賢者と卵
ライオネットの元へ戻ると、組合からの増援が到着していた。
最初にやって来た人数がやけに少なかったのは、精鋭だけで先に救援に向かう為だった様だ。如何にもライオネットらしい判断だと言える。
「おや? 随分と早いですね?」
「そっちもな。回復魔法が使える者と食料はあるか?」
「ええ。ユキノさんお願いします」
応援に駆け付けていた冒険者の中にいたのはリヴェリアの部下であるユキノだ。
確かに彼女であれば回復に関しては問題無い。
が……。
「あら、本当に姿が変わってるわね。へえ、かなり高度な魔法ね。この魔法は誰が?」
やって来るなりレイヴンの体をあちこち触り始めたユキノは感心した様に頷いていた。
(参った。正体をバラしたと言っても、こんなに早く見られてしまうとはな)
ユキノが来ているという事は当然、リヴェリアも状況を把握しているだろう。
「でもこれ、魔法で姿を変えたというより、完全に性別が変わっている様な……。まさかね。そんな魔法聞いたことないし……」
魔法に詳しいユキノが言うと不安になる。
本当に元の姿に戻れるのだろうか。
「俺の事は良い。こっちを頼む」
「あ、ごめんなさいね。こんな魔法は初めて見るものだからつい。というか、少し目の周りが赤いわよ?」
「な、何でもない」
「ふふ。じゃあ、あの子達の回復するわね」
「ああ、頼む」
ユキノの使う魔法は冒険者でありながら、本職の魔法使いを上回る。
マクスヴェルトからの助言を受けてからまた一つ成長した様だ。
「何だこの魔法……体の中から力が湧いて来るみたいだ」
「凄く温かい」
「ありがとう! 綺麗なお姉さん!」
「ふふふ。どういたしまして」
「私の魔法とは全然違う……」
マリエに気付いたユキノは優しく声をかけた。
「貴女も魔法を?」
「は、はい! 治癒系の魔法しか使えませんけど……」
「そう。なら、一つ良い事を教えてあげる。受け売りだけれど、必ず役に立つわ」
「い、良いんですか⁉︎ 」
魔法に関連する書物は非常に高額だ。中には誰にも買わせる気など無いのではないかと思う様な値段の物もある。
しかし、それも仕方の無い事なのだ。
基礎的な魔法は少し質の良い武具と同じ値段でも買うことが出来る。
問題はその後だ。才能のある者であれば、基礎から更に上の術式を思い付いたりもするが、思い付いたところで、それを他人に教える事はまず無い。
魔法使いにとって魔法の知識とは、金を幾ら積まれても教える事の出来ない宝なのだ。
つまり、非常に高額な魔法関連の書物の中身は、魔法使いの人生とも自慢とも言える代物なのである。
レイヴンには戦い方や鑑定の知識を教える事は出来ても、さすがに魔法を教える事は出来ない。
ここはユキノに任せておくのが良いだろう。
「勿論よ。レイヴンが誰かの為に“頼む” だなんて言葉を使うのは珍しいから、特別に教えてあげる」
「やったあ! 私、今まで自分だけで勉強してたから……」
マリエの言葉にユキノは目を丸くする。
自分だけで勉強したとマリエは言ったが、ライオネットから事前に聞いていた事情を考えると、独学で勉強して冒険者になる程の知識を得るなどという事は不可能に近い筈だ。
しかも、見た所マリエは体も小さく、一度も使われた事も無いであろうナイフを腰に下げているだけ。
とてもではないが戦闘が出来る様には見えない。
冒険者には誰でもなれるが、それはあくまでも最低限の戦闘能力があってこそ。
情熱だけでは決して無理。
いくら人手不足の組合でも、戦えもしない者を冒険者だと認めたりはしない。
それは、マリエに魔法使いとしての才能があると認められたということだ。
「それは凄いわね。良い? 魔法使いに大切なのは“心” よ」
「心? 精神力じゃあないの? 」
「ふふふ。私も同じ事を思っていたわ。でも違うの。魔法とはーーー」
空間が揺らぎ、強大な魔力を持った何者かの気配が近付いて来た。
「魔法とは、究極的に突き詰めれば、イメージの具現化じゃ。例えば、治癒魔法にも呪いの魔法にも、術者の心が大きく関わっておる。精神力とは術式を元にイメージした魔法を形にするもの。心とは発動した魔法の効力を左右するもの。この二つは似て非なるものじゃ。では、問おう。理屈では、同じ術式の治癒魔法を使ったなら、効果は同じでなければおかしい。誰が使ったとしても、使用する精神力は同じなのじゃよ。しかし、実際に発動した魔法の効力には、時に大きな違いが出る。それは何故か?」
聞き覚えのある声に振り向くと、転移して来たマクスヴェルトの姿があった。
「マクスヴェルト……どうして此処に?」
マクスヴェルトの名を聞いた組合の職員達は、滅多に見られないマクスヴェルトを見る為に作業の手を止めて集まって来た。
「ちと用があってな。さて、お嬢さん。この問いの答えが分かるかな?」
「えっと……精神力は形を、心は効果だから……」
幼い少女には難しいのではないか?
聞いていた誰もがそう思っていた時、マリエは答えを口にした。
「それは……想い。誰かを大切に思う気持ち。私には皆んなみたいに戦う力が無いから、私の魔法で少しでも皆んなの役に立ちたい!」
マリエの言葉は、甘い理想。現実を知らない子供の発想だ。
そんな答えでは賢者マクスヴェルトが納得する筈が無い。
やはり無理だったかと皆が思う中で、そう思っていない人物が一人いた。
レイヴンでもユキノでも無い。
賢者マクスヴェルトだった。
(へえ、良いね。とても素敵な答えだ)
マリエの導き出した答えは、賢者マクスヴェルトをも満足させる素晴らしいものだった。
難しい言葉を並べるでも無く、理屈を捏ねる訳でも無い。
たった一言。
『想い』だと目の前の少女は言った。
その言葉はマクスヴェルトの琴線を擽るには充分だった。
完璧な答えとは言えない。けれども、ある意味でマリエの言葉は魔法の核心を突いていた。
それは、武力にも魔法にも通じる言葉。
力を行使する上で、何よりも大切な事だ。
ユキノに聞いた時、彼女は既に自分の答えを持っていた。
けれど、他の者に興味本位で同じ質問をした時には随分と落胆させられたものだ。
より強大な魔法を求めるばかりで、大切な事が抜け落ちている。
何故マクスヴェルトが『精神力と心』を別々に捉えて提唱しているのか、理解の及ばない者達ばかりだ。
強く具体的なイメージを持つ事で魔法の効果は増す。
しかし、それでは不十分だ。
魔法とは手段であって、力を誇示する為の物では無い。
必要とあればどんな大魔法でも使う事を厭わない反面、レイヴンがそうであるように、マクスヴェルトもまた、無為な力の行使は好まない。
マクスヴェルトの追い求める魔法の深淵とは、魔法そのものの規模の事では無い。
想いを込めて発動させた魔法が十にも百にもなる事。
レイヴンが持つ“願いの力” のように、純粋な想いは絶大な効果を発揮する。
不可能を可能にするのが魔法では無い。
『想いを力に、願いを形にする』
それこそが魔法という物。
魔法のあるべき姿なのだ。
「ほっほっほっほ! なるほどなるほど、“想い” か。確かにそうじゃな。その気持ちを大切にしなさい。ところで、誰か魔法の師になってくれそうな者はおらぬのかな?」
「いえ、いません……全部自分でやってたから……」
孤児院で育った子供達に高価な魔法書を買う金があるはずも無い。
誰かに弟子入りしようにも、研究資金という名目の多額の金を要求される場合が殆どだ。
「ふむ……良かろう。頭をこちらへ」
「こう、ですか?」
マクスヴェルトはマリエの頭に手をかざすと、もう片方の手で指を鳴らした。
「何これ……魔法の術式? それも、私の知らない魔法の知識が流れ込んで来る……」
「儂からのプレゼントじゃよ。鍛錬を積みなさい。心の成長に合わせて新しい魔法の知識が得られるようにしておいた。じゃが、忘れてはならんよ? 精神力とはーーー」
「精神力とは術式を元にイメージした魔法を形にするもの。心とは発動した魔法の効力を左右するもの! ですよね?」
「ほっ⁈ これはこれは……」
マクスヴェルトはマリエをじっと見つめたまま、突然黙り込んで動かなくなってしまった。
「おい、マクスヴェルトーーー」
堪らず声をかけたレイヴンを制止したマクスヴェルトは、両手を広げて高らかに宣言した。
「決めたぞ!!! 儂はこの娘を弟子にする!」
「「「……ッ!?」」」
その場にいた全員が絶句した。
どんな大金を積まれても、王家からの打診であろうとも、弟子をとる事を頑に拒み続けて来たマクスヴェルトが、冒険者になったばかりの、それも満足に魔法の知識も持っていない少女を弟子にすると言ったのだ。
「おい、何を勝手な事を言っている!」
「勝手で悪いか?」
「何だと⁈ 突然やって来て、いきなりマリエを弟子にするなど、何を考えている? この子達には……」
「誰が魔法を教えてやれる? お前か? レイヴン」
「く……それは……」
「知識など今から覚えれば良い。それよりも、この娘は魔法使いにとって欠かせない物を持っている。ならば、それを儂が導いてやろう。そこから先は自分次第。どうだね? 儂の元で魔法を学んでみるかね?」
「えっと……私は、その……」
断る理由など無い。
どんなに望んでも、こんな良い話は二度と無い。
賢者マクスヴェルト直々の指導を受けられる機会は、純粋な魔法使いで無くとも、魔法を嗜む者であれば何を置いても逃さないだろう。
「儂の屋敷に住むと良い。魔法書も好きに読んで構わんし、金も要らん。何も心配はいらんぞ?」
ユキノがゴクリと唾を飲む。
マクスヴェルトが所持する魔法書には値段が付けられない。
この世界の全ての魔法に関する知識がそこにあると言っても過言では無いのだ。
「魔法の勉強は勿論したいけど、マクスヴェルトさんの家に私が行っちゃうと皆んなが困ると思うし、私は皆んなと一緒に冒険がしたいから……その、ごめんなさい! 」
「……!!!」
時が止まってしまったかの様な静寂が空間を支配していた。
魔法の勉強もしたいが、仲間と離れたく無い。
賢者マクスヴェルト直々の申し出をそんな理由で断るだなんて理解が追い付かない。
頭を下げ、誘いを断るマリエの姿にマクスヴェルトは魅入られていた。
(参ったよこれは。僕はいつの間にか慢心していたみたいだ。魔法の深淵を追い求めていながら、こんな事にも気付け無いだなんて)
賢者マクスヴェルトの誘いを断る者などいないだろうなどと、たかを括っていた自分が恥ずかしい。
「気に入った!」
「え?」
「今は何処に住んでおる? 冒険者の依頼が無い時は、この魔具を使って連絡して来なさい。都合の付く限り、儂の方から出向こう。それでも駄目かな?」
破格の申し出だ。
賢者が自ら家庭教師を買って出ると言う異常な光景。
「マリエ、受けてやれ。俺に魔法が使えれば良かったんだが、コイツ以上に魔法に詳しい奴がいないのも事実だ。遠慮は要らん。辞書替わりに使い潰してやれ」
(口悪過ぎでしょ! 僕が普通に喋れない状況だからって絶対わざとやってるよね!)
「どういう風の吹き回しかの?」
「お前が出向くと言うのなら、マリエの希望に叶うと思っただけだ」
「先生……」
「ほう、それは随分と優しいのう。レイヴンちゃん」
「……」
「ん? 何かおかしな事を言ったかの? レイヴンちゃん」
「貴様……」
良からぬ雰囲気を察したライオネットとユキノが慌てて二人の間に入った。
こんな所で二人が戦ったら、このあたり一帯は何も無い荒野になってしまう。
「ストップ! 落ち着いて下さい二人共!!!」
「こんな所で喧嘩なんかしないでよ! 全員生き埋めにする気⁉︎ 」
「せっかく魔法の勉強が出来る機会が出来たんですから!」
「「……」」
どうにか二人が矛を収めて鎮まると、後ろで黙って見ていたセス達が、そっとマリエの背中を押した。
「ほら、挨拶して来なよ」
「魔法の事を教えてやれないって、オルド爺ちゃんも困ってたんだし、丁度良かったじゃんか」
「皆んな……うん!」
マリエはマクスヴェルトの前に立ち、頭を下げた。
「宜しくお願いします! マクスヴェルト先生!」
「ほっほっほ。勿論、大歓迎じゃとも。こちらこそ宜しくのう、マリエ」
「はい!!!」
この日、誰も弟子をとらなかった賢者の元に、魔法使いの卵が弟子入りした。