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キングの買い物  作者: 19
11/23

デジャビュ

 

「ゆきにい……」


 その懐かしい響きを口にした少年が、一年以上顔を合わせていない血の繋がらない弟だと気付くまでには、少し時間がかかった。

 最後に顔を見たのは、病院のベッドだった。

 あの時眠っていた幼い表情がまだ少し残るものの、成長期の少年は自分が思っていた以上に一年でしっかりとした存在に成長していた。


和斗(かずと)。おまえ……こんな所で何してるんだ」

 目を潤ませながら不安でいっぱいな面持ちの少年は、混み合うバーの中でそこだけ白く発光するように浮いている。

「ゆき兄のこと見かけたって友達に聞いて……。すごく探したんだよ? ……龍斗(たつと)兄さんも全然居場所教えてくれないし……」

 一番聞きたくない名前が出てきて急に息苦しくなった。

「おまえみたいなガキが来る所じゃない……。さっさと帰れ!」

「ゆき兄だってガキだろ! 三つしか違わない」

 再会を喜ぶどころか帰れと言われた事に傷ついたのか、和斗は更に泣きそうな顔で俺を睨みつけた。

 こんな場所に中学生がいていいはずが無い。


「ねえ。俺の話聞いてる? さっきから夕飯誘ってんだけど?」

 こうやって、明かに未成年だと知っていてわざと近づいてくる輩は、このバーにいくらでもいる。

 よりによって先程から和斗の横にしつこく纏わり付いているのは、このバーで危険度ナンバー2の男だ。

 ずっと誘いを無視していた北川に対する付けがこんな風にまわってくるとは思わなかった。

「北川さん! こんな奴のどこがいいんだよ。この前俺を誘ってくれたのに、もう気移りしちゃったわけ?」

 俺は和斗の肩に触れようとしていた北川の手を掴んで、なんとか和斗から話をそらせる。

 こんな危ない男に連れて行かれる前に、何とか和斗をこの店から追い出さなければいけない。

「何だよユーキ。おまえが無視するからこうやって他あたってんだろ!」 

「無視なんてしてないよ。さっきからずっと見てるのに、北川さん全然気付いてくれないんだもん」

 ホスト風の安っぽい面は今日初めて見るが、とにかく和斗から興味をそらせる事が最優先時効だ。

「……じゃあ今晩、相手しろよ」

 気まずそうに言う北川が睨んでいるのが俺じゃなく、背中の後ろの椎名である事に気付く。

 そういうことか。

 いくら和斗のためでも、自分の身を危険にさらさずに済むのならその方がいい。

 北川の勘違いにあえて乗っかるように、椎名の腕に手を添えて言う。

「ごめん。今この人と交渉成立しちゃったんだ。北川さんが悪いんだよ? 俺が視線であんなの誘ったのに気付いてくれないから」

 勤めて拗ねた表情で言った。

 しかめ面をした北川は舌打ち一つして「じゃあ明日でいい……」と、渋々身をひるがえした。


「ゆき兄……。交渉って何……? 相手って……何の 相手するの……?」

 消え入りそうな弱々しい声に目を向けると、和斗が絶望した顔をして唇を微かに震わせている。

「それぐらい察しろ。 行こ! 椎名さん!」

 冷たく吐き捨てて、椎名の腕を取り無理やり奥の廊下へ引っ張る。

 

 ちょうどウエイター姿の野木がスタッフルームから出て来たので捕まえる。

「おお、ユーキ」と情況が飲み込めていない野木は、椎名を見つけ嫌そうに顔を歪めた。

 急いで財布から一万円を掴んで詰め寄る。

「悪い。あいつ俺の弟なんだ。駅まで送ってやってくんない?」

 こっちに向かってこようとしている和斗を指差して、早口で頼んだ。

「えっ? 俺今出勤して来たとこなんだけど……。弟だったらお前が送ってやれよ」

「それがちょっと事情があって無理なんだよ。頼む! お前しか頼む奴いないんだ!」

 この店から出ても、こんな時間に夜の街を歩かせるのは危険だ。

「まあ、今日客少ないから大丈夫だとは思うけど……。いいよ、金とか。いらね」

 切羽詰った俺を見て折れてくれた頼りがいのある親友に、クチャクチャの万札を無理やり握らせた後、もう一度椎名の腕を取り奥へ引っ張って行く。

「先生。悪いけど今だけ話し合わせてよ。生徒のピンチを救うのも教師の役目だろ?」

 息をあげながら、廊下を曲がった所で足を止める。

 焦って余裕の無い俺とは逆に、椎名は呆れたような目でさっきから俺を見つめている。

「先生だって、職員会議で自分の名前挙がるの嫌だろ?」

「それ、脅迫か?」

 そんな事をすれば、逆に自分の売春を学校にばらされても仕方ないが、この優しい副担任が絶対それをしない事を俺は知っている。

「そうだよ。キングの買い物だって学校にばらされたくなかったら、俺に合わせてくれ。今だけでいいんだ」

 真剣な眼差しで見上げると、椎名はため息を漏らした。

 そのため息をOKと受け取った俺は、曲がってきた廊下に目をやり、静かに耳を澄ませる。

 案の定「離して下さい!」という高い声と、野木の「関係者以外は入るな!」という声が揉めている。

 和斗の諦めの悪さは嫌という程知っている。

 「あっ! おいっ!」という声と共に、軽い足音がこちらに走ってくる。


 俺はしかたなく覚悟を決めて、深く息を吐き出した。

 足音が角を曲がって「ゆき兄!」と呼び止めるのと同時に、目の前の空いている個室へ椎名を引っ張り込み、中からドアを閉めた。

 靴音が一度止まってからゆっくり向かって来るのを聞きながら、椎名をソファに座らせて見下ろす。

 ドアの前で足音が止まったのを確認して、椎名の肩に自分の腕を回し、太腿に乗るようにして向かい合わせに身体を寄せる。

「先生。……ごめん」

 間隔二十センチで黒い瞳を覗き込み、いつか一生口にしないと思った言葉を口にする。


 ドアが開く音と共に、唖然として薄く開いた椎名の口に自分の舌を深く滑り込ませる。

 自分とは違う煙草の味を、義務的に舌で一度掻き混ぜる。


「ゆき兄……どうして……」

 ドアが開いてから、小さな声が部屋に反響するまでの時間が永遠のように長く感じた。

 あまりにも音を捉える事に神経を注いでいたので、椎名がどんな表情をしているか分からない。


 唇を離し、顎に滴った唾液を腕で拭って、ゆっくりと首だけで振り返る。

 何を言ったらいいか分からず、呆然と口をパクパクして立ち尽くす可愛い弟がいた。

 汚れを知らない純粋な少年。

 

 和斗は、光を乱反射させる眩し過ぎる水面から、まるで覗き込むようにこちらを見つめている。

 それはまるで、今まで元気よく明るい浅瀬でサンゴ礁に戯れて泳いでいた熱帯魚が、深海の闇を初めて目に映した様だった。


 なんだろう、この情況。前にも見たな。

 デジャビュだ。


 ダメだ。

 和斗。お前はこっちに来ちゃいけない。

 日のあたる世界へ、明るい水面へ戻れ。


「ゆき兄……俺と一緒に帰ろう……こんな所にいてちゃダメだ……」

 俺の思惑通り、呟く声がさっきまでとは比べ物にならないほど力を失っている。 

「邪魔なんだよ。さっさと消えろよ」

 深海に迷い込みそうになった可哀想な少年を威圧するように、これ以上ない冷たい声で仕上げの一言を放った。

 自分の無力さを知ったように、和斗は落胆して視線を落とした。

「おい。もう気は済んだだろ。いい加減出ろ」

 野木の低い声と共に横から出てきた大きな手に腕を掴まれて、和斗の身体が力無くよろめく。


「……木村先生が……ゆき兄の事すごく心配してた。あんなに症状が重かったのに、診察来なくなって、薬急に止めて大丈夫かって……。精神科の薬は、急に止めたら、症状が逆に重くなるから、ちゃんと飲まなきゃいけないんだよ……。ゆき兄疲れた顔してるけど、薬飲まなくてもちゃんと寝れてるの? ……俺は何もしてあげられないけど、木村先生は良い先生だから、何かあったら絶対、先生の所で診てももらわなきゃダメだよ……」

 急に思いつめた様に視線を上げて、消えてしまいそうな声で途切れ途切れに言う。

 震える唇に涙が伝う。

 野木の手に腕を引かれて、和斗は俯いたまま姿を消した。

 俺はそのままの体制で、消えていく靴音に耳を澄ませていた。


「悪かったな、先生。変なことに巻き込んで」

 そう言った途端、強い力で抱きしめられた。

 耳の横に来た椎名の顔からくぐもった声がする。

「さっきの話。本当なのか? 精神科の薬飲んでるって」

 真剣で、独り言のような声を聞き流して、何とか誤魔化すような事をいう。

「なんだよ、先生。もしかして、さっきのキスでその気になっちゃった? お金さえくれたら寝てもいいよ。先生俺の好みのタイプだし」

 椎名が身体を離して俺の顔をキッと睨む。口にしなくても怒っていると分かる。

「そのかわりキングには内緒だよ? 俺殺されちゃうから……」

 さっきの質問から出来るだけ遠ざかりたくて、わざと笑って怒らせるような事を言った。


 次の瞬間、また強い力が身体にかかって、視界がひっくり返った。


 俺を見下ろす椎名の背中に、天井が見え、ソファーに押し倒されたと気付く。

 まさかさっきの冗談を本気にするとは思わなかった。

 急に全身が発熱し始める。


 上から椎名の薄い唇が降ってくる。

 今日二回目のはずのキスが、何故か先程とは全然違って官能的だった。

 唇の隙間から侵入してくる舌が、まるで生ぬるい海水が口内に溢れてくるようだった。

 口の中を掻き混ぜられる事が気持ちよくて、身体に海が染み込む感覚に、いつかの悪夢がよぎる。

 

 またデジャビュだ。

 

 翻弄されている視界に、天井の落ち着いた小さいシャンデリアが浮かぶ。

 

 ああ、あれもデジャビュだ。

 

 でも垂れ下がったキラキラと光るガラス玉を数える事も出来ないくらい、唇から伝わる熱に夢中だった。

 目を閉じて、不自然に光るプラスチックの飾りなんかよりずっと美しい満天の星空を思い出す。

 

 だめだ。溺れる。


「あっ……」

 急に唇が離れたので、あまりにも名残惜しくて声が出た。

 学校の副担任を前に、自分の今の物欲しげな顔を想像して、顔に熱い血が上る。

「先生……キス上手なんだね。……もしかして元遊び人?」

 なんとかこの情況から、意識をそらしたくて小さく言葉を漏らした。

「あの夜キスしたのは……」

 なぜ急に見舞いに来た夜の話なんてしだすんだろう。

 そうじゃなくても、この先の事を考えるとじっとしていられなくて、椎名の言葉を遮る。

「先生、ここ。キスマークついてるよ……キングってエッチ上手い?」

 すごい音量で体内にこだまする拍動を気付かれないように、とにかく適当に言葉を続ける。

 さっき気付いた小さな内出血に人差し指で触れると、椎名の首筋の熱さに更に鼓動が速まる。

「これは……。やっぱり、覚えてないのか……」

 覚えてないって何の事だろう。

 寝顔を襲ったキスの事なら、自分から仕掛けといて忘れるはずが無い。

「いや。何でもない。忘れてくれ」

 真剣だった椎名の瞳が揺れて、すこし気まずそうな表情をした。


 そう言って、俺の上から退くとドアに向かって歩いた。

 続きがあると期待していた俺は、やっぱりからかっただけなんだと、ドキドキしていた自分を責めた。

「今晩はもう帰れ。あと、明日さっきの北川って奴と寝るのはやめとけ。月曜の数学、抜き打ちでテストするからな。いくら主席でもテスト欠席だと単位ないぞ」

 ドアの前で振り返って軽く言い、ポケットに手を突っ込んで廊下へ出て行った。


 部屋に残された俺はソファーの上で動けずにいた。

『いや。何でもない。忘れてくれ』

 あの夜のキスをだろうか。

 それとも今のキスをだろうか。


 どっちにしても無理だ。

 忘れられるわけない。

 遅いよ、先生。

 もう遅い。


 だって、気付いてしまった。

 

 愛欲という底なしの暗海に、ずっと前から自分が溺れていたことに。

  

長いΣ(*゜д゜*)クッハア--!!!

一応折り返し地点なので……にしても長い。

長々とした文、読んで頂きありがとうございました。

もう一つお知らせとしては、次回もやや長です(〃▽〃)ポッ

勢いつけて来週中の完結を目指しますので、お付き合い下さいますと有難いです(゜∀゜)ラヴィ!!

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