第30話 人質救出作戦
マリエがタンドール男爵家を訪ねた日の夜のこと、ここはアルビオン王国の東の国境付近の丘陵の外れの森。
その森を背にして建つ一軒の館を、木に身を隠しながら遠巻きに監視する者達がいた。キリアンもその中のひとりだ。
館の周囲では、時折暗がりを動く影が見える。
「見張りは表と裏に二人ずつです、グスター隊長」
偵察班が戻ってきて報告した。
「中はどうだ?」
グスター隊長と呼ばれた男が聞いた。
「確実なのは三人。他にも人質が囚われている部屋の中にもいるかもしれません」
「他に侵入可能な個所はありそうか?」
「いくつかある窓には板が打ち付けてありますが、北側に一カ所だけ外せそうなところがあります」
「よし、その窓には二名振り分ける。残りは表裏の二手に。表に副隊長、裏は俺の隊が行く」
グスターは落ち着いた声で指示をしていく。
「館の見取り図は頭に入っているな?」
グスターが隊員たちを見回しながら言うと、皆無言で頷いた。
「見張りを無力化したら合図を送れ。窓班は突入可能になったら合図を。三つ目の合図で突入。人質の部屋には俺の隊が行く。では、散開」
グスターの号令で隊員たちが散っていった。
「いくぞ、キリアン」
「はい」
グスターは王国諜報部では部長に次ぐ立場にいる男だ。
彼はキリアンが諜報部長ルシウスの息子だということも知っている。
キリアンは母マリエが請けた諜報部の仕事を遂行することがある。
そんな時、折に触れて諜報仕事のあれこれを教えてくれるグスターは、頼りになる上司のような存在だ。
諜報部員は全て王立訓練所の密偵課程を修了している。
キリアンのように請負で仕事をする者も同様だ。
今回のような敵拠点への突入と人質救出の場合は隠行、解錠、破壊工作の他に、見張り役を無力化するための催眠や、突入時の近接格闘の技術も必要になってくる。
個々の技術については、王立訓練所密偵課程を優れた成績で修了したキリアンは高い技術を身に着けている。
だが、実際の現場ではその技術の使い方が重要になってくる。
となれば状況に即した対応は経験が物を言う。
キリアンは優れているが故に技術そのものに頼りすぎるきらいがあった。
そのあたりのことをグスターは丁寧に教えてくれる。
闇を拾いながら慎重にかつ迅速に持ち場へと向かう隊員達。
裏口が見える場所に立っている木の陰に着くが否や、数名の隊員が音もなく見張り役の背後に忍び寄っていった。
そして首を絞めながら薬品を染み込ませた布を口に押しつけた。
見張り役は気を失い、体の力が抜けてグニャリとなり地面に倒れた。
隊員の淀みのない手際を見ていたグスターは扉に駆け寄り扉を軽く押した。
扉に鍵はかかっておらず、開いた隙間からぼんやりとした光が漏れ出てきた。
そしてグスターは唇に指を当て、
「ピリリリィーーーー………」
と鳥の鳴き声のような口笛を吹いた。
するとそれに呼応するかのように、
「ピリリリィーーーー………」
「ピリリリィーーーー………」
と口笛が聞こえてきた。
「いくぞ」
「はい」
キリアンはグスターのすぐ後ろに付いて館に入った。
裏口を入るとそこは調理場で、ランタンが提げられていたが誰もいなかった。
表の方からはバタバタと走る足音と驚いたような男の声が聞こえてきた。
どうやら敵は人を表に集めていたようだ。
グスターは調理場を出ると薄暗い廊下をまっすぐ進んでいった。
見取り図によれば、この奥に広めの部屋があり、そこに人質が集められているだろう、というのが事前の調査での予想だった。
廊下を突き当たりまで行くと、右側から明かりが差しているのが見えた。
グスターは廊下の角の手前で止まってしゃがみ込み、すぐ後ろにはキリアンがしゃがんで身構えた。
グスターはポケットから何かを取り出すと、右側の廊下の床にそれを放り投げた。
コンコンコン………
それは丁度手のひらに乗るくらいの大きさの木製の玉だった。
「誰だ!」
右側から誰何する男の声がして、大きな足音が近づいてきた。
(……!)
キリアンはグスターの背後で息を殺している。
やがて曲がり角に大男がやって来た。グスターはすかさず大男の両腿をナイフで切り裂いた。
「ぐあぁぁーーーー!」
大男が絶叫してのたうち回っている脇をキリアンが駆け抜ける。
数メートル先の突き当たりに扉があった。
(あそこか……!)
キリアンの後ろから数名の隊員が付いてきている。
扉まで来たキリアンは扉の横の壁に背を着けて、扉の取っ手に手をかけて捻った。
鍵はかかってないようで取っ手は難なく回った。
「……」
キリアンは無言で隊員達に頷くと、扉を内側に押して開いた。
(誰かくるか……?)
そう思って数秒待ったが誰も出てこない。
キリアンはゆっくりと扉の口に手を出した。
すると大きな手がキリアンの手を掴んだ。
「へへ、甘いな」
そう言いながら中の男はキリアンの腕を引っ張った。
その途端、
スポッ……!
と、キリアンの肘から先の腕が抜けた。
「な……?」
抜けてしまったキリアンの腕を凝視している大男の腕を引っ張って外に出すと、キリアンはその脇を抜けて部屋の中に入り、中から大男の尻を思いっきり靴底で蹴飛ばした。
「ぐあ!」
大男は部屋の外に飛ばされて四つんばいになったところを、隊員達に取り押さえられた。
「ふふ、甘いな」
袖から本物の腕を出しながらお返しとばかりにそう言うと、キリアンは部屋の中を見回した。
中央にランタンが下がっているだけの薄暗い部屋の隅に、七、八人が固まって座っていた。
見たところ皆子供のようだ。
「助けに来たよ」
子供たちを怖がらせないようにキリアンは穏やかな声で言った。
それでも子供たちは身を寄せ合って怯えたままだった。
「あの……あなたは……?」
子供たちの中でも年嵩の少女が恐る恐るといった様子で聞いてきた。
彼女は両腕でそれぞれ少女と少年を守るように抱いている。
「俺はキリアン、王国政府から派遣されてきたんだ」
キリアンが微笑みながら言った。
王国政府という言葉を聞いて、年嵩の少女の顔が幾分明るくなった。
「この子たちだけか?」
グスターがキリアンの後ろから部屋を覗き込んで言った。
「はい、子供が八名です」
「よし」
そう言うとグスターは他も見てくるように他の隊員に指示し、
「キリアンはこの子たちを見ていてくれ」
と言って自らも館内の確認をするために部屋を出ていった。
「はい」
キリアンはグスターの後ろ姿に答えると、子供達が固まっている隅に歩み寄った。
先ほどの年嵩の少女が、緊張した面持ちでじっとキリアンを見つめている。
そんな少女の緊張を解すように、キリアンは穏やかな微笑みとゆっくりとした口調で少女に聞いた。
「君の名を聞いてもいいかい?」
少女は一瞬躊躇するような様子だったが、心持ち姿勢を正して答えた。
「リリネ……リリネ=タンドール、タンドール男爵家の次女です」
そう言いながらリリネは、両脇の少女と少年をギュッと抱き寄せた。




