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──放課後は一人で行動せず、必ず二人以上の組になって帰宅するように。
ここ最近、教師が口を酸っぱくして朝礼とHRで言っていることだ。
その少女は、今朝も変わらず教師が言った注意事項を思い返しながら、一人教室で着替えをしていた。
クラスで唯一、自分と同じ部活に所属している友人は、風邪で欠席している。他の部活に行っていたクラスメートたちはもう帰ったらしく、今は教室に一人きりだった。
(部活のみんなが昇降口で待っててくれるし、その間くらい大丈夫だよね……)
そう思うものの、やはり不安が付きまとう。既に日は落ち、教室の窓から見える景色も、青黒い暗闇が支配しようとしている。それに追い立てられるかのように、少女はいつもより早く制服に着替え終わった。
教室の明かりを消して、廊下への戸を開ける。
「え……」
廊下に出た瞬間、あまりの違和感に少女は声を漏らした。
色が無い。
廊下の床、壁、天井。窓の外の風景。それら全ての色が消え、モノクロのテレビの中のような、灰色の世界が眼前に広がっていた。
いや、一つだけ例外があった。空だ。
日が落ち、濃い群青色のようだった空が、今は真っ赤な色となっていた。しかも、夕焼け空のような自然な色合いではない。まるでネガポジ反転をしたような、毒々しい不自然なまでの赤だった。
少女は目をこすった。あまりのことに、何か目の病気にでもなったのかと思ったからだ。しかし、状況は変わらない。そればかりか、かーん、かーんと、遠くから何か金属を打ちつけるような音が断続的に聞こえてきた。
工事現場で聞こえるような音だったが、そんなはずはない。ここは山に囲まれた学校で、建設中の建物なども無いのだから。では一体何の音なのだろうか……?
わけが分からない。少女はそのまま、数秒ほど立ち尽くしていた。次第に、正体不明の違和感が、じわじわと身に染み込むようにやってくる。
まるで書き割りの存在に気付いてしまった、舞台上の人物にでもなったかのような、空寒い感覚だった。気付いてはいけない、入ってはいけない、そんな世界の裏側とでもいうべき場所に、自分は何かの拍子に紛れ込んでしまったのではないか。そんな突拍子もない考えが脳裏をよぎる。
少女は縋るような気持ちで振り返り、教室の戸を開けた。教室から出たことがきっかけだったのなら、これで元に戻るのではという思いからだった。しかし、教室の中に戻っても、世界に色が戻ってくることはなかった。
ここで違和感に遅れて、彼女の中にもう一つの感情が、沸々と湧き上がってきた。
孤独感。この異常な世界に自分一人だけが取り残され、いや放り出されてしまったのではないか、という思い。下腹部からせり上がってくるような、焦燥にも似た恐怖に駆られ、彼女は教室を飛び出した。
廊下を走り、昇降口へと続く階段を駆け下りる。二階、一階と降り、昇降口へ。
「!」
足が止まった。昇降口があるはずの一階には、下駄箱も玄関も無く、二階や三階と同じように廊下と教室が並んでいるだけだった。
この校舎に地下階は無かったのに、さらに下へと階段が続いている。階を数え間違えたのだろうか。一階まで降りたつもりが、まだ二階だった……?
さらに階段を下りてみる。着いた先に、やはり昇降口はなかった。
いくらなんでもおかしい。降りた距離からすれば、もう地下に潜ってしまっている。
少女は外の景色を確認しようと、階段から廊下へと出て、窓の外を見た。
「ひっ……!」
小さな悲鳴が、喉から漏れた。窓の外に映るのは、景色でもなんでもなく、絵の具でべっとりと塗りたくったような、一面の毒々しい赤色だった。
逃げるように階段へ駆け戻り、今度は上の階へ。やはり昇降口はない。廊下へ出て、窓を見る。下の階と同じく、窓の外は一面の赤だった。
「いやぁ……っ! なんなの……っ」
もはや彼女は錯乱状態にあった。どれだけ登っても下っても、出口のある階にたどり着けないのだ。いっそ窓からというのも考えたが、あの真っ赤な色を映す窓を開ける気には到底なれなかった。
やがて彼女は階段を昇り降りするのにも疲れ、踊り場で座り込んでしまった。
すると、あの工事現場のような音ではない、別の物音が聞こえてきた。ヒールのある履物で、廊下を歩く時に出る足音だった。
少女は顔を上げ、音の聞こえてくる方向を見た。足音は一定のペースでこちらに向かってくる。音から女性なのは分かったが、素直に助けを求める気にはなれなかった。
この異常な世界を平然と闊歩するような人間に、うかつに姿を晒していいのだろうか。それとも、危険を承知で助けを求めるべきか。迷い、ためらい、だが最後は恐怖を上回る孤独感に突き動かされ、彼女は立ち上がって足音のする方へと向かった。
廊下は明かりがなく、かなりの暗さだった。階段側とは反対から聞こえてくる足音の方へ進んでいくと、人影が見えた。
やはり女性のシルエットだ。さらに近づくにつれ、姿が見えてくる。ショートカットの髪に、タイトなスカートのダークスーツ。見かけない顔だったが、教師に違いない。
少女は安心し、声を掛けようとして始めて気付いた。声が出せない。声どころか、身体も動かない。
固まる彼女の前で、教師と思わしき女性は笑みを浮かべた。
「ダメじゃない、放課後は一人で行動しないよう言われていなかったかしら?」
少女にはその笑みが何故か、ひどくおぞましいものに見えた。