公爵令嬢は恋するイルドに告白をしたい。
アストリア王国では、年に一度、女性から男性に愛を告白出来る日がある。
例え、婚約者がいる場合でも、男性は安心出来ない。
女性が婚約者に不満があれば、他の男性に愛を告白する事が認められている、そんな特別な日なのだ。
離縁する人達が増えてしまうのを防ぐ為に、それが認められているのは独身者に限るのだが。
フィレーネ・カルディス公爵令嬢は、イルド・ラモンテ・クレール公爵に恋をしていた。
銀の髪の若き公爵イルドは歳は27歳。それはもう美しくて、色々な令嬢達からモテた。
しかし、彼は何故かいまだに婚約者もおらず、結婚もしていない。
「ああ、イルド様と結婚したい…でも、わたくしは…」
フィレーネはこの国のソルド王太子殿下の婚約者である。
「今年こそは告白するのですわ。イルド様に、わたくしの想いは貴方にあるという事を。」
フィレーネも17歳。来年はソルド王太子と結婚が決まっている。
今年しかチャンスはないのだ。
ソルド王太子に対しては、黒髪の地味な男性で真面目でつまらない人という印象しかなかった。
二人きりでお茶をしても、堅苦しい話しかせず、面白みのない男性…
それよりも、華やかなイルドにフィレーネは惹かれたのである。
夜会でも、色々な令嬢と踊るイルド。
しかし、王太子殿下の婚約者であるフィレーネはイルドと踊る事すら出来ない。
いつも王太子殿下としかダンスを踊らなかった。
自分の想いがイルドにあるという事を解って欲しい。
明日が待ちに待った告白デーである。イルドに自分が告白した事は王家に知られる事となろう。
王家とカルディス公爵家の都合で決められた政略的な婚姻への精一杯の抵抗であった。
クレール公爵家には明日は大勢の令嬢達が押しかけているであろう。
その中でもみくちゃになってもいい。
後悔しない行動をしたかった。
ドレスは何色がいいかしら。
イルド様はどんな色が好みかしら…
お美しいイルド様。ああ…あの空色の瞳で見つめられたら…わたくしは…
その時、メイドが来客を告げた。
ソルド王太子が直々に訪ねて来たと言う。
一体全体何だと言うのだ?
ソルド王太子を客間に通すと、彼はフィレーネに近づき、
「明日は共に過ごして欲しい。」
「え?明日は特別な日…女性が愛を男性に告白する日ですわ。」
「だから、婚約者である君と過ごしたいと言っているのだ。」
「貴方とわたくしは政略ではありませんか。わたくしは行きたい所があります。」
「あああ…やはり、イルドの所へ行くのだな?」
「そうですわ。せめて、わたくしの気持ちをあの方に知って頂きたい。それを望んではいけない事でしょうか?」
「それならば、私も明日、ついて行く。」
「え?」
「私も君と一緒にクレール公爵家に行くと言っているんだ。」
「それでは、わたくしはイルド様に愛の告白が出来ないじゃありませんか。」
「どうせ、イルドの元には50人位の令嬢が押し寄せるだろう。君はその中の一人と言う訳だ。君がイルドに振られる所をしっかりと見ていてあげよう。」
それはそうでしょう。ソルド王太子殿下が、睨みを聞かせていれば、イルド様だって、
例え、わたくしの事が気になっているとしても、答える事すら出来ないですわ。
フィレーネは自分が最低な女だと言う事は解っている。
婚約者がいながら、他の男に愛の告白をしようとしているのだ。
ソルド王太子との政略結婚からは逃れられない。
せめて、愛するイルドに想いを伝えたっていいのではないのか?
法律でも、独身の女性が独身の男性に告白する事が、その日だけは認められているのだ。
フィレーネは頷いた。
「よろしくてよ。では、明日、一緒にクレール公爵家へ行きましょう。」
「ああ、君がイルドに振られる所をしっかりと見ていてやろう。」
翌日、薄緑色のドレスに赤い薔薇の花束を持って、馬車に乗り込むフィレーネ。
金髪に碧眼のフィレーネは髪をアップにして、それはもう美しかった。
共に馬車に乗り込むソルド王太子。
「ああ、フィレーネ。美しい。私に愛の告白をしてくれればよかったのに。
その赤い薔薇の花束を私が貰いたい。」
「これはイルド様に差し上げる花束ですわ。」
ソルド王太子は不機嫌に眉を寄せて、
「君は政略結婚だと言うけれど、私は君が婚約者になってくれてとても嬉しかったんだ。
洒落た会話も出来ない。ダンスも今一、上手くはない。
この通り、地味な見た目だし、でも私はフィレーネの事を愛している。愛しているんだ。」
フィレーネはドキリとした。
真面目でつまらないと思っていたけれども、彼はいつも優しくしてくれた。
誕生日には、華やかなドレスと髪飾りを。花束もくれたわ。
このまま、クレール公爵家に行っていいのかしら…
でも、行かなければ後悔するかもしれない。
いつも夜会で、遠目で見ていたのだ。
憧れのイルド様。
他の令嬢達と次々とダンスを踊る姿はそれはもう美しくて。
共に踊る令嬢が羨ましくて。
今日を逃してしまったら一生、もう告白なんてする日は来ない。
来年の今頃はソルド王太子と結婚をして、王太子妃になっているのだから。
今日しかないのだ。
でも…
目の前のソルド王太子の不安げな顔を見ていたら可哀想になってきた。
ソルド王太子はフィレーネに向かって、
「もっとダンスも上手く踊れるようになる。君にふさわしい男になるから。
フィレーネ。どうかお願いだ。イルドに愛の告白なんてやめて欲しい。
頼むから…頼むから。」
フィレーネは頷くしかなかった。
こんなにもソルド王太子から頼まれているのだから。
一生、後悔は残るだろうけれども、クレール公爵家に行くわけには行かなくなった。
「この赤い薔薇の花束は、貴方に差し上げますわ。ソルド様。」
「フィレーネ。それじゃ…」
「馬車を戻しましょう。」
御者に馬車をカルディス公爵家に戻すように、命じようとした時である。
いきなり馬車が止められて、扉を強引に開かれた。
「お二人とも降りて頂きましょう。」
そう言葉をかけてきたのは、イルド・ラモンテ・クレール公爵である。
フィレーネは驚いた。
「どうして貴方が?」
イルドは更に促す。
「早く降りて頂きましょう。」
フィレーネとソルド王太子は馬車を降りる。
イルドはフィレーネに向かって跪いて。
「君は私の所へ来てくれるのではなかったのか?」
「どうしてそれをっ??」
「私は待ちきれなくて。王太子殿下と共に馬車に乗ったと言う報告を受けて、心配でつい迎えに来てしまった。私は君が告白してくれると知った時から、嬉しくて嬉しくて。」
フィレーネはどうして、イルドがそれを知っているのか不思議に思ったのだが、
ソルド王太子はイルドに向かってきっぱりと、
「君に情報を流している者がいるのだな。ともかく、フィレーネは私の婚約者だ。
来年は王太子妃になる。いくら、今日が特別な日と言えども、私はフィレーネが君に愛の告白をするのを許したくはない。」
「私はフィレーネの事が好きで好きで。でも、王太子殿下の婚約者だから諦めざる得なかった。せめて今日だけは、私にフィレーネの気持ちを聞かせて貰えないだろうか。
君の本当の気持ちを。私はその言葉を良き思い出として、これから先を生きようと思う。」
フィレーネはイルドの告白を聞いて嬉しかった。
ずっと好きだったのだ。その美しい姿を見ているだけで幸せだった。
でも…
「有難うございます。イルド様。でも、わたくしの気持ちはソルド王太子殿下にありますわ。
わたくしは、来年には王太子妃になっております。どうか、これからも国の為、いずれは国王陛下になるソルド王太子殿下の為にも、クレール公爵様。力になって下さいませ。」
自分は最低の女…解ってはいるけれども、ここで、ソルド王太子殿下を裏切ったら、
もっと最低な女になってしまう。
ソルド王太子はフィレーネを後ろから抱き締めて。
「ああ、嬉しい…愛しているよ。フィレーネ。」
「わたくしもですわ。ソルド王太子殿下。」
さようなら…わたくしの恋。イルド様。好きでしたわ。
でも、わたくしは、その心を封印して、未来の王妃としての道を行きます。
イルドは立ち上がり、明らかに気落ちしたように。
「ソルド王太子殿下、フィレーネ様。これからもクレール公爵家をよろしくお願いします。」
頭を下げて、イルドはその場を去ったのであった。
こうして、イルドとは縁が切れたとフィレーネは思ったのだが、
わずか3か月後に、ソルド王太子から、とんでもない事を言われようとはフィレーネは思っていなかった。