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最終章 わたしであること

再びリナと会ったのは、六月の終わり。

梅雨の晴れ間の午後、窓際に光が差し込む古い喫茶店で、二人は静かに向かい合っていた。


「この間よりも、表情が柔らかくなったね」

リナが言った。

美由紀は小さく微笑みながら、答えた。


「きっと、いろんなことを手放せたから。名前とか、過去とか……思い込みとか」


リナはしばらく言葉を探すように視線を落とし、そしてぽつりとつぶやいた。


「わたしね、あの文化祭のあと、本当はずっと気づいてた。

“てつ”が見せてくれたあの表情、きっと本物だったって」


「……」


「それを、ちゃんと受け止めなかったのは、わたしのほうだったんだよね。

だって、“女の子らしさ”を好きになるって、自分が変わることみたいで、

すごく怖かったんだもん」


美由紀はリナの言葉を遮らず、ただじっと聞いていた。

あの頃の言葉ではなく、今の声で語られるその思いに、どこか赦されていく気がした。


「でもね、今なら思えるの。

“わたしが誰かを好きになる”っていうことに、

相手の性別や身体だけを基準にしなくてもいいんだって」


そう言ったリナの目には、まっすぐな光が宿っていた。

それは懺悔でも、慰めでもない。

一人の人間として、いま目の前の美由紀に向けられた誠実な視線だった。


「美由紀、わたし……」

リナが言いかけたそのとき、美由紀は静かに手を伸ばし、彼女の手に触れた。


「リナ、ありがとう。でも、わたし、今は恋をする準備はできていない」

リナは目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


「そっか。……でも、そばにはいていい?」


「もちろん。わたし、リナのこと大事に思ってる。

過去のことも、今のことも。――きっとこれからのことも」


その言葉に、リナは小さく息を吐き、ほっとしたように笑った。


**


帰り道、美由紀は一人で歩いていた。


街はいつものように賑わっていたけれど、

その中を歩く“わたし”は、かつての“てつ”とは違っていた。


女装子として生きること。

“美由紀”という名前で在ること。

男性の身体を持ちながら、女性としての感性や生活に向き合うこと。


それは誰かの期待にも、定義にも、完全には収まらない生き方。

でも、それでいい。


大事なのは、「誰かになろうとすること」ではなく、

「わたしであり続けること」だから。


生まれたときに与えられた名前ではなく、

“自分で選び取った名前”で歩いていくこの道を、

わたしは、わたしのままで、生きていく。


それが、わたしであること。


そしてそれは、まだ始まったばかりの物語だ。



― 完 ―


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