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キングの買い物  作者: 19
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去年の後悔


「えっと、黛 幸也(まゆずみ ゆきや) 君?」

 教室のドアを開けて中を覗くと、椎名は既に椅子に座っていて、こちらを見上げた。

「はい。遅くなってしまって申し訳ありません」

 俺は俯いたまま、中に入ってドアを閉めた。


 新しく就いた自分のクラスの副担任が、自分が売春拠点にしているバーのオーナーのペットだと知って以来、俺は副担任が教台の前に立つたびに、俯いて目を合わさないよう存在を消すため、息が詰るような学校生活を送っていた。

 もちろん同じバーに出入りしている、隣のクラスのシノと野木には即日話したが、あの性格のシノは「え――そうなんだ。僕あの先生ちょっといいなぁって思ってたのに残念。キングと好みかぶってるのかな――ショック……」と、こっちの予想とは違う部分で、勝手にショックを受ける始末。

 野木は、その点賢明で「まずいな……」と一言漏らし、神妙な面持ちになった。

 弓道部の大会が迫っている今、副主将の自分があんな店でバイトしている事がばれたら、自分だけでなく、弓道部自体の存続に関わるかもしれないと考えたのだろう。

 俺は野木に両親がいない事を知っている。生活を安定させるだけの収入があり、尚且つ部活が出来る仕事を、俺は他に思いつかない。あいつは俺と違って、生活の為にあそこで働いているのだ。

 

 そうこうしている内に、週末を向えた。

 隣のクラスは、椎名が受け持っている数学の授業以外では、顔を合わせる事がないため、安泰らしい。

 しかし、担任が生活指導教員を掛け持ちしている俺のクラスでは、日々副担任である椎名との距離が縮まってゆき、ついに土曜の放課後に、新しい副担任に学園祭の運営について教えてほしいと、担任の女から死刑宣告のような言葉が告げられた。

 こんな事なら、去年実行委員の会計なんてものを引き受けるんじゃなかった。でもあの時は、今ほど体が忙しく無かったし、俺の表面だけを見て信頼を寄せてくる奴等の推薦もあり、断れなかった。

 今更後悔しても、もう遅い。


「悪いね。せっかくの土曜の放課後に呼び出して。新任早々学園祭の運営担当に当てられてしまってね。資料も少ないし、困ってたんだよ」

 俺は「はあ」と小さく返事をして、椎名の向かいの席に座った。

 気付いているのだろうか。俺があの夜、売春していた奴だって事に。


 シノによると「スーツを着てる奴等の顔がみんな同じに見えるように、制服を着てない奴からしたら、制服を着た連中なんて、みんな同じ顔に見える」らしい。前半の例えが既に俺には当てはまらないため、まったく信憑性は無い。

 だがあの夜に比べて、今はワックスで尖らしていた髪を、何も付けずにストレートにしているし、何より学校では眼鏡をかけている。

 今日までの反応を見る限り、椎名はあの夜の少年が俺だとは気付いていない。

 いや。気付いていて、気付かない振りをしているのか。

 どちらにしろ、まずいのはお互い様だ。もっと自信を持っていい。


 恐る恐る顔を上げて、上目遣いで相手を覗く。

 椎名は人懐っこそうな、明るい笑顔で視線を合わせてくる。

「これ、家のパソコンに残っていた、去年の資料です。参考になるかと思って……」

 持って来たクリアファイルの中身を渡す。

「助かるよ」と言って、しばらくプリントに目を通しながら、感心したように「へ――」とか「なるほどな――」と呟いている。

「これ君が一人でやったの? すごいな――。さすが学年トップだ。牧内先生が自慢したい気持ちもよくわかる」

 牧内というのは、担任の女教師の事だ。

 ちょうど椎名と同じ世代で、クラスの女子が「付き合っちゃえば?」と騒いでいた。牧内の方も満更でも様で、顔を赤くしていたな。

「いえ。俺一人ではなくて、他のメンバーの力も借りて作った資料です。牧内先生は俺を買被りすぎです。きっと褒めて伸ばしてくれ様として、そんな事仰って下さるんだと思います」

 謙そんしてから、プリントを受け取り、一枚ずつ簡単に説明した。


「うん。だいたいの形は掴めたけど……これだけの事をまとめるなんて、俺にできるかな――」

 椎名は苦笑しながら、プリントを見つめた。

「椎名先生は、着任して間もないから、そう思われるだけだと思います。もう既に生徒からもすごく人気ありますし、きっと椎名先生となら、みんな喜んで協力しくれると思いますよ」

 この教室に入って、初めて顔をゆるめた俺に、椎名が目を細める。

 新任の若い男性教師に、クラスの女子共が沸き立っているのは事実だ。

「黛君にそう言われると、ちょっと自信出るな。君は今年は実行委員会に入らないのか?」

「はい。俺には荷が重過ぎます。もっと人をまとめれる生徒は沢山いますので……」

「そうか。君がいてくれると、俺も心強いんだけど」

 少年のような透き通った瞳で、俺を覗き込む。

「……すみません」

 冗談じゃない。これ以上学校に時間を縛られるのはごめんだ。


 思いの他スムーズに事が運び、ホッとした。

 やっぱり気付いていない。

 シノが言ってた事も、あながち間違いではないのか。

 

「この資料は使って下さい。役に立ってくれると、俺も嬉しいですし」

 俺はそう言って、椅子から立ち上がり、プリントをまとめた。

 全ての資料をページ順に並べるのに、少し手間取った。

 その間の沈黙が重苦しい。

 椎名は俺を見ている。前髪に痛いほど視線を感じる。



「おまえは、いつからあの店に出入りしているんだ?」

 先程までとは全く違う、低い突き刺すような声に、教室の空気が一気に凍りつく。


 声でわかる。

 さっきまで前に座っていた教師の人格ではない。

 深い闇の中から聞こえるような、静かにどこまでも響く声。

 恐怖で体が動かない。

 近づいてはいけないと、俺の本能が教えている。

 あのバーの奥の個室で、時折身を襲う警告と同じだ。

 触れるだけで、深くまで引きずり込まれる恐怖。

 悪寒で肌がじっとりとしてくるのが分かる。


 しかし、ゆっくりと上げた視界に入ってきたのは、さっきからずっと目の前に座っている副担任の優しくて、悲しそうな表情だった。

 先程よりも、椅子に深くもたれ掛かり、足を組んでこちらを睨んでいる。

 俺は気付かれない様に、薄く開けた口から深く息を吸い込み、吐き出した。

 自分でも、なぜ怯えたのか分からない。


「お兄さん、教師だったんだね。気付いてたなら、最初から言ってくれればよかったのに」

 鼻で笑って、一度崩れかけた自分を立て直す。

 こうなる事は想定内だったのだから。

「いつから体売ってるんだ?」

 苦しそうな表情の椎名が問う。

 先程怯えた後遺症で、息を吐くと体が少し震える。


「そっちこそ、キングのペットのくせに、こんな所に居ていいと思ってんの? ここ学校だよ?」

「今は俺じゃなくて、お前の話をしているんだ」

 椎名は鋭い眼差しで目を細めた。あの夜と同じだ。

「じゃあ、職員会議で報告すればいい。生徒が売春してるのと、教師が人生売って人に飼われてるのと、どっちが問題になるか、試してみます?」

 また鼻で笑って見下ろす。

「俺のことはいい。まだ若い学生が、間違った道を選んで、俺のようになるのを見ている訳には……」

 

 ドンッ!!

 いい加減イライラして机を叩いた。

「勘違いされてもダルいんで、はっきり言っときます。俺は生活に困って、嫌々体を売ってるわけじゃない。だからこの商売を辞めるつもりも無いし、今の安定した生活を崩す気も無い」

 両手をついて身を乗り出した。

「椎名さん。あんたに俺は救えない。俺は救ってほしいとも思わないし。自分の人生も守れないような奴に、俺の人生をどうこうされたくない。あの時も言ったろ? 俺の心配より、自分の心配しろって」

 

 しばらく教室が静まる。

 苛立って、思ったことを連続で吐き出したため、息が上がった。

「黛……」

 説き伏せるように、椎名が静かに口を開いたので、上がった息を落ち着けて、プリントをクリアファイルにしまい込む。

「もういいですか? 俺、週末は客とクルージング旅行なんです。いっぱい遊んで、いっぱい美味しい物食べさせてもらって、好きなもの買ってもらって、いっぱい体売って、いっぱい稼いで帰って来ます。理由は言わなくてもわかると思いますけど、この商売すごく体力いるんで、帰って準備して早く休みたいんです。だからもういいですよね? 先生(・・・・)


 クリアファイルを椎名の前に乱暴に放って、早足で教室を出る。

 椎名はあの時と同じように、何も言わずに、俺を見つめている。


 教室を出て、靴箱に向う廊下で、シノにメールを打った。

『やっぱバレてた。最悪』

予想外な日に更新出来て嬉しいです。

でも読者解析がまだ復旧してないので、みなさまに読んで頂いているのかちょっと不安。

実は本当に読者数ゼロなんじゃ!?

一人でも多くの人に読んで頂いて、皆様の貴重なお時間を夢中に出来れば、心から嬉しく思う56であります。

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