第35話 王妃様
「お母様も出てくださらなければいけないわ!」
部屋の中で叫ぶダナエの声が、廊下で待っているリュアンにも聞こえてきた。
立太子の儀を明日に控えたその日の朝、リュアンの部屋にダナエが飛び込んできた。
「リュアン、今日は空いてる?空いてるわよね!」
「は、はい」
「じゃあ、来て!」
と、リュアンはダナエに部屋から引っ張り出された。
「あ、あの、王女様」
「なに?」
「これから、どこに行くのですか?」
「お母様のお部屋よ」
「お母様……て、お、王妃様ですか!?」
「そうよ、決まってるじゃない」
リュアンの足がにわかに鈍る。
「あ、あの、なんで王妃様のお部屋に……?」
「決まってるでしょ、リュアンに会ってもらうのよ」
ダナエは歩みが止まりそうなリュアンを、強引に引っ張ってでも連れて行くつもりらしい。
そして王妃の部屋に着き、
「ちょっと、ここで待ってて」
と言ってダナエが部屋に入りリュアンが廊下で待っていると、中から彼女の大きな声が聞こえてきた、というわけだ。
やがて扉が開いてダナエが顔を出した。
「入って、リュアン」
ダナエが短く言ったが、
「で、でも……」
なんと言ってもここは王妃様の私室だ。
(俺なんかが入っていいところじゃ……)
リュアンは完全に逃げ腰になっている。
「もうーーモタモタしてないで、早く入って!」
オドオドして後退り始めているリュアンの手を掴むと、ダナエは強引に部屋へと引っ張り込んだ。
王妃の部屋はクリーム色を基調とした調度で纏められており、女性らしい落ち着きが感じられる明るい部屋だった。
ほんのりと香る花の香も心を落ち着けてくれる。
アルビオン王国王妃ヘレナは、部屋の中央のソファにゆったりと腰を掛けていた。
ダナエと同じ栗色の髪に色白の肌。ダナエの美しさはヘレナゆずりなのだなとリュアンは見て取った。
王妃の美しさに目を奪われそうになるのを必死でこらえ、リュアンは跪き頭を下げると、
「し、失礼します、お、おお王妃様、サグアス男爵家、ち、長子リュアンにご、ございます!」
と、どもりながらもギリギリ何とか臣下の礼をとることができた。
「あなたがリュアンね」
ゆったりとした優しい声が聞こえてきた。
「は、はい……」
下を向いたままでリュアンは答えた。
「話は聞いているわ、ダナエを助けてくれたんですってね」
「え、あの……あの時は無我夢中で……」
「どうもありがとう、リュアン」
リュアンはハッとして顔を上げて王妃ヘレナを見た。
ヘレナは優しい眼差しでリュアンを見つめている。
「も、もったいないお言葉、あ、ありがとうございます!」
そう言ってリュアンは再び頭を下げた。
「うふふ、いい子ね、リュアンって」
ヘレナは楽しそうに笑っている。
「はい、それじゃ、明日の立太子の儀には出てね、お母様」
「ええ、それは……」
「リュアンに会ったら出るって仰ったでしょ!」
「でも……」
リュアンには今ひとつ事態が飲み込めなかったが、どうやらヘレナは明日の立太子の儀に出るのを渋っているようだ。
「ね、リュアンからも言って!」
「はい!?」
ダナエにいきなり振られて素っ頓狂な声か出てしまったリュアン。
「お母様に、明日の立太子の儀に出てって」
「い、いいいえ、俺、わ、私から王妃様にそんな……」
(言えるわけない、絶対に無理っ!)
「そうよね。それよりダナエを説得してくれないかしら、リュアン。私は出なくてもいいんじゃないかって?」
「ええーー!?」
今度はヘレナにそう言われてしまった。
「あ、ずるい、お母様!リュアンは私の婿候補なのよ!」
「あら、でもコンペは誰も残れなかったんでしょ?」
「リュアンは最後まで残ったの!」
(ここを立ち去りたい……)
リュアンは言い合いに夢中なヘレナとダナエから少しずつ距離を取り始めた。
「そもそも、立太子の儀といってもダナエは……」
「お母様!」
「あ……そうだったわね」
ヘレナはハッとして口に手を当てた。
「もう、お母様ったら……て、リュアン!」
ダナエは電光石火の早業で、扉へと向かいかけたリュアンの腕を掴んで引き戻した。
「まさか、逃げようって魂胆じゃないわよね?」
ギロリとリュアンを睨みつけるダナエ。
「い、いえ、そんなことは……」
(バレてる……!)
リュアンのこめかみにタラリと冷や汗が流れた。
その後も、ヘレナとダナエが出る出ないと押し問答が続いた。
「たくさんの人に見られると私、怖くなって震えてしまうのよ、ダナエも知ってるでしょ?」
とヘレナが言ったところ、
「王妃様が目立たない普通のドレスをお召しになって侍女たちと一緒にいれば、それほど目立たないのでは」
とフィリパが提案してきた。
「あら、それはいいわね」
とヘレナの表情が明るくなった。
「んーー……仕方ないわね……」
ダナエとしては王妃然として出てほしかったようだが、結局は妥協したようだ。
(結局、俺がきた意味ってなんだったんだろう?)
改めてリュアンは考えを巡らした。
明日の立太子の儀は、ダナエが正式に次期女王として認められるということなのだろう。
リュアンは最後まで残ったとはいえ、婿取りコンペの試練を果たすことができなかった。
いわば、ダナエにとってリュアンは用無しなのである。
もちろんリュアンは、命じられれば全身全霊をかけてダナエに仕える気持ちでいる。
(命じられれば、か……)
そもそもが、リュアンにとって婿取りコンペへの参加は褒賞が目当てだった。
そして試練は未達成であったものの、成績を認められて望みどおり新たな領地を褒賞として授かった。
もうこれ以上は望むべくもない。というよりこれ以上を望むのは不敬というものだ。
「黙り込んじゃって、どうしたの?」
「はひぃっっ!?」
完全に自分の世界に入り込んでしまっていたリュアンは、顔を覗き込みながら話しかけてきたダナエの言葉に、裏返った声を出してしまった。
「あはは、もう、どうしたのよ」
面白そうに笑うダナエを見てリュアンは、顔が火照ってくるのをはっきりと感じた。
(あれ……なんでこんなに暑いんだ……?)
ダナエの笑顔が眩しい。
当然だ、ダナエは王女なのだから。
そんな、ダナエから視線が外せないでいるリュアンの腕を掴む者がいた。
「リュアン様……」
フィリパだった。
「さすが、フィリパちゃん、抜け目ないわね」
白い歯を見せてにやりと笑うダナエ。
「……」
頬を染めながらダナエを見つめ、フィリパはリュアンの腕を強く握った。
「フィリパちゃん、あの……」
こういう場合にどう振る舞えばいいのか全く分からないリュアンはオロオロするしかなかった。
「なんだか楽しそうね」
ヘレナが微笑みながら言った。
「ええ、お母様」
そう言ってダナエはヘレナに笑顔で答えると、
「楽しいわよね、フィリパ」
とフィリパにも笑顔で言った。
「はい、ダナエ様」
フィリパも晴れやかな笑顔で答えた。
(これはどういう状況……?)
理解の上をいく状況にリュアンは戸惑うばかりだったが、ダナエとフィリパが仲良く楽しそうにしているのを見ると、嬉しくなってくるのだった。
「それじゃ、明日はリュアンとフィリパはお母様に付き添って頂戴」
とダナエから指示され、
「これから、フィリパの衣装を決めるから、リュアンは侍従さんに聞いて何か見繕ってもらっておいて」
と、リュアンは部屋から追い出された。
嵐のようなひとときが過ぎ、今ぽつんと廊下に一人佇むリュアン。
(まずは、侍従さんを探さなきゃ……)
そうして、自分にあてがわれた部屋に戻りながらリュアンは何気なく考えた。
(王女様の場合も立太子っていうんだな……知らなかった)




