒へと伸びる。

「く……っ!」

 少年の講じた罠、自身の体勢の不利。一瞬で少なくともその二つを悟ったロウは、全身の力を使って身を引いた。

 同時に少年の右手がひらめく。

 ロウは低く鋭く、背後へと跳躍した。僅かな滞空の後に着地すると、遅れて血が床へとしぶく。

「ぐ……お……」

 呻き、よろめく。身体の前面に走る、焼け付く様な痛み。見下ろすと、自身の胸部が切り裂かれ、出血で道士服が赤く染まり始めていた。


「少し浅かったか。でも、決着はついたな」

 直哉の右手に握られた光り輝く棒から、光の粒子が徐々に離れていく。

 すると、そこに鞘から抜き放たれた日本刀──瞬狼が現れた。

 直哉はロウの止めの一撃を、僅かに鯉口を切った瞬狼の刀身部分で、狙い澄ましたかのように受けたのだった。

 支えは左手と、刀身を寝かせるように添えた左胴のみ。刀身越しに伝わった衝撃は強烈だったが、内功を練り、足を開き腰を落とすことで体勢を保った。

 油断のせいか、ロウの一撃はやや踏み込みすぎであり、また剣を引くのも一瞬遅れていた。中国武術風に言うならば、防御の門が開きっぱなしとなっている状況だ。

 この機を逃すわけにはいかなかった。同等以上の実力の相手に対し、わざわざ木刀を使い続けてきたのはこの瞬間の為だ。今の体調では、最初から瞬狼を使っていたとしても、ここまでの隙は作り出せなかっただろう。

 必要だったのは、開いた門の内側を通る最速の一撃。ロウが避けるよりも早く、剣を戻すよりも早く、当てなければならない。

 ロウの一撃を受けた体勢が、そのまま抜刀の姿勢となっていた。足を開き、あらかじめ腰をきった状態から、左手の鞘を胸の前に手繰り寄せるようにしつつ、右手で柄を掴み、一呼吸で抜き放つ。

 重要なのは、畳んだ肘と手首を返すタイミングだ。それらがある比率で噛み合うと、切り払いではあるが、太刀筋は直線に近い軌道を描く。

 直哉の会得した抜刀術の中でも、最速最短で相手に到達するそれは、身を引くロウの胸部を刃先で捉えたのだった。

「何だ、今のは……貴様、異能力者だったのか」

 よろめき、背を壁に預けたロウが、直哉を睨んで言った。

 直哉は残心を保ったまま、

「そう言われても仕方ないが、俺の師匠いわく異能力じゃあないらしい。もっと深刻な業だとかなんとか……ともかく、師匠はこれを『錬気創刃ソウルブレイド』って言ってたな」

 手元の瞬狼を一瞥する。

「俺は己の気を依り代にして、実在の有無を問わず、あらゆる霊剣、魔剣を呼び出せる。……能力としてはそうらしい。まぁ、俺の力じゃ伝説の剣とかは無理なんだけどな」

「な──」

 ロウが言葉を失う。

「聞いたことも無い能力だな」

 直哉が横を見ると、傷を押さえた静音が立っていた。

「お、おい。大丈夫なのか」

「なんとか。血は止まってきた」

 そう言う静音だが、顔は青い。すぐに病院で手当てが必要だろう。

「それより、望月たちを」

「あ、ああ。そうだったな。望月、大丈夫か?」

「わかんない。死にそうにはないかな」

 直哉の呼びかけに沙耶が答える。依然、体は動かせないようだったが、意識はしっかりしているようだ。

「…………」

 ロウは壁に寄りかかりながらも、いまだ剣を持って佇んでいた。

 逃げようにも、直哉が残心を解かない為、身動きが出来ないのだろう。

「剣を捨てろ。あんたも武人なら分かるだろ。決着はついた」

 そんなロウを見て、直哉が言ったその時。ロウの寄りかかる壁のすぐ右脇が爆ぜた。

「ぬうっ」

 もつれ合いながら室内へと転がり込んできたのは、ゴウと──

「おおぉっ!」

 昂だった。

 下になったゴウが、昂を蹴り飛ばす。

「ぐっ……って、お前ら……?」

 空中で体勢を整え、足から着地した昂が直哉たちに気付く。続いて血を流し、壁に寄りかかるロウを発見し、昂は笑みを浮かべた。

「そっちは決着ついたか。待ってろ、こっちもすぐに終わらせるからよ」

 改めて槍を構える昂。ゴウも同じく棍を構えた。

「ゴウ」

 ロウが大男の名を呼ぶ。ゴウは彼の様子を見ても動じることなく、

「申し訳ありません。すぐに片付けます」

「……いや、いい。貴様が来たことで問題は解決した」

「それはどういう──」

 振り向いたゴウの首を、直剣が薙いだ。

 直哉も昂も静音も、誰も反応できなかった。

 ゴウの膝が折れ、遅れて噴水のように切断面から血が噴き出す。斬り飛ばされた頭が、壁に当たり跳ね返り、昂の前にゴトリと重苦しい音を立てて落ちた。

 驚愕する間も無かったのか、その頭部には胡乱げな表情が貼りついたままだった。

「──何してんだ、てめえっ!」

 弾かれたように、昂がロウへと駆け出す。しかしその足が途中で止まった。

「ぐっ──なんだ」

 突如として襲った激しい吐き気に、直哉は口を押さえる。自分だけでなく、その場に居た全員が同じく激しい吐き気を感じたらしく、皆が背を丸め、顔を歪めていた。

 強力な圧力にも似た不快感。自然と、皆がその圧力の源を感じ取り、視線を向ける。

 ロウだった。彼は直哉たちを睥睨しつつ、血に染まった道士服の前をはだけていた。

 その裏地に、小さな何かが大量の符と共に縫い付けられている。

 ロウが符ごと、それを引きちぎる。手に握られたのは、細長い小瓶だった。

「なんだ──あれは」

 直哉は全身に、どっと冷や汗が出るのを感じた。

 先ほどから、吐き気と共に強烈な感情が、絶え間なく湧き上がってくる。

 これは恐怖──?

 いや、違う。似ているがこれはもっと別の──

「貴様らごときに、これを使う羽目になるとはな……」

 ロウの呼吸が荒い。胸部の傷からの出血が多いのだ。若干浅かったものの、直哉の手には胸骨の一部を断ち切った感触が確かに残っていた。気を用いても、そう簡単には止血出来ないだろう。

 小瓶を覆うように、いくつもの符が貼り付けられていた。それらを煩わしげにロウが剥がすと、さらに強い吐き気が直哉たちを襲った。

「なんて瘴気だ……」

 直哉が呟いた。何をする気かは分からないが、ロウを止めないと大変なことになる。

 それは分かっているのだが、誰も前に出ることが出来ない。

 吹き付ける濃厚な瘴気と、脳に直接パイプでも差し込まれたかのように湧き上がる、正体不明の感情のせいだった。

 ロウによってあらかた符がはがされると、小瓶の中身が見えた。透明な液体の中に小指の先ほどの、どどめ色をした肉片のようなものが浮いている。

 小瓶のふたが外された。わずかに液体が、縁から零れ落ちる。

「これが何だか分かるか?」

 ロウが直哉たちを見回して言った。

「元々これは、鬼八の制御に失敗した時の為の保険だった。……だが、もはや出し惜しみはしていられないようだ。問題はこれを使う為の肉体が無いことだったが、ゴウが来たことでそれも解決した。天はわたしに味方したようだな」

 ──天。

 不意に直哉はその単語から連想し、今抱く感情が何なのかを理解した。

 これは恐怖とは似て非なるものだ。神聖なるもの、侵されざるもの、触れ得ざるもの──そういったものを目の前にした人間が、本能的に抱く感情。

 禁忌を暴くことへの後ろめたさ。バチが当たるという言葉に代表される、日本人の根底に根付いた、根源的なトラウマ。

 これは畏れ──畏怖の感情だ。つまり、あの小瓶に入っているのは──

「……何の神だ」

 そう呟いた直哉に、静音たちの視線が集まった。

「ほう?」

 ロウが愉快そうな顔をした。

「直哉、それってどういう──」

「何の神を、そんな姿にして瓶へ閉じ込めた」

 昂の言葉を遮り、再度直哉が問う。

 ロウは哄笑した。

「よく分かったな。だが、安心しろ。この国の神ではない。我が祖国の神話において伝わる、炎帝に付き従った巨人の神。首を切り落とされても、黄帝に挑み続けたと言われる、不死の神……その肉片がこれだ」

 ロウが小瓶を頭上へと掲げた。

「その名を──刑天という」

 そのまま逆さにして小瓶を持つ手ごと、膝立ちのまま絶命していたゴウの首の切断面へと潜り込ませる。

「なっ──!」

 一行が息をのむ前で、ゴウの体がビクン、と打ち震えた。

 同時に吹き付ける瘴気が止み、畏怖の感情が晴れていく。

「馬鹿な……神を切り刻み、従えたというのか……」

 田所が呆然と呟いた。

「神といえど、万能の存在ではない」

 ゴウの体から手を引き抜いたロウが、田所を見て言った。

「この刑天は、立ち入ることすら難しい中国の秘境にて、封じられていたのをわたしが発見し、入念な儀式によって調伏したものだ。当時は生贄を使うことなど思いつかなかったので、いくつもの高価な呪具が必要になったが──わたしは神を屈服させた」

 ゴウの首の切断面を覆うように、異質な質感の肉が盛り上がった。そこから、青紫色をした異常な太さの血管が、這い回るように全身へと伸びる。生木を裂くような、何かが内側から裂けていく音と共に、かつてゴウだった肉体の骨格が変わっていく。

 人が、それ以外の異質な存在へと変貌していく。

「恐らくはこれも、神話上の刑天そのものではなく、眷属の固体だろう。だが、その力は想像を絶する。肉体を刻まれ、小瓶に押し込められた怨嗟から湧き出す瘴気は、常時符で抑えていなければ、調伏したはずのわたしすら発狂させかねんほどだ」

 今や、ゴウの身体は三メートルを超える巨人となっていた。皮膚は薄暗い灰色に変色し、衣服はごつごつとした岩肌のような質感へと変化している。

「肉体を得たことで瘴気は消え、主従の契約が履行された。さぁ、神の力の前に虫けらのように踏み潰されるがいい」

 巨体の左右の胸部に、二つの傷口のような裂け目が走る。それが開くと、巨大な二つの目が現れた。

 目が、直哉たちを捉える。

「やれ」

 ロウの命に従い、刑天となったゴウの体が拳を振りかぶった。

「昂! そっち頼む!」

 タックルをするように、直哉は手近にいた静音を抱きかかえ、駆け出した。

 外に飛び出し、危ういところで刑天の拳をかわす。横殴りに振るわれた拳はそのまま壁を巻き込み、凄まじい破砕音と共に、建物の前面をえぐり取った。もはやどこが入り口だったのか分からないほどに壁が壊され、建物は半壊の相を呈していた。

「う……」

 身を投げ出した直哉の下で、地面へ押し倒された格好となった静音が呻く。

「わ、悪い、大丈夫か」

 慌てて身を離す。そんな場合ではないと分かってはいるのだが、抱えた際の細い腰の感触に、直哉は必要以上に焦った。

「……っ、平気だ。それより、みんなは?」

 痛みをこらえるように静音が言った。

 回りを見ると、少し離れた所に昂と沙耶、田所の姿があった。昂がなんとか二人を連れ出したのだろう。刑天の狙いが、主に直哉だったのが幸いしたようだった。

 安心し、風通しの良くなった建物を改めて見る。中に設置されたビニールの部屋と中の人間も無事なようだった。

 建物を背に、刑天が近づいてくる。さらにその姿は大きくなっており、ゆうに五メートルは超える高さとなっていた。

「……やるしかないか」

 直哉は呟いた。

「いや、あんな怪物を相手にする必要はない」

 刑天へと向かおうとした直哉の背に、静音が声を掛ける。

「?」

「あの傷だ、避けられはしまい」

 静音が手を伸ばす。刑天ではなく、少し横にずれた方向。

 その先には、深手を負ったロウがいた。壊れた壁に手をつき、佇んでいる。さすがに血を流しすぎたのか、刑天と共に戦うだけの余力は残っていないようだった。

 静音の手のひらから少し離れた空間に、墨が染み出すように黒い点が現れる。拳大ほどに大きくなったそれを、放とうとした時だった。

「わたしを殺せば、あの部屋の中の人間も死ぬぞ」

 静音の狙いに気付いていたのか、ロウがこちらを見て言った。

「……っ!」

 ロウの言葉の意味を理解し、静音の動きが止まる。

「わたしが死ねば、刑天は好き勝手に暴れだす。まずは手近な、あの部屋の中にいる連中を捻り潰すだろうな」

「…………」

 直哉は黙考していた。ロウの言ったことが本当かどうか、判断する材料はない。ブラフである可能性もある。阿蘇山の噴火でもたらされるであろう被害を考えれば、ここで殺すべきだ。深手を負った今のロウならば、静音の闇で確実に仕留められるだろう。

(だが……)

 代償が大きすぎる。光や、何人もの光怜高校の生徒の命は、賭けるにはあまりにも重い。単純な数比べではないのだ。それは静音にとっても同じだろう。ましてや、あの中には肉親である姉がいるのだ。

「貴様を殺さなくても、やりようはある」

 静音はそう言うと、狙いを変えた。

「部屋を破壊する気か? やめておけ。儀式が出来ないのなら、わたしにとって彼らは人質としての意味しかなくなる。そして人質は一人か二人もいれば十分だ。……言っている意味は分かるな?」

 つまり、部屋を破壊したら、捕まっている彼らの殆どを殺すと言っているのだろう。ならば、部屋を破壊してすぐにロウを殺せば?……いや、ロウの言うことが事実であれば、どちらにしろ刑天が彼らを殺してしまう。何人かは助け出せるかもしれない。だが大半が、刑天によって潰されてしまうだろう。

「くそ……」

 静音が呻いた。どちらにしろ、彼らの命を賭けた行動になると分かったのだろう。

 彼女の懊悩する様子を、ロウは嘲るように鼻で笑った。

「犠牲を覚悟できないのであれば、刑天と戦うしかないな」

「どうもそうみたいだな。斉木は下がっててくれ」

 前へ出ようとする直哉を静音が引き止める。

「やめろ、敵うわけがない! あれは土着の土地神なんかとはわけが違う……古代中国の三皇に数えられる、炎帝神農の属神なんだぞっ……」

「あいつに調伏できたんだ。やってやれないことはないだろ」

 平然と言って、直哉は瞬狼を抜いた。

「俺も手伝うぜ」

 横を見ると、槍を担いだ昂が立っていた。直哉はそれを見て頷き、

「望月たちと一緒に離れててくれ」

 と言い残し、昂と共に駆け出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ