キングの買い物
バタンッ!
男は俺と目が合ってから一瞬の間をおいて、ドアを派手に閉めて姿を消した。
暗闇の中で、男とキスしながらニヤつく奴と目が合ったのだから、相当気分を害したのだろう。
都合の良い事に、ドアの閉まる音に気付いた三木が、唇を解放してくれた。
「誰かいたのか?」
ドアの方を振り返って聞く三木に、俺はニヤついたまま答えた。
「キングの買い物だよ」
「キングって、ここのオーナーの事か?」
姿勢を戻して、ソファーに座りなおす。
「そう、ここの経営者。まあ経営してるのは、ここだけじゃないらしいけどね」
ここ「DEEP BLUE」はその筋の者には有名なバーで、オーナーは通称キングと呼ばれている。
「キングは飽きっぽい性格だからね。二三ヶ月に一回は、ああやって新しい人間を買ってペットにしちゃうんだよ」
「ふうん。ずいぶん暇なんだな。キングって奴は」
三木は煙草を一本くわえると、俺に煙草の箱を向けた。
俺は有難く一本もらい、口にくわえて、三木と自分の煙草に火をつけた。
「でも、如何にも汚れを知りませんって、真面目そうな顔の男だったよ。ノンケってやつ? 俺達がキスしてるのに驚いてたし。ああいう顔が歪んで、汚れていくのを見るのが好きなんだろうな――キングは」
可哀想だな――と言いながら、口の端が上がってしまっている事は、自分でも分かっていた。
キャスターの香りが口の中だけでなく、皮膚にも染み付いていく。
キングが二三ヶ月に一度買う人間は、決まってさっきの男のような、爽やかな汚れた事に手を染めていない様なタイプだ。そんな人間を、このバーの奥で見掛けたら、それはキングの買い物だと思ってまず間違いない。
さっきの男の眼差しが頭をよぎる。
今まで光を反射させていたであろう瞳に映る、深海の闇。
「半年後には、本当に海の底かもな……」
口から煙を吐き、過去に買われていった連中を思う。
今はどうしているのだろうか。恐らくもうこの世にはいない。そんな気がする。
こんな場所に出入りしていると、嫌でもそんな勘が働く。
売春だけでなく、時折薬や人間が売り売られていく場面に遭遇する事も珍しくない。そうなると「あぁ、こいつはもうすぐ消える」と感じる事がたまにある。
自分が消えずにここにいられるのは、危ない話は聞こえない振り、見ない振りをして、うまく避けてきているからだ。
三木の携帯がメールを着信を伝える。
携帯の画面に目を通した三木は、「そろそろ行くよ」とソファーを立った。
ドアの前で三木を見送った後、部屋に置きっぱなしにされていた皿やグラスを片付ける。
トレイを持って廊下に出ると、両手にグラスを持ったバーテン姿の男がこちらに近づいてきた。
「悪い、ユーキ君。置いておいてくれてよかったのに」
「吉野さん。いいですよ、これくらい。今日は野木は?」
いつもはカウンターの中でシェイカーを振っている吉野が食器を運んでいるとは、平日にも関わらず、この店はずいぶんと混み合っているらしい。
この店が大盛況ってことは、犯罪も大盛況ってことか。世も末だな。
「今日は野木君休みなんだよ。試合前の最終練習って言ってたかな――」
野木というのは、俺と同じ高校の同級生だ。二年で弓道部の副主将というホープの地位を得ておきながら、こんな店でウエイターのバイトが出来ているのは、弓道部という自分で練習時間を決めれる、個人主義色の強いマイナー運動部のおかげだ。
吉野は俺が持っていたトレイを受け取り、自分の持っていたグラスをカチャカチャとトレイの上に置いた。
廊下の奥から人の足音がした。
目を向けると、さっきの男がこちらに向って歩いて来ていた。
キングの買い物。
俺の目を追って振り向いた吉野が、男に気付き、少し顔を強張らせた。そして避けるように、そそくさと俯き加減で反対の方向へ姿を消した。
未だに怪訝そうな眼つきの男と目が合うのは二度目だが、今度はひと睨みして、わざと視線を壁に外して、隣を通り過ぎようとした。
キングの買い物。興味を引かれる話題ではあるが、そんな危ない物に近づく気は更々無い。
さっきの事があるため、すれ違い際に一瞬緊張が走ったが、何事も無く通り過ぎる。
少しホッとした瞬間、右手に痛みがはしった。
目を移すと男の右手が俺の手首を強い力でつかんでいる。
「君は……、君は学生なのか……?」
男が眉をひそめたまま、かすれた声で呟くように問いかけた。
一瞬ハッとする。
俯いて、自分の胸元に目をやる。
せめて校章が刺繍されているネクタイは外すべきだった。ネクタイさえ外せば、制服と気付きにくいため、この格好で来る時はいつもそうしていた。
「あんた、警察かなんか?」
まさかとは思ったが、先に口に出た。
こんな場所に警察がいるはずがない。いたとしたら、高校生がいることよりも、もっと取り締まるべき犯罪が渦巻いている場所だ。
「いや、警察では……」
男が気まずそうに声を更に弱めた。
俺は人の良さそうな顔を見つめて鼻で笑った。
今まで間違いを犯してこなかった真っ当な人間の考えそうな事だ。
高校生が売春しているのを知って、黙っておけなかったのか。
「俺の客が制服好きだから、昔使ってたのを着て来ただけ」
嘘だけど。
「そ、そうか。変な事聞いて、すまない」
男が少しホッとした顔をして、つかんでいた手の力が弱まったので、腕を振り払った。
体格が違う分だけ、力の強さの解釈に差が出る。本当に痛かった。
俺は右の手首をさすりながら、男を睨み上げた。
体は大事な商売道具だ。
「お兄さん、キングに買われた人でしょ?」
男は身に覚えがあるらしく、一瞬驚いて顔をしかめた。
「俺の心配より、自分の身の心配した方がいいんじゃない?男同士のキスで、気持ち悪がってたらキングの相手なんか務まらないよ?」
右手の痛みがイラつきを増幅させて、勝手に相手を弱らせる事を口走る。
「まあ二三ヶ月の辛抱だけど、心も体もぐちゃぐちゃになるには充分すぎる時間だよね。でもお兄さん格好良いし、キングに捨てられても、体売れば良い暮らししてけるかもね。俺も相手してもらおうかな。」
自慢の営業スマイルで言った。
「生きてれば、だけど」
最初なだけに、少しダラダラとしますが……
出来ればもっとテンポ良く書きたい。
読んで頂きありがとうございました。