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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

徒花と実を結ぶ糸

徒花とは実を結ばない花

神父様、神父様。

私はここに懺悔を告げたいと思います、懺悔室はここで合っていますよね。

どうか下らぬ戯言と思ってお聞きください。お耳を傾けてくださるだけでよいのです。固より許しを得ようなんざ思っておりません。



私はしがない小市民でございます。なんの特別な能力も特徴も持ち合わせちゃおりません。与えられたモラトリアムを食い潰しながら日々を無為に生きる卑しい者でございます。ああ、だけど、困ったことに、どうやらこのような詰まらない下臈(げろう)にも上を、星空を見上げる権利は与えられていたようでして。


彼女と出会ったのは―いや、正しくは私が彼女を意識し始めたのはと云うべきですかね、迫る冬の足音に皆が外套の釦を掛け始めた、そんな季節でした。ええ、切っ掛けは詰らんものです。


偶々、そう偶々、当選した宝籤(たからくじ)を換金したのが彼女が窓口係を勤める店だった、たったそれだけです。

「おめでとうございます!」と、混じり気ない笑顔で他人が手にする大金を祝福できる人間が、この世にどれほどいるか。きっと、そう多くはない。真贋入り混じった醜い人の世で、されど疑うべくもない(まこと)の輝きを放つその笑顔に、私はすっかり首ったけになってしまったんです。


思わず笑ってしまうくらいに下らない理由でございましょう?ですがね、一度身を焦がすような愛欲の沼に落ち込んだ人間は、二度と這い上がれない。どろりとした色情が私の四肢を絡め取り、魂を舐め回すように炙るのでございます。私は瞬く間に彼女の虜になりました。


彼女の白魚のような、冷たくてか細い手。釣りを受け取りながらうっかり触れたときには、胸を掻き毟りたくなるような衝動が込み上げました。陽の光を浴びて煌めく明眸は、視線を交錯させるたびに暴力的なまでの情動を掻き立てて。曲眉豊頬、仙姿玉質、沈魚落雁、そんな薄っぺらい美辞麗句では到底言い尽くせやしない凄絶で、それでいて優しく、暖かく、月光のような柔らかな可憐。これほど己の語彙の拙さを厭悪したのは後にも先にも彼女と居たときだけでしたよ。


それから私は熱病に浮かされているかのように彼女の許に通い詰めました。何枚の宝籤を購入したことか。たとい当選しなくとも、彼女との会話を、出逢いをもたらすと云うだけでそれらはまさに私にとっては値千金の紙切れだったのです。光と陰は矢の如く、季節はすっかり年の瀬となり、降り積もる雪のように出逢いの時は重なっていきました。


いつしか名前も覚えられ、顔を合わせれば微笑みかけてくれるようになって、私のような下賤の身でも、幸福を掴むことができるかもしれない、人に期待しても良いのかもしれないと思い始めました。そんなある日でした、私がそれを目にしたのは。


例の如く私はその日も彼女の許へと向かっていました。今日は何の話をしようか、その前にまず金は持ったか、来るべき10分後の逢瀬―そう思っているのはきっと私だけですが―に胸を躍らせていると、いつもの窓口に一人の男が立っているのが見えたんです。端正な顔立ちの男でした。長い間通い詰めている私でも初めて見る顔なのに、随分と楽しそうに長きに渡って与太話に興じています。なんという不幸、なんという裏切り!


いえ、判っています。判っていますとも。私は彼女にとって何でもない、ただの常連客でありますし、ええ、彼女がその男に好意を抱いているかどうかすら、私の立場からでは分かったものではない。其れは重々承知なのです。頭では判っているのです。


ですが、ですがね。狂おしき緑の目をした怪物が、私を咀嚼して噛み砕くのです!嗚呼、嫉妬とは七大罪の一つ。人類がどんなに突き放そうとも影のように連れ添うからこそ、其れは七つの大罪のひとつなのです。お許し下さい!いいえ、許しなどは乞いません。乞うておりません。


グシャグシャに怪物の涎に塗れた心が悲鳴を上げました。私は、哀哉、なんという愚者、愚者!だけど、嗚呼、悲しいほどに私は無力。結局、男が去るまで隠れてやり過ごし、いつものように宝籤を購入し、短い会話を交わして立ち去ることしかできませんでした。とどのつまり、臆病の虫に負けたのです。彼女に直接聞くこともできず、この想いを告げることもできず。抑圧していれば嵐が去るようにこの愛欲からも解放されると信じて。


けれども待てど暮らせどそんな日は訪れません。今まで自分がどうやって叶わぬ恋を忘れてきたかも分からなくなって。そうしている間にも男と彼女の逢瀬は続いて。私と居るときにはその片鱗をちらとでも見せたことがないような声で、表情で!彼女が談笑するのです、彼女が楽しげにしているのです。最早私自身にも、いや、私自身が一番、自分がどうしたいのか、何を目指しているのか、どこを着地点としたいのか、加速度的に分からなくなっていきました。


諦めるべきだ、捨てれば楽になる。私では彼女と釣り合わない。あの男とともにいて、彼女が幸せなら其れでよいではないか。ならば諦められるのか?きっぱりと慕情を棄却できるのか?そうでないなら心の裡を彼女に告げるべきだ。行動を起こさなければ何も変わらないのだから。矛盾した心中の声がぐわんぐわんと頭蓋に反響します。


恋仲ならば話はもっと単純でした。そこには約束があります。いかに彼女が私と居るときよりも幸せそうに見えたとしても。私以外に心を寄せることはないと、少なくとも恋仲である限りはそう思ってもいいでしょう。しかし、私と彼女は恋仲ではない。すなわち、そんな保証は、ね、そんな保証はどこにもないでしょう?いつ彼女が、いやそもそも彼女は今の時点で私に心を寄せているのか、男に心を寄せているのか、果たして我々以外の預かり知らぬ誰かに心を寄せているのか、そんなことすら分かりはしない。彼女の愛情の向く先を知らないという点では、あれほど憎らしく思っていた男に、奇妙な連帯さえ感じます。


嗚呼、しかも、始末の悪いことに、私の心の天秤が、諦観に傾いたときに限って、彼女は特別魅力的な微笑を見せるのです。そうして私は彼女に囚われたままになり、また鬱屈した好意を寄せるのでございます。


躁鬱の乱高下は止まず、病み、而してその時がやってきました。


或る夜。いつものように彼女が窓口に立つ店に訪れます。そうならないように時間帯をずらしたというのに、そこにはあの男がいます。耳をそばだてると会話が聞こえてきました。人の道に(もと)ると判っていても、そして単なる利己で考えても自分の心がさらに落ち窪む結果に帰するだけだと判っていても、彼女と男との間に私が知らない記憶があると考えただけでおかしくなってしまいそうなのです。


「〜♪」


男が鼻歌を歌っています。


「〜♪」


彼女も同じ鼻歌を歌っています。


よくよく注視してみれば、二人は1台のデバイスから生えたイヤホンを共有し、同じ曲を聞きながら鼻歌でユニゾンしているではありませんか。


「貴方に進められるまでは全く興味ないジャンルでしたが、聞いて見るものですね。」


「そう?いい傾向やね、こうやって君を染めていこう」


「楽しみ…」


無様な自分を嗤うかのように高笑いがこぼれました。或いは、そうしなければ精神が押しつぶされそうだったからかもしれません。最早これまで、私では役者が違ったようです。私は所詮三枚目、どうあがいても滑稽な一人芝居を繰り広げるしか能がない滑稽な道化師だったのです。


膝をつきました。もう何もかもがどうでもいい気分でした。両手で顔を覆い、笑い続けました。


しばらくして男が去った後で、彼女への未練は断とうとつい先刻決意したはずなのに、性懲りもなく足は勝手に動いて窓口へと向かいます。何を話したかは憶えていません。買った籤は捨てました。


それから、かつて彼女と会うために購入して、会話の中で彼女の些細な言動に歓喜したり、心が軽くなったり、弾むような気分になった思い出が詰まっている気がして換金せずに取ってあった籤の中に、頭を埋めて嗚咽しました。追憶が、戻る筈もないのだけれど。


苦しくて、悔しくて、どうにもやりきれなくて、彼女が他人のものになってしまうくらいなら、いっそ殺してしまおうかとも思いましたが。私のような人間に、そんな覚悟など持てようはずもございません。嗚呼、押し殺して、忍ぶしかない。徒花など大事に育てていても無駄だから、此処で枯らしてしまえば良い。そう思いました。


けれど、けれども。刃の下に心ありと書いて忍、ならば私の心は刃の下に隠すにはあまりに大きくて。だから、ついぞ刃を押し出してしまうに至ったのでしょう。


夢を見たんです。大変こちらに気を許した素適な口調の彼女に、後ろから抱きつかれて相談される夢を。隣りに座った彼女が、私の肩に頭を預けて船を漕ぐ夢を。文字通りに夢見心地の夢でした。それら一切があの男のものになるのです。とても許されない。私は、夢遊病患者のように覚束ない足取りで立ち上がると、刃物を手に取りました。


何気なく、ごく自然に、私の足は彼女の許へと私を導きました。何やら彼女は怯えています。どうしてでしょうか。不思議でした。視界が定まりませんでした。それでも、なにか大きな運命に操られて、私の腕はいやにしっかりと、そう、なるべく苦しみを与えないように、朝日を反射して鈍く光る刃を、肋に引っかからぬよう横倒しにして、鋭く突き立てました。


紅い体温が私を包みました。彼女のぬくもりです。その時の心地よさと言ったら、嗚呼、これ以上のものはない。どこからか甲高い悲鳴が聞こえました。私と彼女の門出を祝福してくれていたに違いありません。


それから、それから私は、冷たく黒ずんでいく彼女の温度が突然怖くなって、此の身にベッタリとへばりついた返り血が冷めきってしまったら、このまま彼女との想い出すら空気中に溶けていく気がして、それで朝靄残る街中を決死の形相で走り抜けました。


家の扉を開け、予め温めておいた浴槽に服を脱ぎ棄て―これで彼女の体温は、湯船を暖かく保ち続ける限り覚めることはありません―、脱衣所にへたり込むと、じんわりとした達成感が胸の底から沸々と、湧き上がってくるのを感じました。私は、わたしにとっていちばんだいじなものを、あの男からまもりきったのです。


嗚呼、だけど、彼女をこの手で殺めてしまった今、私と彼女とのつながりを知るものは此岸にたった一人、私だけ。だから誰かに、神父様に、私と彼女との繋がりを知ってほしかった。こうして誰かが此の話を、私と彼女との耽美で輝かしき関係を、記憶にとどめていてくれる限り、私と彼女は繋がっていられる。


ね、下らない戯言でございましたでしょ?


嗚呼、ですがこんな世迷い言に、お付き合いくださりありがとうございます。お陰で私の本懐は遂げられました。それではこのあたりで、お暇いたします。どうもありがとう、神父様。


主人公の性別はあえて描写しておりません。

お好きに妄想してくださいませ。

え?何で主人公が逮捕されずに懺悔室まで来れたか、だって?


「彼女」と出会うきっかけになった当選した宝くじ換えた金で保釈金払ったからだよ。

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