裏シノ
「生きてれば、だけど」
良いタイミングで、先程まで使っていた部屋の隣のドアが開き、知っている顔が現れた。
黙ったままの男を残して、俺は何も無かったかのように少年に声をかけ、連れ立ってトイレへ向った。
トイレの前で振り返ると、男はまだこちらを見つめて、立ち尽くしていた。
「シノ、おまえな――。隣の部屋で変な声あげんなよ!」
洗面所に着いてすぐに、先程部屋で聞こえた喘ぎ声の張本人を責めた。
シノは俺の同級生で、野木と同じ隣のクラスの奴だ。俺がこの商売を始めたきっかけになった人物でもある。
「ご、ごめん。あんな事するつもりじゃなかったんだけど……」
あんな事ってどんな事だよ。思ってても聞きたくは無い。
「お前のせいで、危うくこっちまで、あんな事になりそうだったじゃねえかよ!」
そう言いながら、水道水で口をゆすぐ。こんな事であの男の味、もといキャスターの味が落ちる訳では無いが。
「ごめん……」
少し言葉を強めすぎたのか、シノは鏡の中で俯いたまま口を歪めた。
「マジで危うかったんだからな! 勘弁してくれよ。あんな所で」
シノは水を止めると、何も言わずに、俺の腰に手をまわして横から抱きついてきた。
不貞腐れたように、俺のカッターシャツに顔を埋めてくる。
「……ちょっと言い過ぎた。泣くなよ――」
俺は手をハンカチで拭いて、シノの癖っけのある髪に、ポンポンと二度掌を落とした。
「悪かったよ。もう、離れろ!」
シノの肩をもって、体から引き剥がそうとするが、なかなか離れない。
癖毛に手をやり、無理やりシノの頭を押し返すと、余計に額を二の腕にくっつけて顔を隠してしまった。
「じゃあ、数学の課題写させてくれる?」
出た。裏シノ。
「あれぐらい簡単なんだから自分でしろよ!」
「さすが学年成績トップは頼りがいがあるな――。この前、酔い潰れて送っていったタクシー代と、ベッドに運んでパジャマに着替えさせてあげた分の貸しが、数学と英語の課題で返ってくるなんて。本当は合わせ技で美術の創作課題もお願いしたいけど、ユーキの絵は見れたモンじゃないし、また次の機会まで貸しにしとく」
顔を埋めたまま、早口でごにゃごにゃとほざいている。
いつのまにか英語の課題が増えてる。
こいつに貸しを作ると、こういう事になる。もう、その辺のキャッシングローンなんかより、ずっといい仕事をして、えげつない取立てをくらう。
「待て待て待て待て! 英語の課題はマジめんどいから無理! レポート用紙三枚だぞ!?」
「ちょっとくらい手伝うよ」
「お前の課題だろ――が!」
「じゃあ、何で返してくれるの? 体?」
急に声のトーンがぐっと落ちたシノに、ほんの少しばかりゾッとする。
二の腕から覗く細められた眼差しが、ジットリと鋭さを増していた。
「そ、それは、ちょっと……」
一見気の弱そうな幼い顔付の友人は、俺なんかより実はずっと大人で、取引上手で、本気で怒らすとマジで怖い。
今まで本気で怒らせた事はないが、チラホラ覗く黒い本性と、一気に気温を氷点下まで下げる事のできる眼つきがそれを教えている。
「嘘。ユーキは可愛いけど、好みじゃないし、エッチ下手そうだから、返すなら体以外にしてくれ!」
顔を上げて、真面目な表情で懇願された。
「なんだよ! それ」
友人の俺自身に対する評価と、俺の絵のセンスに対する評価を今更ながら知って傷つく。
それに、自分より背が低く、童顔の男に可愛いと言われてしまった。俺のプライドがヒリヒリする。
「まあ、英語の課題、文章は僕が作るから、ユーキは英訳だけしてくれればいいよ」
ニコニコと笑いながら、俺の服で両手を丁寧に拭いた後、そう言って体を離した。
自分も、学校と客相手の時とでは、全然違う人格になっている気がするが、こいつには勝てない。
こっちが文句を言ったはずなのに、結果英語と数学の課題を背負わされてしまった上に、性行為と絵のセンスの無さを批判されて、プライドが痛い。
俺は舌打ち一つして、シノが手を拭いたせいで濡れたシャツを、気休め程度にハンカチで拭った。
「じゃあ、明日も学校だし、一杯だけ飲んで帰ろうか! ユーキのおごりで!」
俺の手を繋いでトイレを出るシノを睨みながら、もう一度舌打ちをする。
まあいつもの事と言えば、いつもの事。
こうやって、お互い本性をさらけ出せる事が楽で有難い。たぶんシノも同じように思っているから、何だかんだで俺の隣にいるのだろう。
現に学校での俺達に対する評価は、無口で真面目な大人しい優等生と、人懐っこくて可愛い卑し系マスコットキャラの二人だ。
その晩、俺とシノは一杯ずつだけカクテルを飲んだ。もちろん、俺のおごりで。
「はい。おはようございま――す。」
教台に出席簿を置く音がした後、いつも通りの若い女の明る過ぎる声がする。
いつもより女子のざわつく声が耳につくような気がした。
「みなさんも知ってのとおり、副担任をして下さっていた岡田先生が産休に入られたため、今日から新しい先生に副担任をして頂きます。ちょっと、そこ! ユミ達うるさいよ! 先生、お願いします」
開いていた世界史の教科書をパラパラとめくった。
歴史上の興味のある人物について、英語でレポート用紙三枚に書いて来週中に提出という課題を思い出す。
シノはああ言ったが、やはり人物選びから全て俺がしてしまおう。シノが人物を選んで、文章を書くのを待つよりは、俺が一からしたほうが絶対早い。
だいたい、一度でレポートが通らずに、再考察で返却されて来てしまったら、手直しがややこしくって、面倒くさ過ぎる。だから、間違いなく一度で合格になるレポートを、俺が書いた方が良いに決まっている。
「え――。今紹介に与りました、今日から副担任をさせて頂く事になりました。椎名といいます。」
軽く息を吐き、教科書を閉じた。
顔を上げ、眼鏡のフレームに触れて位置を直し、目を細める。
初めて見る男が、黒板の前で話している。
二十代後半だろうか、爽やかな顔立ちに、少し日焼けした健康そうな肌色。
安っぽいスーツと清潔感のある髪型。
汚れを知らない瞳。
明らかに俺とは住む世界が……
……違う。初めてじゃない。
見たことあるぞ、こいつ。
昨日……そう、昨日見た。
昨日の夜……深海から見上げた。
キングの買い物。
読んで頂きありがとうございます。
ふ〜。
先生と生徒か……在り来たりな設定で本当にごめんなさい。
初BLに怖気づいて、こうなってしまいました。
でも、裏シノ出せてちょっと嬉しかったりします。
ブログの方にイメージ画や、BL以外の作品も置いてあったりします。
よろしければどうぞ→http://fno16.blog54.fc2.com/
なめんな!56!という方はスルーでお願いします。