歌えない君と歌うには
いままで溺れたことはない。
水はいつでも優しく包んでくれた。
水面はキラキラでいつでも見ていられた。それなのに揺れる水面が乱されて、いくつもの手が現れる。
「大丈夫っ!?」
安心できる水から外に連れ出された。
みんなが心配そうに言うところで、なんでと思った。
きれいだったのに。
水底は、私のいるところなのに。
「息をして!」
そう言われて初めて、思った。空気の吸い方って、どんなだったかなって。
大きく口を開いて。
それはある晴れた日だった。
放課後というのは部室で駄弁る時間である。私が在籍しているだけの美術部は、漫画派と絵画派と木工派に分かれている。薄く何でもやる派の友人を合わせて総勢5名の小さい団体だ。
私は無である。友人に人数が足らぬと廃部と頼み込まれて在籍していた。強いて言えば、モデル枠でいる。そのため、長い黒髪信仰の部員からは切らないでと懇願されていた。
晴れた空と開けた窓から聞こえる運動部の声がとても夏っぽい。9月なのに。なんなら10月が目前なのに!
うちわでぱたぱたやっても腕が疲れるだけでぬるい風は癒しにならない。
「くっそ暑い。扇風機つけていい?」
「秋は長期休暇を申請されておりまして、不在です。
そんな感じ。
それと扇風機は描くのに邪魔だからやめて」
澄ました顔でおでこにヒエヒエシートを貼っているやつの発言とは思えない。分厚いポスター用の紙は扇風機ごときでは揺らす程度だと思うが、一応、つけるのはやめた。
部室に設置されているのは、巨大扇風機である。
「まだ終わんないの?」
私は友人である天水の作業に視線を向ける。美術部の絵画とアニメのハイブリット方面と自認するだけあっていいとこ取りのような気はした。
「人魚の魚部分ってさ」
「うん?」
「サンマじゃダメなのかな」
「なんでサンマ」
「おいしそうじゃない?」
私は光る銀の腹を思う。青い肌も素晴らしく、その柔肌の下にはおいしい白身。内臓が苦いと言うがそれも大人の味だ。大根おろしを猫にして茶色に染めて。
ぜんぶ、ぱくり、だ。
天水は首を横に振る。ペンをもついでに揺れる。
「おいしいのはわかるけど、なんで、合唱祭のポスターにサンマをいれんのよっ!」
「えー、斬新じゃん」
「斬新過ぎんわっ! 私はタイを押す。愛でたい」
「それもどーかなー」
結局、ピンクの鱗のナニカになった。
可愛らしくデフォルメされた人魚ちゃん。名前はセイレーン。そいつ、船を沈めるやつで縁起良くないといえば、知ってるよと笑われた。
美術部の渾身のアニメっぽい人魚は学校の合唱祭のポスターとして提出するらしい。他に誰も描かないだろうからきっと採用と重々しく言っていた。私が図書カード総取りとも。
半分描きかけのセイレーンちゃんを残して私たちは部室を出る。部室の鍵を職員室に戻し、気をつけてかえるんだぞという声に適当に返事をしてから去る。
学校を出る頃には校庭にいた運動部も外の部室に荷物を片付けていた。
「今年はどこか大会に出るのかな」
「出るけど、一回戦敗退がいつものじゃない?」
「まあ、そうだね」
学生の少ない地域の少ない部活では、トップレベルどころか試合できただけで御の字というところがある。かつては映画部や文芸部も存在したが、今残っているのが美術部と茶道部だけというだけでお察しだ。さらにほぼ帰宅部の茶道部にインドア派な学生は吸い込まれている。
なお、吹奏楽は運動部に含まれるので換算されない。
「そういえば、今年は吹奏楽のお手伝い行くの?」
「合唱祭だから終わってからね。吹奏楽にピアノ、いらなくない?」
「ま、珍しいよね。がんばれ」
「頑張るけどさぁ」
やる気の温度差がある。さらに薄っすら期待されていることもわかるので微妙な気持ちになるのだ。毎年、コーラスしない?というお誘いを断るのに苦労する。
それを知っている天水は苦笑いしていた。
それから今日の宿題がさぁという話をしているうちに天水とは別れる場所に着く。家の方向が違うのでここでちょっと長話することもある。
今日は帰りが遅かったのでもう帰るけど。
「また、明日」
「じゃあね」
手を降って分かれたあとにふと思った。
天水は律儀にまた明日と言う。ずっと、また、明日。
そう思いながら家の近くにある防波堤の上を一人歩く。本当は下を歩くべきなのだけど、道が狭いのに爆走していく自家用車がいるもので上を歩くことにしていた。
極稀にたまにあるという微妙な頻度だから油断して歩いていられない。
防波堤から海の方には砂浜が広がり、反対側は住宅地だ。昔はこのあたりはなにもなかったと言われているが、半端に都会から近かったので移住した人が多いらしい。
防波堤の先からもそこそこの砂浜が続く。消波ブロックが遠くに見えて、波が白く泡立っていた。
海に近づくと両親は嫌な顔をする。プールで溺れたことがあるから、水に連れていかれると思っている、らしい。
水のないところなどどこにもないのに。
いつものように、防波堤の果ての神社にたどりつく。そこは海難事故などの慰霊碑もあるような場所だ。数段だけ階段を上がり、小さな神社にお参りする。お賽銭は月に一度だけ。学生の懐事情を考えればそれでも多いほうだろう。
「合唱祭、つつがなく終了しますように」
学校が公民館を借りてやるような年間行事はこれしかない。一般の部もあるのでもはや地域の行事である。毎年盛況でテレビの取材がくるほどだ。
一番に選ばれるとその年の秋祭りのときに歌う役を任される。この海の底に眠る海神を慰めるためにと言われていた。
私は歌うのは好きではない。正確に言えば、人前で歌うことは好きになれない。
はじめは幼少期。保育園でみんなで歌いましょう、とやったときだ。
気がつけば一人で歌っていた。伴奏をしていた保育士も同じ園の子もぼんやりとした顔でこちらをみていた。
それが続き、保育士が他の保育士と変わり、それでも同じことが起こった。そこから、私はそれとなく歌うことをやめるように言われた。うたの時間だけ別室に連れ出され、ほかのことをしていた。
あるいは、こっそりと歌われることをお願いされた。
小学校にあがるころには、私の歌はどうもまずいらしいと気がつく。それからは本気で歌うこともなく、口パクで一部音を出す程度でごまかした。
ところが、音楽の時間というのは一人で歌わされることがある。
そこでやってしまったのだ。
伴奏もなく、一人で、歌いきった後にいたのはぼんやりとした顔の群れ。
さすがに怖かったが、一人、のんびりとした顔でぐっと親指を立てていたの我が友、天水である。付き合いの長い彼女は耳栓をつけていた。
今日もいい演奏というが聞こえていなかったのではないかというと、体が感じるとか言ってた。骨伝導的なんかなんだろうか。
それからは音楽の時間は演奏のみとなり、音感を見込まれピアノを習わされることに。絶対、うまくなると学校の先生の熱弁に負けた形だった。
それは今も習っているが、受験を機にやめる予定はある。
小さなハミングすら、先生がぼんやりとした顔をしているのだから。
「歌っていくね」
本当は歌が好きだ。
歌いたい。
でも、それは良くないことだと思った。だれもが、ぼんやりとした顔でこちらを見ていたときに、心を落としたようだった。
意識のないではなく、意思のない、群れ。
思い出すそれを頭を振って追い出した。
三曲ほど続けて流行りの歌を歌い、息をついたときにぱちぱちと手を打つ音が聞こえた。そこに視線を向ければ女性が立っていた。赤茶けた金髪は根元が黒い。日焼けした肌だけど化粧が濃いわけでもない。あまりこの神社に用があるようには見えない。
「あ、どうも」
応じないのも感じがわるいかと会釈したのがまずかった。
彼女はにこりというより口の裂けるように笑むのにびびった。
「可愛いカメを飼えるわ!」
「な、なんですか」
それどころか急に距離を詰めてきて、両手をぎゅっと握られた。
変質者の三文字が頭をよぎる。地元が出している注意メールにあったかな、ないなっ! 無事帰れたら連絡しておかないとと脳内を駆け巡る。
「カメ、かわいいわよ。買いましょう。ええ、主様に言って捕獲します!」
「あ、あの、うたなので……」
脳内を浸食するサビがまずかった。先ほどうたった中にあったカメが可愛いと称える歌詞である。万年一族で一緒に生きていきたいというなんだかわからない歌詞が続く。不思議と万年も愛するのというフレーズが耳に残る。
彼女はきょとんとした顔をしたあと、あ、と呟いて、やだわ、わたしったらと手を放して離れていった。ほっとした。女性であってもこの距離の詰め方は怖い。
その時ふわりと漂う海の匂い。それになぜかざわりと鳥肌が立った。
「ごめんなさい。
あなたの歌が素晴らしすぎて本当に欲しいのかなっておもっちゃって」
「水槽ないのでいりません」
「そうよね。水族館いるわね。
本当にごめんなさい」
「いいえ。お姉さんは、サーファーですか?」
先ほどは気がつかなかったがサーフボードが置いてあった。それに髪も濡れて半端に乾いたようにも見える。それなら海の匂いがしてもおかしくはない。
少し甘い匂いもきっと香水かなにかだろう。
「そうよ。最近、来るようになったの。だから、こちらにもご挨拶に」
見ればお供えと思われるお菓子が山盛りだった。社務所は閉められがちなのでそうなったのかもしれないが、そのままにしておけば猫が荒らしにくる。カラスも海鳥も。
「持ち帰られたほうがいいと思いますよ。
野良猫も多いので。現金がいいかと」
「そ、そうかな……。地元のなんだけど。
じゃあ、札で」
賽銭箱に三枚ほど吸い込まれていった。お金持ちだ。
彼女はお菓子をいそいそと袋に詰め直している。見ていれば、一ついる? と差し出してきた。確かに関東限定と書いてある。
ありがたくいただくことにした。変な何かを入れるには手が込み過ぎている。
「近くに住んでるの?」
「ええ、まあ」
学生服というのは、身分証でもあり、身元特定が容易いということでもある。調べればすぐにわかる程度の話。セキュリティもあったものではない。
やや警戒しながら答える私に彼女は苦笑しながらパンフレットを差し出してくる。
「じゃあ、ホテルの場所わかる? ちょっとね、スマホの充電が切れてね。駅にも充電させてくれそうな喫茶店なかったし。どこかあると思ったのに……」
「駅は、あまり使いませんからね。車ばかりで」
「レンタカーは怖かったから断ったけど、これは借りたほうがいいのか」
思い悩み始めた女性を放置して、もらったホテルのパンフレットを見る。駅前というより、幹線道路沿いだ。
「歩いていくのはきついですよ。ソレ、持ってくんですよね」
「うん。がんばった」
「海近くの民宿にすればよかったのに」
「家を借りる予定で、荷物より先に人が来たらこうなったんだ。
ちょっと、助けてくれやしないかな」
じーっと見てくる。不審者でやっぱりよかったかもしれない。
「タクシー、捕まえられなかったの。車通るの? ここ」
「…………通りません」
無料労働力に駆り出されることもなく少しばかり肩透かしだった。どうしたの?と言いたげな彼女の視線をちょっと避ける。
確かに海水浴シーズン以外は悲しいくらいに人がいない。そのため、暮らしている人しか車に乗らないし徒歩で歩いている人など皆無だ。
幸いというべきか、私はスマホの所有が認められていたので地元のタクシーを呼んだ。
「ありがとうーっ!」
ぶんぶんと手を振ってくれたので一応そっと手を振り返した。
かなり、変な人だった。でも、嫌でもなかったような?
不思議な感覚を持て余しながら家に帰ることにした。
翌日の放課後、天水に昨日のことを話した。両親は過保護というくらいに心配し、警察に届け出そうなので言えなかった。
「不審者情報報告しなくてよかったかな」
「嫌じゃないならいいんじゃない?」
「そういう基準?」
「ま、続くようなら考えていいんじゃないかな。
気になるようなら送っていく?」
「そこまでじゃない」
「いやいや、お姫様がお困りなら某も」
「いらん」
「今日は暇だから、神社寄ってくよ。そこまでね」
今はセイレーンちゃんの色塗りを終えて乾燥させている。続きは明日するらしい。
可愛らしげな人魚と背景は青い空と青い海。完成にしてもよさそうだが、これから文字入れとげんなりしていた。文字をコピーして貼れば? というと信じられないと言いたげな目で見られた。
そういう問題ではないらしい。
いつもより早いので他の部員に鍵を任せ、私たちは学校を出た。
「海岸でシーグラスさがそ」
「そういうの流れてこないんだよね」
「えー、人魚の涙とか言われるのに」
「人魚が泣かないんでしょ」
よくありがちに人魚伝説もここにある。
海神を慰めるために水底に捧げられた娘たち。ただ、あまりいい意味では使われてないのは、船を惑わすからだろう。
海神を慰めはするが、それはそれとして人の船は沈める。仕事はするが恨みがないとは言ってない。そんな感じを受けた。
「流木、クジラの石、すべすべまんじゅうがに~」
天水はそう歌いながら楽しそうにどこかで拾った棒を振っている。小学生か! というふるまいに頭が痛い。
学校からやや離れた場所に駄菓子屋はある。いつもおじいさんがいたが、今日は別の人がいた。
「いらっしゃーい。おや、昨日の」
「え? ああ、昨日の」
「おお、この方が例の」
しれっと入ってくる甘水。
「どうも?」
「あ、あのっ! おじいさんはどうしたんですか?」
「用事があるって店番を代われと言われましてね。
私は二日ほど代わることになりました。そのあとは親戚の方がいらっしゃいます。若い男性ですけど、恐がらないようにしていただけると嬉しいですね」
「ご親戚なんですか?」
そう私が言うと彼女は苦笑いした。
「皆さんとても気にするのね。
元々仕事上の付き合いがあって、良いところだからと招かれたの。後妻業じゃないわよ」
きょとんとした私たちに彼女が慌てて知らないならそのままぴゅあぴゅあしててと言われた。たぶん、良くない言葉だったのだろう。
若い女性が一人でとなると不審に思われるものかもしれない。
「まあ、見てってよ。それからお菓子も持っていって。一人で食べれない」
ご自由にどうぞとカゴに盛られたのは昨日もらった土産物のお菓子だった。遠慮なくと天水が物色している。
「どちらからいらしたんですか?」
「海。鎌倉のね。あちらの方に拾っていただいて随分いたけど、騒がしくて」
「都会ですね」
「週末の混み具合ときたら……。車が徒歩より遅いのよ」
そう言って彼女は頭を横に振った。
「海水浴シーズンになるとうちもそうですね。
ご近所の空き地が有料駐車場になります」
「がっぽがっぽね」
「うっはうはですよ」
お菓子を選んでいた天水がそう答えていた。おじいが庭貸し出してるんだよねぇと言っていた。色々緩い頃は家のシャワーも貸し出し、仏壇の置いてある部屋でお着替え場さえ提供していたという。今はちょっとうるさいからしないらしい。
「そんなに混むならあまり地元の人は海にいかないの?」
「海辺で遊ぶ方が多いかな」
「泳ぐならプールのほうが安全ですね」
その安全なはずのプールで水没した私が言うことでもないが。海水浴には物心ついた頃にはもう行っていなかった。友人の誘いはあったが、海水に浸かるようなことはなかった。
「クラゲもいないしね」
そんな話をしながら私は駄菓子を選ぶ。約200円分の戦利品を持って、店を後にした。
「……気の良いお姉さんかなぁ?」
「不審者ではないかな……」
「小学生にモテモテな初恋泥棒になりそうな予感」
「2日しかいないって言った」
「でも、住むって言ってたよね。ここは、学校のセンセとしていらしてくださるのでは」
「空きがないじゃない」
「そーだねー」
防波堤を超えて、砂浜に入る。ローファーは砂に無力なのでさっさと脱いだ。靴下も同様に悲しい立場なので靴につっこむ。
今日の海はそこそこに風があるのか波があった。遠くにサーフィンを楽しむ人が数人見える。砂浜にはそういう人が置いた荷物がある。もちろん荷物番をしている人も一緒だ。
「君、地元の子?」
そんな感じに声をかけられることになる。いつもならそれを避けたくて迂回することがあるが、今日は女性だったのでそのまま話を続けることにした。
「そうです」
「いい感じのシーグラスとか今日落ちてました?」
「あっちのほうで流木があったよ。
持ち帰れないから残念って感じ」
「ありがとうございま〜す」
相手が女性なのもあって気軽なものである。
教えてもらったあたりに足を向ける。
確かに流木っぽいものはあったが、一メートルを越えるブツは持ち歩くには不向きだ。それでも天水は持ち上げようとして勢い余って砂に尻もちをついていた。
「おたすけー」
流木に押し倒されて情けない声を上げる天水。私は笑ってその流木をどける。見た目よりもずっと重い。
「……なにその手」
「起き上がれないよ」
情けない声パート2。はぁとため息を付いて私は手を差し出した。しかし。
「ぅひゃっ」
ぎゅっと引き寄せられた。バランスを崩してそのまま倒れた。頑張って両手が突っ張ってくれたせいで顔からはいかなかった。
「私だけ砂まみれは不本意である」
「自業自得がよく言うわ」
私の下の天水が笑う。腹が立つな。重くならないようにと気を使ったのが馬鹿らしい。
「おも、おもいって、ギブギブ」
「羽のように軽いんですぅ」
「鉄の女でしょ! いや、天使のごとく軽いっす。だからどけてぇ」
「言う事あんでしょ」
「調子にのりました。すみません。ごめんなさい」
「よろしい」
そう言って私は天水のとなりに転がった。今更、砂がという気にもならない。どうせ小言が増えるだけだ。
静かそうで意外と潮騒の音は大きい。遠くまでずっと追いかけてくる。
「……日干しになりそ」
「いっちょ海に入りましょうか?」
「制服が死んで、お小遣いを道連れにする」
汚すとか壊すとかするとしこたま怒られるというのは、よく聞く話だ。まだ夏服も着ている時期とは言え、後何年着ると思ってんの! と激怒される予想がつく。
「お年玉もつれていっちゃうよ。
やめよ、そういうのは、現実的じゃない。
さ、神社行っておやつ食べてこよ」
「お賽銭も払いなよ」
「入場料は払うよ」
天水にとって神社とはなんなのだろうか。
砂を払って先程の女性に事の顛末を笑って報告し、海を離れる。
潮騒の音は、少しも小さくならない。
「どしたの?」
「なんでもない」
その潮騒が呼ぶ声のように聞こえるのは、おかしいのだ。
神社の境内は今日も誰もいない。
「おじゃましまーす」
そんな事を言いながら天水は賽銭を投げ込んでいた。どうなの、それ、といいつつ私は普通にお賽銭を入れた。駄菓子を買うと小銭が発生する。
「んー、おいし」
天水は酢だこを口に運び幸せそうである。私は猫のカードが出てくるチョコレートを開けるのに忙しいので返事をしなかった。
「え、それ4枚も買ったの?」
「猫は可愛いので正義」
「猫は魚好きだけど良いのかなぁ」
「肉も食べるが」
「……そうだね。雑食性だった。
そういえば、確認するけど、今年も歌わないんだよね?」
「伴奏の人だよ。だいたい、歌ったら大変でしょ」
「今年は例大祭だからさ……。歌がうまいというのは地域で知れ渡ってるから」
「そんなすごくないって」
大丈夫かな、そういう天水の心配を私は笑った。
「それでは一曲歌っていただきましょう!」
「なにそれ」
天水は心得たように耳栓を取り出した。音を直接聞かねば影響はない、という主張らしい。確かにそれなら変わったようには見えない。
振動で感じるというのも信じがたいけど。
音声も楽器であり、楽器の生演奏と一緒といわれるとそうなのかなとも思える。
三曲ほど流して終えたころに、天水がスマホをいじっていた。……きいてないのでは。
「もう歌わない」
「あ、ああっ!ご、ごめんごめんメールがね!」
「しりませーんっ!」
「ごめんってばーっ!」
知らんぷりして帰ることにした。
後ろからいつものまた明日が聞こえてきたけど、返事はしなかった。
その日から3日ほどかけて天水のポスターが完成し、音楽祭用のポスターとして無事採用された。
そのままパンフレットにも流用されるらしい。報酬上乗せ!?と思いきやそちらは無償だった。学生のやる気搾取と嘆く天水を慰めるために帰りに駄菓子屋に寄ることになった。
「いらっしゃーい」
以前あった女性が店主をしていた。
「聞いてよぉ、来るはずの要員がこないの! ちょーっと仕事がとか知らないし! 引っ越しの荷物の埋まった部屋で隙間で布団でツライの! 地震がきたらぺっちゃんこよ! 干物よ!」
私たちを見るなり、一方的にまくしたてられた。
どうやら覚えていたらしい。
「押し花では」
「生々しい……」
そう呟いて彼女はうなだれていた。
「子供の相手も疲れたのよ」
どっかりと椅子に座る姿はなかなかにお疲れのように見えた。見れば売り場が荒れている。
「子どもたちにやられましたか」
「いっぱい買ってくれるのは嬉しいんだけどね。あれもこれも出してお金が足りないと戻してって」
「小学校に報告します?」
「そこまでじゃないわ。かわいいものよ」
はぁ、やれやれと掛け声をかけて彼女は立ち上がり、売り場をきれいに片付けていく。
「手伝います?」
「大丈夫よ。お客さんにお手伝いさせるわけには」
「五円チョコ一個で五分」
「頼んだわ」
即決された。前払いと渡されたものを口の中で溶かしながら片付けていく。二人でやればすぐに終わる。店主はもう一度座っていた。燃え尽きたようなポーズで。
「もうすぐで落ち着きますよ」
「ほんと?」
「合唱祭の練習で遊ぶ時間なくなりますからね」
「そんな本気なの?」
「取材が来るレベルで本気です。
本気すぎて、よそからの転校生がドン引きするくらい」
この市で、というのでもなく、この地域だけがこれほど力を入れている。
「海神の目覚めがよほど怖いのね」
「あれ? この地の伝承をご存知で?」
「えーっと、パンフレットで。
楽しみだなぁ。部外者禁止とかないんでしょ」
「学校行事を兼ねているので、チケットないと入れません」
「うそぉ」
「……あの、ほしいなら差し上げますよ。いつも余るので」
祖父母用にといつも申請しているが、誰も来たことがない。それどころか、会ったこともない。疎遠でとだけ聞いたが、それ以上なにか言えなかった。
店主はぱあっと表情が明るくなり、秒で距離を詰めてきた。私の手を両手で握る。
「感謝! 二枚ほしい」
思った以上に厚かましかった。
「わかりましたからっ」
「はいはいはい、離れて離れて」
天水が割って入ってくれたのですぐに離れてくれた。
「あら、ごめんなさいね? 二枚よろしく」
「また近づいてきたら、お知らせします」
「よろしくね」
それはそれとして、駄菓子を買って帰った。
店を出てしばらく天水は黙っていた。
「どうしたの?」
「なんか」
そう呟いて天水は困ったように繭を下げた。
「あの人、海の匂いがする」
「ああ、サーファーみたいよ。ボード持ってた」
「そっか。海の匂いが染み付いているのかな」
そう言っていたが、なにか腑に落ちないようだった。
そんなことを忘れてしまうくらいに忙しくなってきた。合唱祭のための鬼のような練習。どうせなら通年練習すれば良いものをと思うくらいだ。
ようやく秋っぽい雰囲気を出してきた季節のせいか、歌うときには窓を全開にされた。
窓を開けると潮風が入ってくる。
「海辺にくたばっているモジャ海藻の臭いがする」
天水のいいように私は笑ってしまった。時折入ってくる学校主催によるボランティア活動で袋いっぱい集めることがある。
そういえば、あの時も作業用の歌があった。
世の苦痛を伴う作業には歌がありました。沈痛な面持ちの担任が腰をトントンとやりながら言っていた。
私は伴奏だけを練習していたのだが、これも覚えてとある楽譜を渡された。
一番に選ばれたものだけが歌う歌の伴奏を任されることになったのである。学校一番の技術者である先輩が卒業した穴埋め。
辞退しても押し通されると嘆いていたので、そういうものらしい。
その音は、静かで、抑揚もなく、慰撫するために作られたように思えた。
忙しくしているうちにチケットを配られる頃になった。約束を思い出して、両親に渡した後、こっそり二枚抜き取った。気がつくようなことはないだろう。
この時期は大人たちも合唱祭の準備の手伝いをさせられる。それが終われば、祭りの準備になだれ込んでいるのでほぼ同時進行だろう。
そんなにすることある? と小さい頃は思ったが、付き合いというのは色々あるらしい。
久しぶりに駄菓子屋に行くと店主ともう一人男性がいた。
「おや、久しぶり」
「久しぶりです。約束のブツです」
「おおっ! これはこれはいいもの」
「……女子高生となかよくやってんの?」
呆れたような男性の声に羨ましいでしょうと言っていた。
「これ、秋津。今後の店主。ようやく、おしまいだよ。ほんっとに長かった」
「どうも? 半年くらいよろしく」
「よろしくです」
そう言って頭を下げておいた。天水は軽くおねがいしまーす、ついでにまけてくださいと言っていたが。
「夏葵ちゃんにはおごってあげる」
チケット代と重々しくいわれたが、私は眉を寄せた。
私は、彼女に名乗ったことがない。しかし、天水が呼んだことはあったかもしれないなと思い直した。呼ばれて嫌な感じがしたのならば追求したかもしれないが、不思議と嫌ではなかった。
「おっし! 買い占めじゃあ!」
私の違和感には気が付かなかった天水は拳を突き上げていた。まさに蛮族。
「やめてー」
「じゃあ、猫チョコを箱で」
私も野盗くらいの勢いで箱ごと持ち上げた。
「やめてー」
「楽しそうだな……」
呆れたような声にハッと我に返る。他のお客さんもいないとはいえ、騒いでしまった。
「楽しいよ。だって」
「別に咎めてはいないが、やりすぎるなよ」
「通報されない程度でやります」
かなりだめな返答だった。彼の頭が痛いといいたげな感じがよくわかる。
私は結局戦利品としてご贈答のバナナなお菓子をもらった。神社に挨拶に行ったが誰もいなかったので持ち帰ってきたらしい。賞味期限の都合で扱いに困っていたらしい。
だからお土産いらないって行ったのにとダメ出しをされていた。
半分ずつ天水を分け合い、店の前で分かれる。
「また、明日」
「明日ね」
いつもの挨拶をして。
そして、あっという間に当日になった。
チケットのがないことは両親に気が付かれることもなかった。当日もちゃんと行くから手を抜かないようにと釘を差された。
天水が描いたセイレーンちゃんのポスターは会場に大きく印刷されて張られていた。
本人はドヤ顔で両親に写真を取らせていた。私はそこに挨拶してから、天水を引き取った。そのままだと集合時間に待ち合わなさそうだったからだ。
公民館なので和室の控室にクラスの面々が集まっていた。ピアノがある部屋は出番の前に一度だけ使える。
学校の行事なのに開会式は控室でテレビから見ることになっていた。
来賓からの挨拶を誰も聞かずに話していられるからきらくでいいのだけど。
そうしているうちに最初に歌うクラスが移動しているような音が廊下から聞こえる。そのうちにピアノの音がかすかに聞こえた。
それが順繰りし、いよいよ私たちの番になった。
最後の練習も担任が緊張のあまり声が裏返ったくらいで問題なく済んだ。ある意味、いい感じに緊張がほぐれただろう。
そして、舞台にあがることになった。そこは小さめの体育館のようなところである。ステージは毎回、組み立てられる。これと照明なども業者に頼んでいるらしい。音響さんらしき人もスタンバっている。
級長がクラス名と聞いてくださいという挨拶を終え、指揮者が指揮棒を上げる。
ピアノの鍵盤に指を滑らす。
最初は普通だった。サビに入ったところで、声が混ざった。音を外したものでもなく、音量も高いわけでもないが、皆の声ではない。違和感を覚えたが、譜面から長く目を離してミスするような腕だ。なにもできない。
誰もそれに気がついていないようだった。少なくとも指揮者は今まで通りだ。
その声は調子に乗ったのか音量を増やす。誘うような甘い声は、歌えというようだった。誰がとミス覚悟で会場を見渡した。
駄菓子屋の店主をしていた彼女がいた。来てたんだとおもったが、違和感があった。
唇の動きが歌と同じ。
距離があったのに目があったと思った。
「あ」
こぼれ落ちた音。
それから、記憶がない。
「夏葵!」
叫ぶ声が聞こえた。
「あら、まだ目覚めている子がいるの」
懐かしい声だと思った。遠い遠い幼い頃、水の底から聞いた声。
「一般人だから、忘れてもらうことにしようね?」
「あら、私の娘も一緒のほうが楽しいじゃない?」
「勝手に、連れて行くな」
天水の声が、意識をひっぱたく。
「どこにも、いかないわ」
また、明日。
いつもずっと、続く明日の約束。
目を覚ましたときに見えたのは、駄菓子屋にいた二人と天水。
それから、意識のない群れのような人々。虚ろなものに囲まれていた。
「人を歌だけでこんなふうにしてしまうようなイキモノ、迫害されないと思っているの?」
彼女はニッコリと笑ってそう告げた。
私がずっと思っていたことを。私の歌は普通ではない。なら、それを歌う私もおかしいのではないだろうか。
そんな思いは見ないふりをしていた。
「脅すような言い方は良くない。
君は行方不明だった同胞なんだ。様子見のつもりだったんだけど」
「そういうわけだから、お家につれて帰るの。
地上は歌えなくて辛いでしょう?」
「そんなことは」
「嘘。うたっていてたのしそうだったもの。本質的にそうなのよ」
さっきた楽しかったでしょう? そう問われて私は答えられなかった。
「あなたが歌うと皆こうなるの。
この地上では貴方に居場所はないわ」
「違う!
私が最高の歌姫にするの!」
「無理よ」
天水が無理じゃないと叫んだ。
「なぜ、私が正気なのか! これはノイズキャンセル機能のあるイヤホンで、これを使うと効かないの!
録音だったら誰も効かないの!
だから、これから動画配信者になって、うっはうはに儲けるつもりなんだから!」
……儲ける。
「あんた人で儲けるって!」
「女子高生歌姫、これは売れる、話題を独り占めしてふふふ」
邪悪だった。人で儲ける悪魔だった。
「というわけで、私が、プロデュース、歌姫爆誕までお待ちください」
がしいっと背後から抱え込まれて、もうどうしていいかわからない。
あっけにとられた二人が、はははと乾いた笑いをこぼした。
「これは困ったな。
どうする。君は」
「それは……」
合唱祭は、何事もなかったように終わった。
あの二人は私たちの返事を聞いて保留したらしい。上と話をしてくるとも言っていたが、そのままになるだろうとも。
地元の海神も戻ってきちゃうし、手出しできないモノねぇと怖いことも言っていた。
「忙しくなっていくねぇ」
「誰が歌を作ってくれるの?」
「へ?」
「私は天水の歌が歌いたい」
「それは勘弁して、MVは作る!がんばる!」
もう少ししたら、女子高生歌姫が爆誕しているかもしれない。
そんなことを話ながらいつも駄菓子屋に入る。
「いらしゃい」
そう迎えてくれたのはいつもお爺さんだった。
「引退したんじゃ?」
「いいや? 温泉に行っていたよ。知り合いが一か月ほどの逗留をプレゼントしてくれたのでね。
お嬢ちゃんたちも迷惑をかけたね」
「い、いえ?」
なんか変だなと思ったけど、それは気にしてはいけない気がした。
駄菓子を買っていつもの通り別れた。
「また明日」
「うん。また明日」




