第24話 マリエは忙しい
(考えなきゃいけないこと、やらなきゃいけないことが色々あるな……)
イルニエ達がラベンダーを採取にサグアスの森の泉に飛んで、魔法陣の光が弱まっていくのをマリエは物思わしげに見ていた。
まずは、ダナエの回復が魔女イルニエによって間違いのないことになったのは何よりの朗報だ。
ゾーラによる男運が悪くなる呪いは迷惑この上ないことなのだが、どうやらそれは今回の王女が倒れたことの本質では無さそうだ。
『――イライラを増幅させて体力を削る作用がある薬か何かを摂取した結果こういうことに――』
マリエはイルニエの言葉を思い出していた。
(薬か何かを摂取……何よりもそこが一番気になる、というより詳しく調べていかないといけないな……)
と、考えを巡らせているところにエマが戻ってきた。
「お仕置きは済んだかい?」
マリエが声を掛けると、
「はい、マリエさん」
とエマから明るい返事が返ってきた。
その後から、
「スウェンさぁーーん……」
と半泣きでキリアンが入って来て、ダナエが休んでいる部屋の前に腰掛けていたスウェンに泣きついて苦笑いされていた。
「エマ」
マリエがそう呼ぶ声は真剣さが満ちていた。
エマは小さく頷いてマリエの下に歩いていった。
そして二人は部屋の隅のスツールに腰掛けて静かに話し始めた。
「私は王都に戻る」
「……はい」
「ちょっと奴と話をしなきゃならんようだ」
「はい」
エマはそれだけで大まかな事情は察したようで、真剣な顔で頷いた。
「その間、ここを見ててもらいたいんだが……分るな?」
「はい」
「もし、怪しい動きをするようだったら、多少の実力行使もやむを得まい」
「分かりました」
「ラテナとレミアにも手伝ってもらうといい。あの二人も訓練所の卒業生だし、長年領地管理をやっているからな、頼りになる」
「はい」
マリエはそこまで話すと一呼吸置いた。
「それと……」
「……?」
「……キリアンを頼む」
「はい」
間髪を入れずにエマは答えた。
「あの子はやる時はやる、というよりは、やらなくてもいい時にやらかしてしまう子だ」
「はい」
答えるエマは笑いをこらえているようだ。
「責任感が強いのはいいことだが、実力がまだな……」
マリエは人物を見る冷静な眼力と母親としての贔屓目との間で葛藤しているようだった。
「それからな、エマ」
マリエはエマに向き合って彼女の肩に両手を載せた。
「はい」
エマは心持ち背筋を伸ばして答えた。
「もしも、ということが……あるかもしれない……」
「そう、なのですか……?」
「まだ、私の勘が訴えてるという程度で……そもそも私が決めることではないのだが……」
マリエの言葉にはいつものキレがない。
「はい」
「重いものを背負ってもらうことになるかもしれないが……」
マリエの顔には苦悶の色が浮かんでいる。
「それは、幼い頃から知らされていたことです」
エマは明るい笑みを返しながらマリエに言った。
「すまない……ありがとう」
マリエも弱々しく微笑んで答えた。
「それに私一人ではないですから」
「そう、だな」
「はい」
そうしてマリエとエマは笑い合った。
「どうしたのですか?」
「何のお話ですか?」
二人の笑い声を聞いてラテナとレミアがやってきた。
「これから私は王都に戻るという話をしていたのだ」
「え、もう戻られるのですか?」
「もう少しいてくだされば……」
ラテナとレミアは残念そうだ。
そんな話をしていると、いつの間にかラテナ達の背後にゾーラがぬっと立っていた。
「も、もしかして……あ、あたしのこと……笑って、た……?」
「「ひっ……!」」
ラテナとレミアは驚いて飛び上がった。
「い、いいえ、そんなことはありません」
レミアが答えた。
「で、でも…、笑ってた……」
「あ、あれはキリアンのことです」
エマがすかさずフォローした。
「そ、そうか……」
そう言うとゾーラは、
「お、王女を、見てくる……」
と言ってダナエが休む部屋に入っていった。
「やっぱり気にしてるのかしら、呪いのこと」
ラテナが言った。
「そうかもね……でも、なんでそんなことをしたのかしら」
レミアも同じ考えのようだ。
「そのへんはイルニエ様が聞いて下さるだろう、そう言ってたからね」
沈みがちな雰囲気を上げようと明るい声でマリエが言った。
「それと、ラテナとレミアに頼みがあるんだ」
「「はい」」
「私が王都に行っている間、王女様のことを頼む、私が頼むまでもないことかもしれないが」
「もちろんです!」
「お任せください!」
そしてマリエは王都へと向かった。
――――――――
ここは王国政府諜報部の一室。窓際の大きな机では、一人の男が落ち着かない様子で机の上を指で小突いている。
昨日、ダナエ王女が倒れたとの知らせがあって以降、彼はずっとこんな調子だ。
そこへノックがあり、扉の脇に控えている職員が対応に出た。
彼は扉越しに二言三言言葉をかわすと、手に折り畳んだ紙片を受け取った。
そして、その紙片を持って机に座っている男の下に来て、
「マリエ様からとのことです、部長」
と言って部長と呼んだ男に紙片を手渡した。
「……そうか」
部長は低く小さい声でつぶやくように言って、折りたたまれた紙片を開き内容に目を通した。
(何度も読んでるな……多分)
部長の目の動きを見ていた職員はそう推測した。
(一体何が書いてあるんだろう……なんか怖い)
と、職員は震える思いで見ていた。
「出かけてくる」
そう言って部長は紙片を折りたたむと胸ポケットにしまい立ち上がった。
「はい」
職員はあえて行き先は聞かない。
マリエからの伝言であれば行く場所はほぼ決まっていて、要所には諜報部員も配置してある。
だが今回は少しばかり事情が違うようだ。
「店には行かないかもしれないが、尾行もつけないでくれ」
「尾行なし、ですか?」
職員が驚いて聞き返した。
「ああ、彼女の機嫌が悪くなるかもしれん」
そう言った時の部長の顔は、有罪がほぼ確定している裁判の法廷に出廷する被告人のそれだった。
「はい、分かりました」
職員は必死に動揺を抑えて、既に扉へと歩き始めている部長を見送った。
部長と呼ばれていた男が向かったのは、王都を一望できる高台にある見晴らしのいいテラスだった。
彼の名はルシウス、王国諜報部の部長だ。
平民出身ながら王立訓練所で優れた成績を修め王国諜報部に採用された後、並外れた能力を発揮し今では諜報部長の地位にある。
そんな王国政府内でも一、二を争うやり手が、テラスの端の席に座っている。
一見したところ落ち着いて見えるが、よく見るとじんわりと脂汗をかいて、過敏なまでに周囲を気にしている。
「よ」
と、いきなりルシウスは肩を叩かれた。
「ひぃっ……!」
「王国諜報部長ともあろうものが、なに情けない声出してるんだ」
ルシウスの肩に手を載せたままでマリエが言った。
「マリエ頼む……気配を殺して近づかないでくれ」
「何言ってるんだ、情けない」
そう言いながらマリエはルシウスの隣の席に座り、王都の景色に目をやった。
「詳しいことは後で調書にするが、まずは要点を話す」
「頼む」
マリエはここで一呼吸置いた。
「ダナエ王女は毒を盛られたかもしれない」
「ど、毒……?」
「ああ、まだ推測だかな。治癒術師や薬師だけでなく魔女のイルニエ様の見立てでもあるから、まず間違いないだろう」
「な、なんてこ……っ」
ルシウスに最後まで言わせないで、マリエは彼の衿元を掴んだ。
「今まで何をしてたんだ、何も兆候はなかったのか?なぜ気づかなかった」
それは決して大きくはなかったが、低く凄みのある声だった。
「す、すまん……本当に……」
ルシウスはうなだれるしかなかった。
「……とは言え私もそんなこと言えた義理ではないな、同罪だ、すまない……」
そう言ってマリエはルシウスの衿元から手を離した。
「とりあえず、今わかっている限りのことを話す」
そう言うとマリエは、ダナエが倒れてからのことをかいつまんで話した。
「それじゃ、ダナエ王女は助かるんだな?」
明らかにホッとした様子でルシウスが言った。
「ああ、今、イルニエ様達が薬になる花を採りに行っている」
「良かった……」
「本当に……それで」
「それで?」
「あんたもそれなりに調べてたんだろ?今回のことを見逃した言い訳として聞いておくよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべてマリエが言った。
「言い訳とは酷いなぁ、まあ、そのとおりだが」
同じような笑みを返してルシウスが言った。
「諜報部がここ最近力を入れて調べてたのはな……」
ルシウスは俄に渋い顔になった。
「……ん、なんだ?」
言い淀むルシウスを訝しそうに見るマリエ。
「正直、胸糞が悪くなる話なんだ……」
「構わない、言ってくれ」
マリエも真剣な顔になって言った。
「少し前の話だが……王国内の貴族で、奴隷取引に関わっている者がいる、という情報が入ったんだ」
「ど、奴隷……!」
あまりのことに、マリエは声が大きくなりそうなところを、両手で口を押さえてなんとか押し留めた。
「もちろん王国では奴隷は禁止されているから、取引は”東の商人“を介して行われているということだった。それで、諜報部内のかなりの人員をそっちに割いていたんだ」
「そういうことか……」
「まさにいい訳だけどな」
苦笑いするルシウス。
「それで、目星はついたのか?」
「まだ確証はないが、怪しそうなのは何人か上がっている」
「そうか……」
マリエはルシウスの話を頭の中で反芻するかのように腕を組んで考え込んだ。
「何かあるのか……?」
「うむ……気になる事があってな、今はエマに注意していてくれと頼んであるんだ」
「そこも詳しく聞きたいな……ところでエマとキリアンとはどうだい?うまくやってるのか?」
やや口調を和らげてルシウスが聞いた。
「ああ、エマがしっかりキリアンを見てるよ」
マリエも表情を和らげて言った。
「てことは、しっかり尻に敷かれてるって事だな」
ルシウスが小さくため息をついた。
「そりゃそうだろ、何と言ってもあんたの息子なんだから」
「そうだな、血は争えないってことか」
そう言うと二人は静かに笑い合った。
「そろそろ、日も落ちてきたな。どこかで夕食を食べないか?」
ルシウスが言うと、
「そうだな、たまにはいいかもな」
とマリエがそっけなく返す。
「たまにはってのも寂しいなぁ」
「それくらいが丁度いいのさ」
そんな事を話しながら二人は席を立ち、夕暮れの王都の街へ溶け込んでいった。




