転換点
中央冒険者組合の建物中に大層慌てた声が響いていた。
「お嬢! 大変ですお嬢!!!」
血相を変えて訓練場へ駆け込んで来たフィオナは、椅子に座って休憩中のリヴェリアの元へ全速力で走って来た。
「大変なんですよお嬢! 呑気にお菓子食べてる場合じゃ無いです!!!」
「何だ騒々しい。クレアが驚いているではないか。用件は何だ?」
リヴェリアは優雅に紅茶を飲む。
いつも沈着冷静なフィオナがここまで取り乱すのは珍しい。
リヴェリアが直接動かなければならない案件であったなら、既に耳に入っている筈。そうでは無いのであれば、慌てる必要も無いという訳だ。
「レイヴンです!」
「うっ……また何かやらかしたのか? しかし、私の元へは何も……」
レイヴンという言葉にクレアが反応する。
「レイヴンがどうしたんですか⁉︎ 」
「帰って来るわよ。中央に」
「え……⁉︎ 」
「でも、問題はそこじゃ無い。帰って来る理由よ」
「勿体ぶらずに早く報告するのだ。クレアを迎えに来るのか? まだ一年経っていないぞ?」
やはり大した事では無かった。
リヴェリアはクッキーを頬張り紅茶を口に含む。
「いいえ。レイヴンがCランク冒険者を辞めました。中央冒険者組合宛にSSランク昇格試験の打診が来ています」
「ぶふーーーーーーッ!!! ゲホッ! ゲホッ!」
「リ、リヴェリアお姉ちゃん大丈夫⁈ 」
盛大に咽せたリヴェリアは頭の中が混乱していた。
何度こちらから打診しても首を縦に振らなかったレイヴンが、自ら昇格試験を受ける。
どういう心境の変化があったのか知らないが、全くもって悪い冗談だ。
「な、何だと⁉︎ レイヴンがSSランクへの昇格を申し出たと言うのか⁈ 一体どういう事だ!」
「書類を持って来たミーシャが慌てて何処かへ行ってしまったので理由は分かりません。ですが、これは……」
「ああ。大問題だ。レイヴンは意味が分かって言っておると思うか?」
「おそらく……」
「ふむ……」
レイヴンは常識が抜け落ちている所はあるが、馬鹿では無い。
SSランク冒険者になる事がどういう意味を持つか分かっていない筈は無いと考えて良いだろう。
だが、今になって何故?
「あ、あの。レイヴンがCランク冒険者を辞めると困る事があるんですか?」
クレアの問いにリヴェリアは首を横に振る。
「いや。困りはしない。しないが、そうだな。今頃、中央冒険者組合は蜂の巣をつついた様な騒ぎだろう」
「……?」
「ええ、此処へ来るまでも職員や普段は全く関心を示さない貴族連中もいました」
クレアには二人がどうして真剣な表情を浮かべているのか分からない。
「とにかく一度レイヴンと話をしてみよう。試験の許可は私の権限で一時保留とする」
リヴェリアは首から下げた王家直轄冒険者の証をフィオナに差し出す。
この証の権限を使えば冒険者の管理について一定の権限を発揮する事が出来る。
昇格試験の差し止めくらい訳の無い事だ。
「ん? どうした? 早く受け取らぬか」
「いえ、それが……」
フィオナの表情から異変を察したリヴェリアは続きを促す。
レイヴンがSSランクへ昇格したいと言って来た時点で大問題だ。今更何を言われても驚きはしない。
「それが……賢者マクスヴェルトからの推薦付きなんです」
「は? はあーーーーーー⁉︎⁉︎ 」
「お嬢と同じ王家直轄冒険者の証を添えて……」
「何を……! 何を考えておるのだ、あの馬鹿はッ!!!」
リヴェリアが振り下ろした拳は、紅茶の置かれたテーブルを砕いた。
フィオナとクレアは目を丸くして驚いていた。
ここまで怒りを露わにするリヴェリアを見るのは初めてだ。
「レイヴンはいつ中央に戻って来る?」
「あと数時間もあれば……」
「チッ、時間が無いな」
リヴェリアは思考する。
同じ権限を行使されては試験の保留が出来ない。
レイヴン本人が望み、マクスヴェルトまで賛同しているとなれば、如何にリヴェリアとて打つ手がない。
「ええい! 今直ぐ試験の準備をしろ! Aランク昇格までの試験は省け。Sランク昇格試験には、ランスロット、ユキノ、フィオナ、ライオネットのSSランク冒険者四名と、Sランク冒険者ゲイルを含めた五名を試験官として指名する。SSランク昇格試験は私が担当するぞ!!! それから、マクスヴェルトに試験会場の結界を張らせろ! 以上だ! 急げ!」
「は、はい!!!」
フィオナがいなくなった後、未だに怒りの収まらないリヴェリアを見たクレアは、思い切って怒りの理由を聞いてみる事にした。
レイヴンに会えるのは嬉しい。だけど、理由も分からないのではどうしたら良いのか分からない。
「私はレイヴンがSSランク冒険者になっても何も変わらないと思うんですけど……」
「そんな事は分かっている!!!」
「ひぅっ……」
「あ、いや。……すまん。クレアに怒っているのでは無いのだ」
「……」
「レイヴンは権力を嫌う。SSランク冒険者になってしまったら、やりたくも無い依頼を受けなければならない事もある。私はそんなレイヴンを見たく無いのだ。いつも自由であるからこそレイヴンはレイヴンのままで居られる。それにな……」
「……?」
「変わってしまうのはレイヴン自身では無い。それは何も心配してはおらんのだ。問題なのはな、今までレイヴンという強大な力を持った冒険者が誰の首輪にも繋がれずにいた事なのだ」
それに気付いたゲイルはSSランク昇格への打診を断った。
リヴェリアやマクスヴェルトの様に上手く世渡り出来る器用さはレイヴンには無い。
「クレア。いずれレイヴンについて行きたいのならもっと力を付けろ。レイヴンが如何に強かろうが、一人では限界がある。無論、私や私の部下達も力になる。それでも、レイヴンには支えが必要だ。今回、私は全力でレイヴンのSSランク昇格を阻止するつもりだ」
「……」
「ふふふ。そんな顔をするな。何も殺し合いをする訳では無い。もしも……もしも、レイヴンに私を納得させられるだけの理由があるのであれば、その時は認めねばならん」
レイヴンが王家直轄冒険者でなければ、SSランク冒険者になってもリヴェリアの部下にする事も出来る。
そうすれば、今まで通りに自由に旅を続ける事も可能だ。
だが、それだけでは都合が悪い。
リヴェリアがマクスヴェルトと共に立てた計画が台無しになってしまう。
「お嬢、試験の準備が完了しました。ライオネット、ユキノの二名には戻り次第準備させます」
「分かった」
「それから、賢者マクスヴェルトがお越しになられています」
「あの馬鹿め……。分かった。今からマクスヴェルトと二人で話す。誰も私の部屋へ近付けるな」
「ハッ!」
「クレアはフィオナと一緒にいろ」
「はい……」
「大丈夫だ。悪いようにはしないとも」
問い質さねばと思っていた本人から出向いて来るとは良い度胸だ。
リヴェリアは愛剣レーヴァテインを手に自室へ向かった。
部屋に入ると、少年の姿になったマクスヴェルトがリヴェリアの到着を待っていた。
「リヴェリア、今回の事だけどーーー」
「何故だ? 何故許可した⁈ 」
リヴェリアはマクスヴェルトの顔を見るなり胸ぐらを掴んで捲し立てた。
「……」
「二人で決めたではないか! レイヴンが少しでも人間らしく生きられる様にと! 私達が出来得る限りの露払いをすると誓ったではないか!!! 世界を隔てる壁も、王家直轄冒険者の肩書きも! 全てはレイヴンの為では無かったのか⁈ 答えろマクスヴェルト! よもや協定を忘れたとは言わせんぞ!!!」
鬼気迫るリヴェリアの金色の目は、マクスヴェルトを捉えたまま微動だにしない。
本気で怒っていると分かるからこそ、マクスヴェルトもまた真剣に答えるべきだと理解していた。
「……それについては弁解のしようも無い。でも、あの頃とは違う」
「何が違うと言うのだ! またレイヴンが……私は嫌だ。そんなの絶対に嫌だ!!!」
リヴェリアの脳裏に蘇る後悔の記憶。
二度と同じ思いをしない為に一体どれ程の刻を過ごして来たか……。
「言い出したのはレイヴンだ。それに、レイヴンは変わろうとしている。君もレイヴンの変化には気付いていた筈だよ」
「そんな事……言われなくとも……分かっている。それでも私は……」
「君と僕の後悔は、レイヴンには関係無い」
「……!」
マクスヴェルトの言う通りだ。
レイヴンは何も知らない。
「レイヴンは自らの意思で変わろうとしている。確かにこれまでにも同じ様な事はあった。僕達はその度に期待し、そして後悔する羽目になった。でもね、リヴェリア。僕はこれをチャンスだと思っている。これまでにない大きな転換点。レイヴンの伸ばした手を僕達が掴まないで、一体他の誰が掴むって言うのさ。まだ問題は山積みだ。でも、あの頃とは状況が違う。レイヴンには仲間が出来た。彼はもう一人じゃない。リヴェリア……僕は何度でも彼の手を掴むよ。何もしないまま後悔するよりはずっと良い」
マクスヴェルトの顔に迷いは無い。
ただ、真っ直ぐにリヴェリアを見つめ返していた。
「どうしてだ? どうしてお前はそんな目をしていられる?」
「結局の所、君と同じさ。僕も愚かなんだよ。無駄かもしれないって思っていても、心の何処かで願っている」
「……」
「それとね、僕に弟子が出来たよ」
「何を言って……状況が分かっていないのか?」
「だって、悔しいじゃないか。レイヴンに変われたのなら、僕だって変わってみたい。名前はマリエ。レイヴンが僕等に内緒でやっていた孤児院で育った子なんだけど、素敵な心を持ったとても良い子なんだ。一目惚れって奴だね」
「……」
「花は咲くんだよ。何度強風に晒されても、いつか綺麗な花を咲かせるんだ。レイヴンに教えられたよ」
マクスヴェルトは話し終えると、リヴェリアに向かって手を差し出した。
「言ったでしょ? これは大きな転換点だ。レイヴンが変わろうとしているのなら、僕達も変わらなきゃ。運命に抗うのなら皆んなで戦おう。僕達は変われるんだ。それとも“竜王”の名を捨てた君には荷が重いかい?」
(言いたい放題に言ってくれる……だが、そうだな……)
「そんな訳があるか! 良いだろう……お前がそこまで言うのなら、私も一歩踏み出そう」
リヴェリアはマクスヴェルトの手を取ると、決意に満ちた金色の目を輝かせた。
「そうこなくっちゃね! 流石は剣聖リヴェリアだ」
「調子の良い事を言いおって。だが、そうなると昇格試験をどうするかだな。ランスロット達を招集してはいるが、適当にやってしまうか」
「いや、僕に考えがある。全員本気でやるんだ。手加減無しの真剣勝負」
「それは最初に考えた。しかし、もうその必要は無いではないか」
Aランク昇格までであれば、試験に勝ち負けは関係無い。しかし、Sランクからは少し違う。
絶対に勝たねばならない訳では無いが、本当の実力を測る為に全力での戦闘が要求されるのだ。
リヴェリアは当初、ランスロット達複数人でレイヴンの体力を削り、最後に自分が出張る事でSSランク昇格を阻止しようと考えた。
レイヴンをSランクまでに留めておけば、まだどうにでもなるという算段があったからだ。
「SSランク冒険者レイヴンは誰かの鎖に繋がれるような存在では無い。手懐けられない。お馬鹿さん達にそう思わせるのさ」
リヴェリアは成る程と相槌を打って手を叩いた。
王家直轄冒険者という肩書きは大き過ぎるが故に、三人の本当の実力を知らない者が多い。
身近な者であれば、自ずと実力に気付きもする。しかし、役人や貴族には、どの程度の実力があるのか分からない。
どういう逸話があろうとも実際に見ていないので実感が無い。
有り体に言えば、舐められているのだ。
であれば、それを逆手に取ってこの機会に実力を見せ付けようとマクスヴェルトは言っている。
レイヴンの昇格試験を聞きつけた者達の前で実力を証明してやれば良い。誰もレイヴンを飼い慣らそうなどとは思わないだろう。
「少々強引な気もするが、これから先の事を考えれば好機。私にとっても悪くない……か。転換点とはよく言ったものだな」
「まあね。結界は任せてよ。ただ、二人が戦う時は魔法の使える部下を何人か貸して欲しい」
「ん? どうした、お前だけでは難しいと?」
「保険だよ。レイヴンは強くなっているからね。まあ、その辺りについても話をしなきゃいけないんだけど、それは試験が終わってから話すよ」
「ふむ。良かろう」
ドアをノックする音がして、フィオナがレイヴンの到着を告げた。
予定よりも早い到着だ。
しかし、もうリヴェリアに迷いは無い。
「良し! では行くか!」