ロイ
一日目の夜。
キャンプを張るのに適した場所を確保した一行は、トミーとロイの用意した夕食に舌鼓を打った後、交代で眠りに就いた。
管理されたダンジョンでの夜は他のダンジョンで過ごす夜に比べて、かなり安全だと言える。
定期的に魔物が増え過ぎない様に一定数以下になるまで間引きされ、瘴気が溜まる事によって発生するSランク以上の魔物も常に風の吹いている為に発生する事は無いそうだ。
だが、安心してばかりもいられない。
下位の魔物は、同じダンジョン内に生息している自分よりも強い魔物と共存する為に様々な特性を持っている。
大蜥蜴は周囲の環境に合わせて擬態、ポイズンラットは身の危険を感じると仲間を呼び寄せる。他にも姿を隠す事に特化した魔物や、大型の魔物に寄生する場合もあるのだ。
弱い魔物ばかりだらからと高を括っていると足元を掬われる。
(そろそろ行くか)
セス達に付き合ってやるのも面白いが、それだけで十日も過ごす訳にもいかない。
未踏領域への入り口を探して、金目の宝や魔物の素材を収集しておかなければ今回の報酬は無い。
レイヴンは気配を殺すと、気付かれない様に静かにキャンプから離れた。
目的地はダンジョンの南。
セス達が目指す北の広い空間とは真逆。
風が一方方向へ流れているという事は、何処かに風の抜け道がある筈だ。
でなければ、南に吹かれて行った瘴気が溜まって強力な魔物を発生させているだろう。
セス達が数日かかる行程も、レイヴンの足であれば数時間もかからない。
下位の魔物は無視して一気に目的地まで走り抜けるのが良いだろう。
当然、これはレイヴンの馬鹿げた体力があっての事だ。各地で連戦と移動を繰り返していたレイヴンにとってこれ位の移動は容易い。場合によっては一日中ダンジョンの中を走っている事もある。
(可能性があるとすれば南にある広間か。まあ、朝までには帰って来られるだろう)
レイヴンは覚えた地図を頼りに暗いダンジョンを走り出した。
ロイはレイヴンの気配が消えたのを察知して目を覚ますと、マクスヴェルトから受けた依頼をこなすべく起き上がった。
(見張りはバートとユリだけッスか……)
依頼と言っても大した事では無い。
ただ、レイヴンを監視するだけ。
ロイは最後まで身分を明かす事なく、レイヴンがとった行動をマクスヴェルトへ報告する事になっていた。
奇妙な依頼内容ではあったが、賢者マクスヴェルトからの依頼な上、リヴェリアの推薦とあっては断る理由は無い。
(それじゃあ、お仕事といきますか)
レイヴンの後を追って走り出したロイは、ダンジョンの通路を駆け抜けながら、早くも異常を感じていた。
確かにレイヴンが先に通った筈なのに、通路には人が通った痕跡は一つも無く、魔物達も気付いた様子が全く無い。
(流石レイヴンさん。気配の消し方が半端ないッス……)
偵察任務を得意とするロイも気配の消し方にはそれなりに自信があったのだ。
しかし、レイヴンの場合は気配を消すどころの次元では無い。それこそ人間一人の存在ごと消してしまったかの様な錯覚さえ覚える程だ。場の空気の流れを乱す事なく魔物を避けて走り抜けるだなんて芸当が出来る冒険者はSSランクの中にもいない。
リヴェリアと同じく圧倒的な力を持っている冒険者だとは知っていたのだが、隠形まで完璧にこなされては、流石に自信を無くすというものだ。
(これは参ったッスねぇ。まあ、目的地は分かってるんで問題ないっスけど……)
ロイは気を取り直して速度を上げる。
普通に走っても追い付けないのは分かっている。
レイヴンの行動を監視する役目がある以上、出来ませんでしたでは済まない。
他の仲間に比べ、戦闘はあまり得意では無い。けれど、SSランク冒険者としての意地がある。
ロイは魔具を取り出すと足にはめて魔力を流した。
仕組みは単純。
魔具によって発生した電流の刺激によって筋肉を刺激して加速を促すのだ。
魔法にも似た様なものがあるが、ロイには魔法が使えない。多少体への負荷が大きくとも、比較的入手の簡単な魔具に頼らざるを得なかった。
(あーあ、任務が終わったら筋肉痛が酷いんだろなぁ。もっと楽な仕事を想像していたんスけどね)
ロイは心の中でボヤきながらも、レイヴンを追って加速した。
どのくらい走っただろうか。
ロイは手帳に書き写しておいた地図を確認する。
(ふーむ……この辺りの筈ッスけどねぇ……)
レイヴンの目的は未踏領域の調査だと思われる。
地図を確認していた時の視線から、入り口を探していたのだろうと予測していた。
「俺に何か用か?」
(……ッ!!!)
ロイの背後から音も無く現れたレイヴンに、ロイは心臓を鷲掴みにされたような気がして飛び退いた。
『ど、どうして分かったんスか⁈ 』
震える手で書かれた文字は、いつも綺麗な文字を書くロイらしくない程に歪んでいた。
「どうしても何も、お前の足音がしなかったからだ。確信したのはさっきだがな。お前は誰に言われて来た? 」
身長、体重、利き脚など、足音から分かる情報は多い。
冒険者の中にも足音に注意している連中は多い。それは、高ランク冒険者になれば成る程顕著に見られる。
ロイもそうだ。
重たい荷物を持っているにも関わらず足音を立てない歩き方をしていたし、街でも、ダンジョンでも日常生活の中ですら訓練のつもりでやっているのだろう。
街中であれば靴によってはあまり音がしない物もあるが、足元の悪いダンジョンで足音を消すのは日頃から訓練していなければ無理だ。ましてや重たい荷物を持ったままというのは、疑うなと言う方が無理があるだろう。
『そ、それは話せないッス。依頼ッスから……』
「……」
冷や汗を流すロイを観察しつつ、レイヴンは冷静に思考を巡らせていた。
別に無理に話して貰わなくとも、リヴェリアの部下である事は察しが付いている。だが、リヴェリアはこの手のまどろっこしい手段は使わない。だとすれば、ロイを使ってコソコソと動いているのはマクスヴェルトだろう。
どういうつもりなのか知らないが、嗅ぎ回られるような真似をされるのは好きでは無い。
「まあ、そうだろうな。ただ……これだけは言っておく」
レイヴンの赤い目が輝きを増すと、今まで押し殺していた気配が膨らんだ。
抗うのも馬鹿馬鹿しい程の圧力が周囲に放たれる。
(な、なんスかコレ⁈ い、息が……)
「一度しか言わないからよく覚えておけ。俺は嗅ぎ回られるのが大嫌いだ。お前にも依頼があるのは理解してやるが……。ロイ、報告の内容は分かっているな?」
ロイは必死に頷いて返事をする。
仮に依頼通りの報告をしたとしても、命までは取られないかもしれない。けれども、この圧力には逆らえない。
レイヴの目は氷の様に冷たいのに、心臓を鷲掴みにする声はロイの体を完全に支配して、まるで生きた心地がしないのだ。
レイヴンの怒りを買うくらいなら、単騎でレイドランクの魔物と相対する方がマシだ。
「次は無い。お前はセス達に危害が及ばない様に見張っておいてやれ」
『りょ、了解ッス!!!』
レイヴンはメモを確認すると、今まで放っていた気配を全て絶って、ダンジョンの暗がりへと姿を消した。
手帳を突き出して敬礼の姿勢のまま固まっていたロイは、レイヴンが去った後も直立したままだった。
もしもまたレイヴンが帰って来たらと思うと迂闊に気を抜けないのだ。
(び、ビビったあぁぁぁぁぁーーー!!! 何スか⁈ あの化け物みたいな圧力は⁈ )
王家直轄冒険者と呼ばれ、上司であるリヴェリアと肩を並べる人物である事は百も承知していたし、これまでの常人離れした功績の数々も調べ上げいた。
けれど、調べれば調べる程に信憑性は失われて行った。
当然だ。強い事は分かっていても、功績のどれもが尾ひれはひれのついた物だとしか思えない様な一大事ばかりだったのだ。
普段見ているリヴェリアも剣聖と呼ばれる冒険者だ。しかし、思い浮かぶのは可愛らしい少女の姿。口一杯にクッキーを頬張って、のんびりとお茶を楽しんでいる緩い光景ばかりが脳裏に浮かんで来る。
ロイは思う。
こんな事になるなら、もう少し戦闘訓練に参加しておけば良かったと。
そうすれば、戦うリヴェリアの姿や、纏う圧力を肌で感じる事が出来ただろう。
「恨むッスよお嬢……。もっと普段からキリッとしていてくれたら……」
レイヴンには、もう全部バレていると考えて良いだろう。
マクスヴェルトからの依頼も諦める他無い。完全では無いにしろ単独行動以外の報告は可能だ。それで譲歩してもらう他ないだろう。
「はあ……レイヴンさんも酷いッス。セス達には、“冒険者たる者は” だなんて、あんなに優しい事言ってたのに……世知辛いッス……」
レイヴンの追跡を断念したロイは肩を落としたままキャンプ地へと戻って行った。
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「っくしゅん!」
「お嬢、風邪ですか?」
一日の仕事を終えたリヴェリアは、皆と一緒に夕食を食べた後、いつもの様にお茶を楽しんでいた。
多忙なリヴェリアにとってこの時間はとても大切なものだ。
だが、そこへ唐突に訪れたくしゃみのせいで、口一杯に頬張っていたクッキーは飛び散り、悲惨な有様になっていた。
「あーあー、汚ねえなぁ! そんなに一度に口に入れるからだぜ?」
「う、うむ……すまぬのだ……うぅ、何やら急にくしゃみが……」
「リヴェリアお姉ちゃん大丈夫? 」
珍しくリヴェリアの部屋にやって来ていたのは、怪我が癒えたばかりのランスロットだった。
今日はクレアの様子を見に立ち寄ったらしい。
「ちょっと! お嬢になんて事言うのよ!」
「あんた馬鹿なんだから黙ってなさいよ!」
「いや、馬鹿は関係ねえだろ……」
こちらもいつのもやり取りをした後、ユキノとフィオナに片付けをしてもらったリヴェリアが本題を切り出した。
「で?私の部下になりに来たのか?」
「もう良いって……。俺が来たのは病み上がりで体が鈍ってしょうがないから、此処で一緒に訓練に付き合わさせてもらおうと思ってな」
いつまでもベッドの上で寝ている訳にもいかない。
レイヴンが戻ってきた時に備えておく必要がある。一人にしておくとまた何をやらかすか分からないからだ。
「ふむ。それならば、ゲイルの相手をしてやってくれ」
「ゲイル? そう言えば今、何処にいるんだ?」
ゲイルはクレアの護衛をする間、身柄はリヴェリア預かりとなっている。
要は臨時の部下という扱いだ。
「冒険者として依頼をこなしている。なんでも、食費くらいは自分で稼ぐと言ってな。それに、新しい体にも慣れておきたいのだそうだ」
アルドラス帝国 “元” 第八騎士団団長ゲイル。
彼が冒険者をやっているとは驚きだ。
「へえ、随分プライドの高い奴だと思ってたんだけどな」
「ああ、無駄に高いぞ。冒険者登録した際にもSランクから始めさせろと言って聞かなかっった。仕方がないので私が直接試験を行って、今はSランク冒険者として登録してある」
「マジかよ……」
剣聖リヴェリアが試験官を務めた時点で異例の事だ。
ゲイルもゲイルでさぞ驚いた事だろう。
「良い腕だったぞ? 元々、かなりの手練れだった様だしな。先日、中央冒険者組合から正式にSSランク昇格への打診が来る程の成長ぶりだ。だが……」
「だが?」
「ゲイルは昇格を断って来た。どうやら私の部下になるのが嫌だった様だ」
ランスロットは半笑いでリヴェリアの言葉を否定する様に首を振った。
今のはリヴェリアのつまらない冗談だ。
ゲイルはレイヴンと何か取引をしたらしいというのはライオネットから聞いて知っている。
SSランク冒険者ともなれば、特権と引き換えに自由が制限される。それを避けたのだろう。
「そっか。じゃあ、今度訓練に誘ってみるか……」
「今度と言わず、今から行け」
「は? いや、もう今日は遅いし」
「いやいや、今から行けば間に合う依頼があるのだ」
リヴェリアはクッキーをかじりながら、一枚の書類をランスロットに渡した。
「良いねえ。肩慣らしには向かないけど、気分転換にはなりそうだ」
「だろ? 色々と話して来ると良い」
「そうさせてもらうぜ」
こういう時のリヴェリアは変に気が回る。
ランスロットはクレア達に別れを告げ、その足でゲイルの泊まっている宿へと向かった。




