第29話 マリエはやっぱり忙しい
ラテナとレミアの活躍でポンコツ二人組が捕まった翌日のこと。
ここはタンドール男爵家の一室、タンドール男爵デイルと男爵夫人エイネが、すべての希望を失ったような暗い顔で座っていた。
夫妻は昨日、ダナエ王女がタルーバ村で倒れたことを知らされた。
もちろんそれは予想していたことだ。
彼らが娘のルシーナにそうなるようにさせたのだから。
だが、いざこういう状況になってみると「とんでもないことをしてしまった」という後悔と罪悪感、そして恐怖が二人を襲った。
タンドール男爵領はここ三年ほど、害虫や農作物の病気のため不作が続いていた。
従って領内経済も右肩下がりで、領民たちにも苦しい生活を強いなければならない状況が続いていた。
そんな折、有力貴族のゴロッツ公爵から領内経済活性化の話が持ち込まれた。
それは、
「他領の有力作物の耕作地拡大に投資してはどうか」
という話だった。
今、タンドール領内の耕作地は害虫や病気の被害のために痩せてしまっている。
元の状態に戻すには数年かそれ以上かかるであろう。
そこで、その間は他領に投資して収穫物を受け取り領内経済を立て直す、という計画だ。
始めのうちはタンドール男爵夫妻も半信半疑でゴロッツ公爵の話を聞いていた。
だが、ゴロッツ公爵はアルビオン王国でも一、二を争う有力貴族で、貴族院内での支持者も多い。
そんな公爵から熱心に勧められるうちに男爵夫妻もその気になり、投資資金を出すようになった。
当初、投資は順調だった。
気を良くする男爵夫妻に公爵は追加投資を勧めてきた。
「来年分を見越して投資額を増やせばより大きい収穫が望める」
と男爵夫妻に言い、足りない分は融資をするとも提案した。
今になって思えば、何かが怪しいと疑ってかかるべきだと分かるが、投資が順調に進んでいるように見えたため、その時の男爵夫妻には分からなかった。
こうして追加投資を続けていくうちに、融資額も莫大なものになっていった。
そしてある日「投資先が破綻した」とゴロッツ公爵が知らせに来た。
しかもその投資先が王国では禁止されている奴隷取引に男爵が拠出した資金を回していたらしいのだ。
途方に暮れる男爵夫妻に公爵は融資した借金の返済を求めてきた。
たが、男爵夫妻にそんな金銭的余裕があるはずもなかった。
それではと、公爵はある提案をしてきた。
ダナエ王女にとある薬を飲ませることを条件に、借金を帳消しにすると言ってきたのだ。
「王女のメイドのルシーナを使えば可能だろう」と公爵はこともなげに言った。
「そんなことはできない!」
タンドール男爵は拒絶した。
「なら、今すぐ耳をそろえて借金を返してもらおう」
「今すぐなんて無理だ、分かっているはずだ」
「それならば」
と、公爵は男爵の屋敷に人数を寄越し、三人の子供を無理やり連れ去っていった。
「三人の子供は借金の形だ。金を返せないようなら売り飛ばす。返してほしくば娘に薬を盛らせろ」
と脅しをかけてきた。
この時にしかるべきところに申し出ればよかったのだろうが、自分たちも奴隷取引に加担してしまったとの思いと、三人の子供が奴隷商人に売られてしまうかもしれない、という考えが男爵夫妻の判断力を狂わせてしまっていた。
ルシーナは両親の話を聞くと、何一つ言い返すことなく従った。
そんな家族思いの娘にすがらなくてはならない男爵夫妻は、自らのふがいなさを心底憎んだ。
「あなた……もうこれ以上は」
デイルの手に自らの手を重ねてエイネが涙声で言った。
「だが……!」
食いしばった歯の隙間からは絞り出すようにデイルが言った。
「私はどんな罰でも受ける、たが君や子供達が……」
「私も共に罰を受けます」
決然とした様子でエイネが言った。
「エイネ……」
デイルは悲壮感漂う目でエイネを見つめた。
そこに、扉をノックする音が聞こえた。
「……どうぞ」
デイルが答えると扉が開いた。戸口には小柄な初老の男性が立っていた。
「ああ……ヘスケ、なんだい?」
「お客様がお見えです、デイル様」
そう言いながらヘスケは一人の女性を招き入れた。
「突然で失礼します」
入ってきたのは落ち着いた声の女性だった。
「どちら様……?」
訝しそうにデイルが聞いた。
「私、王都で口入屋をしているマリエと申します。今日は王国政府から依頼されてお話しに来ました」
「口入屋?王国政府の依頼?」
デイルが要領を得ない様子だ。
「これを」
そう言いながらマリエは手にしたバッグから書面を取り出してデイルに見せた。
書面には王室の印璽が押されている。
「それで……ご要件は?」
書面に目を通しながらデイルが聞いた。
「ダナエ王女の件、といえばお分かりになるかしら?」
「「……!」」
デイルとエイネは絶句した。
――――――――
「そうですか、王女様は快方に……」
マリエの話を聞いたデイルは静かに言った。
「お嬢さんにも別の者が話を聞いているところだと思います」
「ルシーナ……」
マリエな言葉に、エイネの口からは娘の名がこぼれた。
「王国諜報部も既に動いています」
「……!」
「ゴロッツ公爵のところにも調べが入るでしょう」
「もうそこまで……」
がっくりと肩を落とすデイルだったが、その様子にはどこかしら安堵しているところが見て取れた。
「分かりました……全てお話します」
そう言うと、デイルはエイネを見て頷き合うと、ゆっくりと話し始めた――――
「どうやら、ほぼ諜報部から聞いている話どおりみたいですね」
デイルとエイネの話を聞き終わるとマリエが言った。
「あなた達とお嬢さんは処罰を受けなければならないでしょう」
「はい……」
デイルが肩を落として答えた。
「あの、マリエさん……」
「なんでしょう?」
エイネがマリエに聞いた。
「連れ去られた三人の子供はどうなるのでしょう?」
エイネは両手を握り合わせて祈るようにしながらマリエに聞いた。
「諜報部の調べだとお子さん達はゴロッツ公爵家とは別の場所にいるようです」
「別の場所……ですか?」
「ええ、そちらはゴロッツ公爵家の立ち入りとは別の隊が向かっています」
「「別の隊?」」
デイルとエイネの声が重なる。
「おそらくお子さんたちは無事です」
マリエはそう言って、この部屋に来てからずっと作っていた厳しい表情を和らげて、デイルとエイネに微笑みかけた。




