答え
とある昼下がり、中央冒険者組合に隣接する訓練施設の廊下を、封印を解放し大人の姿となったリヴェリアが歩いていた。
いつになく上機嫌な様子で軽快に歩くリヴェリアの姿に職員達も思わず息を飲む。
「剣聖が一体何の用だろう?」
「そう言えば最近、見たことない魔物混じりの子供がうろついてるのを見たな。何か関係が?」
「新しい部下候補?」
「まさか。あの人の部下は全員SSランク。子供には無理さ」
「確かに」
職員達の噂話をちゃっかり聞いていたリヴェリアはほくそ笑む。
(ふむふむ、私の部下にしてしまうのも面白いか。しかし、そうなるとアイツが煩いからなぁ……)
頑丈そうな扉の前に立ったリヴェリアは少しだけ襟を正すと、中へと入って行った。
中は巨大な闘技場の様な円形状となっており、訓練の様子を見学出来る様に一部分にだけ椅子が設置された作りになっていた。
此処では新しい武器や兵器の試験、模擬戦などが中心に行われる。
しかし、最近では殆ど使われる事が無く、別の施設に作り変えようという案が出ていたのを聞いたリヴェリアが、工事が始まるまでの間、私設訓練場として借り受けたのだ。
「調子はどうだ?」
「お嬢。とんでも無いですよ。本気では無かったにしても、あのレイヴンの動きについて行っていましたからね」
「それに、吸収速度が異常なんです。一度見た動きや技は初見で盗まれます。再現度も申し分ありません」
「それは凄いな!」
ユキノとフィオナの報告を聞いたリヴェリアは益々上機嫌になる。
レイヴンと別れるまでの経緯は聞いて知っていたが、SSランク冒険者の二人にここまで言わせる才能には舌を巻く。
全く末恐ろしいものだ。
きちんとした訓練を積みさえすれば、将来は最強の一角を担う存在になる事も夢では無いかもしれない。
「リヴェリアお姉ちゃんだ!」
リヴェリアに気付いたクレアが走って来る。
レイヴンに置いて行かれてから暫くはずっと不機嫌だったクレアも、最近はよく笑う様になった。
腕を磨いておけば次はレイヴンと一緒に旅に行けるかもと言ってやったのが効いたらしい。
ほんとんど毎日戦闘訓練を行っている。
「おお、クレア。息災か? 訓練は順調そうだな」
「はい! 」
「ふむ。良い返事だ。では、私と戦ってみるか?」
「え……リヴェリアお姉ちゃんと?」
「嫌か?」
クレアは若干引いた様子で後ずさる。
リヴェリアが剣聖と呼ばれる冒険者で、大好きなレイヴンと肩を並べる強者である事を知ってからというもの、頑なに手合わせするのを避けていた。
高みを目指す者にしてみれば、冒険者の頂点に立つ剣聖リヴェリアとの手合わせは最上の栄誉だ。
それを断るなど考えられ無い。
「い、嫌じゃないけど……リヴェリアお姉ちゃん強いし……」
「あははは! 何を言っておる。あのレイヴンに挑んだのであろう? ならば問題無い」
「で、でも……」
「成長したいなら実際に戦って経験を積むのが一番早い。レイヴンもそうやって今の強さを手にれた。それこそ命懸けでな」
「……」
「そんなレイヴンに追いつこうと言うのだ、私くらい相手に出来なくては」
“私くらい” などと気軽に言ってしまうリヴェリアを見たユキノとフィオナは呆れ顔である。
もう何年もリヴェリアと一緒にいる二人でも、一度だって本気を出したところなど見た事は無いのだ。
おそらく黒い鎧を纏ったレイヴンと戦った時の常軌を逸した異次元の戦いですら、本気では無かっただろうと確信していた。
誰もが最強の冒険者である事を認めるレイヴンですら、リヴェリアに一目置いているという話は、中央にいる冒険者であれば誰でも知っている。
「うう……」
「そんなに難しく考えなくとも良い。ちゃんとクレアに合わせるとも」
「じゃあ、一度だけ……」
「そうこなくては!」
闘技場の中央で向かい合った二人はとても対照的だった。
腕の力を抜き、足を広く開いた状態で体を沈める様に構えるクレア。
それに対するリヴェリアは片腕で剣を正眼の位置に構えたまま、体を半身だけ開いた状態でゆったりと構えていた。
「お嬢。開始の合図は?」
「必要無い。既に始まっている」
「え……?」
クレア体が更に深く沈んでいく。
剣が地面につくギリギリの位置に達した時、クレアの姿が消えた。
いや、正確には消えた様に見えたのだ。
とんでもない加速をしたクレアがリヴェリアに向かって突っ込んで行った。
「嘘⁈ 訓練の時よりも速い……⁈ 」
驚愕の声を上げるユキノにフィオナも同意して頷く。
こんな出鱈目な速度の踏み込みは訓練では一度も見せてはいないのだ。
「おお! 良い踏み込みだ! 剣筋も良い」
「くっ……! 」
ユキノ達が一瞬見失ったクレアの攻撃をあっさりと見切ったリヴェリアは、涼しい顔のまま受け流していた。
どんなにクレアが攻めてもリヴェリアの構えは崩れない。
「呆れた。私達と訓練していた時とは比較にならないわね……」
「多分だけれど、クレアちゃんはレイヴンと同じ実戦タイプ。真剣勝負でこそ本領発揮するタイプなんでしょ……」
「それもあるかもしれないけれど、クレアちゃん私達に遠慮してたんでしょうね」
「止めてよユキノ。考えないようにしてたんだから」
戦闘特化では無いと言っても二人ともSSランク冒険者だ。
その二人を相手にして手加減していたなどショックだ。
「これなら!」
同じ攻撃を繰り返していたクレアの腕が僅かにブレて見えたかと思うと、一本しか無い筈の剣が幾重にも増えてリヴェリアに襲いかかった。
「うはっ! それは確かランスロットの奴が使っていた技だな! うむ! 見事だ!」
複数のフェイントを織り交ぜた超高速の連撃。
しかし、それでもリヴェリアには届かない。
フェイントも全て見切られ虚しく空を切るばかり。
余裕の表情を浮かべたリヴェリアのゆったりとした構えには力んだ箇所は一つも無く、あらゆる斬撃を吸収し、或いは受け流していた。
まるでお手本の様な立ち回りにユキノ達から感嘆のため息が漏れる。
「見事な技ではあるが、クレアの体格では一撃が軽い。それに、まだ成長仕切っていない体では負担も大きいだろう。あまり多用は出来んな。レイヴンがクレアを置いていった理由を教えてやろうか? 」
「……!」
リヴェリアの指摘は正にレイヴンが言っていた事と同じものだった。
一撃が軽い事は今のクレアにはどうしようもない。けれど、まともに使える技はこれしか無いのだ。
自分を置いて行った理由など分かっている。
それは弱いからだ。
「くぅ……ッ!」
「ふふふ。そんな顔をするな。駄目だと言っている訳では無いぞ? まだ早いと言っているだけだ。そうだ! 確かクレアは見ただけで相手の技を覚える事が出来るのだったな?」
「はい。完璧じゃないけど、見れば大抵使えます!」
攻撃の手を緩めることのないまま返事をしたクレアを見たリヴェリアは、僅かに唇を吊り上げて笑みを浮かべた。
「……良かろう」
リヴェリアはクレアから距離を取ると、剣を鞘に納めてしまった。
これで終わりなのかと力を抜きかけた次の瞬間、異変を感じたクレアは追撃を止めて距離を取った。
「……⁉︎ 」
リヴェリアの纏う空気が変わった事に気付いたクレアは、慌てて体制を整えると再び体を深く沈めて様子を伺った。
「ほう……なかなか勘も良いな。異変を察知する能力は大事だ。これは教えてどうにかなるものでは無いからな」
言い終わると同時、リヴェリアの金色の目が輝きを増し魔力が膨れ上がった。
吹き荒れる魔力が闘技場の土を舞い上げたかと思うと、一転して穏やかな水面の様な静けさと共に収まった。
ただ、立っているだけのリヴェリアから放たれる圧力は尋常では無い。
息苦しさすら覚える程の圧力を纏ったリヴェリアを前に、クレアの額に汗が滲み出る。
「凄い……こっちの呼吸が乱されてるみたいな感じがする……」
レイヴンが纏う獰猛な圧力とは違う種類の圧力。
だが、それはリヴェリアの内包する巨大な力の片鱗でしか無かった。
「今から使う技は、かつて私の親友が使っていた物だ。技の名前は“剣気一閃” その名の通り刃に込めた剣気を放つ技だ」
リヴェリアは剣の柄に手を添えると、やや足を開いた状態でゆっくりと体の重心を下げた。
「この技は腕の力で放つのでは無い。下半身から肩、そして腕、剣先に至るまでの“しなり” を使う。視線は相手から外すな。精神を研ぎ澄まし、刃に己の魔力が纏っているイメージを頭の中に思い浮かべるのだ。そうだな、丁度レイヴンがやっていた様な感じだ」
リヴェリアを中心とした周囲の温度が急激に下がっていく様な感覚にクレアは息を飲む。
冷たく張り詰めた空気が足元にまで伝わって来る様だ。
「私の持つレーヴァテインは両刃。本来なら抜刀系の技の使用には向かない剣だ。しかし、クレアの持つ剣は片刃。剣を抜く初速に問題は無いだろう」
「……」
「この技をクレアに贈る。見事見切ってみせよ……そうすれば、あやつがクレアを置いて行った理由も分かるだろう」
「……?」
「動くなよ? 加減が難しい技だ。動けば首が落ちる……」
リヴェリアの金色の目が狙いを定める様に細く鋭くなり、普段の穏やかな印象は微塵も感じられなくなっていった。
クレアの目の前にいるのは紛れもなく、剣聖リヴェリアその人だった。
静まり返った闘技場に緊張が走る。
物音一つしない静寂の中、誰かの唾を飲み込む音すら大きく感じられた。
「いくぞッ!!!」
全ては一瞬。
裂帛の気合いを込めた声と共に放たれた剣尖の輝きが闘技場を満たす。
途轍も無い衝撃波の後、リヴェリアの息を吐く音が聞こえてくた。
「ふぅ……どうだ? 見えたか?」
土煙が晴れると、そこにはいつものリヴェリアが居た。
クレアは目を見開いたまま身動ぎも出来ずに、乱れた呼吸のまま立ち尽くしていた。
顔にはびっしょりと滝の様な大粒の汗が流れている。
リヴェリアの放った一撃は辛うじて見る事が出来た。
けれども、クレアにはリヴェリアがわざと見える様にしていた気がしてならなかった。
超高速を超える神速の剣。
もしもリヴェリアが本気で今の一撃を放っていたなら、剣を抜く瞬間はおろか構えすらも認識出来なかった事だろう。
だがーーーーーー
「すぅ……」
クレアは深く息を吸い込むと剣を鞘に納め姿勢を低く構えた。
余計な力は必要無い。
剣を抜く瞬間に全てを込めれば良い。
「嘘でしょ⁈ 今のをやる気⁇ 」
「いくらなんでも……」
「黙って見ておれ」
「お嬢……」
クレアを見つめるリヴェリアの目は本気だ。
ただ黙ってクレアの集中を待つ。
張り詰めた空気が闘技場を満たした時、クレアが叫んだ。
「行きます!」
神速には程遠い。
されど超高速で放たれた斬撃は空を裂きリヴェリアの後ろの壁を抉って見せた。
「本当に……」
「ここまで凄いと言葉も無いわね」
剣を抜きはなった姿勢のままのクレアを見て、リヴェリアは感動していた。
剣気一閃は一度見た程度で再現出来る程優しい技では無い。
それこそ、達人と呼ばれる者が長い長い修行の果てにようやくきっかけを掴む事が出来る奥義だ。
一度見れば使えると言い切ったクレアに意地悪をするつもりだったのだが、見事に再現されてしまった。
「ふふふふ……あははははははは!!! 見事! 見事だクレア!」
「よ、良かった……ありがとうございます。リヴェリアちゃんがじっくり加減して見せてくれていなかったら出来なかったかもしれないです」
「……加減? ふふふふふふ……そうか、クレアにはそう見えたか」
「……?」
「よし、訓練はここまでだ。さあて、お茶の時間にしよう」
普段の子供の姿に戻ったリヴェリアはユキノとフィオナを連れて、来た時と同じ様に上機嫌で闘技場を後にした。
残されたクレアは後片付けをしようと振り返り、目に飛び込んで来た光景に背筋が凍り付いた。
「な、何これ……」
そこにはクレアが立っていた位置から後ろ半分全ての壁に深々とリヴェリアの放った斬撃の跡が刻まれていた。
リヴェリアの放った技とクレアの放った技とでは、威力に天と地ほどもの開きがある。
それは至極当たり前で、けれど……。
リヴェリアは加減などしていなかった。
抜刀という技の本質を見落として、リヴェリアが手を抜いた様に思い込んでしまったのだ。
そして、クレアはこの時初めて理解した。
いくら真似る事は出来ても、所詮真似事。
自分の技になってはいないのだと。
「そっか……だからレイヴンは私を置いて……」
戦闘能力で決して劣っている訳では無いクレアを何故レイヴンが置いて行ったのか……。
壁に刻まれた斬撃の跡。
それはリヴェリアがクレアに送った本当の答えだった。




