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キングの買い物  作者: 19
21/23

キングと買い物

「あっ。……ちょっと辛かったかも……」


「そんな事無い。美味しいよ」


 タンドリーチキンの下味に使ったカレー粉が思ったよりも辛かった。

 きっと椎名は無理して美味しいと言ってくれているのだと思い、持っていた水のコップを置いて、微かな苦笑いを返す。


 記憶が戻り、ベッドルームから出るようになって二週間程が過ぎた。

 マンションの部屋は俺が想像していたよりずっと広くて、恐らくこの階のフロア全てを占めていると思われた。

 

 一日本を読んだり、テレビを見て料理のレシピをメモしたりして過ごしたりしている。

 毎日二回、今まで料亭の物とはいえ外で買ってきた食事に頼っていた椎名のために、有り余る時間の一部をキッチンで過ごす事に費やした。

 三木の家でも一人で暮らしていた時でも料理の経験は無かったが、せっかく家において貰っておきながら、何もしないのは気が引けるため、全ての家事を請け負う事にした。

 割と物覚えには自信がある方で、料理をするようになって一週間ちょっとでかなり腕は上達したと自分では思っている。

 最初はよく昼間に訪ねてくれる吉野に材料を買って来てもらっていたが、ここ二三日は歩いて十分程のスーパーに自分で買出しに行く。


 食器洗いを済ませ、ガラステーブルを拭きながら向こうのリビングに目をやる。

 椎名がクリーム色のレザーソファーに座って、壁半分の面積を埋める様な大きさの薄いテレビから流れるニュースを見ている。

 クラシックを聴くための大層なスピーカーセットや黒い大理石の床に敷かれた毛足の長い白い絨毯、壁に掛けられたテレビと同じくらい大きな絵、どれをとってもやはりこの人はキングなんだと認識させられる。

 その反面、夏休み中で時間はややルーズになったものの毎朝クタクタのスーツを着て出勤していく姿を見ると、ああ俺のクラスの副担任だとも思う。

 しかしシルバーフレームの眼鏡や、品のある黒のクレリックシャツを着た、たくましい背中の凛とした存在感が、今までセンスが無いと思っていた数学教師とは大きく違う印象を与えていた。

 

 あの背中が毎日普通に眺められる生活をどれだけ楽しいものかと夢見た事があったが、何だか思っていたのとは違う。あの時の感覚と全く変わらない。

 毎日近くにいて眺めている背中が、自分が触れられない遠くのものの様に感じる。


 俺の記憶が戻ったあと、あの腕で一度きつく抱き締めてくれた。

「心配かけさせやがって」

 耳元で聞いたこの言葉以来、椎名は俺の身体の傷に関する事や三木の家での生活には一切触れようとしない。

 俺もその時に「ごめんなさい」と一言謝ってからは、椎名の前から姿を消した後に自分の身に起こった事や椎名がキングであった事実に対する事は口にしない。

 よって、二人暮らしにしては極端に交す会話の数は少なく、まるで一度別れたカップルのように気まずい空気が流れている。

 勿論椎名はそんな気まずさは全く表情に出さず、今まで通りの接し方で俺の体調や傷の痛みが無いかを大いに心配してくれる。が、それはやはり教師が生徒を気遣う優しさのように思われた。

 

 自分の身一つ守れない手のかかる生徒が、夏休みの間だけ心配性な教師の家に寝泊りしている。

 一般的には問題の無いこの状況が、一ヶ月以上前に精神状態を崩した生徒を部屋まで送った教師の背中までの距離と、今の二人の間との距離がまったく変わらないと教えている。

 長い時間いろいろ心配をかけたり、かけられたりした間柄ではあるが、椎名はやっぱり俺の副担任で、俺は椎名の大事な生徒だ。それ以上にはなれない。


 夕食の後片付けが全て終わってから、ソファーへ行き椎名の隣へ座る。

 少し腰を上げて椎名の近くに座りなおして、ゆっくりと上半身を倒し、椎名の二の腕に頬を付けてもたれ掛った。

 最初はウトウトとして偶然してしまったこの体制だが、こんなことを毎日しても椎名は特に迷惑がったりしない。

 横目で見上げると、視線に気付いて少し微笑みを返される。

 その微笑が俺の我侭を困りながらきく兄の表情を思い出させた。


 手元にある大きな手に指を絡ませたいと思う、がしない。

 きっと手を繋いでも何も言わないだろう。いきなりキスをしても怒らないかもしれない。いや、何度かしたな。

 何をしても椎名は俺を拒まないだろう。それは俺が精神を病んだ心配な生徒だからだ。

 それ以上の感情はない。

 それが分かっていながらこれ以上の行動を起こすのは、ずっと前俺が兄にした事と同じだし、三木が俺にした行動と変わらない。

 だから駄目だ。

 これ以上はこの人を束縛して傷つけてしまう。そしてまた自分も傷つくことになる。

 首元に手をやり、いつの間にか消えていた太い鎖の感触を思い出す。


「ねえ。先生、学校でお昼何食べてるの?」

「ん? 今はコンビニ弁当とかだな――。授業が始まったら黛達と一緒だ。売店のパンとか」

 苗字で呼ばれ先生と呼ぶ度に、二人の距離を再確認させられる。

「お弁当作ったら食べる?」

「でも朝早いの大変だろう……」

「そんな事ないよ。夕飯の残りとかになっちゃうけど……」

 料理を始めて、自分の作った物が好きな人の血潮に成り、骨と成り、肉と成り、その人自身の一部を構成するという事の喜びを知った。

 今微かに隣から聞こえる鼓動が自分の作り上げた物を原動力に響き、頬に触れる筋肉が俺の料理で支えられていると思うと嬉しかった。


「そうだ。明日ちょっと買い物に付き合ってくれないか? 見せたい物もあるし……」

「うん。別にいいけど」

 スーパーの往復以外は外に出ないが、もう身体の傷も殆んど消え、ちょっとの事でビクつく事は無くなったので大丈夫だろう。


 次の日は日曜で、昼過ぎから椎名の車で出かけた。

 駐車場へ向い、ずっと前に精神科に送ってもらったぼろい軽自動車に乗り込もうとすると、隣に停めてあるスポーツタイプの高級車の鍵が開いたので驚いた。

 どこまでがキングの持ち物なのだろう、と暗い駐車場の中で光るボンネットの列に視線を落とす。


 一時間程車で走って、海沿いのブランド店が並ぶショッピングモールに着いた。

 どう発音するのかも分からない英語が掲げられた装飾店に入る。ガラスケースには一つ一つの宝石やアクセサリーが間隔をあけて、美術品のようにディスプレイされており、どう考えても高校生は場違いだ。

 俺が一生入る勇気が出ないような敷居の高い店内に入ると、すぐに男性店員が駆け寄り「お待ちしておりました」と奥のソファーへ案内された。

 しばらく待つと、お待たせいたしましたと言って紳士のような雰囲気の男性店員が、トレイの上に宝石箱を乗せて現れた。胸の小さなネームプレートでこの店の店長だと分かる。

「こちらでございます」

 男は紺色のリングケースの蓋を開けて前に差し出す。

 シルバーに光る大小の二つの指輪が現れた。

 どちらも一本ラインが入っているだけのシンプルで品のあるペアリングだ。

「これ……どう思う?」

 急に聞かれて驚いた。

 顔を上げると、店長の男もにこやかに微笑みながら返事を聞くようにこちらに顔を傾けている。

「えっ!? どう思うって……え、うん。いいと思うけど」

 何でそんなこと俺に聞くのだろう。

 だいたい誰が付けるのかも分からない指輪に良いも悪いも無い。

 椎名の買い物だから大きい方の指輪は椎名の物だろう。小さい方は……俺に聞くってことは俺の物かと浮かれそうになったが、小さい指輪を見て俺の指はこんなに細くないと自重した。

「では、こちらでサイズ調整させて頂きます」

 蓋が閉められて、男は伝票の様な紙に何か書き込みをして、そそくさと立ち去った。

「じゃあ出よう」

 そう言われて店を後にした。


 その後何軒か他の店をまわり、何枚か服を買った。それは試着させられたので、どうやら俺の物で間違い無いらしい。

 いくら教え子とはいえ、そんな高価な服を買ってもらわなくてもいいと断ったが、いつまでもサイズの合わない椎名の服を着せる訳にもいかないと言われ仕方なく試着室へ入った。


 海に沈む夕日を臨めながらレストランの個室で夕食を食べる。

 鯛のマリネに箸をやりながら、昼間見た指輪の事を考える。

 見せたい物ってあれのことなのだろうか。結局聞くに聞けずにいる。

 随分前にDEEP BLUEの個室で見た椎名の首元にあった情痕を思い出す。

 キングがつけたものとばかり思っていたが、椎名自身がキングだったので違っていた。

 じゃあ誰が……。その答えがあの小さな指輪をはめる人物と重なる。

 どちらにしても俺じゃない。だいたいサイズ調整すると言うくらいなのだから、俺の指輪なのだとしたら俺の指を測るだろう。

  

 そりゃキングだもんな。

 キングはかなりやばい奴だが、外見がいいから相手をとっかえひっかえで、あげくの果てに気に入った人間を金で買う最悪な人物だと噂に聞いていた。

 外見がいいのは確かだが、一緒に暮らしている限りそんなに遊んでいる様には見えない。

 生徒が家にいるからそれなりに気を使っているのだろうか。一歩外に出れば他に囲っている人間が沢山いたりして。

 やっぱり夏休みが終わる前にあの部屋を出よう。俺がいるからペアリングの相手と一緒に住めないのかもしれない。

 そう決心して、フカひれサラダを皿に取り分けた。


 レストランを出て車に乗り込むと、やはり帰途についた。

 今日の目的は誰かとはめるペアリングの感想を聞く事と、俺の服を買う事だったらしい。

 

 外が暗くなり助手席で眠たい目を擦っていると、車が交差点をマンションとは反対方向へ曲がった。

 車が停車した時、窓の外には暗闇の中に懐かしい箱の様な校舎が並んでいた。

「何で……うちの高校?」

 椎名の忘れ物でも取りに寄ったのかと思っていたら、車から降りる様促された。


「見せたい物があるって言っただろう?」

 そう言いながら、職員用の門をくぐり校内に入っていく。

 後ろに付いて行くと、着いたのは旧校舎の屋上だった。

「見せたい物って?」

 外灯も無い暗闇の中で、相手の顔も確認できずに聞く。

「そろそろだと思うんだけど……」

 カチャっという小さい音がして、携帯の青白い光に椎名の顔が映し出される。


 その時だった。

 大きな爆発音と共に一瞬視界が昼間の様に明るくなり、そしてまた暗くなった。

「花火!?」

「そう。今日七宵川の夏祭りだ」

 

 俺の住む市では夏に河川敷で大きな花火大会と夏祭りが一度に開催される。

 遠くからも人が来る、割と大きな祭りだ。

 よく和斗や龍斗と連れ立って行った記憶があるが、川沿いはすごい人混みで当時の低い身長では人の頭の間に僅かに火花が見えるだけだった。

「近いだろ? ここすごい穴場なんだ。実は俺、この高校の出身者でお前の大先輩だったりするんだぞ」

 何回かの爆音と同時に椎名の悪戯な笑顔が浮かび上がる。

 夏祭りの会場は川の向こう側で、高校は川を挟んで反対側。こちらの川沿いは大きな国道に面しているため、殆んどの人が夏祭りの会場から花火を見る。

 ただし花火が上がるのは川のこちら側なので、国道と雑木林を挟んだこの旧校舎の屋上は、まさに花火を真下のように感じれるくらい近い穴場だ。

 川の向こう側はさぞかし賑わっているのだろうが、ここは花火の音以外には音源が無くシンとしている。

 ここ数年こういった季節の風物詩に足を運ぶほど余裕のある精神状態では無かったので、まさか今日が夏祭りの日だとは考えもつかなかった。


 花火は真下から見ても丸いんだな。

 大きな爆音とその後に続くパラパラという儚く小さな炸裂音。夜空に大輪が咲いては乾ききらない絵の具の様に無数の金色の筋が流れ落ちて消えていく。後に残る幻のような薄煙と、何も無かったかのように広がる静かな夜空。微かに匂う火薬の香り。それを何度も繰り返す。

 単純に心から綺麗だと思った。こんな純粋な気持ちは久し振りだと思うほど、自分の心が今まで荒んでいたんだと気付く。

 手すりに両肘をついて上を見上げる椎名の顔が、不定期に瞬く光に映し出される。

 その横顔はまるで夏休みを満喫する高校生のように幼さの残る笑顔だった。


「なんでキングだって教えてくれなかったの?」

 花火の華やかさにまぎれて今なら聞けると判断し、口を開いた。

「ん? だってお前キングの事嫌ってただろ?」

 一瞬明るくなった椎名の顔がこちらを向いていたので言葉を失う。

「キングだって言ってたら、俺の前から消えずにいてくれたか?」

 そう聞かれて、首を振った。

 椎名がキングだと知っていたら……もっと遠ざけていただろうな。

 


 しばらく何も話さず、嬉しそうに花火を見上げる椎名の現れては消える無邪気な横顔を眺めていた。

 今の椎名は、ただの椎名篤樹だ。

 キングでも、教師でも、一度俺が好きになった男でも無い。

 ただの椎名篤樹の中に、俺の記憶を残したいと思った。

 手のかかる生徒としてでは無く、身体を売る男としてでは無く、椎名を好きになった一人の人間として。

 俺は一度この男に告白して失恋して、それから死んだ。そしてまた始まった新たな世界で、椎名を一から好きになっている。

 

「ねえ……先生」

 こういう時に限って花火が止んで静まり返る。


「俺……椎名さんの事、好きなんだ。……教師として、とかじゃなくって……ちゃんと恋愛対象として……」

 煙火の散った暗闇の中で、先程までの破裂音とは比べ物にならない程小さな自分の声がする。

 夏祭りの日に学校の屋上で告白。自分には無縁だった青春臭くて上等だ。


「――――――――。」

 

 そして、こういう返事を聞く肝心な時に、花火が中盤のクライマックスを向える。

 視界の隅で弾ける飛ぶ火花に照らされて、何かを言う椎名の微笑み。

 何て言っているのか、全く聞こえない。

 俺の気持ちを察したのか、笑顔で目を細めてから俺をそっと抱き寄せた。


「俺も……。ユキヤが俺に出会うずっと前から、俺はユキヤの事が好きだった……」

 

 一瞬の破裂音の合間を縫って、俺の耳元で深みのある温かい声がする。

 椎名も俺を好きだった……?

 俺が椎名に出会うずっと前から……?


 言葉の意味を理解する前に口を椎名の唇で塞がれた。

 椎名とする何度目のキスだろう。

 少なくとも生まれ変わってから初めてのキス。

 ずっと届かないと思っていた背中に腕をまわす。


 その日俺は旧校舎の屋上で、花火の音が消えるまでずっとキスをしていた。

 近くで上がる花火の音が聴こえ無くなるくらい意識の遠退く、とろける様なキスを。

 

 相手は高校の数学教師で、俺の副担任で、皆が恐れるキングで、俺が大好きな、ただの椎名篤樹だ。




長い……今までの倍ほどあります。

二話に割っても良かったのですが、次回作の事で頭がいっぱいなのもあり、もう書く事は決まっているので早々に完結させるべく一話にまとめさせて頂きました。

そして、この長さに似つかわしくない、特に色気もなんもないパッとしない内容。

まあ、これで<完>でもいいような展開ではあるのですが……。どうなんだろ……。

これだけ長くダラダラ書いといて、あんまり自分では納得がいってない……( ゜д゜)マジデカ! まあ私の場合、納得とは時間をかけて見直した事を意味する錯覚に過ぎないのであまり意味はありませんが。

一応あと二話だけ入れる予定です。


そして更新時間が大幅に遅れてしまいまして申し訳ありません!!m(_ _)mサーセンッシタ-!!

歯医者の帰りに祖母宅へ寄ったら、予想外に引き止められてしまいました。

え? 別にこんな小説待ってない? ならよし!


そしてそして!毎日拍手を下さる皆様!非公開なのでお返事は出来ませんが拍手コメ頂いた方!本当に本当にありがとうございます!!皆様が思われる以上に力を頂いております!!好 キ (*Vдv艸) ダ 本当に抱き締めたい気持ちでいっぱいです! 



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