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キングの買い物  作者: 19
8/23

左肩越しの悪魔

 夢を見ていた。


 波の音一つ無い、静かなクルーザーの甲板にいる。

 目の前に男が一人立っている。

 でも俺は男の顔を見ることが出来ない。

 短い人生の中で、唯一愛したといえる人。

 この人を理由に、どれだけの笑顔と涙が自分の身体を透り過ぎていっただろうか。

 その人の隣に身を置く事をこの世の全てと考え、今では名を呼ぶ事さえ許されない、自分から一番遠くにいる人を思う。


「おまえの美しさは人を惑わす。もう、俺にもこいつにも近づくな」

 この言葉が自分の中に反響するのは何度目だろう。

 

「これは俺が捨てておくよ。朝から――」

 突然現れた副担任が、手にぶら下げるビニール袋から鋭いガラスの破片がのぞいている。

 それが自分の足だと気付く。

 血管が透けるほど白くヌメヌメとした深海魚お尾ひれが、尖るガラスに閉じ込められて、凍っている。

 返してくれ! そう叫びたいのに声が出ない。

「ユーキのことめちゃくちゃにして…壊して…」

「心も身体もぐちゃぐちゃになるには充分な時間ですよね――」

 どこかで聞き覚えのある声と共に、袋の中のガラスに細かいひびが入り砕けていく。自分の足首から海水が溢れ出す。


 廊下を歩いていく椎名の背を追う。

 海水が滴るビニール袋を返して貰わなくてはいけないと思う。

 突き当たりで曲がった椎名を追って、奥の廊下を曲がる。


 裏口の前に立って、携帯をいじっている落ち着いたスーツの眼鏡をかけた男がいる。

 とてつもない恐怖が全身を襲う。

 見れなかったはずの、眼鏡の奥の瞳と目が合う。

 

 それはいつか見た深海魚の目だった。

 光の反射しない真っ黒な瞳。


 冷やりとした海上の空気に、再びクルーザーの甲板にいることに気付く。

 前に立つ深海魚の目をした男が笑う。

「こんな所で何をしている? 早く深海に戻らないと爆ぜるぞ」

 

 眩しい。俺は光から逃げ、倒れこむように、波のうねりの中に落ちる。

 でも既に光にあたった俺の白い肌は、ピキピキと細かいひびが入り、中から小さい泡が漏れ出す。

「ユーキのことめちゃくちゃにして…壊して…」

「心も身体もぐちゃぐちゃになるには充分な時間ですよね――」

 嫌だ。壊れたくない。深海に帰らしてくれ。

 海の底に引きずられるように沈む身体は、バラバラに割れていき、ガラスの欠片になる。

「これは俺が捨てておくよ」

 駄目だ。捨てるな。俺の身体なんだ。

 自分の身体はもう物体ではなく、沢山の泡の集まりになっていた。

 海の揺れに乗って、俺の身体だった泡が四方八方へ離れていく。


 遠くで自分の声がする。

 「ようこそ深海へ。もう明るい水面には戻れないよ」



 いつのまにか半分開いていた目から、熱い海水が頬を伝った。


 寝返りをうつと、部屋は太陽の光で明るかった。

 まだ目の周りが熱い。


 一年以上かけて、やっと忘れられそうだと思っていた人が夢に出現した事を思い、落胆する。

 毎晩悪夢にうなされれて眠れない夜が続き、導眠剤に頼っていた頃に逆戻りするのかと不安になる。

 あの薬まだ残っているだろうか。


 横になったまま携帯を開くと、二件のメールが来ていた。

 一件は野木から体調を心配するメール。

 もう一件は……やはりシノではなく、椎名篤樹。

『昨日買って行った食事、冷蔵庫にまだ入ってるから食べろよ』という、母親のようなメールだった。

 野木に無事に生きてる事と、今日一日休む内容のメールを返した。

 副担任には、いろいろ悩んだ末、何も返信しなかった。


 冷蔵庫の袋を開けてみると、中は幕の内の様な弁当と、フルーツの詰め合わせのパックだった。

 コンビニで買ってきたと思っていたのに、ちゃんとした料亭の品らしき物が出てきて驚く。

 やはりキングに関わりがあるだけで、手を伸ばせば美味しい料理にあり付けるのだろうか。

 

 キングと椎名がどんな生活をしているのだろうと一瞬考えたが、底の深さに怖気づいてやめた。

 昨日椎名にキスした自分の奇行思い出し、脳ミソが沸く。

 本当に何を考えていたのだろう。

 ずっと前に乾いていしまっている自分の唇を指でなぞった。


 悪夢のせいで精神的疲労が残るものの、体調は回復しており、昨日一日寝たおかげで眠気もまったく無かった。

 今日一日だらだらと過ごす事に決めた俺は、シノから借りていた洋画のDVDを見て、やり残していたRPGに手をつけた。

 

 夕方になり、煙草を吸いながら、ボーっとテレビを見ていた。

 今頃まだ野木達は授業中だろうな。

 そんな事を考えていると、携帯が鳴った。

 表示を見ると、客からだった。


「ユーキ君?」

「好岡さん!?」

 久しぶりに聞く声。

「久し振り。元気だった?」

「ほんと久し振り! 全然連絡くれないから寂しかったよ――」

 嘘ほざけ、接待モードの俺。着信表示見て一ヶ月ぶりに思い出したくせに。

「今晩空いてる? 夕飯一緒にどう?」

「嬉しい! 絶対行く!」

 風邪で学校を休んでいる自分の立場を忘れて、突っ走り出す。

「何食べたい?」という吉岡の声に、一回忘れたはずの病み上がりという立場を思い出して和食がいいと答えた。

「じゃあ、吉乃伊の個室予約しとくよ」

 これで今晩の夕飯が最高級(はも)会席に決定した。


 


 吉乃伊の食事は申し分無かった。

 さすがに敷居の高い料亭だけあって、料理・雰囲気共に最高。病み上がりの高校生を癒すには勿体無い夕飯だった。

 やたらと高価な焼酎が出てきたのは、料亭を出た後、なし崩し的にホテルに行くための好岡の策略だったのだろうが、まあ想定内なので、その酌に乗ってやった。


 ホテルで何度か身体を重ねた後、車でマンションの前まで送ってもらった。

 車から降り、運転席の方に身を乗り出して、いつものように業務終了のキスをすると、お小遣いだと言って一万円札を五枚くれた。

 万札をポケットにねじ込む。業務終了後だが、心からの感謝を込めてもう一度深いキスをした。

 好岡の大きな手が顎を伝って首筋にふれる。

 かなり酒が入っているせいで、気分が良かった。目に映る全ての物がユルユルと揺らいでいる。


 ふらつく足で、マンションのエレベーターを降り、自分の部屋が並ぶ廊下に出た。

 廊下の壁にもたれ掛っている男が鋭い目をこちらに向ける。

「最悪……」

 酩酊している俺は思った事が口から漏れ出す。

 それが聞こえたのか聞こえなかったのか、男は壁から背中を離し、こっちを向いて何も言わずに少し首を傾げて、俺を見下ろす。

「キングの買い物って暇なんだね――」

 まさか椎名が今日も訪ねて来るとは思わなかった。

  

「風邪ひいてんのに、こんな時間までどこ行ってたんだ?」

 静かに問う椎名に、俺は視線も合わせず隣を通り過ぎた。

「椎名さん、昨日詮索しないって言ってなかったっけ――」

 いつもならシカトで通すが、身体に入ったアルコールの分だけ口数が多くなる。

  

「これは自分の体調管理もできない生徒に対して、教師として聞いてるんだ。さっきの車の男は?」

 鍵を取り出す俺の後ろで厳しい声が詰寄る。

「お父さん」

 適当すぎる返答に、自分でも相当泥酔していると自覚しながら、鍵を回した。

 どう考えても、四十前で赤いポルシェに乗ったスーツ姿の男は父親にしては若く見えるし、だいたい高校生の息子をこんなに泥酔させる父親はいない。

 ベッドではパパと呼んでいるので、あながち間違いとは言い切れない事だけが救いと言える。

「おまえは自分の父親とディープキスして、金を貰うのか?」

「椎名さん、人のキス現場覗き見する癖、直したほうがいいよ――」

 舌打ちをして、吐き捨てる様に言うと、ドアを開けて玄関へ入る。

 

 椎名にキスを見られるのは二回目だ。

 まあいい。どうせこれだけ酔ってれば明日には全部忘れてる。

 どんな酒でも三杯目を飲んだ後の記憶は、次の日に残さない様に俺の脳ミソはカスタマイズされている。


「他の男と寝る為に、学校を休ませたわけじゃない」

 ドアを押さえて後ろに立つ椎名の声が、急に抑揚を消して深みを増した。

 ほらまただ。

 あの時と同じだ。

 『おまえはいつからあの店に出入りしてるんだ?』

 クラクラと安定しない頭が、視聴覚室の机の上にプリントが散らばっている映像をロードする。

 深海の底深くまで引き摺りこまれそうな、静かでどこまでも響く低い声を耳にするのは二度目だ。

 自分が知っている、優しい目をした汚れを知らない教師の声ではない。

 純粋に怖いと感じる。

「あの男と寝てきたのか?」

 ゆっくりと問う声が後ろから近づく。

 身体が凍てつく。

 冷や汗が耳の後ろを流れるのがわかる。

 生唾を飲む体内の音がよけいに緊張を高める。

 

 背後から椎名の両腕がゆっくりと肩にまわる。ビクリと身体が痙攣して動かなくなった。

 左耳に冷たい息を感じる。

 

 後ろでドアが閉まる音。

 廊下の電気が締め出され、辺りが闇に落ちる。

「なあ、黛。答えろよ」

 

 闇は人を狂わせる。おかしくする。別の人格を呼び覚ます。

 俺が昨日椎名にキスしたように。

 この闇は昨日のよりもずっと深い。

 この世の者では無い人格を呼び覚ましてしまう。


 眠っていないのに、夢を見ている。

 闇の中で悪魔に後ろからそっと抱きしめられている。

 この闇は深海に違いない。

 すごい水圧と冷たさで息が出来ない。


「せ……んせい。やめ……くだ……い」

 音を響かせない重たい海水は、精一杯吐き出した言葉をいくつかの泡に変える。

 

 落ち着け。

 夢だ。飲みすぎたんだ。

 明日になれば、目が覚めれば、全部忘れてる。

 

 悪魔が左後ろから俺の顔を覗きこむ。

 横目で見下ろしているであろう左頬が表面温度を下げていき、視線があたっていると感じる。

 

 落ち着け。

 明日になれば……


 左の肩越しの悪魔が、耳に唇を触れさせ、ゆっくりと囁きかける。


 夢が覚めれば……


「どんな事して来たのか……先生に同じ事して教えてくれないか」


 ……全部忘れてるから。


長い。無駄に。

でも書き溜めた分なので、こんな時間に更新できましたワァ──o(。´・∀・`。)o──ィ♪

最近やっと書き溜めるという事を覚えたダメ56。書き溜めるという事がこんなに心に余裕を生み出すとは。゜(●'ω'o)゜。うるうる

でも読み返す時に自分の文章読んで落ち込むのが難点。

ちゃんと読み直せる文章書くか、全然読み直さないか!!……勿論後者でお願いします!

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