第3話 アルビア湖の人魚
「それにしてもよ、本当に人魚なんているのか?」
王都郊外のアルビア湖へと向かう馬上でカイルが言った。
「【人魚の鱗】を見つけてきてほしいの」
というダナエ王女からの次の試練を受け、リュアン達は人魚が棲むというアルビア湖を目指している。
アルビア湖は王都の郊外にある比較的大きな湖で、馬で行けば王都から半日もかからないところにある。
「ここ最近、目撃例がチラホラあるという話でしたね」
レナートが朝方の王宮での話を思い出しながら言った。
人魚の話はとても人気があるが、それはあくまでも子供が好んで読む昔話や物語の中の話だ。
ところが、ここ最近はアルビア湖で人魚らしきものの目撃例が増えていると、王室執事から説明があった。
「私はね、人魚はきっといると思うの」
ダナエ王女はそうも言った。
集まった者達の前に立った王女の凛とした姿と声から「強い女性」という印象が強かったリュアンには、そんな王女の一面が意外に感じた。
(王女様って不思議大好き女子なのかな)
王女の言葉を思い出しながらリュアンはそんなことを考えた。
王女としては、いると信じている人魚の存在を証明するものが欲しいのだろう。
それが【人魚の鱗】ということのようだ。
「人魚らしきものというのが引っかかりますね」
レナートが思案顔で言った。
「すごく大きい魚を人魚と見間違ったんでしょうか?」
リュアンが言うと、
「なんだが面白そうだねーー」
と、ユリエンはワクワク顔だ。
「大魚を釣り上げるってのもいいな!釣竿ってあったっけ?」
カイルもノリノリになってきた。
そうしてしばらく四人で賑やかに街道を進んでいき、そろそろ森に入ろうかというところで、王国の警備隊に出会った。
彼らはリュアン達のことを聞き及んでいるようで、隊長らしき人が穏やかな表情で声をかけてきた。
「森を通るときは気をつけるように。危険と思ったらすぐに逃げなさい」
「「「「はい」」」」
「この先の森には魔物が出ることがあるらしいですね」
警備隊と別れるとレナートが言った。
「だから警備隊がいるんだねーー」
「でもよ、どんな魔物が出るのか気になるよな?」
ユリエンの言葉にカイルが言った。
「でも、それってかなり危険ですよね?」
リュアンが不安気に言った。
「大丈夫さ、俺は王立訓練所の剣士課程に通ってるんだ」
「え!?」
「私も訓練所の魔術師課程に通ってます」
「レナートさんも!?」
カイルとレナートの言葉に驚きっぱなしのリュアンだ。
「僕もそろそろ入ろうかと思ってるんだーー弓術士課程がいいかなぁって思ってる」
「ユリエン君も!」
「リュアンはどうなんだ?」
カイルが聞いてきた。
「俺は……入ってません」
リュアンは皆の視線を避けるように答えた。
「そうか……」
カイル達も察したようでそれ以上は聞かなかった。
王立訓練所のことはリュアンも知っている。
基本的に警備隊を養成するのが目的だが、隣接する大国のガレアス帝国との紛争対策も念頭に入れた機関である。
課程は、剣士、魔術師、弓術士、闘士、密偵、治癒術師の六課程だ。
リュアンの母も若い頃に密偵過程で学んだことがある。マリエはその時の先輩だったとリュアンは母から聞いていた。
(俺も入りたいけど……)
とは言ってもやはり先立つものは金である。
王立訓練所の授業料自体は無償だが、訓練に必要な道具類や食費などは持ち出しになる。
(俺には時間もないしなぁ……)
訓練所に通っている間は仕事ができない。リュアンは畑仕事の働き手として必要なのはもちろん、口入屋の仕事の稼ぎも大事な収入源だ。
(まあ、俺には無縁の話だよな)
と、これも運命と思って受け入れるリュアンだった。
森の街道をしばらく進むとやがて開けた場所に出た。
「着いたな、アルビア湖」
カイルが湖の近くまで馬を進めて言った。
「向こうに人がいますね。四人いるみたいです」
レナートが遠くの右側の岸辺付近を指差しながら言った。
リュアンはレナートが指す方向を見た。
「第二の試練に受かった人たちかな?」
「みたいだな」
「そうしたら俺達は反対側に行きますか?」
「そうしよう」
「ですね」
「賛成ーー」
リュアン達が湖岸に沿ってしばらく馬を進めると、岸近くに大きな岩がある場所に着いた。
「ねえねえ、人魚ってさあ、ああいう場所にいたりするんじゃない?」
ユリエンが大岩を指しながら言った。
「そういえばそんな絵を見たことがありますね」
「俺もガキの頃に本の挿絵で見たな」
「ですね」
そう言いながらリュアンは子供の頃のことを思い出した。
リュアンの家には多くの本を買う経済的余裕はなかった。
なので幼いリュアンは同じ本を何度も何度も、それこそ一字一句を覚えてしまうほどに繰り返し読んでいた。
そんな乏しい読書経験しかないリュアンも人魚の話は読んだことがあった。おそらく人気がある話だったからリュアンの家にもあったのだろう。
そしてユリエンが言ったように、水辺の岩に腰掛ける人魚の絵も鮮明に覚えていた。
「ここでしばらく待ってみましょうか?」
リュアンは皆を見て言った。
「いいでしょう」
「ちょうど腹も減ったしな」
「ここでお昼ーー」
湖岸には馬の餌になりそうな草も豊富だったので、馬は長めの縄で近くの木に繋いで休ませた。
リュアン達は荷物袋から食料を取り出して草地に座って、思い思いに食事を始めた。
「人魚っていえばよ、やっぱあれなのかな?」
草地に座って、固そうなパンを齧りながらカイルが言った。
「あれ、とは?」
レナートが聞き返した。
「あれって言えばあれだよ」
「よく分かりませんが……」
レナートが眉根を寄せてカイルを見ている。
「わからねえかなぁ、ほら」
と、言いながらカイルは胸の前で半円を描くような仕草をした。
「あ、わかったーー!おっぱ……モゴモゴ」
答えを言いかけたユリエンの口をレナートが手で塞いだ。
「品がないですよ、ユリエン」
と真面目で堅物な兄のようなことを言った。
そんなユリエン達のやり取りを見てリュアンも人魚の姿を想像してみた。
(ふむふむ……)
「おい、リュアン、お前今スケベなこと考えてるだろ?」
すかさずカイルが指摘してきた。
「……えっ……!?」
虚を突かれたリュアンは言葉を返せなかった。
「大当たりーー!リュアンさんも好きだよねぇ、おっぱ……モゴモゴ」
「だから品のないことは言うなと……」
「そう言うお前だって好きなんだろ、レナート?」
ニヤケ顔でカイルが言う。
「そんなことはありませんよ」
レナートもそう簡単にはカイルの挑発に乗ってこない。
「ところで最近社交界である噂があってよ」
極秘事項を打ち明けるかのようにカイルが言った。
リュアンとユリエンは興味津々で身を乗り出してきた。
「今レナートを狙っている美しい淑女がいてな」
「か、カイルさん!」
「その淑女ってのがな、歳は三十近くなんだが、とんでもなく美しい人でな、後家さんなんだよ」
「「後家さん!?」」
「あの、カイルさん、そのへんで……」
「その美しい後家さんの胸がこう……な!」
と言いながらカイルは胸の前で大きく弧を描く仕草をした。
「もう、勘弁してくださいよ、カイルさん」
レナートは半泣き状態だ。
「僕も社交界に出てみようかな……」
「おお、そうしろユリエン、面白いぞ」
「動機が不純ではないですか?」
社交界に憧れる気持ちはリュアンにはない。
だが、今カイル達三人のやり取りを聞いていると、彼も社交界に出てみたいという気持ちが芽生え始めた。
それは華やかさに憧れるのとは違う。それは仲間と経験を共有する楽しさを知りたいという欲求だった。
(そのためにも、このコンペで褒賞を貰うんだ!)
昼食後は湖畔を歩いて見て回ったが人魚は見つからなかった。
やがて日も暮れてしまい、その日は大岩の湖畔で野営をすることにした。
「見張りは順番でやろうぜ」
カイルの言葉に皆が頷き、二人ずつ組みになって交代で見張りをやることになった。
リュアンはカイルと組んで先に見張りについた。
「なあ、リュアン」
静かな声でカイルが聞いてきた。
「はい」
「お前、王女様のことどう思う?」
「え……?」
いきなりの質問にリュアンはなんて答えればいいのか分からなかった。
「どう、と言われても……」
ここ数日で多少は人となりが分かり始めてきたとはいえ、やはりリュアンにとってダナエ王女は雲の上の存在だ。
「すげえ綺麗で可愛いよな」
「そうですね」
「でも何ていうか……すげえ気も強そうだよな」
「……」
リュアンは答えに詰まった。
「ははは、こんなこと言うのは不遜だな、忘れてくれ」
カイルは乾いた笑い声で言った。
だが、リュアンにはカイルの言わんとしていることがわかるような気がした。
ダナエ王女は美しく可愛らしい。
カイルもそんな王女に惹かれてこのコンペに名乗りを上げたのであろう。
だが、王女が単に美しく可愛らしいだけの女性ではないということがこの数日でわかってきた。
ダナエ王女は凛として気高い、厳しさと気の強さを持った女性だ。
カイルはそんな王女のことを未来の妻として見ることが難しく思えてきているのかもしれない。
その点リュアンは、始めから自分がダナエ王女の夫になれるとは思っていない。
あくまでも彼の目的はコンペで優秀な成績を上げての褒賞の獲得だ。
(でもこれって不誠実なのかな……)
夜の湖面を眺めながらリュアンはそんな物思いに耽った。
その夜は月が明るく湖面を照らしていた。
微風が立てる小さな波がキラキラと月明かりに輝く様が美しい。
(ほんと綺麗だなぁ―――……ん?)
輝く湖面に見惚れるリュアンの視線の先の水面が盛り上がった。
そして、水中からゆっくりと何かが浮かび上がってくるのが見えた。
「カイルさん……!」
リュアンは横に座っているカイルに小さいながらも鋭く呼びかけた。
「ああ」
カイルも異変に気づいたようだ。
リュアンとカイルがじっと見つめていると、その何かはゆっくりと水面から上がり姿を現した。
月明かりが映し出したのは、肩から上を水面に出した長い髪の美しい女性だった。
「カイルさん、あれは……」
「あ、ああ……」
リュアンは息を呑み込んでそれを見つめた。
(あれが人魚……!?)