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神楽殿の壁に開いた穴の中から、人影が姿を現す。
ロウだった。
直哉の蹴りもまるで効いた様子はなく、平然と穴から出てくる。道士服についた埃を払い、立ち止まると、憎悪の篭った目で直哉を見た。
「まだ仲間がいたのか──」
「まあな」
直哉は木刀を担ぎ、峰で肩をとんとん、と叩いた。
「リーとゴウはどうした」
「女の方は、俺がのした。しばらく目は覚めないと思うぞ。おっさんの方は仲間が相手してるはずだ」
ふん、とロウは鼻を鳴らした。
「使えない連中だ」
「ところで、いい加減ここらで聞いておきたいんだけどな」
「なんだ」
「あんたらの目的だよ。遠くはるばる追いかけてきたんだ、教えてくれてもいいだろ」
「…………」
ロウは僅かな間黙考し、
「いいだろう。自分たちの国が滅ぶ理由くらい、知る者がいないと浮かばれないだろうからな」
「国が滅ぶ……?」
静音が訝しげに繰り返した。ロウは神楽殿の前まで歩みを進めると、
「鬼八という存在を知っているか」
「知らないな」
「地元の人間ではない貴様らが知らないのも、無理はないか。鬼八というのは、はるか昔、まだ神と人とが共にあった頃、ここ高千穂を荒らし回っていた鬼の名だ。この高千穂神社の祭神、三毛入野命に切り殺されるも、すぐに蘇るので、頭、胴、手足に切り離され、それぞれ別の場所に封じられたと言われている。……そこの田所氏なら詳しいかな」
「…………」
田所とよばれた男はうつぶせのままで、ロウを睨んだ。
近くに沙耶のクナイが落ちているのだが、がっちりと腕と手を縛られている為、掴むことも出来ないようだった。
その様子を見て、ロウは僅かに口角を上げる。
「封じられた地には塚が立てられた。首塚、胴塚、手足塚といった具合にな。だが、鬼八の怨念は残り、早霜による作物への害という形で祟りが起きるようになった。この祟りを鎮める為の祭りが、ここ高千穂神社で毎年行われる、猪掛祭だ。そして、わたしの目的とは、ここからほど近い所にある、首塚の封印の要となっている神社の結界をやぶり、鬼八を復活させることだ」
「やはり、鬼八が目的か──」
田所が呻くように言った。
「その通り。だが、この結界は強固だ。なにしろ、言い伝え通りであれば、二千五百年近くに渡り、慰霊祭の形を取りつつも補強、維持され続けてきた代物だ。さらに、天正の時代までは若い娘を人身御供としていたと聞く。この時点で、結界の為に二千ほどの娘の命が捧げられたことになる。──どれほどの結界か、貴様でも想像つくだろう?」
「……確かに、とんでもないな」
今でこそ有り得ないが、古代の日本において人身御供が用いられた儀式は、さほど珍しいものではなかっただろう。だが、二千年以上もの長大な期間、絶えることなく今に伝えられる儀式となると、話は別だ。
荒神、鬼八。
そこまでしなければならないほどに、強大な存在だったのだろうか。
「今は祭りの名にあるように、猪を供えているようだが、人間には及ばぬも、四つ足の獣ならば儀式としての効果は見込めるだろう。──この結界を破る儀式の為に、生贄が必要だった。だが、普通に集めた娘などでは、百や二百でも足りない」
「……それで、わたしたちの学校の能力者を狙ったのか」
静音が苦渋に満ちた表情で言った。
よく出来た生徒の答えを聞いたかのように、ロウは満足げな笑みを浮かべる。
「そうだ。術者や気を扱える者は、一般人と比べて数倍、いや数十倍以上の価値のある生贄となる。それでも今日まで祭に捧げられた人数には及ばないが……その差はわたしの工夫と術式で埋めればいい」
「まだ話が見えないな。それで、その鬼を復活させて、どうしたいんだ」
「最後まで聞けば分かる。……興味深いことに、阿蘇周辺にも、全く同じ名前の鬼八という存在の伝説が残っている。こちらの鬼八は、阿蘇山の祭神である阿蘇大明神こと健磐龍命の従者であったとされている。この鬼八はあるじに無礼を働いた為に捕らわれ、首をはねられた。だが、同じようにすぐに蘇ってしまうので、ばらばらにされ、埋められたという」
「似たような話だな」
「そう、似ているのだよ。同じように鬼八の怨念は残り、早霜を降らせ、作物に害をなした。健磐龍命はこれを鎮める為に、宮を作り祭ることにした。この宮は、霜宮神社として今も残っている」
ロウは一旦そこで、言葉を切った。
「二つの鬼八が、同一の存在であったかは分からない。土地はそう離れてはいないが、僅かながら時代がずれている。高千穂にて鬼八を討った三毛入野命は、貴様らにとっての建国の祖、神倭伊波礼琵古命の兄だが、阿蘇の祭神、健磐龍命は神倭伊波礼琵古命の孫にあたる。眷属か、末裔か──同一の者でなかったとすれば、そんなところだろう。重要なのは、ここ高千穂に封じられている鬼八が、阿蘇と因縁浅からぬ関係にある、ということだ」
ロウは背後の沙耶と田所、そして前にいる直哉と静音を見渡した。
「さて、ここでまた訊くが……aso4という言葉を知っている者はいるか?」
直哉は首をかしげた。
「aso4……? 俺は知らないな」
田所も分からないようで、黙ったままだった。
「……aso4とは、約九万年前に起きたとされる、阿蘇山の四度目の大噴火を指す言葉だ。余りにも広範囲に火山灰が降り積もった為、考古学において地層判断の指標にすらなっている」
傷が痛むのか、静音が苦しげな表情で言った。
「その通り。見識の高いお嬢さんだ。今、ここ高千穂神社と、阿蘇山、そして念の為に霜宮神社もだが──それらの間を、鉄杭を用いて一時的な地脈のバイパスで結んでいる。復活した鬼八を、この地脈を使い阿蘇山へと送る為だ」
そこまで聞いて、静音の顔色が目に見えて変わった。
「まさか──」
「ふむ、お嬢さんは気付いたようだ。そう、わたしの最終的な目的とは、鬼八を蘇らせ、因縁のある阿蘇の祭神と争わせることで阿蘇山の地脈を破壊、aso4を遥かに上回る終末的、破局的大噴火──aso5を引き起こすことにある」
阿蘇山の噴火。大事であることは分かるが、そういった方面の知識に疎い直哉は、いまいち実感が沸かなかった。
「そのaso5ってのはそんなにやばいのか」
傍らの静音にたずねる。
「aso4ですら、その大量の火砕流は海を越えて、今の山口県にまで達したとされている。aso4を遥かに上回るというのが本当なら、世界地図から日本という名前が消えるぞ……」
愉快でたまらない、といった様子でロウが笑った。
「本州の一部と北海道くらいは残るかもしれないぞ。いずれにしろ、この国は滅びる。凄まじい量の溶岩と、火砕流に一瞬で飲み込まれてな。避難する間すらない。まさに現代のポンペイといった有様になるだろう」
静音はロウを睨み、
「正気じゃない。そんな規模の噴火が起こったら、被害を受けるのは日本だけでは済まない。お前の国はもちろんのこと、噴煙による日光の遮断で、世界的な寒冷化が始まる。──世界規模の大飢饉が起こるぞ」
静音の指摘に、ロウは真顔で、
「それに何か問題でも?」
「な──」
言葉をなくす静音をよそに、直哉は疑問に思ったことを尋ねる。
「あんた、中国政府とか、どっかの組織の命令で動いてるんじゃないのか」
ここまでの大事を、個人で引き起こそうとする理由が思い浮かばない。さりとて、自分たちにも被害が及ぶような災害を引き起こす組織というのも、おかしな気がする。直哉が問うと、ロウはゆっくりとこちらに視線を移した。
その荒涼とした目の奥に、暗く炎が灯ったように見えた。
「中国政府? 馬鹿を言うな。祖国を追われたわたしが、何故奴らの命で動かねばならない」
「……中国に義理がないってんなら、なんで日本を滅ぼそうとするのさ」
ロウの後ろから声がした。見ると、沙耶が意識を取り戻して、身を起こしかけている。
「望月! 大丈夫か」
「平気……とは言えないけど、まぁなんとか」
沙耶は苦笑いを浮かべるも、まだ体に力が入らないようだ。
ロウは沙耶の方を見ずに答えた。
「人という存在に絶望したからだ」
「……?」
「貴様らは麻薬を買うはした金のためだけに、へらへらと子供の命を差し出す親を見たことはあるか? プレス機でゆっくりと、生きたまま押し潰されていく我が子を見せ付けられた、裏切り者の慟哭を聞いたことは? わたしは国を追われてから、無頼となり各地を渡り歩いた。マフィアやギャングに雇われ、日々の糧を得る中で見た数々の光景は、わたしに人への絶望を植え付けるには十分だった」
「…………」
「そもそも、わたしが国を追われたのも、くだらん理由からだ。軍の命令に従い、とある自治区で殺した一人の外国人バックパッカー。それが大国の大物政治家の息子だった。それが判明した次の日には、わたしは罪人扱いとなっていた。……わたしはもう、飽き飽きしたんだ。貴様らの勝手に振り回されるのも、醜悪ならんちき騒ぎを見るのも。だから、少しばかり間引いてやることにしたのだ。こんな醜い生き物が、これほど多く生きているべきではない」
「何それ、飛躍しすぎ……意味分かんない」
気味の悪いものを見たかのような表情で、沙耶が呟く。
「貴様らのような小僧に分かるとも思ってはいない」
あらかじめ予想していた反応だったとばかりに、平静にロウは返した。
「……なるほどな」
一方直哉は、少しばかり納得のいった様子だった。
「なんとなくはその気持ちも分かる。俺も、ロクでもない人間に割と縁があるからな」
「利いた風な口を……」
ロウは直哉を睨む。
「もちろん、俺はあんたじゃないから、本当のところまでは分からないさ。世の中、悪い奴らばかりでもない、なんてしたり顔でご高説を垂れる気もない」
しかし、先ほどの言葉に嘘はなかった。
恐らく、ロウは憎んでいるのだ。自分を取り巻く理不尽な運命と、それを織りなした人間たちそのものを。
自分がそうだったから分かる。怒りは本来長続きしない感情だが、普遍的なものへの怒りは例外だ。時を経ると、その怒りは凝り固まり、地中深くで静かに胎動するマグマのような憤激となる。そしてその熱が徐々に、心を内側から荒涼としたものへと変えていってしまうのだ。
「だが、あんたの日本ごと巻き込んだ心中に、付き合うつもりもない。長話になっちまったが、そろそろ始めようか」
直哉はそう言うと、木刀を構えた。
強固な意志の元、既に結論を出している相手に対し、交渉や説得は意味をなさない。それは国家同士の争いといった巨視的なものから、個人の喧嘩レベルのものまで、共通した真理だ。我を通し相手を従わせたいのなら、結局のところ、武力や経済力、腕力などにものを言わせるしかないのである。
「心中などという、弱者の逃避と一緒にしないでもらいたいものだな。……だが、確かにいささか語り飽きた。とっとと貴様を殺し、儀式を始めさせてもらおう」
ロウも直哉に応じて構えをとる。それを切欠とするように、僅かに風が吹いた。梢が揺れ、聞くものを不安にさせるような葉擦れの音を出す。日は既に沈み、あたりを闇が覆い始めていた。




