始まり
まっすぐな色の青い空、手を伸ばしたら掴めそうな白い雲、それらを閉じ込める透明な窓。クラスメイトのカリカリとシャーペンを書き連ねる音、数人の話し声と、黒板にうちつけられるたびカンカンと悲鳴を上げるチョークの音が響いていた。都内のとある私立女子中学校の1年D組7番、水野彩莉の頭は部活のことでいっぱいだった。
そもそも一年生の2時期、部活で頭が埋め尽くされているような生徒などほとんどいないだろう。でも彼女は、今、とにかく、部活のことで頭が忙しかった。彼女が所属する軽音楽部は、全体的にみても少数派であり、大会に出場し、賞を取っているほかの音楽系の部活と比べると一番立場が弱いような、そんな少し特殊な部活だった。
そして彼女の頭をいっぱいにさせていたものは、彼女の所属するバンドについてだった。
事の発端は約一か月前__
文化祭でのライブが終わって初めての練習があった日の夜のことだった。
疲れ切った体をベッドに放り投げる。
こつっと手に当たったので、ふと携帯が気になり、すこし体を起こし、指紋認証を解除する。
LINEの通知の数がものすごい数に膨れ上がっており、焦ってすぐに開くと、一番上のバンドメンバーのトークグループの欄に、"解散する?"と書かれていた。今までも、個人的に何度か、あ、やばいかも、と思ったことはあった。でも、4人のグループラインで、ここまでヒートアップすることはなかった。
まさか、と思い、覚悟を決めてから、タップすると、予想した通り、いや、予想以上に白熱していた。
結局、その夜のうちにこのバンドは解散してしまった。ギターは部活をやめることを決め、顔をあわせられないような仲になってしまった。
私はこの夜、中学になって初めて泣いた。悔しかった。中学に入る前から思い描いていたすべてがこれから叶うことはないと思うと、悔しくてむなしくてたまらなかった。
幼稚で、我儘な、思春期だからこその願望が見え隠れした願いだった。
中学一年生になったばかりの私には、涙を流さないと抱えきれないようなあまりにもショックな出来事だったのだ。
ふと、天才ならこんな涙をネタに曲をかけるのかな、とどこかの誰かを皮肉った。泣き疲れた午前2時に私はようやく眠りについた。
その後、バンド解散が正式に決まり、(そのバンドの名前)の練習の最終日に、バンドメンバー、ベース担当のななと二人で帰っていた。
ななは、メンバーで喧嘩したとき、私にたくさん相談してくれた、一番信頼していたメンバーだった。まさに、友達よりも大切な、家族みたいな仲のバンドメンバーだった。
こんな風に帰れるのも最後なんだね、 なんて話しながら。世間話で笑いながら帰った。
そして、ついに、二つの岐路に分かれるところまできた。
「私さ、もう一回だけ、バンド組もうと思ってる。」別れ際になながそういった。
うちの部活では、バンドが解散した後にバンドを組みなおすことは珍しくない。
ななの目は真剣だった。
「....そっ、か。頑張ってね。」ななにちゃんと私は笑顔で言えただろうか。
私は前を向いて歩いている"友達"を、素直に応援できなかった。
本当ならこの流れで私も誘ってほしかった。
でも、一度解散したバンドのメンバー誘ってもまた同じことを繰り返すだけ。そう思って誘うわけないよね。
胸に何とも言えない虚しさと、シクっとした痛みを抱えて、歩き出した。またステージで、バンドで歌えるかも、なんて希望もなにもなかった。
そんなことがあり、私は、今日、ちょうど退部届をもらいに行こうとしていた。
現在は四限、この授業が終わればお昼休みである。
バンドが解散して、一か月、私は自分でバンドが組めるほど、部活内のアテがあるわけではないし、だれからもお誘いが来ることがなかった。悔しいけど、覚悟をもう決めた。そんなうちに、四限の終わりを告げる鐘がなった。
私は少し足取りを重くして職員室に向かう。
覚悟を決めたといっても、やはり後戻りできないのが怖い。
さっきも、どうにか退部せずに済む方法はないか考えてしまう自分がいた。しかしいくら考えても、現実はなかなか甘くない、思い通りになってはくれない。そう、わかってはいても、諦めきれずにいる自分に、もはや苛立ちを感じていた。
そんな感じでうろうろしていると、
「あやり?」と声をかけられた。元バンドメンバーのドラム担当、桐谷だった。
彼女はバンドが解散する前から家庭の事情で、部活をやめることを決めていたので、話す機会があれば話す、という仲にとどまっていた。
「これから退部届出しに行くんだけど、あやりも来てよ~。」そうケラケラ笑う桐谷からは、私のようにバンド解散の悲しい余韻に浸っている様子は微塵も無かった。
でも、もう一緒にやることはないんだし、苛ついてもしょうがないよね、と思った。いつまでも悩んでてもしょうがないので、このまま流れに身を任せて、一緒に職員室へ行くことにした。
「失礼しまーす。藤原先生お願いしまーす。」
桐谷がそういうと、小柄の男の先生がこちらへ小走りできた。
桐谷が「お願いしまーす。」と退部届を突き出すと、
「あ、退部届の件だね~、うん、はい、確認できました!帰っていいよ~。」
と言って自分の席に戻ろうとした。私ももらわなきゃいけないのに。
「藤原先生、あの、」そう言いかけたとき。
「「藤原先生!!!」」誰かの大声と勢いよく扉がバンッとあく音が職員室に響いた。
「藤原先生!、あやり来ていませんか?!」
声の主はななだった。彼女はメンバーの中でも冷静なタイプで、こんな全力でなにかをするところは見たことがなかったので、少し気おされてしまった。
結局元バンドメンバー同士が会ってしまった。
気まずい....。そう思っていると、「あやり、借りるね。」桐谷にそう踵を返して私の腕を引っ張ってスタスタと職員室を出た。
職員室をすぐでたところの廊下でななは私のほうに振り返ってまっすぐな目でこういった。
「あやり、私ともう一回バンド組まない?」