霧が立ちこめる晩に・お茶会で・マーブル模様のノートを・探し始めて十年が経ちました。
私は、不思議の国のアリスの絵本でお茶会という単語に憧れていた。お茶会をしたいと母親に頼んでも、いつものダイニングテーブルにクロスを敷いてみたはいいが、そこに並ぶのは使い慣れたコップと見慣れた急須で中身は緑茶だ。並ぶ菓子は天然素材を使ったと謳われた煎餅や米菓子。小麦粉を排除する家庭環境だったから、紅茶にティーポット、ケーキにクッキーなどは夢のまた夢だった。それは母親が小麦アレルギーがあったからと言うのを何度か聞いていたけれど、それでも子供の頃の情景に描くのは、懐かしい父母との思い出や旅行ではなく、アニメに出てくるお茶会の情景ばかりだ。親不孝と言われれば、そうかもしれない。その憧れが強いまま大人になり、次第にその情景は消え失せるかと思いきや、お金を手にするようになると手に入る物の尺度を測れるようになったので、高価なティーポットや海外旅行で本場のアフターヌーンティーを目標にするようになった。それが手元の金額を遙かに越えていても、その物を手に入れるのであれば稼げばいいと考えるようになった。高価なティーポットは美しくなめらかで、白の磁器はまるで西洋の乙女の肌を永遠に閉じこめたかのようだ。小麦色の自分の肌とは違う。黄色人の肌が焦がれても手に入らない白さを、手に入れたときはうっとりと何時間も眺めたものだ。
正当な輸入ショップにて買うのは、幾分か手持ちの金と羞恥心が足りなくて入れなかった。小麦を取らずに来ていたものの、なぜか自分は肥満体に近く、生きているうちにスリムであったことがない。だからか、成人して家を出たとてえなかなか体型は変わらず、やせたいと願っているばかりで極力辛いことは避ける。そんな一般的な汎用的な人間である。だが彼女には少し変わった特技があった。明析夢と呼ばれる特技である。夢を夢として意識を持って好きに動かせるのだ。その夢の中で、彼女はお茶会を常に行っていた。まだ金が手に入らぬ子供の時分に、現実から逃げるように願ったとおりの世界を作り上げるのが常だったのだ。
「やあアリス」
夢の中ではウサギが二足歩行をし、人語を介する。おとぎの国の主人公になれるのだ。アリスと呼ばれることが常で、お茶会でたらふくケーキやクッキーをほおばっても何も言われない。下品であるなどの作法も何も言われない。そうしていかれ帽子屋やハンプティダンプティと会話をし、ハートの女王も同席に着くことがある。今日もその夢を見ました、と彼女は言った。すでに大人になっている彼女が神妙に言うのは、幾分か不思議な光景だった。
「このノートをあげよう」
夢の中で、彼女はいつもウサギからノートを渡された。マーブル模様のノートだ。大理石の模様は、彼女の中では富裕層が持つ物という認識で、憧れの柄であった。ただスマートフォンで買えもしないのに、大理石のテーブルを延々と眺めていることがある。それは閲覧履歴として残り、簡単に彼女の行動を確認できるだろう。
「私、そのノートを探してるんです」
彼女はカウンセリングを必要としている。話を整頓すると、夢と現実の区別が付いていないようだ。家には督促状やゴミがあふれかえり、彼女は霧が立ちこめる晩に、マイセンなどを取り扱った茶器店を襲撃した。彼女はウサギに付いていっただけだと証言するし、ガラスを破った方法について尋ねても要領を得ない。ただ身の上話であればしっかりと話し出すので、負った罪に対しての現実から逃避しているのだろうと彼女の周囲にいる者達は言う。これでは話にならない、と決めたらしく一人の男性が立ち上がり、なにやら手配を指示していた。彼女はただ俯きながら、いつの間にか包帯が巻かれた手をじっと眺めている。