入学試験(合格発表)
――そして翌朝。
「お兄ちゃん、起きて」
シアラの声が、布団にくるまったミケチの耳に届く。
「ん、んん……おはようのキス……?」
「きもいこと言ってないで。もうノヴァさんが来てるわよ」
「なっ、やばっ! もうそんな時間!?」
跳ね起きたミケチは、寝ぐせのまま洗面所へ駆け込み、顔を洗って歯を磨き、パンをくわえて全速力で階段を駆け下りた。
「ミケチ、おはよう」
ミアがのんびりと声をかける。
「ごめん! 今急いでるから!」
それだけ叫んで、ミケチは勢いよく玄関の扉を開け放ち、外へ飛び出した。
「お待たせ! 行こうか!」
「お前、いつも俺を待たせるよな。遅刻魔め」
ノヴァがあきれたように笑いながら言う。
そんな軽口を交わしながら、二人は並んで学校へと駆けていった。
朝の光に照らされたミルフィーユ魔法学院の門は、試験の日よりもさらに大きく、堂々と見えた。どこか威厳すら感じるその姿に、ミケチは思わず足を止める。
「……やっぱり、すげーな。ここが俺たちの学校になるのか」
ノヴァがしみじみとつぶやく。
「気が早いって。まだ合格してないんだからな」
ミケチが苦笑まじりに返すと、奥のほうから大きな声が響いた。
「受験生の皆さーん、素材提出をお願いしまーす!」
構内の広場には、受験生たちが列を作り、手にした素材を一人ずつ係員に渡していた。
ミケチとノヴァも列に加わり、それぞれ腰につけたマジックポーチからスカーレットドラゴンの素材を取り出す。
「……なんだか、改めて緊張してきたな」
「大丈夫だって。あれだけの相手を倒したんだ。胸張ってこうぜ」
二人は無言でうなずき合い、順番が来ると素材を提出窓口に差し出した。
運命の合格発表は、もうすぐそこだ。
そして、運命の時がやってきた。
試験を終えた受験生たちが広場に集まり、ざわざわと落ち着かない空気が漂っている。そんな中、ルミ先生が堂々と前に出ると、周囲が一気に静まり返った。
「よーし、お前ら! 一週間、本当によく頑張ったな!」
彼女の声ははっきりと響き、どこか誇らしげでもあった。
「これから、合格した10チームの名前を発表する! まずは順位なしの7チームを呼ぶ! そして最後に、上位3チームを3位から順に発表するぞ!」
緊張が一気に高まる。
「名前を呼ばれなかったやつは――また来年、リベンジするんだな!」
静かな覚悟が、会場全体に走った。
ルミ先生は腕を組みながら、厳しくもどこか期待を込めた視線で受験生たちを見渡していた。
「それじゃあ発表するぞ! まずは順位なしの合格チームからだ!」
場内が静まり返る中、ルミ先生は名簿を手に取り、次々と名前を読み上げていく。
名前を呼ばれたチームは、一瞬信じられないといった様子で顔を見合わせたあと、歓喜の声を上げて合格者の列へと駆け寄っていく。
ざわめきが広がり、友達と抱き合ったり、拳を突き上げたりと、思い思いに合格の喜びを表現する受験生たち。
「よし、ここまではただの合格者だ。ここからが本番だぞ!」
ルミ先生の声が一段と鋭くなる。
「次に発表するのは――上位3チームだ! 特待生として、学費が全額免除になる栄誉あるチームだ! 発表は3位からいく!」
ルミ先生の力強い声が響くと、場内の空気が一変する。
笑顔を浮かべていた生徒たちも、徐々にその表情を引き締め、固唾をのんでステージを見つめた。
張り詰めた沈黙の中、誰もが期待と不安を抱えている。だが、そんな空気のなかでも、ミケチとノヴァだけは落ち着いていた。
「……緊張、してないのか?」
「んー。スカーレットドラゴン以上の素材なんて、誰も持ってないと思うし」
「だよな。俺たち、あんな化け物と戦ったんだぜ?」
確信があるわけではない。だが、あれ以上の試練があったとは思えなかった。
二人の間には、根拠のない自信ではない“確かな実感”があった。
――だからこそ、彼らは静かにその瞬間を待っていた。
「第3位は――オモチ、ソヤ!」
「素材はリリス・ネメシアの素材! 困っている精霊のふりをして近づき、相手を眠らせて毒状態にし、生命力を奪う魔物だ!」
二人組の少女が肩を寄せ合いながら立ち上がる。その姿に、周囲から驚きの声が漏れた。かなりの強敵だったことが伺える。
だが、その直後――
「第2位は――ミケチ、ノヴァ!」
一瞬、広場が静まり返ったのち、歓声があがった。
「すげぇ! あいつら、あの火竜を倒したのか!?」
「スカーレットドラゴンって名前が見えるぞ!」
「うそだろ……あれ、討伐隊でも苦戦する魔物じゃなかったか?」
ミケチとノヴァは顔を見合わせ、思わずぽかんとする。
「……受かった、のか」
「う、うん……でも、2位?」
ふたりの顔に安堵と喜びがにじむ一方で、同時に強い困惑も浮かぶ。
「スカーレットドラゴンで……2位……?」
壇上で名簿を確認していたルミ先生が、ふと微笑を浮かべながら言った。
「素材は……スカーレットドラゴン、ね。あの火竜を二人で仕留めたなんて、十分すぎる成果だわ」
「それで“2位”……本当に、今年はどうかしてるわね」
「じゃあ、1位って……?」
言葉の続きを待つ間、ふたりはなんとも言えない表情でステージを見つめていた。
すると、再び名簿に目を落としたルミ先生の表情がわずかに変わる。
一瞬だけ目を見開き、思わず息を飲んだような間――
「……っは……こ、これは……教師泣かせにもほどがあるわね。まさか、こんなものを……」
彼女は名簿を持つ手に力を込め、肩をすくめながらも、やや感嘆の混じった苦笑を浮かべる。
「正直なところ、下手をすれば教師陣が総出でも勝てるかどうか――そんな素材よ。……まったく、今年の受験生は何なのかしら」
その異様な反応に、ざわついていた広場が一瞬で静まり返る。
そしてルミ先生は、静寂を裂くような鋭い声で告げた。
「第1位は――ウィズリー、キート! 提出素材は……《デーモン》!」
次の瞬間、場内はまるで爆発したかのようなざわめきに包まれる。
「デーモンの素材だって!」
「うそだろ……!? 魔界に棲むっていう、あの……!」
「どうやって倒したんだよ、そんなもん……!」
ノヴァが小さく首をかしげると、ミケチがぽつりと補足した。
「……“魔界と繋がる裂け目”って呼ばれてるくらい、瘴気の濃い場所にしか現れない上位魔族だよ。知能も高くて、人間の言葉を使うらしい。魔法の扱いにも長けてて、群れで現れることもあるって……」
ノヴァの顔が引きつった。
「それ、受験生がどうこうする相手じゃないじゃん……」
「だよな。たぶん、普通なら国家レベルの対応案件だぞ、あれ……」
ステージに目をやると、場内の注目を一身に集めながら、ウィズリーとキートのふたりが静かに前へ出ていた。
ウィズリーは相変わらず人懐っこい笑みを浮かべているが、どこかその瞳は燃えるような自信と底知れぬ強さを感じさせる。
隣のキートは一言も発さず、ただ静かにルミ先生に一礼する。
無駄な動きも感情の揺れもない。まるで“それが当然”だとでも言うかのような、冷静すぎる佇まいだった。
ノヴァがそっと目を細める。
「……キートって、初めて見る顔だけど……あの空気、完全に実戦慣れしてる。生半可な修行じゃ無理だよ、あれ」
ミケチもうなずく。
「ウィズリーも、明るいけど、どこか……目が戦ってる人のそれだよな。笑ってるのに、芯が揺れてない」
「ふたりとも……マジで強いんだろうな」
「……うん。納得、って感じだ」
ノヴァはふっと笑い、目を伏せた。
「いつか、お手合わせしたいね」
淡々とした会話の裏に、ふたりの中で確かに芽生えた“新たな目標”が、静かに――けれど確かな熱を帯びて、灯っていた。
「よし、合格した者は明日、能力測定があるからな。遅れずに来るように!」
ミア先生はそう言い放つと、くるりと踵を返し、そのまま足早に去っていった。
ざわついていた広場も、次第に落ち着きを取り戻し始める。
ミケチは一息ついて、隣のノヴァに笑いかけた。
「とりあえず、合格したしさ。明日に備えて、帰りに昼飯でも食べて、家でゆっくりしようぜ」
ノヴァも微笑みながら頷く。
「うん、それいい。そういえば俺、こないだ美味しいお店見つけたんよ。今日はそこ、案内するわ」
「おっ、いいね。じゃ、さっそく行こうか!」
そう言って、ふたりは肩を並べながら広場を後にした。
そうしてふたりが向かったのは、町外れのこぢんまりとした食堂だった。
カウンター越しにいい香りが漂い、ノヴァは得意げに胸を張る。
「な? いい感じのとこやろ。ここ、スープが絶品なんよ」
「うん、めちゃくちゃいい匂い……腹減ってきた」
しばらくして運ばれてきた料理は、香ばしいパンと具だくさんのスープ。それにミケチは思わず目を見開いた。
「……これ、ほんとにうまいな。ちょっと感動したわ」
「だろ? 俺の舌、けっこう信じていいで」
そんな何気ない会話を交わしながら、ふたりはゆっくりと食事を楽しんだ。
やがて昼食を終えると、ふたりは並んで通りを歩き出す。
「ふー、満腹。眠くなってきたな……」
「おいおい、明日から魔法学院だぞ? 気合入れとけって」
「んー……とりあえず今日はゆっくり休んで、明日から頑張るよ」
交差点の手前で、ノヴァが立ち止まる。
「じゃ、俺はこっち。お前も寝坊すんなよー?」
「そっちこそ。遅刻したら、今度こそ俺が先に着くからな」
ふたりは軽く笑い合い、手を振って別れた。
──春の日差しが静かに降り注ぐ中、新たな舞台に足を踏み入れた少年たちは、確かな一歩を踏み出していた――。
―――――――――
そして一方──
座の間に、ふたつの影がひざまずく。
「魔王様、ただいま戻りました」
「マメ様、いまもどったよ〜ん!」
堂々とした声と、陽気すぎる声が重なったその瞬間、玉座の奥から静かに響く重低音。
「……トキ、ウィズリー。戻ったか。速やかに報告せよ」
漆黒の玉座に座る魔王――マメラグナ・インフェルノが、わずかに身を起こす。
「……問題なく、学園内部への侵入に成功いたしました。内部構造の把握と、生徒・教員の魔力反応については、引き続き慎重に調査を進めてまいります」
その隣で、ウィズリーがぴょこんと手を挙げる。
「はーい、私ね、試験の前にちょっとだけ声かけちゃったんだ〜。なんか、すっごい魔力の子がふたりいてさ〜!」
「名前はミケチとノヴァ。ぴかーってしてたの!」
マメラグナ・インフェルノはゆっくりと目を細める。
「ミケチとノヴァ……そのふたりについては、すでにこちらでも調査を進めている。いずれも、以前から異常な魔力量を有する個体として把握済みだ。すでにこちらでも手は打ってある。大きな問題にはならんだろうが──何かあれば、すぐに報告しろ」
「かしこまりました」
「りょーかいっ!」
トキは静かに頭を下げ、ウィズリーは元気よく手を挙げる。
「魔王様、もうひとつご報告が」
ぴくりと眉を動かしたマメラグナが応じる。
「なんだ、トキ。言ってみろ」
「わたしは“キート”という名で潜入していますが……このバカは、“ウィズリー”の名前のままで学園に入っています。人間側にも多少名前が知られているのに、です。もしヘンなことをすれば、身元がバレかねません」
「バカってひどいよ〜、トキ〜。あんまりじゃない?」
ウィズリーは頬をふくらませて抗議するが、次の言葉にぴたりと表情を変える。
「……うちの可愛いウィズリーに文句があるのか、トキ。いずれはバレることになるが、調査が済む前に気づかれそうになったら──お前がなんとかしろ。いいな」
「……かしこまりました」
「マメ様は人使いが荒い……」
トキが静かにため息をついた横で、ウィズリーは「可愛い」と言われたのが嬉しかったのか、にこにことご機嫌になっていた。
「あとマメ様〜、潜入のためにね、城の庭付近にいたデーモンちゃん、1匹もらっちゃった〜」
くるっと一回転してから、ウィズリーがニコッと笑う。
「問題ない。……二人とも、ご苦労だった」
マメ様の低く威厳ある声に、ふたりはひざまずき、静かに頭を垂れる。
「はっ」
その言葉とともに、闇に沈む玉座の間は、再び静寂へと包まれていった。