第26話 ゾーラの恋
「王女様……」
思わずそう口にしたリュアンだったが、感激のあまりそれ以上言葉が続かず、その場で硬直してしまった。
(覚えていてくれた……)
演台の上で倒れたダナエをリュアンが抱き留めた時、彼女はほぼ気を失いかけていた。
気を失う直前にリュアンを呼んではくれたが、きっとそのことは覚えていないだろうとリュアンは思っていたのだ。
「リュアン……!」
ラテナの叱責のヒソヒソ声が飛んできた。
リュアンはハッとして気を持ち直すと、その場で跪いて頭を垂れた。
「あ、ありがたいお言葉をいただき、み、身に余る光栄です……」
スマートとは言えないものの誠実さが滲むリュアンの振る舞いを、ダナエは穏やかに見つめていた。
「ふふ……堅苦しいのね……」
小さく微笑んで囁くように言うと、ダナエは深呼吸をするようにゆっくりと息をした。
「王女様、まだお体は弱ってらっしゃいますので、今はお休みになってください」
「……ええ」
スウェンの言葉に、分かるかわからないかという程度に頷くと、ダナエは再び目を閉じた。
「それじゃ、私たちは外に行きましょう。ゾーラあなたもね」
イルニエがゾーラを見ながら言った。
「あ、ああ……」
ベッドの上のダナエを見て、部屋に残りたそうな素振りのゾーラだったが、イルニエの真剣な顔を見ると立ち上がった。
(そうか……ゾーラさんは謝りたいんだな、王女様に)
扉に向かいながらも目はベッドに向けられているゾーラを見て、リュアンはそんなことを思っていた。
「フィリパ、あなたはここに残ってちょうだい」
「はい」
レミアに指示されてフィリパはベッドの足元の腰掛けに座った。
そしてちらりとリュアンに視線を投げてきた。
(……!)
リュアンはドキッとして視線を外してしまった。
(嫌ではないんだけど……なんかなぁ……)
と自分でもうまく説明できない心の動きに困惑してしまうリュアンだった。
「外でお話しましょうか、ゾーラ?」
部屋から出てくるとイルニエはゾーラに言った。
部屋から出てきたのはイルニエ、ゾーラそしてリュアンだ。
「……う、うん……」
あまり気乗りはしない様子だったが、ゾーラはそう言って頷いた。
「あの、俺は……」
二人の様子からして、さっき話していたゾーラがダナエに“男運が悪くなる呪い”をかけることとなった経緯ではないかとリュアンは思った。
なのでリュアンには、自分が話に加わってもいいのか判断しかねた。
(男の俺が加わってもいい話じゃなさそうだし……)
「あなたさえよければ彼にも聞いてもらったほうがいいんじゃないかしら、ゾーラ?全くの無関係でもないわけだし」
「え!?」
イルニエの言葉にリュアンは素直に驚いた。
「そ、そうか……?ああ……そ、そうかもな……」
ゾーラは色々なことに頭をめぐらしている様子でそう言った。
「それじゃ、行きましょう。お庭に四阿もあるみたいだし」
イルニエが言うと、
「そうしたら、キリアンさんとエマさんに伝えてきます」
そう言ってリュアンはダナエのメイドのルシーナが休んでいる奥の部屋へ向かった。
この部屋は王宮の役人を受け入れた時に使用人用として使われている。
部屋の前の椅子にはキリアンが座っていた。
「王女様は元気になれそうなんだな」
イスカから大まかなことは聞いたらしいキリアンが言った。
「はい。エマさんは中ですか?」
「ああ、そうだ」
(それにしても、エマさんとキリアンさんが付きっきりだなんて……)
ルシーナのことはダナエ付きのメイドということしか知らないリュアンにとっては、いささか大げさに思えた。
(俺みたいなボンクラには分からない事情があるんだろうな、きっと)
「今からイルニエ様とゾーラ様と一緒に庭で話をしにいきますので」
「リュアンもそこに加わるのか?」
やはり意外な組み合わせに思えるらしい。
「はい、俺にも関係があるからと、イルニエ様が……」
「そうなのか……まあ王女様の婿候補だもんな」
そう言うキリアンは少し面白がっているようだ。
「候補だったというだけですから、それに、そもそもが……」
『褒賞が目的なので』
といつもなら言うところだ。
だが、なぜか今はその言葉が言えなかった。
(あれ、なんでだろ……?)
当たり前のように言っていたことが言えない。
というよりは、
(言いたくない……のか?)
「ん、どうかしたのか?」
急に黙り込んでしまったリュアンを不思議そうに見ながらキリアンが言った。
「い、いえ何でもありませんでは行ってきます!」
あたふたして早口てそう言いながらリュアンはキリアンの前を辞した。
ダナエが休んでいる離れは村長宅と同じ敷地にあり、敷地全体は低木の生垣で囲まれている。
四阿は離れの側の生垣の角に作られていた。
既にイルニエとゾーラは四阿のベンチに腰掛けてゆったりと話をしていた。
「すみません、お待たせしました」
そう言いながらリュアンは空いているベンチに腰掛けた。
「それじゃ、始めましょうか」
リュアンの着席を待ってイルニエが言った。
「う……うん……」
重たい口をやっとのことで開いた、といった感じでゾーラが答えた。
「まあ、前にも言ったけど、だいたいは想像ついてるんだけどね」
言葉はぶっきらぼうだが、そう言うイルニエの表情にはゾーラを気遣っている様子が表れている。
「……」
「王子様、よね」
「う……うん……」
前髪に隠れてゾーラの表情は分からないが、声音からするとかなり辛い話になりそうな予感がリュアンにはした。
(ん、王子様?)
よく考えたら、今の王国には王女のダナエがいるだけで、王子はいないはずだ。
「あの、王子様って……」
疑問に思ったリュアンが聞くと、
「今のことではないの、昔の王子様よ」
「昔の王子様?ということは今の国王陛下、ということですか?」
「ち、違う」
否定するゾーラの声はいつもより強かった。
「えっと、お名前は確か……」
「デリス王子……だ」
「デリス王子?」
リュアンが聞いたことがない名の王子だった。
「そう。確か今の国王の……お祖父様だったかしら?」
「そう、だった……か?」
ゾーラもうろ覚えのようだ。
「で……その国王のお祖父様のデリス王子が、どのように関わってくるんですか?」
リュアンが聞いた。
「ゾーラがね、恋をしたの、デリス王子に」
イルニエはサラッと言った。
「い、イルニエ……そ、そんなに……その」
ゾーラは長い前髪の下から見えている頬を赤く染めて、イルニエの腕を掴んだ。
「あら、そういうことでしょ?」
「うぅ……」
ゾーラは俯いてしまった。
「そういうことなんですね……って、えぇええーー!?」
よく聞けば突拍子もない話に、リュアンは自分でも驚くくらいの大声を出してしまった。
「あの、それじゃ……」
と、リュアンが何かを聞こうとしたところ、
「なに?もしかしてあなた……」
「はい……?」
「私たちの歳を聞こうなんて思ってる?」
「え?いえ、決してそんなことは!」
「そうよねぇ、まさか乙女の歳を聞いたりしないわよねぇ」
「う、うむ……そんなことを、し、したら……」
「し、しませんしません!」
リュアンはブンブンと頭を振って全力で否定した。
「まあ、わざわざ聞かなくてもって感じだけどねぇ、そこは流しておいてね」
「はい!!」
イルニエの言葉にリュアンは思いっきり元気に答えた。
「それでね、ゾーラはデリス王子に恋をしたんだけれど、それが片想いでねぇ」
「か、片想いでは……ない……」
そう言いながらもゾーラの声は小さくなっていった。
「お、王子は……綺麗だと、あ、あたしの目を……綺麗だと、言ってく、くれた……」
ゾーラは膝の上でギュッと両手を握りしめた。
(ゾーラ様……)
そんなゾーラを見て、リュアンが当初ゾーラに感じた印象が大きく変わり始めた。




