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最初に動いたのは直哉だった。一足飛びに間合いを詰めた打ち込みを、今度はロウも体勢を崩すことなく受ける。
そのまま木刀に沿って刀身を滑らすように、ロウが小さく剣を振り下ろす。右小手を狙ったその太刀を、直哉は咄嗟に片手を木刀から離すことで避けた。
残った手で切り払う。ロウは背を向けるかのように、身を捩ってかわす。
そのまま振り向きざまに宙返りをしての、掬い上げるような足元への切り上げ。直哉は遅れて手の内を返し、切っ先を地面に向け、すんでのところでこれを受けた。
遅れてロウが、背を向けて着地する。直哉はその背に向けて突っ掛けようとして、
「──っ!」
反射的に首を横にそらす。直後、直哉の首筋を掠めるように、ロウの直剣が突き出されていた。上体を地面と平行になるほど反らしての、背後への片手突き。いかにも中国武術らしい動きのその突きは、見えていない筈の直哉の喉下を正確に狙ったものだった。
一旦距離を取り、仕切り直す。程無くして、再び神経をすり減らす攻防が始まる。
数手先まで構築した攻めを、相手の動きに応じて瞬時に切り替えながら、防ぎ、いなし、相手の裏をかき、体勢を崩そうと試みる。
気によって思考と反応が高速化した達人同士の戦闘は、いわば超高速で行われるチェスや将棋のようなものだ。互いの技量、反応速度が近いほど、その度合いが増していく。
その際に駒となるのは己の技だけではない。そして盤面は地面だけでなく、気候、時刻、相手の得物──その他多くの要素が付随する。
それら全てを大局的な感覚で捉え、最善となる一手を膨大な反復鍛錬と実戦による経験、そして若干の閃きから反射的に導き出していく。
そうして続く攻防の中、直哉による唐竹割りを、ロウが受けた時だった。
「!?」
瞬間的な違和感。打ち込みを防がれた反動がない。そればかりか、こちらの力が抜けていくような──
ロウが上体を反らし、自らの体へとあえて引き寄せるように、木刀をいなした。
引き込まれ、直哉の上体が泳ぐ。
「くっ……!」
抵抗するように踏ん張り、木刀を引こうとすると、今度はそれに合わせてロウが押し込んでくる。反射的に押し戻そうとすると今度は引きこまれる。得物の交点が八の字を描いた。
まるで吸い付いているかのように、ロウの剣が離れない。直哉の焦りと共に軌道が加速する。最後にロウが力を加えると、ぐるん、と得物の交点が大きく円を描いた。遠心力によって円周からはじき出され、直哉の腕が上体ごと大きく上へとかちあげられる。
「しまっ──」
のけぞり、完全な死に体となった直哉の懐へ、ロウが背を預けるように一瞬で、低く入り身をしていた。
深く腰を落としたロウの背が、直哉の胴へとトン、と触れた瞬間、重い地響きと共に爆発のような衝撃が炸裂した。
直哉の体がゴム鞠のように吹き飛ぶ。そのまま建物の壁へ激突し、壁に大穴を開けた。
それはロウが直哉によって吹き飛ばされ、開けた穴のすぐ隣だった。
「新堂!」
静音が血相を変える。一方、ロウは落ち着いた様子で、建物へと歩き近づいた。
「まだ終わりではないだろう。出てくるがいい」
ややあって、穴から直哉が姿を現す。
「ぐ……っ。くそっ……化勁か」
「ほう、勉強しているな。その通りだ」
化勁とは中国拳法に存在する、相手の攻撃をいなす、もしくは逸らすための技術のことだ。極まれば、相手は使用者の捌き手へと、攻撃が吸い付けられているような錯覚に陥るという。まさに今、体感した通りだった。
(素手ならともかく、得物でやれるものなのか……)
内心舌を巻く思いで、直哉は瓦礫をまたぎ、外へと出た。わずかに足がふらつく。咄嗟に後ろへ飛ぶことでまともに食らうのは防いだが、けして軽いダメージではなかった。
それを見て、ロウは口の端を吊り上げる。
「決着が近いようだな。では、行かせてもらうぞ」
直哉は奥歯をかみ締め、全身の痛みを無理やり意識の外へ追いやった。
再び攻防が始まる。
しかし先ほどと違い、ロウが攻め直哉がそれを何とか凌ぐ、という展開が続く。
「どうした、動きに精彩を欠いているぞ」
浅く、ロウの剣が直哉の腕を切った。
「ぐっ……」
「無理もないな。その全身の火傷に加え、あばらまで折れているのではな」
「え──」
静音が小さく声をあげた。
(さすがに気付くか……)
昨晩、ゴウによって突かれた右わき腹。その部分のあばら骨が折れていたのだ。言っても仕方がないので、静音たちには黙っていたのだが。
一晩かけて、気のいくらかを治癒促進に回したことで、骨折部分には仮骨が形成されかかっていたのだが、それが先ほどの一撃で再度折れたようだった。折れた骨が内臓に刺さったりはしていないようだが、呼吸はおろか、身体を動かすたびに激痛が走る。
これでは悟られまいとしても、動作の端々に骨折箇所をかばう仕草が表れてしまう。そしてロウほどの達人が、それを見逃すわけもなかった。
「ろくな休息も取っていなかったと見える。全身の気も、充実とは程遠い状態だ。そして得物は単なる木刀……気を十全に徹しているとはいえ、それでわたしとやり合おうとはな」
ロウの攻撃のペースが上がっていく。もはや直哉は防戦一方となっていた。
(まずい……っ)
仮に体調が万全だったとしても、勝てるか微妙な相手だ。このままではいずれ押し切られる。
(ここが切り時か)
ロウの猛攻をかろうじて凌ぎながら、直哉は手の中の木刀を強く握り締めた。
一方、沙耶は直哉とロウの戦闘を、建物の中から見ていた。
(どうしよう、このままじゃ直哉君が……)
先ほどの一撃で、流れは完全にロウへと傾いたようだった。致命的な一撃はまだ受けていないが、ロウが直哉を捕らえるのは、もはや時間の問題だろう。
そうなる前に彼を援護しなければならないのだが、先ほどのロウによる攻撃のせいか、全身にまったくと言っていいほど力が入らない。
脊髄へのダメージだろうか。もしかすると、後遺症が残るかもしれなかった。
しかし、泣き言は言っていられない。ロウや静音の言っていたことが事実であれば、この儀式を行わせてしまったら、クラスメートも自分も、皆死んでしまうのだ。
せめて生贄となる光たちの内、一人でも逃せれば、今すぐ儀式をされるのだけは防げるかもしれないのだが……。
ふと、傍らで転がっている田所と目が合った。
「ごめんおじさん。その縄切ってあげたいんだけど、体が動かないや」
「いや、気にせんでいい。いずれにしろ、奴の儀式など成功はせん」
田所は、直哉と切り結ぶロウを見て言った。
「え……どういうこと?」
沙耶が田所に問う。
「ぐあっ」
その時、ロウに突き飛ばされた直哉が、建物の中へと転がり込んできた。
木刀を杖にして立ち上がり、肩で息をしつつ、構えなおす。もはや誰の目から見ても、ロウの優勢は明らかだった。
「それは、何か理由があっての言葉かな」
二人の会話を聞いていたのか、ゆっくりと屋内へ入ってきたロウが言った。
田所は地面からロウをねめつけながら、
「当たり前よ。如何に荒神鬼八と言えど、この日本の八百万の神々の一柱。そして、長きに渡り人々が慰霊してきたことで、その怒りの大半も鎮まっているであろう。ましてや、他国の人間である貴様ごときに使われ、日本そのものを損なうようなはかりごとに加担するはずもない」
「確かに、もっともな見解だ。だが、わたしがその程度、予測していないとでも?」
「なに──」
「死にゆく貴様らに、これ以上の説明の必要もない」
言って、ロウは傍らの直哉へと、不意に左薙ぎを放った。
「!」
なんとか反応した直哉が木刀を翻す。だが次の瞬間沙耶の目に映ったのは、ロウの剣によって斬り飛ばされ、宙を舞う直哉の木刀だった。
全然関係ないですが、咲-Saki-で宮守女子チームが敗退してちょー残念。




