第39話 扉
「私、村長さんの離れに住もうと思うの」
ダナエが皆に告げた。
ダナエがサグアス男爵領へ乗り込むと宣言して以降、彼女の転居の手配で王宮内は何かとドタバタしている。
ダナエの居所をどこにするかでは、王宮に手伝いに来ていたラテナとレミアが火花を散らして激論を交わした。
たが、ダナエの意向もあり、既に彼女が馴染んでいるタルーバ村長宅の離れを彼女の居所にすることとなった。
当然ルシーナもダナエに同行し仕えることになる。
ところが、
「私もお仕えさせていただいてよろしいでしょうか……?」
と、控えめながらフィリパも申し出てきたのだ。
「ええ、もちろん、大歓迎よ!」
ダナエは屈託のない笑顔で応じた。
「あの……ですが、私」
「わかってるわ、リュアンのことでしょ?」
ダナエにズバリ指摘されてフィリパは目を見開いた。
「……はい」
「私のことは気にすることはないわ……て言うと言い過ぎかもしれないけれど……」
「……」
「あなたの気持ちに素直になって。もちろん私もそうするつもりだから」
ダナエはそう言って、フィリパに挑戦的な笑みを見せた。
「……はい」
フィリパは一瞬戸惑うような表情をしたが、ダナエの話は通じたようで、しっかりと笑顔を返した。
当のリュアンはというと、離れたところからダナエとフィリパのやりとり見ていた。
(ふたりは何を話してるんだろう……)
と気にはなったものの聞いてみる勇気はなく、とりあえずは転居準備に精を出した。
転居準備にはキリアンとエマも手伝いにきてくれた。
「キリアンさ……殿下……」
リュアンがいつも通り呼ぼうとしてしまい、慌てて言い直すと、
「おいおい、やめてくれよ、リュアン。公式の場じゃないときは、今までどおりにしてくれ」
とキリアンが苦笑交じりで言った。
「は、はい、キリアンさん。ところで……」
「?」
「こんなことを聞いていいのか分からないんですけど、気になってることがあって……」
「なんだい?」
「その……キリアンさんの、血筋のことで……」
聞きづらそうにリュアンが言うと、
「ああ、そのことか」
と、キリアンはあっさりと言った。
「あ、あの、もし言ってはいけないことなら……」
「いや、大丈夫だよ、そのうちに明かさなければいけないことだしね」
キリアンの話ではこうだ。
キリアンの王家の血筋はマリエから受け継いだもので、マリエは現国王の姉だということだった。
今までそのことが公にされなかったのには、事情があったらしい。
現国王の母である皇太后は元は王室御用達で准男爵の爵位を持つ商家の娘で、その縁で当時の王子と付き合うようになり親密な関係になった。
しばらくすると、彼女が身ごもっていることがわかった。
だが、当時の政情からして婚姻前の出産は、反王党派に付け入る隙を与えかねないとの判断で、伏せることにした。
翌年、王子は正式に王太子になりマリエの母は王太子妃になったが、マリエのことは伏せたままにし、彼女は実家の商家で育てられた、ということだった。
「大変だったんですね……」
リュアンにすれば気持ちが暗くなる衝撃的な事実だった。
「うーーん……母さんはそれほど気にはしてないみたいだよ」
「そうなんですか?』
「ああ。性格的に形式張ったことが好きじゃない質だしね、それに……」
「それに?」
「そのおかげで王立訓練所に進めて父さんにも会えたんだからね」
「あ、そうですね」
リュアンは、キリアンの父が諜報部長だということをつい最近聞いたばかりで、詳しい人となりは知らない。
「キリアンさんはお父さんに似てますか?」
「どうかなぁ……母さんはよく似てるって言うけど、自分では分からないよ」
キリアンは心持ち照れくさそうに言った。
(なるほど……)
それを聞いてリュアンは、彼がよく知るマリエの人柄と照らし合わせて、
(キリアンさんとエマさんみたいな感じなのかな……)
などと想像するのだった。
そうこうするうちに、ダナエがタルーバ村に発つ日がやって来た。
大きめの荷馬車が二台、準備に手間取った割には荷物は少なめのようだ。
ダナエ曰く、
「私はタルーバ村の住人になるんだもの、王宮にいた時とは生活も変えなきゃでしょ」
ということだ。
ダナエはルシーナとフィリパと一緒の馬車に乗り、賑やかに話しながら馬車の旅を満喫している。
その話し声は後ろから進むリュアンが乗る馬車にもよく聞こえ、彼は同乗しているキリアンとエマと笑みを交わすのだった。
タルーバ村に着くと先行していたラテナとレミアの指示のもと、若い衆が駆け寄ってきて手際よく荷物を運び出していった。
村の広場では既に歓迎の宴の準備も進んでおり、ここでもラテナとレミアは獅子奮迅の活躍で、互いの統率力を競い合った。
夕暮れ時には宴が始まった。
以前この村にダナエが来た時には、悲劇の一歩手前の状況になった。
タルーバとサグアスの人々の心には、その時の記憶が未だ鮮明に残っている。
それが今ダナエは、はち切れんばかりの笑顔で宴の中心になっているのだ。
そんな光景を見てリュアンは、
(よかった……本当に、よかった……!)
と、心の底から思うのだった。
やがて宴も終わり、皆が家路についた。
(宴の後って寂しいな……)
人々がいなくなった広場を眺めてリュアンは思いにふけった。
「楽しかったわね」
リュアンの後ろにダナエが近づいてきた。
「はい……!」
人がいなくなった広場の寂しさに浸っていたせいか、リュアンはやや驚きながら答えた。
「でも、終わっちゃうと、寂しいものなのね」
「俺もそう思ってました」
そうして、ふたりはしばらく黙って暗くなった広場や星が瞬く夜空を見上げたりしていた。
「ねえ、リュアン?」
随分と時が過ぎたように思えた頃に、ダナエが呼びかけた。
「はい」
「この嫁入り審査のことだけど」
「はい……」
「私の気まぐれだと思ってるでしょ?」
「いえ、そんなことは……」
「うそ」
「え?」
言い繕おうとするリュアンの言葉に鋭い指摘をするダナエ。
「私が本気であなたに嫁入りするなんて思ってないんじゃない?」
「そ、それは……」
「ほら!」
してやったり顔のダナエ。
「王女様はこのサグアスでの生活を楽しみたいのだと……」
「それで、私が嫁入り審査を口実にしたって思ってたの?」
「は、はい……」
完全にダナエのペースである。
「まあ、少しはそれもあるわね……うん、少しでもないかもだけど」
「……」
「今、ほっとしたでしょ!」
「い、いえ!」
(やばい、バレた……!)
「また、うそ!」
「……すみません」
と、タジタジのリュアン。
「うふふ」
「?」
「なんでかな……こうやってリュアンと話してると、なんだか気持ちが楽になるの、なんでか分かる?」
「……分かりません」
「そうなのよね、私にも分からないの」
ダナエはそう言うと、再び星空を見上げて無言になった。
「リュアン」
「はい」
「私たち、どうなるかしら?」
「そ、それは……」
「それは?」
「分かりません……」
「やっぱり、そうよね」
爽やかに微笑むダナエ。
「でも、分からないって、ワクワクするわよね?」
「………………はい」
「あ、なに、その間は?」
「心配が先に来てしまう質なので……」
「そっか、そうね、リュアンてそういう人かも」
そう言ってケラケラと楽しそうに笑うダナエ。
「私は楽しみにしてて、あなたが心配してる。これってバランスが取れててちょうどよくない?」
「そう、なのでしょうか……?」
リュアンは心許ない様子だ。
「うん、きっとそうよ!」
答えるダナエは心から楽しんでいる様子だ。
「よし、これでいくわよ!」
「これで?」
「そ、楽しみだけど心配な未来に向けてふたりで進んでいくの!」
そう言うとダナエは笑いながらリュアンに背を向けると、離れへと歩き始めた。
(楽しみだけど心配な未来、か……)
リュアンは、それがどんなものなのか思い浮かべようとしたが、
(やっぱり、分からないな……)
どうにも難しそうだ。
(でも、大切なのは王女様が明るく楽しく過ごせるようにすること……そう、それが俺の役目)
そう自分に言い聞かせながらリュアンはダナエの後について歩き出した。
すると、ダナエが立ち止まって、
「リュアン」
と、前を向いたままで呼びかけてきた。
「はい」
「私ね、本気だから」
「はい……?」
(何のことだろう……?)
とリュアンが思いを巡らそうとしていると、
「あなたのこと」
と言ってダナエは振り返った。
(……!!)
ダナエの言葉にリュアンの心の中の扉が開いた。
リュアンがこれまで見たことも感じたことも、考えたこともなかった、未知の世界への扉が。
そもそもが褒賞を目当てに参加した婿取りコンペだった。
成績はともかくとして、リュアンは自分が一人の男としてダナエの目に留まるなどとは、これっぽっちも考えてはいなかった。
それが今――――
ダナエがその扉の入り口で振り返りながら、リュアンがくるのを待っている。
それまで霧に包まれてたようではっきりとは分からなかった、リュアンの心の中の迷いが消えた。
「はい、ダナエ様」
ごく自然にリュアンはダナエを名前で呼んでいた。
ダナエはそれに笑顔で答え、リュアンに手を差し伸べた。
それは、リュアンとダナエが未来へ向けて新たな一歩を踏み出した瞬間だった。
――――おわり――――
※お読みいただきありがとうございました。
本編はここまでになります。
この後の話で登場人物紹介をします。




