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昂も準備の為に寮へと戻り、静音と沙耶だけが取り残された。
「ところで、斉木さんのお姉さんも能力者なんだって?」
「そうだが」
沙耶はふむふむ、と少し考え込むそぶりをした。
「これは個人的な好奇心からなんだけど……」
と、言いにくそうに沙耶が言う。
「なんだ?」
「どういう能力者なのかな?」
少しの間があった。
「すまない、教えられない」
「そっか、そうだよね。あ、気にしないで。そっちにも事情があるだろうし」
断られたものの、沙耶は本当に気にしていなかった。駄目で元々、聞くだけ聞いてみただけだ。
「わたしの能力と違って、姉の力は特別だから……あまり知られてはいけないんだ」
「へえ、そうなんだ」
斉木静音が異能者らしい、というのは多くの生徒が知るところだった。強力かつ、かなり特殊な能力で、複数の教師が能力の鍛錬や開発、研究に協力しているとの噂だ。
静音の能力に関しては、沙耶もある程度の予測をつけていたが、彼女の姉に関しては全く関知していなかった。何か初歩的な術くらいは使えるらしい、という話は聞いていたが、まさか静音を上回る異能力を持っていたとは──
沙耶が生徒の能力を調べるのは、任務としてではなく、新聞部に所属するいち部員として──もっといえば、生来の野次馬根性からの行動だ。しかし本気で調査したわけではないにしろ、異能力者だということすら気付かせないとは、かなりの機密扱いなのだろうか?
沙耶はそこまで考えてから、今詮索することではないな、と思い直して思索を打ち切った。気を取り直して、静音に話しかける。
「しかし、直哉君が神社本庁から依頼受けてたとは驚きだよねー」
「わたしは、お前が公務員だったことのほうが驚きだが……」
静音はじっと横目で沙耶を見て、言った。
「ええー、なんでー。これ以上無いくらい、納得の正体じゃん」
沙耶は不満げな声をあげた。普段はお気楽な新聞部員、しかしその実態は敏腕諜報員というのが、沙耶のイメージなのだ。もっとも、年齢など諸般の事情で、正確には公務員ではないのだが、あえて言うこともない。
「だが、望月のおかげで犯人を見失わずに済んだ。感謝している」
静音のまっすぐな感謝と視線に、沙耶は思わずどきっとする。
「ま、まぁ、わたしも仕事だからさ!」
沙耶は静音から目をそらし、頬をかいて言った。
◆
休むことなく自宅まで駆け戻った直哉は、玄関を勢い良く開け放った。
その音に気付いた郁が、廊下に顔を出す。
「帰ったか。今日もずいぶん遅かったな」
「姉さん、車使うから!」
間髪入れずそう叫んだ直哉に、郁は目を丸くした。
「なんだ、遠出になるのか?」
「かなり」
言いながら家に上がる。自室に入ると、急いで着替えた。さすがに車を運転するのに、学生服ではまずい。適当なTシャツと上着、カーゴパンツを選ぶ。
戦闘になる可能性が高い時は、ジーンズを避けることにしている。丈夫だが伸縮性に乏しいジーンズでは、ハイキックなどの間接を広く稼動させる技に支障が出るからだ。
それに比べると、カーゴパンツはゆったりと余裕があり、動きの邪魔にならない。
「それじゃ行って来るっ」
直哉は靴箱の上にあった車の鍵を取り、玄関を飛び出した。
「ふむ……」
郁は開けっ放しとなっている玄関を眺めつつ、何か考えている様子だった。
駐車場へと向かいながら、直哉はあることを考えていた。
誘拐犯と接触し、その居場所も見当がついた今、神社本庁に連絡を入れるべきではないか。が、直哉はそうするのに抵抗があった。
いくつかひっかかることがあるのだ。まず、神社本庁が静音の姉がさらわれているのを隠していたこと。昂や沙耶の様子から、学校の生徒たちにとっては周知の事実のようだったが、何故それを自分に隠すのかが分からない。
そして、どう考えても、神社本庁の動きが鈍すぎること。日本の霊的守護の担い手を自負するだけあって、神社本庁には強力な能力者が多く在籍している。普通なら、物的な手がかりが少ない時点で、なんらかの超知覚能力者が出てくるはずなのだが、昨日やっと手配をしたというのはやはり遅すぎる。
さらに、学校の警備体制のゆるさ。あれだけ誘拐が起きているのに、放課後は数人の教員が学校に残るのみで、その教員も下校時刻を過ぎれば帰ってしまう。いくら人手不足といっても、本庁から要員の一人も送られてこないのは不自然だ。
結局犯人は本庁内部の人間ではなかったわけだが、今や直哉の中での神社本庁への不信感は、無視できないものになっていた。
逡巡の結果、直哉は神社本庁への連絡をひとまず置いておくことにした。
校門前には既に、静音、昂、沙耶の三人が揃っていた。
遠くから車のエンジン音が聞こえてくる。
「あ、直哉君かな?」
沙耶がそれに気付いて言った。
「かもな」
校門前の坂の頂上に車体が見え、校内にゆっくりと進入してきた。
ありふれた2ドアの国産車だ。
「悪い、待たせたな」
「わたしと斉木さんは後ろでいいよね」
運転席の直哉に、沙耶がたずねる。
「ああ、かまわないぞ。早く乗ってくれ」
直哉が答え、沙耶、静音の順で後部座席に乗り込む。最後に昂が助手席に乗り込み、ドアを閉めた。
「まずは高速に出る。望月、あいつらの位置は?」
車を発進させながら直哉が言った。
「やっぱり正確には出ないけど、宮崎の方に向かってるのは間違いないと思うよ」
「そうか」
直哉は車を切り返し、校門を出て、町へと向かう道へ出た。
直哉たちの乗る車は、かなりの速度で走行を続けていた。
既に日は落ちきっている。前には外灯がまばらに照らす暗い道が、延々と続いていた。
「望月の機関は、犯人が中国系の能力者らしい、ってところまでは掴んでたんだよな?」
「そうだよ」
直哉の質問に、沙耶はすぐに答える。
「何か他に分かっていることはないのか?」
「そうだね……直哉くんたちが会った二人とは違うみたいだから、あえて言わなかったんだけど、わたしたちが掴んでいたのは、ある一人の中国系能力者の情報だったの。その男は中国のとある武林出身で──」
「ウーリン?」
聞き慣れない言葉に、昂が繰り返す。
「武林ってのは、中国の武術家たちが寄り合って出来た、村とか町単位の社会組織ね。一般には創作上の存在って言われてるけど、実在してる。で、そいつ、名前はロウっていうんだけど、とある武林で高手として有名だったにも関わらず、何かが理由で国を追放されて、日本に渡ってきたの」
「なんかカンフー映画とかでありそうな話だな」
昂がいい加減な感想を漏らす。
「日本に渡った後は、中国マフィアの用心棒みたいなことをしてたみたい。日本に来る時に、部下だか弟子だかを何人か一緒に連れてきたらしいんだけど、実力の高さと容赦のなさで、マフィア内では高く評価されてたみたいね」
「中国マフィアがか。嫌なこと聞いたな」
直哉は顔を顰めた。
「うん。でもあんまり容赦がないもんで、色々と目立っちゃって警察に目をつけられたってわけ」
「警察? 望月の組織ではなくてか?」
静音がたずねた。
「最初は警察だね。もちろん、犯罪組織の情報収集もうちらの仕事だから、情報は流れてきてたけど、当初は『第二』の連中の担当だった。んでも、調べるうちに、純粋な武術家というよりは、能力者に近いって判明したの」
「それで、望月のところの担当に代わったってことか」
「ううん、それだけじゃ代わる理由にはならなかった。彼もとい、彼らは最近になって、マフィア絡みの仕事から足を洗ったらしいの。それで『第二』の連中があまり重要視しなくなったのと、その代わりに日本各地の霊場……っていうか、パワースポットに出没して、社殿荒らしみたいなことをし始めたのがきっかけだね」
「社殿荒らしか……高千穂神社って言ってたが、それと関係あるのか」
「うーん、どうだろう。何しろかなりの能力者だし、盗品を売ってお金にしよう、なんてしょっぱい目的じゃないのは確かだと思う」
「そりゃあなあ。元中国マフィアの用心棒がこそ泥ってのも締まらない話だし」
昂は背もたれに身を預け、頭の後ろで手を組んだ。
「じゃあ、あの二人はそいつの部下か弟子ってことか」
「その可能性が高いね」
直哉の言葉に沙耶が同意する。
「少なくとも三人の能力者が相手ってことだな」
そう言って、昂は運転席と助手席の間に斜めに立掛けていた槍袋を触った。
「そういやそれ、気になってたんだけど」
「ん?」
直哉は前を向いたまま、
「昂の得物は槍か」
「ああ、そうだよ。言ってなかったか」
「その槍、かなりの業物だな」
「お、分かるかー」
昂は嬉しそうな顔になる。
「そりゃ、それだけ尋常じゃない気を漂わせてたら分かるさ」
直哉のハンドルを持つ左腕に、ひんやりとした冷気のようなものを感じていた。
「蜻蛉切りとまでは言わないが、これの切れ味は相当だぜ」
ぽんと、柄にあたる部分に手を置く。
「俺ん家の家宝なんだ」
「へえ、槍兵、というか武士の家系か」
「まぁ、そんなところだな」
「今のうちに対策でも話しておくか。互いの得物や能力も分かったところだし」
直哉が提案すると、静音も賛成した。
「そうだな。あの女の能力は厄介だし、下手すると全滅しかねない」
「それはいいんだけど、俺は斉木さんの能力知らないんだが……」
昂が静音の顔を伺いながら言った。
「────」
静音は固まったように黙った。沙耶は昂と静音を興味深そうに見比べている。
(おい、これ聞いちゃまずかったか……?)
(俺に聞かれても……)
耳打ちしてきた昂に、何とも言えない表情で答える直哉。
「……いや、別に隠しているわけじゃない。ただ、異能者として、自分の能力をおおっぴらに言うのは抵抗があって──」
その言葉を聞いて、直哉は静音が影縫いを破った時のことを思い出した。
「あの時は自慢げに自分の能力を喋ってなかったか?」
「…………」
またも静音が黙った。気まずい空気が車内に流れる。
(何言ってんだお前!)
小声で直哉を罵倒する昂。
(しまった、つい……)
直哉のこめかみに冷や汗が流れた。
「え、えーと、直哉君は斉木さんと戦ったから、知ってるんだよね?」
その空気をやぶって沙耶がたずねる。
「あー……」
直哉は言っていいのか迷っていたが、ふと何かを感じてバックミラーを見た。
そこには射殺すような視線で、直哉を睨む静音の顔があった。
「……斉木に聞いてくれ」
直哉は即刻目をそらして、それだけ言った。
静音はなおも直哉を睨んでいたが、やがてため息をついた。
「隠しているわけじゃない、と言っただろう。あの時は……能力の使用で感情が高ぶっていたから、つい言ってしまったんだ」
「はあー……斉木さんでもそんなことがあるのか」
昂は意外そうだった。
「多分、まだ能力に振り回されてしまっているんだろうな。姉さんほどではないけれど、わたしの能力も、かなり強い部類に入るらしい」
学校ではそれを制御する為の鍛錬をしているのだが、と静音が付け加えた。
「それで、具体的にはどんな能力なの?」
「なんだ、お前も知らなかったのかよ」
「ある程度予想はしてるけど、本人の口から聞かないとわからないじゃん」
昂の言葉に、沙耶が口をとがらせる。
「わたしの能力は……これだ」
静音が手を前に差し出した。その指先から、黒い影のようなものがすう、と伸びる。
沙耶と昂が見ている前で、影はそのまま伸び続け、運転席と助手席の間に配置された車内のエアコンのボタンを押した。
「少し寒かったからな」
静音がわずかにはにかんでそう言うと、車内の送風口から温風が送られ始める。
「すげえ、初めて見た。影使いってやつか?」
「だね。異能力の中でもすごいレアなやつだよ」
二人は興奮を隠しきれない様子だった。それを見て、静音は僅かに笑って、
「正確には、わたしが操れるのは闇。出来ることは、遠隔操作、硬化や軟化、液化なんかを含めた形質変化だ」
「そりゃあ……使い勝手の良さそうな能力だな」
「それ、とんでもない硬さになるぞ。形も変わるし、本当に厄介だった」
直哉は校舎での戦闘を思い返す。お互い本気で戦ったわけではないが、それを踏まえても、静音の能力のフレキシブルさには手を焼いた。
「木刀一本で、あれだけしのいだお前に言われるとはな……今日は自分の慢心を、嫌というほど思い知ったよ」
静音は自嘲めいた笑みを浮かべる。沙耶はその横顔を興味深そうに見た。
「……ということは、直哉君はガッチガチの武術派?」
「ん? ああ、そうだ」
「だろうと思ったぜ。お前の体つき、特に僧帽筋やら広背筋とか、いかにもって感じだったしな」
昂の言葉を聞いて、沙耶がいやらしい笑みを浮かべた。
「風林寺、よく見てるねー。男の裸にも興味あるの?」
「なっ、ちげーよ。目の前でパンツ一丁になられたら、誰でも気がつくっつーの」
そう言われて沙耶は、体育の時間のことを思い返したようだった。
「確かに堂々とパンツ一丁になってたよね、直哉君」
沙耶がぼんやりと言うと、静音が急に俯いた。
「あれ、斉木さん?」
沙耶が様子に気付き顔を覗くと、そこには真っ赤になった静音の顔があった。静音の脳裏にも、あの時の光景が思い出されたらしい。
「……ほら、風林寺が変なこというから。斉木さんが変なもの思い出しちゃったじゃん」
「お前が余計なこと言って、絡んできたんだろ! 斉木さんが変なもん思い出したのは、俺のせいじゃねーっての」
(二人とも、本人を前に言いたい放題だな……)
ハンドルを握ったまま、直哉は顔を引きつらせた。
確かに、あの時の自分は、いささかどうかしていた気がする。極力目立たないようするべきなのにも関わらず、あんな注目を集めるような、幼稚な嫌がらせじみたことをしてしまうとは……。
何か一つ、静音にやり返したかったのだ。だが、敵意どころか、殺意を向けられることにすら慣れているはずの自分が、何故あの程度のことでムキになってしまったのか。
直哉はバックミラーをちら、と見た。そこには顔を赤くした静音と、隣でそれを気遣う沙耶の姿があった。
ふと、視線を感じたのか、静音が顔を上げる。バックミラーに映る静音の目と、鏡越しに目が合った。
「──っ」
瞬間、直哉は息を呑む。しかし、静音は赤い顔のまま、目をそらしただけだった。
(……?)
また睨まれるか、変態呼ばわりされるかと思ったが、違ったようだ。それとも自分に対して罪悪感でもおぼえているのだろうか。
犯人と勘違いされたことについて、いまさらどうこう言うつもりはなかった。気にしていないといえば嘘になるが、勘違いしても仕方の無い状況だったと思っている。
「まぁ、これで互いの手の内は分かったな」
直哉が話を進めようとすると、沙耶が割って入った。
「あ、ちょっと。わたしの特技を言ってないよ」
「どうせ、盗撮とか盗聴だろ」
昂が投げやりに言うと、沙耶は腰を浮き上がらせて、
「諜報っていってよね! 人聞きの悪い……。わたしの家は忍者の家系なの。だから、偵察とか諜報活動は任せて。戦闘も少しは出来るよ」
そう言って、沙耶は得意げな顔をした。
大体このあたりで、折り返し地点となります。