第十章 再会
春の終わりを感じさせる、少し汗ばむ風が吹いていた。
待ち合わせは、昔よく通っていた駅前のベンチ。
少し古びたロータリーの向こうにある、小さな噴水。
あの頃と同じ景色。けれど、今、美由紀はまるで違う気持ちでそこに立っていた。
ベージュのワンピースに、落ち着いたグレーのカーディガン。
控えめに整えたメイクと、肩まで伸びた髪。
鏡で何度も確認し、ようやく「これが今のわたし」と思えるまでに整えてきた。
時計を見る。約束の時刻まで、あと三分。
心臓の音が、指先にまで届きそうだった。
「……美由紀?」
その声は、聞き覚えがあった。
振り返ると、そこにいたのは――リナだった。
記憶より少し大人びて、けれど目元はあの頃のまま。
少し緊張したように微笑む彼女に、美由紀はそっと頷いた。
「……久しぶり」
「ほんと、久しぶり……。て――いや、ごめん。美由紀、だね」
その一言に、美由紀は小さく微笑んだ。
**
近くのカフェに入り、窓際の席で向かい合う。
緊張が漂う中、リナが最初に口を開いた。
「正直、今日来てくれるか分からなかった。手紙、ずっと迷ってたんだ」
「……読んだよ。ちゃんと、全部」
「ありがとう」
リナの指先が、コーヒーカップの縁をなぞる。
「自分でも不思議なんだ。あの頃、てつといた時間――いや、美由紀といた時間、って言うべきか――
その時は、ただの“親友”って思ってた。でも今思い返すと、わたし、自分を守るためにいろんなこと見ないふりしてたんだって、分かった」
美由紀は、ゆっくり頷いた。
「わたしも、自分から遠ざけてた。
『変わりたい』って言うのが怖くて。誰かに拒まれるくらいなら、最初から何も言わない方がましって、ずっと思ってた」
「でも、変わったんだね」
「うん。少しずつ、ね」
しばらく沈黙が流れた。
けれどそれは、気まずさではなく、互いを確かめ合う静けさだった。
リナがカバンから、小さな写真を取り出した。
「見て。あのときの文化祭の写真。……懐かしいよね」
そこには、制服姿の“てつ”と“リナ”が並んで写っていた。
「……若い」
思わず笑ってしまうと、リナも笑った。
「でも、ここに写ってる“てつ”は、もういないんだよね?」
美由紀は、写真を見つめながら言った。
「うん。でも、“いなかったこと”にはしてない。
てつがいたから、今のわたしがいる。
だから、てつの記憶も、名前も、全部わたしの一部。……大事な、一部」
リナは目を伏せて、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、これからは“美由紀”として、わたしと、また話してくれる?」
「うん。美由紀として、話せるよ」
コーヒーが冷めるのも忘れて、ふたりはまた昔のように笑い合い始めた。
ただし今度は、互いに向き合った“今の名前”で。
**
帰り際、駅の改札前。
「美由紀」
リナがそう呼ぶと、美由紀は振り返った。
「今日、会ってくれてありがとう。……すごく、嬉しかった」
その言葉に、美由紀は静かに微笑んだ。
「こちらこそ。……また、会おう」
電車が走り出しても、胸の中には不思議な温もりが残っていた。
それは「てつ」だった自分に向けられた、最後の赦しのようだった。
(名を越えて、ようやく“わたし”になれた気がする)
心の奥で、小さな光が灯った気がした。
次章予告:第十一章「光のさきに」
“過去”との和解を経て、美由紀は次のステップへと進む。
名前を越え、時間を越え、そして“誰かと在る”という選択へ。
物語は、ついにそのクライマックスへ――




